昨日のイラストに加え、今日の冒頭画像を見たあなたは、
おそらくちょっとこの映画を観てもいいかもしれない、ネタ的な意味で、
と思われたかもしれません。
しかし、くれぐれもわざわざDVDをAmazonで注文したりしないで下さい。
わたしがこうやって体を張って突っ込んでいるからこそ面白そうに見えるのであって、
実際の作品は決しておすすめ映画として紹介するほどのものではない、
ということだけ、頭の片隅に留めておいて下さると幸いです。
と、映画の制作者には失礼な出だしですが、昨日の続きと参ります。
15歳だというのにどう若く見積もっても28にしか見えない、
押しの強い古本屋の娘、令子からの手紙が野沢の元に届きます。
「本当に残念でした。
だって、野沢さんのお手紙が着く前に令子は田舎に出かけてしまったんですから。
出かけるとき令子はなんとなくもう一日延ばした方がいい気がしました。
(中略)残念でたまりません」
この手紙を読んで、ぱあああ:*:.。.:*(´∀`*)*:.。.:*:と顔を輝かせる野沢。
あんな目に遭わされて、好きになるか、野沢・・・。
それと、老婆心ながら忠告しておくけど、自分の名前を自分で
「令子」「令子」などとしかも連発するタイプの女にろくなのはおらんぞ。
きっとその自己主張の強さで身を滅ぼすタイプだから。←伏線
その日、レスに繰り出した野沢ら三人の予備少尉たち。
道すがら機嫌良くベートーベンの「喜びの歌」を歌います。
「フロイデ シェーネル グッテル フンケン トフテル アウス エリジウム
ヴィル ベトゥレーテン フォイエルトゥルンケン ヒムリッシェ
ダイン ハイリッヒトゥム!
ダイネ ツァウベル ビンデン ヴィーデル
ヴァス ディー モーデ シュトゥレンク ゲタイルト;
アンレ メンシェン ヴィルデン ブリューデル
ヴォー ダイン ザンフテル フリューゲル ヴァイルト」
日本人の第九好きは異常で、年末になると第九のコンサートが幾度となく行なわれ、
アマチュアでも第九を歌うために合唱団に入る人もいる昨今ですが、
このころのドイツ語というのはやはり「社会のエリート」インテリゲンチャたる大学生の
ちょっとお洒落な必須アイテムだったりしたんですね。
ちなみに、音楽大学というところは履修学生以外も合唱でこれを歌わせますから、
わたしは今でも完璧に最初から最後まで歌うことができます。
ただ、この映画の時代である昭和19年暮れは、日本は非常時とされており、
実際に彼らも学徒出陣していたように、とてもバンカラ学生が放歌高吟するような
ご時世ではなかったと言えます。
まだまだ娑婆っ気つまり娑婆の学生気分が抜けない彼らの歌を聞きとがめたのは
運悪く同じレスでいかにも場末の女っぽい酌婦と飲んだくれていた小笠原中尉。
エキストラを極力節約した作りのため、小笠原中尉はレスでも一人。
兵学校出は友達がいないっていう印象操作ですかね。
レスで早速「フロイデシェーネルグッテルフンケン」を始めた3人の前に
鬼の形相で現れたと思ったら、
「貴様ら歌うなら日本語で歌え!」
と一喝し、朗々と「同期の桜」を歌い出します。
何も考えずに高いキーで歌い出してしまった俳優の三田村元さん、
高音部で血管切れそうになって苦しそうです。
