先日の大雪の日、腕を骨折したわたしは家でおとなしく映画を観ていました。
そのときに観た映画リストにこの「銃殺」があったわけですが、
(おっと“Sex & The City"については何も聴かないでやってくれたまえ)
たまたまその日、226当日を思わせる大雪が降っていたことから、
やはり今年の2月26日にもこのことを書こうと思いました。
226事件と言えば、わたしが最初にそれを知ったのは、我が家にあった
「まんが 日本の歴史」 でした。
事件の後、通りすがりのおじさんが
「青年将校たちは結局上に利用されたのではなかったのか」
というようなことをつぶやくシーンが子供心に強烈な印象を残したものです。
このまんがの初版発行は今調べたところ1968年のことで、監修は和歌森太郎。
80年代まで版を重ねたというもので「まんがで学ぶ」の先駆的名作です。
内容については神孫降臨に始まり古代史にウェイトが置かれていたように思いますが、
南京大虐殺もこのころは歴史にまだ登場していませんでしたし(笑)、
東京裁判についても比較的淡々と述べているに留まり、以前にも書いた
与謝野晶子の「君死に給うことなかれ」でかなり左っぽいところが垣間見えるものの、
今にして思えば、子供に与える歴史まんがとしては
まあニュートラルなほうだったのではないかと言う気がします。
そのまんが日本の歴史で226が「青年将校が利用された事件」とされていたことは、
とりも直さずその一言が後世の、この事件に対する総括でもあったからではなかったか、
とわたしはあれから幾星霜たっても信じていました。
そして去年、事件の首謀格の一人であった安藤輝三大尉と、
彼が襲撃した海軍軍人である鈴木貫太郎侍従長の関わりを語った
鈴木自身の講演記録を見つけ、それについてエントリを書いたのをきっかけに
この事件をあらためて見たとき、その思いは確信に変わりました。
そのときに鈴木の語った安藤大尉のみならず、歴史の史料に垣間見る事件の首魁将校は、
いずれも私利私欲とはいずれも無縁の高邁な理想の上に革命を夢見て決起したと思われ、
彼らの純粋さを、それでは利用したのは誰だったのか、ということを
わたしなりに確かめておきたいと思い、今回、数ある226映画の中でも
「比較的人間ドラマに流されていない」
ように思われたこの映画を観ながら考えることにしました。
1964年、東映。
偶然ですが、前回お話ししたパレンバン奇襲作戦と同じ小林恒夫監督です。
小林監督、丹波哲郎を気に入っていたのか、この映画でもしょっぱなから
丹波を「相川中尉」として起用しています。
菊の御紋をここに使ったのは、天皇、そして皇室(秩父宮)の存在が
この事件には実に大きな意味を占めているという暗示でしょう。
決起を起こす動機、そして決起後、天皇がこの事件に対しどう対処されたか。
それによって実はこの事件の方向性が決定づけられることになったと言えるからです。
昭和10年、8月12日に起きた「相沢事件」から映画は始まります。
ついかっこいいブーツに見とれてしまいますが、これが丹波哲郎。
劇中では「相川中佐」となっています。
この映画は、登場人物たる反乱将校始め登場人物の名を、
相沢→相川 安藤→安東 栗原→栗林 野中→野田 丹生→新木
といった具合にわざわざ誰だかわかるような偽名を使っているのが不思議です。
もしかしたら当時は殆どが生存してたこれら若い将校たちが残していった
妻や彼らの子供たちに対する配慮のつもりだったのでしょうか。
さて、映画の相沢中佐事件に戻ります。
小林監督は「パレンバン」でも使った丹波をお気に召していたためこの採用となったようですが、
基本的に面倒なことの大嫌いだった丹波、最初にかっこよく登場して、
一言もセリフを言わずにすむ役だから引き受けたのかなどと勘ぐってしまいます。
(さすがに一シーンだけ、法廷での供述をしているところがありますけど)
本来ならちょい役でいいのに、わざわざ丹波。
相変わらず無駄ににかっこいいので、ファンとしては()嬉しいですが。
相沢事件を冒頭に持って来たのは、彼相沢三郎陸軍中佐が、陸軍省で統制派である
永田鉄山軍務局長を殺害したことが、その後の皇道派青年将校たちの決起の呼び水となった、
ということを端的に説明しています。
満州事変勃発後、
