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VE DAY!ヨーロッパにおける犠牲と勝利〜国立アメリカ空軍博物館

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アメリカ空軍博物館の展示より、第二次世界大戦中ヨーロッパにおける
アメリカ空軍の爆撃作戦について語ってきました。

その最終章は「犠牲と勝利」と称してこう始まります。

未経験の事態に対する乏しい理論と不十分な装備でスタートした米空軍は、
戦いの初期では壊滅的な損失を伴う手痛い損失に直面しました。

それでも、重爆撃機の乗組員たちは、何度も何度も、
敵の防御をかいくぐって目標を爆撃するために戦いに赴きました。

米空軍は彼らの勇気と尊い犠牲を礎に、経験値を積み重ね、
強大で実力のある爆撃機部隊を構築するに至ります。

最終的にはアメリカ空軍は敵を無力化し、
ナチス・ドイツを打ち負かす決定的な役割を果たしたのでした。

アメリカ人墓地に最初に埋葬される搭乗員たちの棺

1944年11月20日。
ドイツのブレッヒハンマーにある合成油工場を攻撃中、
対空砲火が命中し、発火したリベレーターB-24爆撃機。

奇跡的に乗員のうち5人が生き残り、捕虜になりましたが、
半数に当たる5名は当然ながら戦死しました。

イギリスのケンブリッジ・アメリカ人墓地には、
ヨーロッパ戦線で命を落とした4,000人近いアメリカ人が埋葬されています。

全景。野球のグラウンドを思い起こすのはわたしだけ?
Cambridge American Cemetery
総埋葬者数は3,812名。
「行方不明者の壁」には5,127人の名前が記されており、
海上を輸送中の飛行機を撃墜されて行方不明となった
アルトン・ミラー中佐の名前もあります。

Maj. Alton Miller ではわかる人はあまりいないと思いますが、
つまりトロンボーン奏者でバンドリーダー、グレン・ミラーのことですね。

彼はファーストネームの「アルトン」が気に入らなかったのか、
ミドルネームの「グレン」を芸名にしていました。
ここは軍による公式施設なので、ファーストネームで記名されているのです。

ミラー中佐については当博物館のコーナーがありますので
そのうち取り上げてご紹介する日もあるかと思います。

また、JFKの兄で、ハーバードロースクール出の優秀な海軍パイロットだった
ジョセフ・P・ケネディJr.も、海軍大尉として任務中の飛行機が爆発し、
行方不明となってこの壁に名前が刻まれています。
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戦死者に航空搭乗員が多いことから、
天井には天使と航空機のモザイク画があしらわれています。
喪われた航空機たちが天使に守られてどこかに向かうシーンです。
■ 捕虜



このログを作成時、現在進行形でApple TV +の
「マスター・オブ・ザ・エアー」を観ていたのですが、
このときちょうど、第5回で主人公の一人イーガン少佐の機が撃墜され、
第6回では逃走の末どうやら捕虜になりそうなところで、
その後、案の定、彼の捕虜収容所での様子が描写されることになりました。

イーガン少佐の機のように、爆撃機は、撃墜されてから
状況によっては脱出できる可能性が(戦闘機と比べると)高かったせいで、
たくさんの搭乗員が捕虜として終戦まで収容されていました。
捕虜になった爆撃機クルーの数は、3万人以上とされています。
■ 戦略爆撃キャンペーンの功績

ドイツ空軍を撃破し、ヨーロッパ上空の制空権を獲得

ドイツ空軍に、戦闘機と対空砲を戦線から移動させ、爆撃機の攻撃から自国を守るように誘導した

ハンブルグのドック爆撃で沈んだUボート。
ハンブルグって海に面していたっけ?と一瞬考え込みましたが、
北海から流れ込むエルベ川の川畔にUボートを係留していたんですね。

現在でもその関係なのか、同じと思われる場所に
U-434が係留されて潜水艦博物館になっています。

U-434ライブカメラ

潜水艦「シルバーサイズ」のように、ライブカメラで
現在の状況を見ることができるのですが、ちょっと驚いたのは
その下の干潮満潮の浮き沈み(というか潜水艦が固定されているので
浮き沈みしているように見えるだけだけど)が見られること。
なんと満潮の時には見学者用の通路まで冠水してしまいます。
■ レジスタンスの情報

アウグスブルグのメッサーシュミット工場。
メッサーシュミットはレーゲンスブルグにあった1943年8月17日、
連合軍の爆撃機部隊から初めて攻撃を受けたため、
1944年からは、分散化して隠れた工場に移転させる計画を立てました。