小笠原中尉が歌うのを反抗的に眺めていた野沢、ワンコーラス歌っても小笠原が
一向にやめようとしないため(笑)対抗して「喜びの歌」を歌い出します。
なにを小癪な!と目を剥いて小笠原中尉、一層無理なキイで声を張り上げ、
残りの二人が助っ人に入った「喜び組」(ん?)にワンマンバンドで対抗。
あまりの異様さにレス中の従業員や客が集まってきます。
しかし、こういうときに仲裁するはずの必ず怖いレスのゴッド(女将)も、
予備学生を叱りつけるはずの他の士官も、つまり誰も止めに入りません。
ちなみにここのシーン、これを書くため二回目に映画を観直したときに、わたしは
聴いているのがあまりに苦痛だったため、音声をカットしました。
いわばこの映画のハイライトというか前半のクライマックスなんですが、
だからってこういう無茶苦茶なシーンを長時間流されても・・・。
この部分はこの映画のテーマである
兵学校出身士官と予備学徒士官の対立
という構図を制作者は象徴的に表したかったのだと思います。
そして本人はこの件を令子への手紙で
「のどがひりひりして湿布をするやらうがいをするやら」
と報告しますが、どうやって収束に至ったかは語られません。
さて、航空隊本部に大本営から伝達を持ってやってくる将校が乗った車が、
猛スピードで野沢の老いた母の側を通り抜け、あたってもいないのに彼女が転ぶ、
といった具合に、こまめな「軍は悪」の印象操作を欠かさないこの映画ですが、
その車に乗ってやって来た将校の持って来た達というのが、
「戦況が悪化したから三〇二航空隊も特攻を出せ」
特攻命令、キター!(AA略)
基地司令官の横で眉根を寄せる浅野参謀(高松英郎)。
若い。
わたしには晩年の頑固爺さんみたいな顔の印象しかありませんでしたが、
若い頃は結構イケメンタイプだったのね。
参謀なのに参謀飾緒を付けていないのはご愛嬌です。
浅野参謀は、戦闘機に爆装すれば能力が半減すること、
掩護する戦闘機が付けられないと言うことを理由に特攻に反対します。
ところが、せっかく参謀がこういっているのに、なぜか京大卒の
予備士官である岡崎大尉が、
「万に一つも敵を叩く可能性があるなら行かせて下さい!」
と力強く言い切ったため、特攻は出されることになります。
岡崎大尉ェ・・・・・。
こういうときになぜ本来なら率先するべき兵学校士官ではなく、わざわざ
学徒士官である岡崎大尉にこのようなことを言わせたのか。
日頃から「娑婆っ気がどうたら」とか、「学徒には覚悟もない」とか、
さんざん兵学校卒から馬鹿にされていたので、国を守る覚悟は俺たちにもある!
と予備士官隊長としては反発心も手伝って、っていう意味なんでしょうか。
いずれにして予備少尉たちは、岡崎大尉の予備士官の意地みたいなものから
望まぬ特攻に行くことになってしまった、というようにも見えます。
さて、というわけで賭け将棋などして娑婆っ気満々の宿舎生活をしていた少尉たち、
本部に集められたと思ったら、いきなり浅野参謀から
「出撃予定時刻、明朝マルハチサンマル!」
と、何の心の準備もないままにあっさり特攻を命じられてしまいます。
特攻出撃は志願制でしたが、当時の「志願」が純粋な志願というよりは
「そういうことになっているから」志願せざるを得なかったというのが実際でしょう。
