ヒューロン湖に流れるサギノー川沿いに係留されている、
ベトナム戦争のベテラン駆逐艦USS 「エドソン」。
前回はその艦歴についてお話ししました。
サギノー川には艦艇を係留するような施設がないので、
「エドソン」は喫水の関係で河岸から少し離れたところに浮かび、
乗艦のためには長い桟橋を渡っていかなくてはなりません。
Googleマップで上空から見るとこのようになっています。
後甲板から見学することになります。
博物艦の場合、たいてい艦尾には普通に国籍旗が掲揚されています。
それでは艦首旗は?とあらためて見たところ、
一見アメリカ海軍の正式な国籍旗に見えますが、
よくよく見るとブルーに星が円形にあしらわれているものでした。
わかりませんが、正規の海軍籍にはない艦船は、
国籍旗を揚げてはいけないという規則があるのかもしれません。
艦尾にある装備の説明を見てちょっと驚きました。
説明の書かれたボードがとにかく立派です。
この展示には気合が入っている・・・わたしはここで確信しました。
「ファンファーレ」トルピードデコイ
T-Mk 6 Fanfare
「ファンファーレ」は初期のパッシブ音響ホーミング魚雷を混乱させるため
騒音を発生させる装置です(なるほどそれでファンファーレ・・)。
一応日本語では「ファンフェア」と英語的名称が正式のようです。
1950年代から60年代にかけてこれが標準的な対魚雷デコイとなりました。
アメリカではこの形式のデコイのことを「ノイズメーカー」といいますが、
その通り、船の後ろに長く曳航して通電させると、
魚雷はターゲットを見誤り、デコイに向かうという仕組みです。
同じシステムのデコイとしては、先代に「フォクサー」がありましたが、
同型はそれよりも効果的で、広域のノイズではなく、
船のスクリューに似た音を発生させるものでした。
ここにはデコイ2本に、それを曳航する索具2セットが装備されています。
後甲板に装備された艦砲は、
Mk.42 5インチ単装速射砲
5"/54 caliber Mark 42 gun
直径5インチ(127.0mm)の弾丸を発射する砲であり、
砲身は54口径(砲身長は5インチ×54=270インチ、6.9メートル)。
艦砲についても、第二次世界大戦時の反省に鑑み、
5インチ/38口径砲よりも射程が長く、発射速度もある砲を求めた結果、
航空・水上両用であるものタイプが開発されました。
かつて敵地に向かってネジが擦り切れるほどに火を噴いた主砲も、
今や永遠に沈黙して、その砲身の軌道には看板が固定されています。
さて、次は・・・あの階段を上っていくべきでしょうか?
なぜか大型冷蔵庫と・・何だろう。バーベキューグリル?
艦上を貸し切って行うパーティのための装備かな。
上の階の艦砲はサビが目立ちます。
上に上がってみた。
AFT FUELING TRUNKS
後部給油トランク
ここは艦が必要な燃料をすべて受け取ることができる場所です。
説明の置いてある場所が微妙なせいでわかりにくいですが、
これが給油口だと思います。(違っていたらすまん)
右側の器具に相当する形のものがこれしか見当たらないという理由。
USS「エドソン」は は蒸気動力で推進しますが、
タービン・エンジンを動かすの蒸気を生成するために、
ディーゼル燃料を燃焼させてボイラー内で熱を発生させていました。
そして「エドソン」はSTREAM(標準張力同時補充方式)
を採用することで、大量の燃料を迅速に移送することが可能でした。
通常のCONREP (Connected Replenishment、補給) 速度は、
距離140~ 180フィートで 12 ~ 14ノットです。
燃料バンカーは 227,000 ガロンまたは 750 トンを収容できます。
同時代の給油、「インディペンデンス」から「イングリッシュ」へ
モーターホエールボート26フィート
Motor Whale Boat
モーターホエールボートは、搭載されている船がゆっくりと前進しているとき、
あるいは停止しているときも、即座に発進することが可能です。
「エドソン」搭載ボートの重要な用途のひとつは、
墜落した飛行士や船外に流された人員を救助することと、
そして艦が停泊しているときに乗組員を陸上に輸送することでした。
今見えているのはボートの船尾です。
たぶんこれとおなじ26フィートのホエールボート。
「エドソン」のホエールボート、前から
■火器統制システム室
上部構造物の内部に入ってみます。
手前のパイプチェアの足は溝にいれて固定しています。
床の凸は、いざという時に椅子が滑らないためのものかと。
現地に貼られていたのと同じシステム図です。
これらがガン・ディレクターという部分。
右側のロッカーみたいなのが、
それぞれの機器のコントロールパネルとなります。
Mk4コンソールと下部にはプライマリーコンピュータが位置しています。
Mark 56 Gun Fire Control System (Mk.56 GFCS)
は、
AN/SPG-35レーダー・トラッカーとMark 42弾道コンピューター
からなる砲火管制システムです。
方向板は機動性があり、XバンドレーダーMk.35と光学照準器を装備し、
2名のオペレーターが搭乗して操作を行います。
オペレーターによる光学照準器による目標追尾も可能ですが、
完全自動追尾が基本動作であり、米海軍の導入したシリーズで
初めてブラインドファイアも可能となったという優れもの。
マーク42弾道(バリスティック)コンピュータ
中が見えるようにパネルを外して展示しているこれは、
Mk 42弾道コンピュータです。
まず、「スパイラルスキャン」と呼ばれる方法
(ビームを6度の角度で振って空間をゆっくりスキャンする)
で目標を捉え、次に「コニカルスキャン」
(ビームの振り角を0.5度に狭めて素早く距離を測定する)
を行い、これで目標を追尾するシステムです。
追尾目標の速度と方向は、方向ボードのジャイロスコープと、
距離追尾サーボシステムのタコジェネレータによって求められます。
ステーブルエレメント・ジャイロユニット
ユニット内の 2 つのジャイロが船のロールとピッチを補正します。
このユニットは5インチ砲の方向を変えるために使用されます。
弾道計算はこのMk.42弾道計算機によって行われ、
増設することで同一目標に2種類の砲を照準することも可能となりました。
戦時中は高速で突進してくる攻撃機をレーダー追尾できないケースが多く、
海軍作戦部長アーネスト・キング提督は光学機器を追加装備しています。
AN/SPG-35レーダートラッカー
USS「ホーネット」のAN/SPG-35
初号機完成は、なんと日米戦終戦の1945年8月だったそうですが、
運用されるようになったのは1950年代からです。
戦後も性能向上は続き、亜音速機に対して、
追尾開始から2秒で射撃開始が可能となりました。
ちなみに我が海上自衛隊は、戦後初の国産護衛艦となった
「はるかぜ」型護衛艦で本機を装備することをアメリカに要求したのですが、
承認は得られず、実際の装備は第二次防衛力整備計画に持ち越され、
結論として、「やまぐも」型護衛艦以降、「みねぐも」型、
そして「たかつき」型に搭載されることになりました。
続く。