●軍閥が実権を握った政界では、皇道派と統制派の主導権争いが起こった
●その一方で農村が疲弊し農民は凶作に苦しんでいた
●政界、財界には疑獄事件が相次いで起こった
これらを憂えた青年将校たちの動きを察知した陸軍上層部の統制派は
最初は懐柔していたものの、そのうち士官学校事件をでっち上げて青年将校たちを弾圧し、
さらに皇道派の真崎甚三郎を追放してしまいます。
その張本人であるとして、相沢少佐は
「天誅を加え昭和維新を達成するために」永田を殺害したとされます。
このとき永田に免官された村中孝次、磯辺浅一らもと陸軍軍人は、
半年後2・26で中心的な役割を果たしました。
「相沢中佐に続け!」
を合い言葉に青年将校たちの決起への気運が高まっていったことを思えば、
この映画のイントロは非常にツボを得たものであるといえましょう。
安東(安藤)大尉、右。鶴田浩二が扮します。
青年将校たちが、相川(相沢)中佐の公判について語り合い、
今後の決起を決議していくシーン。
「まず我々が決起して維新革命を断行、
国体破壊の元凶である元老、衷心、腐敗する政治家、財閥を排除する!」
磯野浅二(磯部)は元陸軍主計。眼鏡を掛けています。
殺害した永田軍務局長に免官され、現在は民間人となっています。
演じるのは佐藤慶。
そして小林監督お気に入りの江原真二郎がまたしても。
江原の役どころは、栗林(栗原)中尉。
若い頃の江原はどちらかというと美青年で、実際に
「女性のように整った顔」
と言われていた美少年風味の栗原とは少しタイプを異にするのですが、
本作品出演俳優の中では最もそれを意識した配役です。
226の関係者の画像を検索すると、必ず「腐女子」の描いたと思しき
かなり変な萌え絵やマンガが多々引っかかってくるのですが(すみませんなんて言うもんか)
それもこれも、この事件に関わった青年将校にはこの栗原中尉、そして
中橋基明、坂井直などなど、耽美派がネタにせずにはいられない美形、
美青年が多かったということなのだと思います。
で、実際には陸軍マントの裏を緋色に仕立て、「赤マントの中橋」
と呼ばれていた中橋基明中尉などは映画のキャラクターとしては
最も重要視されそうなのですが、この映画には出てきません。
わたしの予想ですが、美形キャラが被るため、より主導的な役割だった
栗原中尉だけを取り上げることにし、江原一人にイメージを負わせたのでしょう。
さて、安藤大尉は実際には最後まで決起に積極的ではなかったということですが、
その理由として
「時期尚早だから」
とここで言わせています。
「したい放題の特権階級がある一方、労働者や農民は
いくら働いてもその日の飯さえ食えない!」
まるでセリフだけ聴いていると、戦後の労働者集会みたいですが、
このとき、皇道派である青年将校たちは事実そう考えており、
その原因は腐敗した上層部と政財界にあると信じていました。
これを取り除き、天皇陛下の下に新しい秩序を打ち立てる、
戦後労働者と違うのがこの点だっただけで、「革命」は彼らの悲願であったのです。
磯部の後ろにはドラクロアがフランス7月革命のために描いた
「民衆を率いる自由の女神」
が掛けられていることにご注意下さい。
「軍主流部の考えは、戦時体制を強化し、国内政策の行き詰まりを
対外戦争によってすり替えようとしている」
青年将校たちの中でも、急進派と陛下の軍隊を犠牲にする危険を憂う反対派との間に
激しい議論が起こります。
煮詰まった空気の中、とっとと座を立つ安藤大尉。
と思ったら店を出るなり山上閣下(山下奉文)のところに行き
またもや話し合いシーンが始まります。
うーん・・・。
随分硬派な作りの映画だけど、おそらくここまでも難しすぎて、
開始10分で退屈してしまった観客はかなり多かったと思われます。
226について全く知識がない人はそもそもまず見ないとは思いますが、
かといって生半可では、なかなか話に付いていけないというか。
・・・も、もちろんわたしは大丈夫でしたよ。
でも226について知りたいという意欲と関係なく、純粋に映画を楽しむためだったら、
きっとこの映画は観なかったと思うな。
さて、ここで山下奉文は将校たちに向かって
「事が先に起こったらその方が早くていい。
岡部(岡田)総理?岡部なんぞぶった切るんだ!」
などと乱暴なことを言ってけしかけ、皆をその気にさせます(笑)