勿論、士官の中には、たとえば関大尉の特攻一番乗りを聴いて
「うちがやりたかったものですなあ」
と心から悔しがっていたという管野直大尉のような者もいましたし、
どんな状況でどういう地位でどういう戦闘をしていたかによっても様々で
一概にはいえないとは思いますが、多数の若者は、確固たる意思をもって特攻を志願するというより、
極めて同調圧力に弱い日本人らしく、
「皆がやるからには俺もやらなきゃ」
という状況に「国を守るため」という後付けの動機による補強で自分を納得させ、
特攻に行くことを受け入れたのではなかったでしょうか。
受け入れた後の覚悟については余人の慮るにも及ばぬ彼らなりの克服があったはずで、
これを以て彼らの意思を軽んずるつもりは微塵もありませんが。
さらに、毎日空襲が無差別爆撃を行い、大都市は悉く灰燼に帰し、子供ですら
「戦争で近々死ぬんだろうな」と考えていたような敗戦直前の日本の戦況にあって、
いつか必ず死ぬのなら、兵士として、日本の男として意義のある死に方をしたい、
という考えに至り、特攻を志願するものがいても全く不思議ではなかったと言えます。
とにかく、この映画のように、何の予告も気配もなかったのにいきなり寝耳に水みたいに、
「明日君特攻行ってもらうからよろぴくー」
というようなことだけはおそらくありませんでしたので念のため。
「こんなに急とは思わなかったよな」
といいながら荷物の整理をする先遺隊(野沢以外の三人)。
そこにたまたま林少尉の妻と野沢の母が訪ねてきます。
林の妻の泊まっている旅館で最後の夜を過ごす彼ら。
勿論明日特攻に往くことなどおくびにもだせません。
何も知らずに笑い転げる林の妻。
最後の日を、彼らなりの苦衷と煩悶のうちに過ごすのですが、
ここにも煩悶している人が。
第二次攻撃隊隊長として野沢と一緒に出撃することになった小笠原中尉です。
相変わらず友達がいないので、下品な飲み屋の女、ノブを相手に飲んだくれ。
野道で水が飲みたいと所望する小笠原に、ノブは(多分)川の水を口に含み、
戻って来てそれを口移しで飲ませようとします。
断固拒否る小笠原。
そりゃそんな水を飲むのは誰でも嫌だと思いますが、ノブは激高し、
「あんたなんか早く逝っちゃえ!」と捨て台詞を残して去ります。
そこに運悪く通りかかる野沢ら三人(笑)
よりによって野沢が愛とか青春とか演説しているのを小笠原は聞きとがめ、
「貴様の娑婆っ気を抜いてやる!」
といいつつ、実はノブに逃げられた腹いせに河原で野沢を殴る小笠原中尉。
さて、宿舎に帰って来た三人組。
そこに酒を持って訪ねて来た岡崎大尉が衝撃発言を。
「実は真っ先に特攻に志願したのは俺だ」
目を剥く三人。
岡崎大尉はおかまいなしに自分語りを始めます。
「俺は後二月大学にいれば論文もまとまり、教授のお嬢さんを貰うことになっとった。
そりゃ素晴らしいお嬢さんだったぞ。
ところが入隊命令の方が一足早かった。ふふっ・・。
だが俺は特攻を引き受けた。
俺が突っ込むことで・・いや、俺が死ぬことで少しでも日本が救われるならばだ、
俺の命は・・・・・・・、とまあ、考えたわけだ」
「まあ考えたわけだ」じゃねーよ。
自分だけが往くならともかく、部下も一蓮托生なのに、
そんなノリで俺ら下っ端が選択の余地もなく連れて行かれるんかい!
