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「OUR NAVY」〜USS「リトルロック」

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USS「リトルロック」艦内探訪、艦底のブリッグ、つまり
艦内監獄部分を過ぎて、次を見ていきます。


ここはまだブリッグと同じ、居住区の最下層部分です。艦内監獄部分を挟むように、こちらにも兵員用のバンクがあります。
貼り紙は、ここでキャンプを行う際の参加者への注意書きで、

「この場所の安全に関する説明は、
オフィサーズ・ワードルーム(士官用控室)で行われます」

とあり、さらに、

「この場所に滞在している際の避難場所、および集合場所は、
メインデッキの『Foc'sle』の上部、『アンカーチェーン』のある場所です。

ご質問がある場合はスタッフにお尋ねください。」

と記されています。
「Foc'sle」はfəʊk səl「フォクスル」のように発音し、
正確には「Forecastle」(フォーキャッスル)、船乗りの慣習として短縮された結果こうなりました。
帆船の時代、ここはフォーキャッスル(前の方の城)と呼ばれ、

the crew's quarters usually in a ship's bow
(前マストより前方=船首にある乗組員の居住区)

であったことから、帆船でなくなってからも、
the forward part of the upper deck of a ship
(船の上甲板の前部)

をこのように呼ぶ慣習が残っているのです。ついでに、なぜ「城」かというと、中世の帆船は、軍艦の船首が
複数の層からなる城のような構造であったからです。

ここは戦いの際には射手が敵船を狙うプラットフォームになり、
もし船が乗っ取られるようなことがあればここに立てこもり、
最後の防御拠点となるような機能を持ちました。

時代が下って軍艦に大砲が導入されるようになると、
このようなフォクスルの役目は不要となり、ここはただ
前帆と錨を取り扱うための場所となるのですが、「城」の役目はなくとも、
「キャッスル」の名前だけは残ったというわけです。

ここで階段を上がります。
艦内探訪の時には、後からわかりやすいように必ず階段を撮影します。


上の階にはバーバーショップがありました。
この理髪店は、USS「リトルロック」の士官専用でした。
下士官兵用理髪店は、同時に5人までの乗組員を収容でき、右舷側の海兵隊分遣コンパートメントのすぐ後ろに位置していますが、
残念ながら、一般公開はされていません。

理髪師は乗組員にとって不可欠な存在でした。
乗組員の髪型が海軍の規定に準拠していることを確認することで、
秩序と規律の維持にも貢献していたからです。

乗組員の髪型をいつも短く保つことは、髪を洗う時間の短縮になり、
何百人もが生活する艦上では真水の消費を減らすことにつながります。

艦内では真水は常に不足していたので、少しでも節約せねばなりません。


ヘアカットされる人の椅子の頭部分、つまり理容師が立つところに、
滑り止めとしてマクラメ編みが巻かれたバーがあります。
万国共通の理髪店マークがペイントされているのが微笑ましいですが、
なぜこんなところにあるかというと、理容師が施術中に船が動揺した時、
(そしてその時ヒゲを剃っていてカミソリを持っていたら)
咄嗟に掴むものがないと、非常に危険なことになるからです。

ちなみにこの理容所を表す円柱型の看板をサインポールと言いますが、
世界共通で赤、白、青のレジメンタルストライプと決められています。

営業中であることを表すために、陸ではこれが回転しますが、
船の中では回すわけにはいかないのでペイントだけで雰囲気を出します。

このサインポール、あまりにも歴史が古く膾炙し過ぎていて、
由来も今となっては明らかになっていないようです。

昔理髪師が外科医を兼ねていた頃から使われていた看板で、
今でいう赤十字のような役目をしていたという説もあります。

サインポール兼バーの横の写真は、その説明によると、

「髪の毛をカットしているフレデリック・A・シェンノー艦長
(1961年1月〜1962年2月)」
シェンノーの名前はあのフライングタイガースの人と同じですが、
調べたところ関係はないようです。
第二次世界大戦中は艦隊部司令付きとして南太平洋にいましたが、
その後マサチューセッツ工科大学で修士号を取得しています。

