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護衛艦「ふゆづき」護衛艦旗授与式〜艦長乗艦

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この当日、もし雨が降らなかったとしても、テントの中で行われる
防衛省の代表たる政務次官から初代艦長への護衛艦旗授与は
全くわたしのいる並びのテントから見ることは出来ませんでした。

しかしそれが終わり、護衛艦旗を受け取った艦長が、ラッタル付近の
こちらからよく見えるところに出て来てくれたので、写真を撮りまくりました。
私のテントでちゃんとしたカメラを持っていたのは只一人。
他は携帯で撮っている方が一人いただけででした。

一般に護衛艦の引き渡し式は公開しないようです。
ゆえにあまりそれについて書かれたものもないらしく、たとえば

「護衛艦旗授与式」

で検索すると、昨日アップした当ブログが最初のページに出てくるくらいです(笑)




それにつけても、艦船に命を吹き込み、護衛艦として船出するための儀式。
海軍海自ファンにとって、それが目の前で行われるのを見るのは冥利に尽きるというものです。

特に、護衛艦旗を受け取ったあとのこのような礼式は、
これこそ、当ブログがそのタイトルで標榜するところの
「ネイビーブルーに恋をする」瞬間でもあります。



艦長は受け取った護衛艦旗を高々と抱え上げ、それを副長に渡します。
副長というのは、護衛艦の上級指揮命令系統で言うと艦長の直下です。

副長、という官職名は明治時代から変わっていません。
「勇敢なる水兵」の一節にも、

副長の眼はうるおえり されども声は勇ましく 心やすかれ定遠は 戦い難く為し果てき

とありますね。



副長は一旦それを左で受け取り、



右手を一瞬添えて、



再び左手で抱え上げ、敬礼を交わします。

しかし、この日一日で敬礼を数えきれないほど見ましたが、
現在の海上自衛隊の敬礼は、昔の海軍軍人の写真に見る敬礼より遥かに
「陸軍寄り」になっている気がします。

というか、わたしの前に座っていた陸将補の敬礼と海自隊員のそれは全く同じに見えました。
つまり陸自の敬礼も昔の陸軍式よりは「海軍寄り」になっているということです。


よく考えたら幹部は同じ防大で学び、同じ敬礼をしているわけですから、
陸海に入ったからといって急に敬礼の仕方が変わるというのも変な話です。
自衛隊トリビアなどの本などを見ると、相変わらず

「陸自と海自では旧軍の名残で敬礼の方法が少し違う。
陸自は肘を横にまっすぐ、海自は肘をたたんで」

そしてご丁寧にも

「空自は陸自と同じやり方でする」

などと書いてあったりするのですが、今までの観察によると
陸式も海式も実際はあまり変わらない、というのが当ブログの結論です。


まあ、陸海でいがみ合っていた昔ならいざ知らず、現代の自衛隊では
そんな些細な違いはどうでもよくなったってことかもしれません。

旧軍時代、うっかり「海式敬礼」をしたため叱責され左遷までされた陸軍軍人がいましたが、
(註・陸軍潜水艦「まるゆ」の乗員)良い時代になったものです。



艦長から護衛艦旗を受け取った副長は左手で高々と持ち上げます。
なぜ艦長が持っていかないかというと、艦長が乗艦するのはいちばん最後。
全員が乗り込んだ後「艦長乗艦」という儀式があるからです。

このとき、音楽隊が行進曲「軍艦」を演奏し始めました。



副長を先頭に乗組員乗艦です。



手前は三井造船のカメラマンだと思われます。
このころ、雨脚はいっそう強くなり、ほとんど滝のように降っていました。



副長の後ろに続くのは航海長、次いで砲雷長だと思われます。



手の上げ方が角度までおそろしいくらいシンクロしています。
海自隊員にとっても護衛艦授与式はそう何度も経験することではないでしょう。
もしかしたらこれが初めて、という隊員の方が多いかもしれません。



「軍艦」に乗ってその場足踏みをしていた下士官、じゃなくて曹の行進が始まりました。

ご存知のこととは思いますが一応説明しておくと、
袖と制帽に金筋があるのが幹部、ないのが曹です。
昔は制服の形態からして違いましたが、今はそれ以外一緒です。

「下士官の軍服は士官のに比べてカッコワルすぎる」

という不満は戦前からあったといいますから、この「士官の下」を意味する
「下士官」という言葉をなくしたついでに制服も一緒にして、
自衛隊としては「軍隊の民主化」をはかったってことなんでしょうか。

あ、「士官」が廃止になったのは「下士官」の「下」に問題があったからか!




副長はラッタルを上がり、艦橋の右通路から姿を消しました。



多分この隊員だと思うのですが、この写真で先頭にいる女性の曹は、
姿が見えなくなってから号令をかけていました。

前席の陸将補どのの説明によると、隊列ごとに掛け声をかけることになっていて、
この女性が「一番偉いから」というわけではなさそうでした。




儀杖隊は乗組員が乗艦後、艦尾に向かって乗艦。
右手奥に護衛艦旗を揚げるポールが見えています。



「ふゆづき」はヘリコプターを一機搭載しますが、ここに飛行甲板があります。
飛行甲板に整列し、艦尾に護衛艦旗を揚げるための儀杖を行うのです。



乗艦した副長はすぐに護衛艦旗を渡し、同時にこの一士は
(彼の袖の階級まではっきりとわかりました。300ミリ望遠レンズすげー)
国旗を左脇の下に抱えて艦首にある掲揚ポールに向かっています。



