B-17爆撃機、メンフィス・ベルのメンバーから、今日は
パイロット以外の士官のうち一人を紹介します。
「アメリカ軍の爆撃スキルと装備は私の知る限り世界一だ。
このことに疑いを挟む余地はない」
と自らの強さを力強く断言したのは、ヴィンス・エバンス大尉、
メンフィス・ビルの爆撃士です。
船なら「砲雷長」に相当する爆撃機爆撃担当の士官を日本でなんと呼ぶのか、
ちょっとわからなかったのですが爆撃士とここでは書きます。
英語では、爆撃担当の下士官兵のことも、
爆撃機から爆弾をリリースする士官も、Bombbardier、
ボンバルディアというフランス語源の言葉になります。
さらにこの単語の読み方ですが、フランス語ならボンバルディエ。
しかし、ピッツバーグでよく散歩したオハイオ川のほとりにあった会社、
カナダの「Bombardier」はボンバルディアと読むらしいです。
さて、メンフィスベルのボンバルディアである、
Vinson ‘Vince’ Evans ヴィンソン「ヴィンス」エヴァンス 。
メンフィス・ベルの写真を見ても、動画を見ても、
この人物の特徴的な顔は、一目で他の人との見分けがつきます。
映画「メンフィス・ベル」で爆撃手を演じたのはビリー・ゼインでした。
あの「タイタニック」のローズの金持ちの婚約者役、
あの見るからにキレやすくDV亭主になりそうな(というか実際殴ってたし)
冷酷かつ完璧にエレガントな男っぷりが印象的な俳優です。
「メンフィス〜」では、医学生であるとついた軽い嘘に自分が苦しめられる、
内心に葛藤を抱えた複雑な育ちの青年士官という役どころ。
最後のミッションでメンバーの一人が重傷を負った時、
医学生なら助けられるだろ?と皆に詰め寄られて
医学部は1週間でやめたんだ〜!とぶっちゃけるシーンが忘れられません。
■ 生い立ち
人は彼を「キッド・ワンダー」と呼びました。
それは、彼が次に何をするつもりなのか誰にも予想がつかなかったからです。
妹のペギーによると、こんな逸話がありました。
「11歳くらいのとき、父の車でダウンタウンに来ていた彼が、
こっそり自分で運転して家まで帰ってしまったことがありました。
父親はダウンタウンで置き去りにされ、立ち往生です。
家にいた母親は車が帰ってきたのを見ましたが、
11歳の彼は運転席に座るとほとんど外から姿が見えなかったので、
母親は無人の車が帰ってきたように思ったそうです。
彼がどうやって古いウィペットのクラッチとブレーキペダルを踏めたのか、
わたしたちにも誰にも全く想像がつきません」
彼は1920年にテキサス州フォースワースで生まれ、
高校を卒業後、ノース テキサス教育大学に通いました。
その後若くして起業し、伐採会社を経営して成功していましたが、
ヨーロッパで戦争が激化すると、実業に興味を失った彼は、
血気盛んな青年らしくスリルと興奮を求めて
真珠湾攻撃の直前にパイロットを目指して空軍に入隊しました。
ただ、ソロに十分な資格が得られず、爆撃機に転向することになりました。
つまり操縦の技術は今ひとつだったってことでしょうか。
しかし、配置されたところで、彼は才能を発揮しました。
彼は爆撃手として必要な素質を持っていたのです。
■ 派手だった女性関係
モーガンもそうでしたが、二十歳そこそこの搭乗員を色々と掘り下げても、
英雄的な話なんぞ滅多にあるものではなく、
だいたい出てくる話は女関係くらいのものです。
ということで、なまじメンフィス・ベルで有名になってしまったため、
他の男子ならまーそういうこともあったよねー程度で忘れられる話が、
彼の場合もこうして歴史に残ってしまうのだった。🙏
それでは彼の「ザ・クズ」エピソードの数々をどうぞ。
大学卒業後すぐに事業を始めていたヴィンスは、
航空隊に入りワラワラに着任する頃には、すでにバツイチとなっていました。
(モーガンはそのころバツ3ですが、この人は特殊だと思います)
そして第91爆撃隊の一員としてイギリスに向かう二日前、
ディニー・ケリーという女性と結婚しました。
つまり彼らは二日間だけの甘い新婚生活を送ったわけですが、
この二日が彼らの結婚のピークであり最後でもありました。
なぜなら彼はそれっきり彼女のもとに戻ってこなかったからです。
イギリスに到着するなり、彼は基地近くの農家の娘と仲良くなり、
彼女に会うために毎晩基地からこっそり抜け出し、朝になると
彼女にもらった新鮮な卵と牛乳を持って戻ってくるようになりました。
そのおかげで、彼はしばらく「エッグ・オフィサー」と呼ばれていました。
そしてその農家の娘というのは、モーガンに言わせると
「彼女『も』本当に可愛かったよ」
「も」ってなんなんだ「も」って。
それはモーガンに言わせると、エヴァンスが狙った女の子たちは
