「ハワイ・マレー沖海戦」では、何日にもわたってエントリをアップしましたが、
今日のこの映画はサラリと流したいと思います。
その理由は、この冒頭の絵を見ていただければ何となく想像がつくように、
比較的この映画は「ネタ」に属するものであるからです。
「特攻 零」や、「八月壱拾伍日のラストダンス」ほどではありませんが、
わたしのような戦争映画ウォッチャーが観ると、思わず
「なわけあるか」
と声がでるか、思わず笑ってしまうシーン多数で、ブログ的には
「ハワイ・マレー」 とは語るスタンスすら別の次元。
しかし、当ブログといたしましては最近少し根を詰める話題が多かったので、
息抜きのつもりでお話ししていきたいと思います。
1960年、大映製作。
「今から十数年前、日本は戦っていた」
という冒頭のナレーションで思わずはっとするのですが(比喩的表現)、
この頃はまだまだ戦争が終わってその記憶が殆どの日本人に鮮明だったんですね。
だからこそ描けることもあろうかとは思いますが、さて。
昭和19年10月、埼玉県浦和高等学校の図書館。
主人公、野沢明(本郷功次郎)が、海軍士官のかっこいい軍服姿で訪ねてきます。
司書をしている山中令子(野添ひとみ)は、図書カードに書き込みをしている野沢をガン見。
ちょっとイイ男が憧れの士官姿で現れたのですから、
いきなり獲物を見つけたオーラ全開で目力フルスロットルの令子。
しかし野沢は気がつかないふりをします。
こんな露骨に見つめられたら気づかないはずないんですけど。
そして、この令子さんが・・・・・ケバい。
昭和31年当時において、まるで70年代を先取りしたかのようなつけまつげ、
そしてラメの入ったグレー系のキラキラ光るアイシャドウ。
日本が戦局も不利な昭和19年10月にこんな化粧をした女学生がいるか!
とわたしは映画が始まったとたん嫌な予感がしたのですが、その予感は当たり、
冒頭からこの派手なヒロインの大立ち回りが始まります。
まず、探していた本が無いと諦めて帰ろうとする野沢を引き止めて
職場を放棄し、家にダッシュ。
実家の古本屋の売り物を勝手に持って来て野沢に
「あの〜、この本ありましたあ!」
因みに彼女がカウンターを出て行ってから本を持って帰ってくるのに
かかった時間、わずか38秒。
どんだけ学校に近い古本屋なんだよ。
閉館間際にはわざわざ野沢のまわりをうろうろして自分をアピール。
野沢は彼女の意図を察してかカーテンを閉めるのを手伝います。
てか、閉館したんだからさっさと帰れよ野沢。
「あんの〜、よろしかったらその本差し上げます」
上目遣いでブリブリする令子。
実家の古本屋の売り物なのにいいのか。
ここで令子は衝撃的な発言を。
「うち古本屋なんです。坂の下の」
ということは38秒で学校を出て坂の下まで行き、
本を探して取って来て坂を上って来たのか。
ちなみにこのとき令子は自分がこの三月まで女学校にいた、
ということもきっちりアピールしますが、ということは19歳?
そりゃーはっきりいって厚かましすぎだ、
この厚化粧と妙にシナを作った物言いは、どう見ても30前後。
セーラー服との取り合わせがもはや不気味なくらいのミスマッチです。
「売り物をもらうわけには・・・じゃあ、お礼にこの羊羹を」
カバンから海軍羊羹を取り出そうとして、野沢は床に何枚も
自分のポートレートをばらまきます。
わざと・・・ではないと信じたい。
なんなんだよこのプロマイドみたいな写真は・・・。
案の定目を輝かせ一枚おねだりしてゲットする令子。
初対面の相手の写真をいきなり欲しがる方もだけど、
こんな写真を何枚も持ち歩いている野沢も野沢です。
さらに、野沢を一旦リリースしたものの、ここでだめ押しとばかりに
自慢の俊足で野沢に追いついて、相合い傘を強制する令子。
このはしゃぎっぷりをごらんください。
野沢にやった本がコメと抱き合わせでないと売らないものだったことを暴露。
しかし、時節柄男女がこんなことをしていていいのか?
しかも、
「こんど横須賀の海軍航空隊に入ることになったんです」
「じゃ、飛行機?」
「ええ、戦闘機乗りです」
「わああ!す て き 〜 !」
大声で騒いでいると・・・
「貴様のような女の腐ったような奴はサイパンにはいなかったぞ!」
いきなりサイパン帰りの海軍士官に見とがめられ修正鉄拳炸裂。
まあ、普通そうなるでしょうな。
未婚の男女が並んで道を歩くことすらあり得なかった時代に
傘を決してさしてはいけない軍人が、派手な女と相合い傘。
ところで、この時期「サイパンから帰って来た」って・・・。
昭和19年6月から7月のサイパンの戦いでは、 南雲忠一司令長官を始め
高級指揮官らは自決し、一部の日本兵は降伏。
事実上サイパン島の日本軍は全滅しています。
つまりこのとき日本軍は捕虜になった者を除きサイパンで玉砕したわけですが、
この野沢を殴った士官はどうやってサイパンから帰って来たのか。
・・・・もしかしたら幽霊かな?
