午前中の引き渡し式と自衛艦旗授与式が恙無く終了しました。
わたしたちはまたバスに乗って工場の門まで向かい、
門の向かいにある三井造船の迎賓館に相当する二つの建物のうち
控え室とは反対側の祝賀会会場に向かいました。
建物に入っていくなり、三井造船の女子社員がトレイに多量のタオルを乗せて持ち、
入ってくる人たちに配りまくっています。
「確かに凄い雨ではあったけど、またえらく用意のいいことだなあ。
ずっとテントの下で観覧していたのでタオルがいるほどではないのに」
その気配りに少し驚いたのですが、これにはわけがあったのです。
つまり、この祝賀会には、冒頭写真を見てもお分かりのように
大量の自衛官たちが出席していたから
だったんですね〜。
さて、昔々、海上自衛隊が帝国海軍だった頃、このような祝賀会場には
帽子掛けがあって一緒に短剣も吊ったのか、それともこの日と同じように
帽子をきちんと置くテーブルを作っていたのかは知りませんが、
さすがは三井造船、傘をささない彼らのために大量のタオルを用意し、帽子置きを設置し、
海軍の頃からの付き合いの深さをこんな形で見せてくれました。
と、こういう出だして始めたからには、最近コメント欄を賑わしている
「自衛隊制服問題」
について、現役幹部自衛官からいただいた情報を出さねばなりますまい。
今回お話を伺った自衛官によると、現在海上自衛隊では幹部自衛官の制服は
支給となっているのですが、少なくとも
1993年(平成5年)ごろまでは制服は支給されていなかった
そうです。
その頃は、幹部学校を卒業し任官したら、各自が注文して個々に購入することになっており、
その入手方法は決められていなかったので、こだわる人は好みの洋服屋に来てもらい、
誂えていたということらしいですね。
(こういう話になると俄然盛り上がってしまうエリス中尉です)
旧軍の昔、陸軍では、特に皇族軍人の若様たちが率先して
「軍服界の最新流行モード」
を作り上げたものですが、海軍にはそういった「ファッションアイコン」は見当たりません。
これは「海軍軍人はお洒落で当たり前」という風潮のせいではないかと思われます。
当時は洋服と言えば仕立て屋が誂えるのが当たり前の時代。
身だしなみをスマートに整えるのがモットーの海軍軍人のために、
横須賀、呉、佐世保といった旧軍時代鎮守府があり軍港だった町には、
軍服を仕立てる専門の洋服屋が複数ありました。
戦後それらの店は数こそ減ったもののいくつかは現在も存続し、
いまだに自衛官のオーダーメイド制服を作りつづけています。
先ほど「好み」と書きましたが、これらの軍港にあるいくつかの洋服屋は、
生地も、階級章の金モールも、金ボタンもシルエットも店によって違うので、
今でもこだわり派の自衛官は自分の好みに合う店で仕立てるのだそうです。
勿論同じ店でも値段によってピンキリで、ちなみにもし
「金に厭目はつけませんから全て最高級で」
というご要望があれば、
「生地は英国製のタキシードクロスにフランス製の金モール、
金ボタンの錨は立体的に組み合わせたものに金メッキを施したもの」
という最高級仕様によるお仕立てで何とお値段はズバリ支給品の三倍!
だそうです。
うーん、でもね。
これわたし、安いと思いますよ。
先日coralさまに教えていただいたところによると陸自の制服で2万5千704円。
海自の制服はダブルでもう少し高いのではないかということなので、
たとえば多めに見積もって3万5千円だったとしても、その三倍なら10万円少し。
下で紹介している宮地洋服店ではイージーオーダーで9万円だそうですから、
最上級テーラーメイドであれば20万円は行くかもしれません。
しかし今時まともなスーツを誂えたら、何十万とかかるのが当たり前で、
しかもブランド料が付加されたものや、一流企業の重役や政治家が銀座などで誂えるスーツは
100万以上ですから(by『部長 島耕作』)それだけの材料を使ってしかも誂えて、
20万くらい(かどうか知りませんが)で済むというのはリーズナブルでしょう。
そういった昔ながらの洋服屋さんと海自とに、
海軍時代からのお付き合いがあらばこその良心価格だという気がします。
とはいえ一流企業の重役や政治家と違い、自衛官は公務員ですし、
制服だけでなく靴やらベルトやら雨着やらの周辺グッズも買わなくてはいけません。
佐官以上ならともかく「若い少尉さんにゃ金がない」と歌にもあるように
今や幹部学校出たてで制服を誂えるのは、よほどのこだわりがある自衛官に限られそうです。
そして秋冬の制服もさることながら、こだわり派自衛官がさらにこだわるのは
夏の第二種制服の「白」。
黒も実は生地の善し悪しが怖いくらいわかりますが、白は色そのものの違いが目立ちます。
わたしがかつて呉の阪急ホテルで海軍士官コスプレ体験をしたとき、
第二種となぜか第三種軍服を着たわけですが、その第二種というのが何というか、
キャンバス地のような生成りの白で、そのせいか撮影の間暑くてたまらず、
「こんなテント地みたいなしかも詰め襟の服を、日本で夏に着てたなんて絶対嘘」
と確信したものですが、これは中田商店が製作した映画用の衣装だったからでしょう。
本物の海軍軍人は白麻やキャラコなどで仕立てたりしたのではないか、と思います。