そういう目で見られているかもしれないのに、岡崎大尉、自分に都合良く
彼らの沈黙を解釈し、
「同じ予備学出の、同じ特攻で突っ込む貴様たちに分かってもらえば、
・・・・俺は本望だ」
いや、分かってもらえば、って何も説明してない気がするんですが。
気まずい雰囲気に耐えかねた野沢が「大尉の母校の歌を歌わせて下さい」と提案し、
4人で岡崎大尉の出身校、三校寮歌「紅燃ゆる」を歌います。
なんで全員がよその大学の寮歌を全部歌えるのだろう、などと言ってはいけません。
こちらは林少尉夫婦。
最後の夜だというのに、林はそのまま寝てしまいます。
未練を残さないためにあえてそうしたのでしょうが、
これで妻良枝は何事かを察知してしまったのでした。
そしていよいよ出撃の朝がきました。
行進曲「軍艦」に乗って帽振れです。
離陸していく零戦・・・・と言いたいところですが、座席が二つで二人乗ってる・・。
百里原から出た正統隊の特攻は、九九式艦爆に二人乗りでしたが、
彼らは戦闘機乗りという設定だから、二人乗りの艦爆で往くというのはありえないのですが。
これはどうやらT−6テキサンを二機だけ借りて来たらしく、
何度もその二機に滑走離陸させてそれを撮影しております。
ちなみにこのテキサンの機体は上から雑なペイントされているため、
地色の黄がはっきり見えております。
よく見ると、映画の前半で彼らがしごかれて飛行場を走り回っていたときには
この飛行機はまだ黄色かったので、その後スタッフの手で緑に塗られたものでしょう。
急いでいたのだとは思いますが、作業はもう少し丁寧にね。
夫の態度から彼が特攻に往くことを悟ってしまった妻良枝。
彼女は夫に殉じて自害するつもりで喪服を着て佇んでいました。
夫の乗ったテキサン、じゃなくて二人乗りの零戦(の模型)が
地の果てに消えたとき、彼女は喉を突こうとします
・・・・が、やはりどうしてもできません。
なぜなら彼女のお腹には新しい命が宿っていたからでした。
逝く夫に未練を持たせぬよう、彼女はそれを告げることをしませんでした。
夫を深く愛すればこそ、あの世までついていきたいのはやまやまですが、
また、どうしても夫の忘れ形見を自分とともに葬ることはできません。
彼女は死ぬのを諦め、地面に泣き伏すのでした。
(ということだとおせっかいながら解釈してみました)
さて、そしていよいよ我らが野沢少尉の出撃が決まります。
4人のうち3人がいなくなり一人になった宿舎の部屋に、
浅野参謀がやってきて、単刀直入に
「野沢・・・貴様には恋人が居るそうだな」
なんで参謀がそんなこと知ってるんですか。
そしてこれもなぜか、
「行って逢ってこい」
いや、それをいうなら「おふくろさんに会ってこい」でしょ?
一度会っただけで手紙のやり取りしているだけの相手より、
本人は普通母親に会いたくなるものだと思うがどうか。
しかし、映画のストーリーの都合上、野沢は令子に会いにいくのでした。
令子は女子挺身隊で軍需工場に行っており、野沢もそこに向かうのですが、
折しもB-29六機の空襲に見舞われます。
特攻シーンはもちろんのこと、この空襲シーンも米軍のフィルムが使われ、
やはり大映の特撮チームは何の仕事もしていないことがよくわかるのですが、
それはともかく、空襲による群衆の混乱のさなか、二人は都合良くばったり再会。
一度会って文通をしていただけの相手に、再会するなり抱きつく令子。
やっぱりこのコ、ちょっと厚かましくな〜い?
しかも令子、やっと避難場所が見つかったと思ったら、
爆音に託つけて抱きついたり、
「ほら、あなたの写真」といって野沢からゲットした写真を見せたり、
アピールに余念がありません。
「令子さん・・・!」
感激した野沢はまんまとその手に乗ってついその気になるのですが、
すんでのところで理性が働きます。
野沢「いけない!俺は馬鹿だ!
君にひと目会えたらと思って駆けつけた。
でもそれでどうなるというんだ。
俺は特攻隊だ。明日は死ぬ。
その俺がどうして、どうして人を愛せる!」
令子「いいんです!
特攻隊でも何でも、あたしはあなたが好きなんです」
何がいいのか、もう少し分かり易く説明してくれるかな。
「令子を愛して下さい!」
あ、そういうことね。
令子さんたらまだ15歳だというのに大胆〜。
今なら児童福祉法第34条1項6号違反で野沢少尉は懲役二年以下の罪に問われます。
だいたいまだ空襲続いているし、終わってからにしましょうよ。
「いけない!私をを苦しめないで・・私を乱さないで下さい」
必死の野沢。
自分でも言ってるけど、じゃー来るなよ。
「明日は死ぬ。だが俺は逃げない。明日は突っ込む!」
それよりこの女から逃げて飛行隊に帰ることが先決だぞ野沢。
と、エリス中尉もつい負けじと突っ込んでしまうのですが、
そんな野沢に業を煮やしてか令子、爆弾の雨が降り注ぐところにまろび出て、
案の定、
爆死してしまいます。
ほーらいわんこっちゃない。
こういうタイプは自分で自分の身を滅ぼすって最初に言ったでしょ?