そして国旗掲揚の準備。
まさか本人もここまで注目されていたとは思うまい。

艦尾では護衛艦旗も同じように用意されていたのだと思いますが、
わたしのいるところからは残念ながら見えませんでした。



そして、総員乗艦後、一番最後に艦長が乗艦します。
これは式次第のその2、「乗組員乗艦」の最後「艦長乗艦」です。

正確にはこの乗艦を以てそれまでの「艤装員長」は「艦長」となります。




艦長は乗組員が起立敬礼する中、ラッタルを上がり、敬礼をしつつ颯爽と進んでいきます。

前半の儀式でわたしが最も心が痺れた瞬間、それはこの「艦長乗艦」でした。
この新生艦の全責任を担う一人の男の背中は、決して気のせいではなく、
その重さを負う覚悟と誇りで輝くように見えました。

そのように感じたのは、海軍海自の比較的ミーハーに属するファンであるところの
わたしのみならず、周りの男性陣も一様にそうであったらしく、

「・・・・かっこいいですね」

とわたしが思わずつぶやくと、右隣と左隣が同時に

「いや、本当に」

と相鎚を打ち、気のせいか前の席の陸将補どのも賛同してくれているように感じました。
軍艦の艦長は男として生まれて一度はやってみたい仕事、と以前も書いたことがありますが、
この「艦長乗艦」の瞬間、北御門裕(ひろしではなくゆう、だそうです)二佐は
男としても自衛官としても船乗りとしても「冥利に尽き」たに違いありません。




わたしはそれまで間断なくシャッターを切り続けていたのですが、
北御門艦長が敬礼をしながら皆の間を過ぎる瞬間、
それを食い入るように見ていたため、ここから後の写真は撮れませんでした。

しかし、偶然ですが大事なシーンがこの写真には捉えられています。
この写真の画面右に写っている曹を見てください。
ホイッスルを鳴らしているのがお分かりでしょうか。

これは、艦長乗艦の儀式のときに鳴らされる笛を吹いているところで、
この間音楽は無く、ただ笛の「ピー、ピー」という音が響いています。



艦長乗艦が終わると、式次第は

「自衛艦旗授与者乗艦」

です。
先ほど偽装院長に自衛艦旗を授与した防衛省代表の若宮防衛大臣政務官が
乗艦し、自衛艦旗並びに国旗を掲揚、その後訓示を行います。

そういう決まりでもあるのか、ラッタルと護衛艦内では政務官も傘なしでした。



先ほどまで三井造船の社旗が揚がっていた掲揚ポールにも乗員が待機しています。

ついでに今回得た知識をちょっと披露しておくと(笑)、画面左側にある
たくさんの筒状のものですが、これは

チャフ・フレアランチャー。

チャフとフレアは全く別ものではないのか?
という質問を某知恵袋で見ましたが、これはそのどちらもが搭載されており
この名称はユナイテッド・ディフェンス社の商品名です。

制式名称はMk.137 Mod2。

わかりやすく言うと、これは自艦が攻撃された際、誘導されたミサイルの
命中を回避するための「デコイ」です。

「チャフ」は偽装のための金属で、旧日本軍ではアルミ箔を模造紙に貼ったものですが、
今でも原理は一緒で、アルミ箔を詰めたコンテナを空中に散布するものです。
これでレーダー誘導型ミサイルの目標を撹乱するわけですね。

ミサイルも当節は様々で、赤外線誘導型のものもありますから、そちらには
高熱源体であるフレアの出番です。
ただし、敵がどちらのタイプを撃ってくるかは来るまでわからないので、
チャフとフレアを併用して発射するわけです。

たとえミサイルを回避しても、どちらが効いたのかは最後までわからないままだってことですかね。



というわけで、そのとき国歌演奏のため全員が起立しました。
わたしはとりあえずこの小さな旭日旗を揚げるところだけ写真に撮り、
あとは国旗と自衛艦旗に敬意を表して大人しくしておりました。



この小さな「ミニ護衛艦旗」の正体はわかりませんでした。




全くわかりませんが艦尾の護衛艦旗も掲揚された模様(笑)



艦首のニ士水兵さんも恙無く掲揚し終わりました。

きりりと結んだ口元が凛々しいですね。
この隊員のご家族がこの姿を見たら、さぞかし誇らしく思ったのではないでしょうか。



ところで前々回挙げたこの写真。
この狭いところから見ている一団を「一般人ではないか」と書いたのですが、
過去の引き渡し式の報告をいくつか見るに、この人たちはどうやら

「造船会社の社員の家族」

であるらしいことがわかりました。
護衛艦乗員の家族、特に艦首に国旗を揚げる係の隊員の家族は、
息子のそんな姿をぜひ見たいと思うのでしょうが、式典の形式上
見物人を増やすわけにはいかず、どこで線引きをするのか難しいところでしょう。

というわけで「身内」である社員の家族に限り、このように
狭いところから顔を覗かせ合う形であっても立ち会うことが許可されたようです。


我が子が、我が夫が、三年の間心血を注ぎ、ときには困難を乗り越えて作り上げた船。
その船が今命を吹き込まれて旅立っていくのです。
その瞬間を目にするために豪雨の中傘をさして長時間佇んだ彼らの心の中には
夫への、息子への誇りが、この日の乗組員たちに負けないくらい強く刻まれたに違いありません。




(続く)




 










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