「リトルロック」の艦長になったのは、退役の割と寸前(3年前)です。

理髪師の仕事道具を置く棚にも枠があって滑り落ちないようになっています。

■ 海軍マガジン「OUR NAVY」

マガジンラックには「ナショジオ」「ライフ」「タイム」のほか、
「ネイビータイムズ」などもあります。

「NAVY TIMES」は、予備役、退役したアメリカ海軍の軍人、
およびその家族を対象に、ニュース、情報、分析、
地域社会のライフスタイル特集、教育補助教材、リソースガイドを提供する、年26回発行の新聞で、1951年に創刊され、現在も継続中です。

毎年同新聞は「日常のヒーロー」を表彰しています。
年間最優秀海兵隊員、年間最優秀陸軍兵士、年間最優秀水兵、
年間最優秀空軍兵士、年間最優秀沿岸警備隊員が選出されます。

また「OUR NAVY」というマガジンも見えますね。

こちらはアメリカ海軍の活動を報じる商業施設で、創刊は1897年。
現在は月刊誌として発行されています。

1941年9月発行(つまり戦前)


1943年9月発行(戦争真っ最中)

1960年12月発行(日本進駐中)

横須賀海軍基地で眠そうなお客さんを抱っこするツィマーマン水兵。
「兵士と他国の人々との親密な関係は、新しい海軍の伝統となりつつある。」
(記事内容)
なお、「OUR NAVY」はデジタルで読むことができます。
インターネットアーカイブ
スポーツ記事あり、ダイヤの指輪の販売サイトあり、
もちろん真面目な?戦記もありますが、超くだらない漫画もあります。
以下、1946年3月発行の「OUR NAVY」より。
スキッパーとブート(艦長と新兵)
「君の前指揮官が、君を『ウィスコンシン』へ派遣するよう要請しました」

「艦に戻る前に再入隊の休暇を取ることはできますか?」
「もちろんだ。
ついでに30日の年次休暇を取ることもできるよ。満足かい?」
「イエスサー!」

「海軍も悪いことばっかりじゃないな
さあ、出発だ! 俺結婚までいくかも」

「テレグラムが来てますよ」
「私に?」

”休暇ヲキャンセルスル 至急帰艦サレタシ”
これって今の俺が帰らなきゃいけないこと?
(##゚Д゚)
どうやらこれは連載漫画らしく、新兵くんが帰艦(どこに?)
したら、最終コマの艦長が何か指令を下すのかもしれません。
知らんけど。
同じ「OUR NAVY」に、日本人として興味深い記事を見つけたので、ご紹介しておきます。


アメリカ移民として海軍に入隊し、戦後を長崎で過ごす日系人の話。
長崎に住む彼は、疲れを癒して回想録を書きたいと考えている。彼の回想録は、おそらく長編小説の1,000ページを埋め尽くすだろう。
彼の多彩な経験には次のようなものがある: 
アメリカ艦隊での20年にわたる忠実な勤務、
ウィリアム・D・レーヒ提督とアーサー・マッカーサー中佐
(元帥の兄)の下での任務、メキシコとサント・ドミンゴでの作戦、
1927年に日本に帰国した際、長崎のアメリカ領事館に星条旗を掲げたこと、
第二次世界大戦中、日本軍国主義者にスパイ容疑をかけられ、
40日間投獄されたことなどである。

しかし、87歳の斎藤に最も偉大な経験は何かと尋ねれば、
彼は屈託なくこう答えるだろう。
「それは私がアメリカ国民になった日ですよ」

現在、カイトは占領軍に手を貸している。彼の仕事は、「原子爆弾が投下された」長崎の港町を見下ろす高台にある
第二海兵師団病院での臨時通訳である。
海兵隊創設170周年に当たる11月10日、斎藤カイトは誕生日を迎えた。
自分とレザーネック(海兵隊)の生年月日が同じであることを知ると、
老海軍兵は歯を見せて笑い、誇らしげにこう言った。