驚いて駆け寄り爆心地に散らばる肉塊から令子の頭(らしきもの)
をいきなり拾い上げ(!)号泣する野沢。(´;ω;`)ブワッ
ここでこらえきれず爆笑してしまった、こんなわたしは鬼畜でしょうか。
さて、明けて次の日。
第二陣特攻隊の出撃です。
しかしそこに野沢の姿はありません。
勝手に上陸を許可した浅野参謀が気をもんでいると、
おりしも基地を急襲したグラマンの銃声を縫うようにして、
野沢はきっちり海軍5分前に間に合うように帰ってきたのでした。
しかし野沢、来るなり敵機の空襲真っ最中だというのに
「ちきしょ〜!」
とかいいながら勝手に飛行機に乗り込もうとします。
それを退避孔から見ていた小笠原中尉、
「待てー!野沢ー!」
飛行機は出撃前で既に滑走路に列線を組んでいるはずなのに、
なぜか草っ原を走りまくる二人。
指揮所からどんどん遠ざかる二人。
やっと飛行機にたどり着いた野沢、乗ろうとしますが、
小笠原中尉に追いつかれ、引きずりおろされます。
「何をするんだ貴様!」
「たたき落としてやるんだあいつら!」
「やめろ!」
小笠原が止めるのもごもっともです。
こんな状況で、しかも飛行機乗りとして全くダメダメな予備少尉が、
(かどうかは特撮がダメダメだったせいで全く描かれなかったのでわかりませんが多分)
そもそも単機で敵攻撃の最中離陸するなんて、正気の沙汰ではありません。
しかも恋人を目の前で殺されてテンパっている状態の野沢、
止める小笠原(上官)を、
「あんたに俺の気持ちがわかるか!」
と殴りつけ、飛行機の横で取っ組み合いの殴り合いが始まります。
ここで爆笑してしまったわたしは(略)
そこでこんどは小笠原中尉、
「俺は貴様に言いたかったんだ!
俺は貴様を殴った。
しかし、俺はきさまに愛情を」
・・・・なん・・・だって?
そうだったのか。・・ってそういう話?
しかしどうでもいいけど、なぜこの登場人物はどいつもこいつも
こういう非常時に重大事を告ろうとするのか。
案の定、非常時に野沢に迫って爆死した令子の例に違わず
小笠原の体も敵機の銃弾に貫かれてしまうのでした。
そこに、参謀のくせにやたらフットワークの軽い浅野参謀が脱兎のごとく駆けつけて、
銃弾に斃れた小笠原の体をいきなり乱暴に抱え上げ、無茶苦茶に振り回します。
やめてくださいしんでしまいます。
グラマンの編隊を追って母艦に特攻をかけるため、浅野参謀は飛行隊を即時編成しますが、
怪我をした小笠原中尉の機での出撃には、なぜか一人だけ着替えの済んでいない野沢を指名します。
すぐに飛べる乗員で一刻も早くグラマンを追いかけた方がいいのでは、と思うのはわたしだけかしら。
野沢が宿舎に帰り、悠長に飛行服を着ていると、包帯をした小笠原が来て
「野沢、貴様どうして志願したんだ」
どうしてって・・・最初から出撃することに決まっていたんですけど。
それに対して野沢、
「恋人は目の前で殺されました。彼女に会いたいのかもしれない。
彼女が殺され、目の前で基地がやられて私は戦争というものがわかった。
今こそかっと目を見開いて敵艦にぶち当たります!」
その意気や良し、といってやりたいところだけど、つまりこの人に取って
「復讐心」が戦う動機と意義だったってことなんでしょうか。
一見もっともらしい理由だけど、
「今まで特攻に全く意味を感じず死ぬのも嫌だったが、
目の前で知り合いがやられたから仕返しをしたい」
とつまりこう言ってるわけでしょ?