例外なくほとんど可愛かったからという意味だそうです。
また他の乗組員の証言によると、エヴァンスは、イギリスツァー中、
農家の娘の他に少なくとも 2 人の女性となんかあったそうです。
一人は、エヴァンスがロンドンで出会ったケイというナイトクラブの歌手。
農家の娘、ナイトクラブの歌手って本当に好みのレンジが広いな。
このケイという歌手とは割と本気だったようで、
戦後は彼女とイギリスで結婚するつもりだという噂もあったほどです。
そして彼女と任務以外の時間をずっと一緒に過ごすためにロンドンに滞在し、
早朝にモーガンや友人に電話して「試合」の予定があるかどうかを確認し、
そうでない場合はそのまま彼女の部屋にいたそうです。
すでに「ゲーム」が始まりかけていて、慌てて基地に戻った彼が
爆撃機の出発ぎりぎりに滑り込む、ということもありました。
「機がすでに離陸線に向けてタキシングしていたところに、
遅れた彼は走ってきて、飛行機に”スクランブル”をかけてきました。」
戦地にいる士官で、しかも航空だからおおごとにならなかったみたいだけど、
海軍ならこれ懲戒(下手すれば軍事裁判)だよなあ・・・。
まあ、我が帝国海軍でも、中尉が呉から出航する軍艦に乗り遅れ、
早船をチャーターして追いつき、なんとか乗り込むも新聞沙汰、
という事件があったといいますが・・。
【ゆっくり解説】悲報・帝国海軍中尉、遅刻して置いてかれる。
この海軍中尉もクラブの歌手、じゃなくてレスのエス(エスはシンガーのS)
つまり置屋の芸者と後朝(きぬぎぬ)の別れを惜しんでいたのかしら。
そして帰国してからの彼のお相手ですが、これがなんとハリウッド女優でした。
メンバーはアメリカに帰国した時、ヨーロッパでワイラーが撮影した
陸軍省の映画の背景音声を吹き込む仕事のため、
ハリウッドに立ち寄るということがあったのですが、そこで彼は
魅力的なスターレット、ジーン・エイムズに出会ってしまいました。
二人の間に新たな火花が飛び交い、アメリカに帰国した途端、
彼はイギリスの彼女、ケイの記憶を失ってしまいました。
戦後、彼は脚本家としてハリウッドで仕事をするようになりますが、
そのきっかけとなったのは、このときウィリアム・ワイラーが彼を
メンフィス・ベルの映画の一種の「技術顧問」扱いしたことでした。
そのため彼は他の乗組員よりもハリウッドとカリフォルニアで
多くの時間を過ごし、女優と浮き名を流すことにもなったわけです。
それにしても可哀想なケイ。そしてディニー。
・・・・あれ?・・・ディニー?DINNY?
彼が爆撃手として配置されるノーズの下の文字、見えますかね?
DINNY・・・これって・・二日間結婚していた人。
エヴァンスはこのことについて新聞記者に問われ、こう言い放ちました。
「だって仕方ないじゃないですか。
僕たちは結婚する数日前に知り合ったばかりだったんだし」
そう、そして二日後ヨーロッパに行っちゃったんですよね。
なら結婚なんかするなっつーの#
メンフィス・ベルのマーガレットも、ディニーもそうでしたが、
男たちがヨーロッパに戦いに行ってからの半年、
彼女たちは婚約者と夫の無事だけを祈り、彼らのことだけを考えて
帰ってくる日を指折り数えて待っていたのです。(そのはずです)
しかし、ああしかし、若い男、ことに明日の命を知れない
有り余るエネルギーを持て余す男たちにとって、半年は長すぎました。
帰ってくるなり女優と派手に付き合い出したことは、
いやでも彼女の耳に入り、(新聞記者の口から聞かされたりする)
彼の不実さに激怒した彼女は、
「彼が自分のところに戻ってきて、ちゃんと説明しない限り
わたしは絶対に離婚しない!」
と宣言し、彼の妹も彼女に味方して兄を責め立てました。
彼の妹ペギーは、兄について後年しみじみとこう語っています。
「私の兄は真の’スカートチェイサー’でした。」
スカートチェイサー、意味はお分かりですね。しかも彼は、ほとんど目先のことしか考えない短慮な男でもありました。
「ある日、エヴァンスから電話がありました」
ボブ・モーガンはインタビューで回想しています。
「絶望的な様子で彼は言いました。
『ボブ、僕を国外に出られるようにしてもらえないか?』と」
前にも書きましたが、当時モーガンはB-29に乗るための訓練中でした。
この新型爆撃機に魅せられた彼は、メンフィス・ベルの後も軍に残り、
B-29に乗って日本への攻撃に加わるわけですが、ベルのメンバーで
たった一人、彼についてきたのがこのヴィンス・エヴァンスでした。
その理由は、モーガンのように新型機に魅せられたからでも、
モーガンを慕っていたからでも、ましてや国を思ってのことなんかでもなく、
とりあえずディニーから逃げるためだったのです。
「なぜ彼がそんなに切羽詰まっていたかですか?