現在海上自衛隊で使われている夏の第二種は奇跡的に旧軍時代とほとんど同じで、
違いと言えば胸ポケットの有る無しなのですが(無い方がいいと思いますけどねわたしは)
やはりこの色、というのも店によって全く違ってくるのだとか。
たとえばA店はわたしが呉で着た軍服のような黄ばんだような白、
B店は「青みがかった、まるで氷河のように冴え渡る」白と・・・。
ところで色とはまことに不思議なもので、一言で「白」といっても人によって
はっきりと「似合う白」「似合わない白」があるものです。
わたしは昔パーソナルカラー診断をしてもらったことがあり、今でも
インターネットの簡単なカラー診断をしたらそのときと全く同じ結果になりますし、
経験上思い当たる節があるので信頼できる結果だと思っているのですが、
それによるとわたしのタイプは「春」で、白はアイボリーが似合います。
もしわたしが自衛官になって夏服を仕立てることになったら、
氷河のように冴え渡る白は似合わない、という判断を踏まえてA店に行くでしょう。
話が横道にそれましたが、(めり軍曹殿、本稿はファッションタグでお願いします)
その自衛官によりますと、平成5年以降は官給品が支給されるようになったということですから、
そのせいで軍港で商売をしていたほとんどのテーラーは店をたたんでしまったのではないでしょうか。
ところで皆さん、冒頭の写真をもう一度見てください。
帽子が一つ無くなっていますが、これは祝賀会から一足先にに出航のために退出した
「ふゆづき」艦長の北御門二佐の正帽があった場所だと思われます。
この祝賀行事に参加した自衛官は少なくとも二佐以上なので、
ここにあるのは全て同じような通称スクランブルエッグといわれる正帽です。
左上の、他のと違い葉っぱの生い茂り方が密な()帽子がありますね。
これは将官用で、あとは一佐か二佐のものですが、見比べると、皆少しずつ
エンブレムの色や茗荷の形とか錨の部分の黒の割合が違うと思いませんか?
皆同じデザインなのに、こういう状況で取り違えが起こることがなさそうなのは、
自分の帽子ならばわかる程度に「個体差」があるからだと思われます。
自衛官氏によると、その支給されるようになった官品制服というのが当初酷いもので、
モールなどとても”金色”とは言えない粗悪品、おまけに制服のモールの上の桜も
とても桜には見えない、まるでタンポポのような刺繍(どんなんだ)だったため、
どうしてもそういうのに我慢できないその方は、
「 一度たりとも官給品の制服に袖を通したことはありません。
タンスの肥やしにしています」∠(`・ω・´)
ということです。
しかしこれ・・・・・もったいないですね。
「自分で仕立てますから官品いりません」って支給を断るわけにはいかないんでしょうか。
タンスの肥やしにするくらいなら、外では着ないからぜひ譲って欲しい。(割と本気)
とにかく帽子はこの写真を見ても少しずつ差があるくらいですから、
さぞかしそのころの官品は安かろう悪かろうで刺繍など雑だったんだろうと思います。
でも、いくら安く上げたくても、
「中国で自衛官の制服の縫製をさせる」(by れんほー)
これだけは、これだけはやめてくださいね。
悪用されないとも限りませんから。というか確実に悪用されますから。
帽子についても書いておくと、昔は呉と横須賀に軍帽を作る帽子屋が数件あったそうですが、
現在では、山本五十六の帽子を作ったことで有名な呉の高田帽子店だけが残っているそうです。
山本長官が中将時代に
「帽子を一つ作ってもらいたいが・・・」
と自ら来店したという話が語り継がれているようです。
ツッコむわけではありませんが、普通帽子は本人が行かないと作りようがないんじゃないかな。
官品の帽子は、黒いモールで覆われた黒の縁取り部分の内側の素材はプラスチックですが、
高田ではいまだに籐で編んだ手作りをしているそうです。
今度呉に行くことがあったらここでミニチュアの士官帽(中尉用)でも買ってきますかね。
また、
宮地洋服店という店
ではかつて呉で軍帽を作っていた「呉帽子店」の帽子を注文することができるそうですが、
帽子店そのものはもうすでに存在していません。
宮地洋服店のために職人さんが商品を提供しているようです。
今や軍帽を作る専門の帽子屋さんは高田帽子店だけになってしまったんですね。
ところで、この手前は河野海幕長でいらっしゃいますが、
パーティ会場でまじまじと近くで見ても、
全く制服が濡れた痕跡がなかった
のは不思議でした。
河野海幕長はこの向こうの若林政務次官とともに、
結構な時間外を傘なしで歩かねばならなかったはず。
約二時間豪雨の中で立ち尽くしていた北御門艦長ほどではないにせよ、
あれだけ雨に当たれば全身から水がしたたっていても不思議ではないのに。
きっと誂えるときに完璧に水を弾くような特別な加工をしたに違いありません。
・・・・それともアメダスしゅーしゅーが完璧?
ところで、宮地洋服店のサイトに通販ページがあったので、
もしかしたら、と期待してみましたが、やはり制服は自衛官でないと買えないそうです。
わかってはいましたが少々がっかりしました。
「タンスの肥やし」を欲しがってみたり、自衛隊の制服を手に入れてどうするつもりかと
あらためて聴かれると困るんですが。
(続く)