「私はアメリカ海兵隊全体の3分の1以上の年齢です!」

 斎藤は1878年に東京で生まれた。彼は両親と暮らしていたが、
若い頃、アメリカこそチャンスの国だと思い立った。
斎藤は6年間、ニューヨークとその近郊で一般的な家事労働に従事した。
夏の間はボストンに行き、さまざまな山小屋や湖畔のホテル、
海辺のリゾートで従業員として働いた。

海の近くで過ごした数回の夏を経て、潮のしぶきが彼の血に染み込み、
1905年秋、彼は船乗りの生活が自分に合っていると確信した。
10月29日、ヴァージニア州ノーフォーク海軍基地で海軍に入隊した。
斉藤が海軍にいた20年間に乗艦した艦船のリストは、
まるで提督の艦隊の名簿のようだ。

旧式戦艦のイリノイ、ユタ、アラバマ、ミズーリ、
海軍のヨットのシークレットリー、USSドルフィン、魚雷艇のUSSスミース。
斎藤はまた、旧型のフランクリン、ロジャース、ウィックス、
セルシック、ブラックホーク、プレストン、マッコール、
フーロン、キッタート、サンタドミンゴ、サラトンプソン、
クラリンダ、アボセットなどに乗り組んだ。

彼の勲章は数多く、それは老海軍兵の財産となるだろう。
休戦の3ヵ月後、斎藤カイトはアメリカ国旗に忠誠を誓い、
アメリカ市民として帰化した。

1923年、フィリピンのカビテに駐留していた斉藤は、
フィリピン人と日本人のハーフの女性と結婚した。
二人が夫婦になった2ヵ月後、妻はマラリアの重い発作に見舞われ、
二人の結婚は悲劇的に終わりを告げた。
発病してから亡くなるまで48時間だった。

斎藤は典型的な海軍の人間で、19年経った今でも海軍について語る。
第一次世界大戦前、当時大尉だったリーヒ提督の下で働いたことや、
USSマッコールでマッカーサー中佐のために料理を作ったことを
楽しそうに話してくれた。

「あの頃は、誰もが斉藤を知っていた」と彼はつぶやいた。
この 「古代のマリナー 」が右手の小指の半分を失った話は、
海軍の特徴的な話である。

1905年、彼が民間船でコックとしてしばらく働いていたときのことだった。嵐に見舞われた海で数日間航海し、大西洋岸の港に入港した。
すでに船酔いだった斎藤は、ギャレーの強烈な匂いに胃が耐えられなかった。
緑色の顔をした斉藤は船長に自由を求めたが、
翌日まで上陸できないと言われた。
斉藤は青ざめたまま粘ったが、船長はこれまで以上に頑なになった。

そこで斎藤は肉切り包丁を手に取り、「小指」に振り下ろした。
そして「ほら 」と無愛想に言って、その肉片を呆然とする船長に手渡した。
船長はコックに1日だけでなく8日間の療養の自由を与えた。

もちろん、これはすべて斎藤の言い分である。

斉藤は1906年7月6日にカビテ海軍基地で退役し、
長崎の親戚のもとで余生を過ごした。
1927年の再婚については、
「彼女はお金がなく、夫が死んだばかりで、私には妻が必要だった」
と正直に語っている。
斉藤は、この街のアメリカ領事館と毎日連絡を取り合っていた。
海軍で副領事に「時間を割く」ことで、斉藤は
アメリカ大使館のための唯一の国旗掲揚係として認められていた。
彼は毎朝早く、旗手を連れて旗竿にオールド・グローリーを掲げた。
日没になると、斎藤は再び旗を掲げた。
真珠湾奇襲攻撃の1週間後、斎藤は、警戒心の強い日本軍兵士たちに、
アメリカのスパイと見なされ、刑務所に連行された。

6週間の抑留中、彼らは彼に千の質問を投げかけ最終的に無害だと判断した。
しかし、斎藤はまだ監視下にあった。

彼の家はその後2年の間に何十回も荒らされ、破壊され、
彼の妻は尋問のために何度も警察本部に連行された。

最終的に日本の警察は斎藤を郊外の小柳捕虜収容所に連行し、通訳にした。
斎藤によれば、収容所の8,020人の囚人の200人がアメリカ人で、
彼らの多くは、脚気と栄養失調に苦しんでいた。
1944年と1945年の冬の間に、20人の囚人が肺炎で死亡した。