それはですね、ヴィンスはジーンと結婚したみたいなんですけど、
自分がまだディニーと結婚していたことを忘れていたらしいんです」
んなわけあるかーい(笑)
B-29に乗るのも命の危険があることは彼も百も承知だったでしょうが、
ことをうやむやにできるなら死も覚悟して、ってことだったんでしょうか。
エヴァンスと女優のジーンは1944年の9月17日に結婚しましたが、
一児(ヴァレリー)を設けたあと、すぐに離婚しています。
その子供については何もわかっていません。
■ 航空搭乗員としてのヴィンス・エヴァンス
機長、ボブ・モーガンは彼についてこう言っています。
「彼は乗組員にとって点火プラグみたいなもので、
他にあんな人材はいませんでした。
第 8 空軍で最高の爆撃手の一人でもありました」
メンフィス・ベルが爆撃任務の多くで先頭機に選ばれたのには彼の爆撃スキルがその理由だったと言われています。
また25回の任務を遂行する戦闘航空乗組員の心理について、
エヴァンスはこんな洞察を提供しています。
「面白いことですが、何回爆撃任務を行っても、
恐怖から完全に抜け出すことはできません。
最初の 5 ~ 6 回の襲撃では、かなり緊張し、そのとき、あなたは
『私は生きてこの任務を終えることはできないだろう』と思います。
それについてちょっと運命論者となってしまうわけです。
そして20回目くらいになると、あれ、もしかしたら、
自分にはチャンスがあるかもしれないと考え始めるんですが、そうなると
自分で自分の心をバイオリンの弦を張り直すように締め変えます。
そして最後の 5 つのミッションに緊張して臨むんです」
ボンバルディア、爆撃手の配置は、エポキシガラスのノーズの先端です。
戦闘中ここにいることがどんな危険なことかおわかりでしょうか。
ワイラー監督の「メンフィス・ベル」では、ここを攻撃されて負傷したり、
破損した先端から落下したナビゲーターがいたことが描かれています。
■ 戦後
戦後、人々はこの爆撃機エースが作家としても才能があることに気づきました。
実際彼は子供の頃から物語を書いており、素晴らしい想像力を持ち、
大学時代、彼は短編小説を書いて多くの注目を集めたこともありました。
ハリウッドに関わったことをきっかけに、彼は脚本を書きました。
ハンフリー・ボガート主演の「大空への挑戦(チェイン・ライトニング)」
ロック・ハドソン主演の「大空の凱歌(Battle Hymn」
などの作品に彼の名前が残されています。
彼はエネルギッシュな人物で、執筆活動以外にも、
メキシコでボートを操縦し、ロサンゼルスでレストランを経営し、
カリフォルニア州ポモナでレースカーを運転したりしていました。
しかし、彼がこんなお金のかかる道楽にのめりこめたのは、
裕福な資産家、マージェリー・ウィンクラーと逆玉結婚したからでした。
彼はその潤沢な資産を元に牧場経営、レストラン経営をはじめ、
なかでもえんどう豆のスープのレストランは大成功し、
エヴァンス夫妻はロナルド・レーガンとも親しいセレブとなりました。
1979 年、ヴィンスはロンドンで100 年以上の歴史のある
イングリッシュ パブを購入して事業拡大しています。
■ 空に散ったボンバルディア
1980年4月20日、エヴァンスは妻、23歳の娘ベニシアとともに、
24歳のパイロット、ナンシー・マインケンの操縦する
エヴァンスの専用機でパロアルト空港を離陸しました。
エヴァンスが操縦士免許は持っていたものの計器の資格がなかったこと、
そしてその日曇っていたことが事故につながりました。
彼らの飛行機は、計器着陸の指示を求める無線を最後にレーダーから姿を消し、
その日は悪天候と暗闇のため2時間で捜索は打ち切られました。
翌日早朝、飛行機の残骸と彼ら全員の遺体が丘の中腹で発見されました。
事故を報じる新聞記事
息子のピーターは、飛行機に乗っておらず命拾いしています。
妹のペギーによると、事故の前、彼は病気の母親を見舞い、
「お母さん、早く良くなってね。
元気になったらメンフィス・ベルを見に連れて行ってあげたい」
といったそうです。
エース爆撃手であり、ロマンティックでエネルギッシュな実業家、
「キッド・ワンダー」の旅が終わりを告げたのは、その10日後でした。
妹のペギーは、
「彼は残りの人生においてその名前に忠実に生きたのだと思います。」
と語っています。
続く。