その疑問はさておき、彼が実際サイパンで戦った軍人だったとして、
内地に帰ってくるなりこんなフザケたバカップルを見たらそりゃ腹も立ちましょう。
たとえ幽霊であっても助走付けて殴るレベル。
「野蛮だわ!
雨が降ったら傘を差すのが当たり前なのに」
幽霊が行ってしまってからまたもや大声で憤慨する令子。
「軍人は傘を差さないことになっているんです」
「まあ!じゃわたしがいけなかったのね」
「いや君がいけなかったわけじゃないんだ」
「ごめんなさい、あたしそんなことちっとも・・」
(野沢の前に立ちふさがり腕を掴む)
「いいんですよ」
「ごめんなさいあたし」
(さらにつかむ)
「いいんだ!」
げー、うぜー女ー。
「のざわさーーん!」
立ち去る男の名を大声で叫ぶ令子。
なぜ叫ぶ (笑)
もうわたし、映画開始早々ここで大笑いしてしまったのですが、
野沢も早々に彼女が「地雷女」であることがわかって、良かったんじゃないかな。
さて、場面は変わり霞ヶ浦第六〇一海軍航空隊。
野沢ら4人の予備士官たちが着任の挨拶をしています。
分隊長は岡崎大尉。
自分が京都帝大法学部卒だからって、着任した少尉たちの出身校を聞いたりします。
それはいいんですが、分隊長が予備士官で、なぜかその下に、
江田島つまり兵学校卒の小笠原中尉がいたりします。
そして岡崎大尉が小笠原中尉を紹介。
「江田島出の甲板士官だ」
これ、少し、いや大分変ですよね。
まず「江田島出の甲板士官」ってなんなのよ。
甲板士官というのは兵学校出つまり江田島を出た兵科士官のことなんですけど。
それに、小笠原中尉、ここでも甲板士官の必携である棒切れ持ってますが、
飛行隊の分隊士が着任挨拶の席にわざわざこういうスタイルで来るかね?
そして、分隊長の学徒士官風情が()兵学校出をこんな言い方で紹介するのがまず変。
そもそも予備士官の大尉に、兵学校卒の部下を持たせるというこの指揮系統も変。
分隊長が兵学校卒、分隊士が予備士官、これならわかりますが。
しかもこの京大卒の予備士官というのが全く学徒士官らしくない。
妙に偉そうで、特務士官風でもないし、どう見てもこれは兵科士官の役どころでしょう。
この分隊長をわざわざ予備士官にした理由は後半で明らかになります。
実際日本海軍のヒエラルキーと言うのは海軍兵学校卒が絶対で、
特務士官や予備士官の兵学校卒に対する指揮権は認められませんでした。
たとえば軍艦で艦長以下佐官が全て戦死してしまった場合、
たとえ少尉であっても兵学校卒は特務大尉の上に立つことになっていたのです。
この映画では、学徒である彼ら予備士官と、この兵学校士官との
軋轢と確執、そして最終的には和解(笑)がテーマとなっているので、
このような設定にせざるを得なかったようですが、
戦後たった10数年しか経っていないのに、すでにこのディティールの曖昧さ。
70年経った今日で戦争の描写がいい加減になってしまうのも宜なるかなですね。
写真は、ちょうどそのとき流れた関行男大尉らの特別攻撃隊出撃の報を大本営発表を聞く二人。
「海軍大尉関行男以下四名は、カミカゼ特別攻撃隊として」
「神風」は当初「しんぷう」と発音していたので、これも間違いです。
「しんぷう」は、特攻の設立に携わり、関を指名した猪口力平参謀の故郷の
古武道、居合いの道場である「神風流」から取られました。
戦後十数年にして、日本人は「しんぷう」という音すらピンと来なくなった、
とこの映画は判断したのでしょうか。
そして予備少尉たちを鍛える小笠原中尉。
なぜか飛行機の列線を歩きながら4人の乗っている飛行機(の模型)を睨み、
彼らを指導叱責するために着地地点に駈けていきます。
その様子を微笑みうなずきながら眺める予備大尉の分隊長。
なんかこれも凄く変な構図だぞ。
そもそも飛行隊の訓練って、こんなグループレッスンみたいに行なわれてたっけ?
・・ということをわたしが瞬時にして分かるようになったのも、
曲がりなりにもこの三年半、「軍」「隊」という文字を見ないで過ごす日はないというくらい
血のにじむような軍研究の日々を送ったおかげなのですが、(勿論冗談です)
もし三年半前にこれを見ても何も気づかなかっただろうなあ。
まあ、それより前だったらそもそもこんな映画観ようとも思わなかっただろうけど。
とにかくこの小笠原中尉のお小言というのが
「今の編隊飛行のざまはなんだ!
