前回、エリー湖沿いのバッファロー海事博物館に展示されている
駆逐艦「ザ・サリヴァンズ」の命名の由来である、
サリヴァン五兄弟の映画をご紹介しました。
前述のように、このとき「ザ・サリヴァンズ」は着底事故から
なんとかかんとか立ち直って浮く状態になったばかりで、
まだ内部の公開は行われていなかったので、今日は、
かろうじて上甲板レベルで撮った写真をご紹介します。
■ 20ミリエリコン対空砲
どこの軍艦を見ても必ずあるこのエリコン20ミリ砲、発祥はドイツで、
発明したのもラインホルト・ベッカーというドイツ人実業家です。
エリコン(Oerlikon)という名称も、ドイツの兵器メーカー、
ラインメタル(Rheinmetal)の一部門がスイス、チューリッヒの
エリコンという地区に工場を設立したことからきています。
アメリカ海軍の軍艦に搭載されているエリコンのうち、
Mk4 、Mk10、Mk24などはアメリカ版であり、それらは
1920年代からベトナム戦争まで長い期間広く使用されました。
エリコン砲の横の構造物壁には、説明があります。
20mmエリコン砲は、第一次世界大戦中、最も汎用性の高い艦上対空砲であった。
自己完結型の独立型マウントは、文字通りボルトで固定することができ、甲板の空きスペースに設置することができた。
戦艦には120門以上が並ぶこともあった。
茶色い丸の中に書いてあること:
手動で操作する砲の周囲には、
砲身が艦体側に向かないように安全柵が設置された。
キャットウォークにエリコン機関砲が並んでいるこの写真は、
USS「ホーネット」で1942年2月に撮られたもの。
「ホーネット」では1942年に入ってすぐ、
13ミリ機銃がエリコン20ミリ機銃に交換されましたから、
もしかしたらこの写真は換装後の初めての訓練の様子かもしれません。
乗組員の間に戦闘中の緊張は全く見られませんし。
ところでこの写真の撮られた頃のある日、「ホーネット」の乗員は、
なぜか陸軍のB-25が甲板にあるのに奇異な思いをしていました。
ほとんどがその理由を窺い知ることもありませんでしたが、
その2ヶ月後、彼女は「ドーリトル空襲」で爆撃機を16機搭載して
日本本土を直接空襲した最初の空母になりました。
そして、その後、「ホーネット」CV-8は、1942年10月27日、
南太平洋開戦において、日本海軍の「爆撃の神様」こと
村田重治少佐隊に発見され戦没する運命をたどります。
エリコン砲の説明としては、
戦艦には120門以上が並ぶこともあった。
ということで、おそらく「ホーネット」もこれを見る限り
それどころではない数の砲が搭載されたのではないかと思いますが、
「ザ・サリヴァンズ」は駆逐艦なのでエリコン砲は7基でした。
■ 「ザ・サリヴァンズ」の対空戦闘
「ザ・サリヴァンズ」はその命名となったサリヴァン兄弟が
巡洋艦「ジュノー」で戦死した太平洋に最初から送られています。
彼女の初戦闘は、クェゼリン環礁のルオット島空襲でした。
その後、「日本軍にとっての真珠湾攻撃」ともいうべき、
トラック島の空襲に参加して、ここで日本軍機との対空戦闘を経験しました。
【1944年2月〜トラック島】
20ミリ砲は元々その名の通り対空砲ではありますが、
上の説明には英語で
「20ミリ砲弾は、日本軍の神風特攻機を止めるには軽すぎた。
その結果、より強力な代替兵器、
40mmボフォースを手に入れることになった。」
とありますが、運用についてはどちらが先とも言えない時期からです。
このときトラックでは、アメリカ軍はレーダーで、
16マイル離れた4機の日本軍機が、高度10~500フィートで
高速で接近してくるのを検知していました。
飛行機が射程内に入ると、「ザ・サリヴァンズ」は
40ミリ連装砲1基と5インチ砲5基すべてをフルで稼働させました。
(写真の砲もおそらくその一つです)
このときの発砲で、4機のうち2機が海中に飛散し、
さらに「ザ・サリヴァンズ」の前を横切る1機が砲火を受け、
それは左舷ビームから炎上しながら墜落したと報告されています。
【1944年6月〜マリアナ諸島】
サイパン、テニアン、グアムに向かう空母を護衛中、
レーダーで敵偵察機「ジュディ」(彗星)を探知し、これを撃墜しました。
このサイパン上陸支援の際、「ザ・サリヴァンズ」は
沖合で沈没した日本商船の乗組員31名を救助し、
旗艦「インディアナポリス」に載せたという記載があります。
ご存知のように「インディアナポリス」はこのわずか1ヶ月半後、
原子爆弾の部品と核材料を輸送する秘密任務を終えた帰り、
日本の潜水艦伊58によって撃沈されています。
7月4日、対空戦闘ではありませんが、「ザ・サリヴァンズ」は
硫黄島西岸に艦砲射撃を加え、滑走路に駐機していた
「ベティ」(一式陸攻)5機を撃破したと報告しています。
そして、戦艦「マサチューセッツ」BB-59に接舷しようとして
まともにぶつかってしまい、損傷しました。
1944年7月ごろのビッグマミー
「マサチューセッツ」の方にはほとんどダメージはなかったようです。
さすがビッグ・マミー。
もしかしたらこれを読んでおられる方は覚えておられるかもしれませんが、
「マサチューセッツ」は、ボストンのバトルシップコーブで
わたしが内部まで深く潜り込んで当ブログでレポートしたことのある艦です。
わたしが中に足を踏み入れたその二つの軍艦が、80年前、
マリアナ海域で(本来の意味の)接触をしていたとは・・・。
でっていう話ですが、個人的には何やら感慨深いです。
続く。