「国を守る」ひいては「愛するものを守る」という大義に殉じた
特攻隊員たちに取って、これはなんだかものすごい侮辱ではないか、
と思ってしまうのはわたしだけでしょうか。
そんな野沢になぜか小笠原中尉は狼狽し、
「貴様には恋人があった。
おれはそれを弱いものだと思っていた。
貴様には学問があった。
だが兵学校ではそれを許さなかった。
だから俺には何一つない。
それが俺を僻ませて、貴様たちに辛くあたった!
許してくれ!」
いやいやいやいや(笑)
これも随分兵学校出身者に失礼な話じゃありませんか。
だいたい、
「学徒」=「真理を追究する学究の徒」「兵学校出」=「無学な野蛮人」、
この単純なレッテル貼りは、戦後すぐに東大生協が中心となって作られた
映画「ああわだつみの声」でも顕著でしたが、これではあまりにも現実を単純化し、
ものごとを二元的に語りすぎです。
「わだつみ」では、その学徒の中にも帝大を頂点とするヒエラルキーが存在して、
「師範出」や「美大出」などの「下層」のものは蔑まれていたらしい、
という少々複雑な構造も描かれていますが、いずれにせよ兵学校や陸士出の
「職業軍人」を相対的に貶めるような描き方は共通しており、これもまた
戦後15年の間に日本に蔓延した「軍卑下」の風潮が現れていると言えましょう。
そんな小笠原に、野沢は実家の母への手紙や、令子が盗ってきた本を渡し、
小笠原は感激して
「ありがとう!読ませてもらう!」
などと言いつつ両者は手を握り合うわけです。
というか、小笠原中尉、いつの間にちゃっかり生き残るつもりになってるけど、
小笠原中尉も、怪我が治り次第特攻に往くことはほぼ確実なんだから、
野沢が形見を渡す相手としてはちょっとどうかと思うな。
そしていよいよ最後のときがやってきます。
小笠原に本、従兵に自分の財布を渡し、出撃していく野沢。
相変わらずたった2機しか映らないテキサンに二人で乗り込んで・・・。
見送る小笠原中尉の胸には、しっかりと野沢から贈られた本、
そして、彼の口から漏れ出たのは・・・
「フロイデ シェーネル グッテル フンケン
トホテル アウス エリジウム・・・・」
ちょっと待った(笑)
なぜその歌をドイツ語で知っている。
実は小笠原中尉、海兵時代は学問の世界に憧れ、ギョエテやショーペンハウエル、
そしてこのシラーを密かに読んでいたって設定だったのかしら。
しかし「兵学校はそれを許さなかった」から僻んで学徒士官苛めをしていた、と?
ここは小笠原中尉、何が何でも「同期の桜」で兵学校出の意地を見せて欲しかったのにな。
わたしが監督なら絶対そうする。
あるいは、出撃する野沢が「貴様と俺とは〜」と口ずさむとかね。
このころはまだ兵学校出もたくさん世の中にいたのですから。
同じ戦争を戦った若者たちに対し、全方向に配慮をする妥協点を、
映画関係者は徹底的に探っていただきたかったと思います。(適当に言ってます)
そして、野沢を乗せたテキサンは、綺麗にアスファルトで舗装され、
白い滑中央線までテープで描かれた滑走路を飛び立っていくのでした。
それにしても敵機の空襲から出撃までこんなに時間が経ったら、
グラマンは勿論、母艦はとっくにいなくなってると思うけど、野沢少尉、
この後ちゃんと特攻する目標を見つけることができたのか、それだけが心配です。
(終わり)