おいおい。
しかし、どうもこれは本当にこう言ったらしいです。
おそるべし山下。
こちらは矢崎(真崎甚三郎)もと教育総監邸で茶を点ててもらいつつ
真崎少将の意向を確かめる青年将校たち。
殺害された永山に更迭された人間ですから、そりゃ
「まず何か起こらねば片付かんし起これば手っ取り早い」
などと言うでしょうさ。
まあ遠回しな煽動ってやつですな。
しかし、山下少将と同じく、決して具体的にはっきりとは言わないのがミソです。
実際の真崎は、意向を問う 磯部に対し、
「このままでおいたら血を見る。
しかしオレがそれを言うと真崎が扇動していると言われる」
と語ったそうで・・・これも煽動ですよね。
しかし安藤はなかなか決心に至ることが出来ません。
その理由の最も大きなものが、「兵隊を巻き込みたくない」というものでした。
そんな安藤の決心を促すべく、お宅訪問で安藤の弓の稽古を邪魔する栗原。
弓と的の間に立ちふさがって決起を迫ったりします。
しかしこのころの江原真二郎って、超イケメンだわ。
お茶を持って来て固まる安藤の妻、文子。
安藤夫人の本名は房子です。
226の首謀者17人が全員処刑という判決を下され、
いよいよ明日が処刑という夜、安藤大尉は房子さんに宛てて
「我が妻よ 思はつきず 永遠に永遠に私は護らん
良き妻よ 良き母たれ 幸多く永き世を 汝の輝三」
「我が妻よ 我には過ぎたり 美しく優しき妻よ あゝさらば」
(『妻たちの二・二六事件』澤地久枝著より)
という遺書を書いています。
この映画における房子役の岸田今日子は実に清楚で愛らしく、
安藤大尉のこのまっすぐな愛情を受ける妻を清冽な印象で演じています。
わたしは今まで観たどの映画に出ている岸田今日子より、
この映画の彼女が美しく見えると思いました。
そんなある日、安藤大尉の歩兵第三連隊で、盗難事件が起こります。
困窮する田舎の家族に仕送りするために同僚から5円盗んだ兵。
安藤大尉は取り戻した金をこっそり返させ、かわりに
自分のポケットマネーを同封して封を元通りにして送ってやりました。
またある別の兵隊が脱柵してまで病気の母のために家に帰ろうとしていたのを知り、
安藤大尉はまたしてもポケットマネーを出し、彼の帰郷を公用待遇で許します。
ところが帰郷した彼は母と妹を絞殺し、自ら首を吊って死んでしまいます。
妹が吉原に身売りされることを苦にしての心中でした。
そのとき
「なまじ帰ってこなければ妹の身売りも知らずにすんだのに」
とそこにいた女がいらんことを言ったので安藤大尉ショック。
俺のせいかよ!とそこを飛び出します。
「農村の貧困が招いた悲劇」が部下の身に相次いで起こったことによって、
迷っていた安藤大尉が決起に加わる、という動機付けです。
安藤大尉は平生から部下を大変可愛がる隊長だったと言われています。
「憂国の士」というよりはどちらかというと文学青年のタイプであった彼は、
将校室にいるよりは兵隊と接し彼らと話すことを好み、
たとえば家に相談に訪れた除隊後の兵隊には帰りの切符を買ってやったり、
あるいは演習のあと部下を富士五湖巡りに自費で連れて行ったりはしょっちゅうで、
いつも妻には半額分しかない給料をすまなそうな顔でわたすのが常でした。
それほど部下思いであった安藤大尉に、もしこんなことが実際に起こっていれば
それは間違いなく決起参加への強い動機となりえたでしょうが、
残念ながら今回これが本当にあったことかどうか確かめることは出来ませんでした。
磯部浅一が獄中でしたためた手記によると
安藤大尉が実行の決心を問いただされるのは2月10日夜のことです。
それに対する答えが安藤の決起参加表明となります。
「いよいよ準備するかなあ」
兵の自殺現場から出て外に呆然とたたずむ安藤大尉に久米曹長(井川比佐志)は、
「個人の力には限りがあります。
たとえ中隊長が一生懸命やっても何千万もの兵を救うことは出来ません。
今の政治ではそれが当たり前だと思います」
などと、今現在の安藤大尉の苦悩を見透かしたようなことを言います。
ていうか、曹長が大尉に向かってこんなこと言いますかね実際。
ともあれそれがだめ押しとなり、安藤大尉は皆の前に姿を現し、
「皆に心配かけたが、俺は決心した。
やるよ!兵隊のために俺はやる」
と決然と宣言するのでした。
続く