終戦を知ると、斎藤は急いで家に帰り、モールからアメリカ国旗を取り出し、
空き家になっていたアメリカ領事館に掲げた。
「私の旗であるアメリカ国旗は、この時4年ぶりに掲揚された」

斉藤は占領軍の前線部隊が到着したときからそこで働き、海兵隊員、兵士、水兵たちは、この元気な老人を
ナガサキ進駐軍の一員とみなしている。
斉藤は病院にいないときは、あちこちを歩き回っている。
街角では海兵隊と話し、出島の波止場では水兵たちと談笑している。
白い 「ミディ 」キャップは数珠の上に不安定にとまり、
古いネイビーブルーのジャケットとズボンは手足からゆるく垂れ下がり、
海兵隊の野戦靴は道路の埃をかき集めている。
色あせた5つのハッシュマークをつけ、
アメリカの愛国心にあふれた水兵は言うだろう。
「みんな斉藤を知っている」

海軍が再び募集を開始

左上:ええ、平時には(海軍入隊は)いいものだ。
誰もあなたや艦を撃ったりしないから。

志願者「で・・・でも俺はアクション派だからよ、戦いたいぜ!」

上中央:

勧誘する水兵「なぜ海軍かって?本当にバケーションみたいなもんだからさ。
甲板を磨く以外にすることはほとんどないし。
なに、ちょっとペンキ塗りして、真鍮を磨いて、ほんの少し持ち場を担当して、
時々見張り業務があるくらいで、申告すればいつでも上陸できるよ!」
・・・「スーパーネイビー」のために我々が必要としているのは、
「スーパーセールスマン”シップ”」である。
セールスマンシップを「船」のシップとかけています。
口の上手い勧誘係こそが海軍の求める人材、ってことで。

上右:
何!その紳士は我々の制服がお気に召さないと?かしこまりました。
もっとご満足いただける新しい制服をデザインいたします!
テイラー『金モールの量が足りない?心配しないで坊や。 それなら、俺らが何とかするからね』
ああ、そうそう、ネイビーの「ニューカスタマー」
(あるいはコスチューマー)は神様です。

「コスプレ」するのが目的で海軍に入る人もいるということでよろしいか。

中左:

太った女性「ねえ、海軍で生活したら、あなたみたいにお肌が綺麗になって
スタイルも良くなるってほんと?
わたしも本当に港港に水兵の恋人ができるかな?」
看板:先着一名WAVES応募した方にナイロンストッキング6足進呈

彼女らが戦時に「シップシェイプ」を保持できる限り、
WAVESはリクルート要員を必要としない。
シップシェイプは「シュッとした」「小綺麗な」という意味もあります。
中段中央:

「会計を見せてください。
豆とラバ肉のメニューについてよくない話を聞いたもので」

少なくともあなたは我々の「値段」に文句はないだろう。
全部無料なので。

当たり前ですが、何を食べても無料です。

中段右:

もしかしたら、明日の科学者の採用は、熟練したシーマンシップよりも
研究室での成果を出したかに大きく左右されるようになるかもしれない。
間違いなく、彼は強力な公式をビーンシューターに放り込んで、
敵艦隊を破壊する原子爆弾を製造するだろう????

下段左:

美しいネイティブベルが海軍に入って
魅惑的な南の島に会いにきてねと誘う古いポスターを見せられたら、
海軍の募集ポスターを描くアーティストは逃げ出すだろうか

子供「おっきい兄ちゃんが熱帯のきれいなおねえちゃんの
くだらない話を話してくれたぜ」



下段右:
アメリカ陸軍軍務分離センター

ウェイン・シーバウド陸軍曹長(名誉除隊済み)は、
我々が冗談を言っているのか知りたがっている。

水兵の持っている紙:
「世界の半分がどうなっているのか見てみよう。
海軍に来たれ」

退役した陸軍軍人が「世界の半分を見るために」海軍に入るかしら。

続く。


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