そんなことで戦争に勝てるか!」
せめてもう少し具体的にどこが悪かったか言ってくれなくては
直しようがないと思うんですが中尉。
そして「性根を入れ替えろ!飛行場一周!」と走らされる4人。
この映画に駆り出された黄色い飛行機を、さり気なくいつも画面に入れ込むという構図のため、
(もったいないから?)
飛行機と飛行機の間を走り抜けたりしています。
そして「そんなことで敵が殺せるか!」と走らされる4人。
「みすみす負ける奴に貴重な飛行機が渡せるか!」と走らされる4人。
命じた本人が指揮官先頭で自分も走っているのはいいとしても、
相変わらず具体性のさっぱりない精神論的叱責だけが繰り返され、
飛行機乗りなのに飛行シーンもなく、皆でぐるぐる走っているだけの毎日。
これはつまり、この映画の特撮監督が円谷英二でなかったから、ってことでOK?
しかし、あまりに予備学生の出来が悪いので、キレた小笠原中尉が彼らに命じたのは
なぜかツートン、無線打ちのテスト。
判定のための通信員をわざわざ呼んできて、彼らに無電を30秒以内に打てとかなんとか。
戦争が負けそうで明日にも特攻に行かねばならないってのに、
そんなことのために忙しい通信員4人も引っ張り出すなんてこの中尉、何様?
30秒経ったら、小笠原中尉、結果も見ずに
「ろくに通信もできんで、戦闘機乗りがつとまるかあ!
脚を開け!歯を食いしばれ!」
ぼかっ!ごすっ!どすっ!ばきっ!
・・・いやちょっとお待ち下さい。
あなた方の海軍飛行隊の先輩の、台南空分隊長だった笹井醇一中尉という方は
ガダルカナルで戦死後、全軍布告で「武功抜群」とその功績を讃えられ、
二階級特進しましたが、この方はツートンが大の苦手だったそうです。
こんな戦闘機乗りもいることですし、一概にそうとは言えないんじゃないかな。
そもそも飛行機乗りの技量を試すのにどうして飛行機に乗らせてあげないの?
もしかしてやっぱり、そっちの技量じゃなくて大映の特撮チームの技量の問題 ?
そんな彼らの毎日とはうらはらに、戦局はどんどんと悪化し、
ついにこの部隊にも特攻の令がくだることになるのですが、その前に
彼らは戦闘第三〇二航空隊に転勤となります。
ん?
第三〇二航空隊と言えば、厚木の?
なんだか分からないことだらけですが、こだわらずに参ります。
そのころ航空隊では、あの令子の魔の手が野沢に忍び寄っていました。
着任先を聞いていた令子が、繁く手紙をよこしていたのです。
あんな露骨ではた迷惑なアプローチを受けた上、恥をかかされ、
さぞかし疎ましく思っているだろうと思ったら、同期の林(野口啓二)が、
新婚の妻に
「あいつら一目見ただけで惚れ合っちゃったらしいんだ」
なんて説明しているじゃーありませんか。
野沢、それでいいのか?
というか、いつの間に惚れたのか野沢。
その林少尉のKA(ケーエー)。
昭和19年の物資困窮の折り、なんと差し入れに真っ白なクリームの乗った
デコレーションケーキを皆さんに差し入れるという剛毅さ。
吉野妙子という、恐ろしく演技の下手な女優さんがやっています。
ついでに言うとこの映画、演技のうまい人がはっきりいって一人もおりません。
ご存知とは思いますが、海軍軍人は奥さんのことをKAと言っていました。
関行男大尉が最後に記者のインタビューに答えて
「最愛のKAを守るために往くんだ」
と言った話は有名です。
ちなみに、わたしが連れ合いのことをTOとここで称しているのはこの変化形です。
この林少尉を演じているのは、野口啓二という俳優で、
「あゝ戦争シリーズ」(っていうのかどうか知りませんけど)、
「あゝ江田島海軍兵学校物語」で、主人公(らしき)兵学校学生を演じていました。
そういえばそのとき、この新入生を苛め倒していたのが、本編の主人公、本郷功次郎。
この黄金のコンビの稚拙な台詞回しの掛け合いといい、出てくる女優(しかも女学生)
の化粧が妙に濃いことといい、なんだかデジャブを感じたと思ったら、この映画だったのか。
ところで、この二人の会話でわたしはさらにショックなことを知ってしまったのだった。
「ときにあのメッチェン(女性)どうした?
堀川令子嬢さ。
・・・・手紙も来んのか」
「・・・・・うん」
「そうか・・・・ま、仕方が無いからあきらめるんだな。
つまりは十五の乙女の儀礼に過ぎなかったのさ」
十五の乙女・・・
な、なんだって〜!(笑)
写真をねだったり相合い傘を強制したり腕を掴んだりするのが儀礼かどうかはともかく、
これが、じ、じゅうごさい〜?
心の底から驚きつつ、続く。
・・・って、全然さらっと語ってないし。