しかし、少なくとも1943年秋までには、連合国側は
諜報活動によって生産施設の正確な位置計画を知らされていたのです。

ハインリヒ・マイヤー牧師率いるオーストリアのレジスタンスグループが、
アメリカの戦略局とイギリスの秘密情報部SOEに情報を送り、
連合軍の爆撃機は、その情報を元に記されたスケッチの通り、
生産施設に正確な空爆を行うことができたのでした。

逮捕後のマイヤー牧師 拷問の傷が認められる
マイヤー牧師のグループの活動は、主にナチスの軍需工場の場所、
生産しているものについての情報を連合国に流すことで、
スイスを経由させて英米に情報を送っていました。

Bf109の他にもティーガー戦車、V-2ロケットの情報を流し、
ペーネミュンデの秘密工場の爆撃を成功させています。
マイヤーのグループは、同志同士の意見の違いから裏切られ、
ゲシュタポに捕えられ、裁判の結果、死刑に処されました。
判決が出た後もマイヤーは拷問を受け、不発弾処理をさせられましたが、
最後の瞬間まで、周りを感動させるほど穏やかだったということです。
斬首による処刑をされた時、マイヤー牧師は37歳の若さでした。


斬首刑されたマイヤー牧師の慰霊像
ここで首がない銅像を作るというセンスについていけない


もっとも、ドイツもこれに対し、主にリンツ近郊のグーゼンII強制収容所で
「B8ベルククリスタール」という迷彩名のもと、
大規模かつ極秘の組立ライン生産が実現させ、1945年、
生産された最後のMe 262がミュンヘンに空輸されています。

野外で組み立てられていたMe262。
敗戦が決定したため、完成前に計画的に破壊されました。



爆撃による損害の修復と生産の分散に莫大な資源を投入させた


爆撃によって壊滅的被害を受けたハノーヴァーの戦車プラント
同じ場所 別の写真
石油と輸送部門への攻撃でドイツの軍事活動を麻痺させた


爆撃で破壊されたマグデブルグ近郊のオイルプラント。

マグデブルグには、クルップ社の製鉄所もあったため、
この地方は工業が盛んになっていましたが、連合軍の空爆で破壊され、
東側にあったため戦後はソ連の援助で一時復興し、
その後東西統一されてすでに旧式となった製鉄所は閉鎖されました。

ニュールンベルグの操車場
貨車の上に爆撃で捻じ曲がった線路が乗っかっている

ドルベルゲンの合成油工場の残骸に佇む二人は、
米兵と元収容所労働者。
この日の第303爆撃群の記録によると、
453機のB-17の主目標はブルンスウィックのウィルケ(53機)、
ブラッシング(77機)による石油工場とMIAG軍需工場(61)、
ドルベルゲン(37機)、デデンハウゼン(53)、ニエンハーゲン(56)による
石油精製工場で、(略)ほとんどの攻撃は目視。
5機のB-17が喪失、53機が損傷、飛行士1名がWIA、41名がMIAとなる。

掩護に当たった180機のP-51のうち2機が失われ
(パイロットはMIA)、1機が修復不可能な損傷を受けた。

WIAは戦闘中負傷を意味します。
■ ドイツ敗北

ナチスの敗北を象徴する写真
破壊されたMe109が重機で押しのけられている上空には
かつてのドイツ空軍の飛行場に着陸しようとするAAFの戦闘機が


1945年4月、ドイツ軍は敗北しました。

4月25日、米ソ両軍がエルベ川で激突。
その5日後、アドルフ・ヒトラーはベルリンの地下壕で自殺します。

後任のカール・デーニッツ海軍提督は、
アルフレッド・ヨードル元帥をランスのSHAEF
(連合国遠征軍最高司令官総司令部)分遣隊に派遣し、
戦争終結の条件を模索し始めました。

5月7日午前2時41分、全戦線におけるドイツ軍の無条件降伏が調印され、
それは5月8日午後11時1分に発効しました。

6年の歳月と数百万人の尊い命が失われた後、
ヨーロッパにおける戦争はついに終結することになりました。

■ 勝利の代償

最後にヨーロッパでの戦争で勝利と引き換えに払った
アメリカ軍航空隊の、あまりに高かった代償の数字を挙げておきます。

戦死者 34,362人
負傷者 13,708人
行方不明、捕虜、抑留 43,035人
重爆撃機8,314機
中・軽爆撃機1,623機
戦闘機8,481機

計27,694機


国立空軍博物館爆撃機シリーズ終わり





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