「帽ふれ」、の号令で終わった前回ですが、昨今のバラエティ番組のように(笑)
少しだけその前に戻ったところからお伝えします。
後甲板の上に整列しているのは実習幹部たちです。
よく見ると上甲板の下には海曹たちもちゃんと整列していました。
小さな自衛艦旗を振っている人がいました。
見送りに日の丸や軍艦旗の小旗を皆が打ち振る、という出航光景は
もはや過去のものになったのでしょうか。
たとえばこれは先日「ふゆづき」の自衛艦旗授与式の際、
三井造船側から来賓に見送りの直前に配られたものですが
(考えつきもしなかったけどこれを持っていっても良かったかな)
自衛隊側ではこういう旗は配らないんですね。
ちなみにわたしは当日の雨でびしょびしょになっていたのにもかかわらず
これを大切に持って帰っていざという時のために(?)取ってあります。
紙テープでの出航を行っていた頃もあったそうですが、最近では
「環境汚染の面から」
控える傾向にあるということです。
世知辛いなあ。
それくらいいいじゃないの、と思うんですがねえ。
もっとも2007年の「しらせ」出航のときは紙テープが使われたようです。
やはり行き先が南極という「海の果て」だからでしょうかね。
ちなみにここ晴海埠頭はレインボーブリッジの橋桁の高さのせいで
繋留する護衛艦にも限りがあるのだそうです。
護衛艦に限らずここをくぐれない豪華客船は年々増え、外国船の多くは
九州に泊めざるを得ないという話です。
なぜ高さ制限があるかというと、それは近くに羽田空港があるためです。
ちなみにエリス中尉の知り合いが設計した「あすかII」は通れます。
(知り合いが言いたかっただけで深い意味はありません)
最後に日本の地と「かしま」をつないでいた舫が解かれました。
艦首旗竿の下には海士が一人で立ち、国旗を降下してします。
そのときかしまから喇叭が響き渡りました。
「ソ↑シ↓レ↑ソ、ソシレソ、ソシレソ↑シ↑レッレレー」
アナウンスが告げます。
「帽、ふれーっ!」
これから5ヶ月の航海に旅立つ練習艦隊が岸壁を離れていきます。
そして「帽ふれ」の直後にタクトを振り上げた音楽隊長。
演奏するのは、もちろん!行進曲「軍艦」です。
指揮者がどうしてこちら側を向いて、しかもなぜ左の方を見ているのか。
それは、この「帽ふれ」を合図として艦上の音楽隊と、
地上の東京音楽隊が全く同時に「軍艦」の演奏を行ったからです。
地上と艦上の指揮者は互いに目で確認し合いながら
まったく同じ動きをするので、理論上はずれることは全くありません。
しかし、フネの上と遥か右手で鳴っている音楽は
実は同時でも聞いているものには生じた「時差」のために、
わたしには少し、いやかなりずれて聴こえました。
勿論このような状況ですから感動しつつもわたしの「音楽家の部分」は
この誤差が気になって気になって仕方がありませんでした。
とはいえ、さすがに目視で指揮を完璧に合わせているので、
「かしま」が動きだし、地上の音楽隊の前を通過するときには
ひとつの「軍艦」として耳に聞こえてきました。
そして「軍艦」はいつのまにか「蛍の光」に変わります。
帽ふれの瞬間。
まだ鍔に手をかけているものもいれば高々と振っているものもいます。
一部アップしてみました。
左から右に向かって「帽ふれの分解写真」でございます(笑)
ここにもつい涙ぐんでうつむく父親の姿が。(たぶん)
大きな練習艦が、岸壁を意外なくらいの速さで離れていきます。
前の方で紅白と青い縁の旗を振っている人がいますが、
これは国際信号旗で
「ご安航を祈る。I wish you a pleasant voyage.」
を表しています。
上写真の艦橋デッキ部分を拡大してみました。
上部デッキで大きく手を振っているのは湯浅海将補です。
「かしま」はもうこんなに岸壁を離れていってしまいました。
続いて「あさぎり」が前を通過していきます。
あさぎりはヘリコプターSH−60Jを搭載しています。
護衛艦として就役し、一旦2005年に練習艦に転籍しましたが、
2012年にまた再び護衛艦に再転籍しました。
練習艦として2008年と2011年遠洋練習航海に参加しています。
2011年、大震災の年の練習航海も予定通りの日程で行われたんですね。
出航の5月24日といえばまだ大変な時期だったという印象ですが・・。
練習艦隊は、旗艦をかしまとすることは例年決まっていて、随伴艦は
「ゆき」型、「きり」型からその年によって色々です。
1957年に遠洋航海が始まった(というか再開した)ときには4隻、
多いときで6隻が艦隊を編成していましたが、オイルショックの前から
「かとり」+1隻の2隻による艦隊(2隻でも艦隊なのね)になります。
現在の「かしま」+2隻の3隻態勢になったのは2002年からです。
因みに「女王陛下のキス」の2000年にかしまに随伴していたのは
DD−153「ゆうぎり」でした。
また、手を振りながら携帯で撮影しているのはインドネシアの駐日武官ですが、
この方のお名前は
「ムハマド・タワカル・サイフラク・シリク」
空軍大佐とおっしゃいます。
来賓の紹介のアナウンスが非常に読み難そうでした。途中で拍手も起こるし(笑)
右側の体の大きな人はパプアニューギニアの全権大使代理だったと思います。
駐日武官や特に大使代理だと初めてこういう行事に参加した、
という人も多いだろうと思いますが、どんな感想を持つのでしょうか。
帽子を一旦振り終わって談笑する貫禄の海将たち。
向こうにはなんとこの朝早い行事にお着物でいらした方が・・。
日本を離れる恋人に(これは絶対に嫁ではないと思う)
自分の着物姿を見てもらいたかったんですねえ。
この色の着物ならたぶん彼はどんな群衆の中からでも
すぐに彼女の居場所が分かったと思われます。
・・・・・あ、それも目的かな。
続いて最後の「せとゆき」がやってきました。
わたしの真正面に若宮政務官がいます。
「せとゆき」に実習幹部は乗っていないようで、
艦首から6〜7人くらいが下士官と幹部、あとは全員海士たちです。
セーラー服の帽振れもいいですね。
東艦長は救命浮き輪の右上で帽振れをしています。
帽子の形が違うから遠くからでもわかりやすい。
「せとゆき」がイルカに遭遇したとき艦長が子供のようにはしゃぎ、
それを見た部下が「可愛いと思った」と言っていたという話を
みね姉さんがコメント欄に寄せて下さっていましたね。
わたしもモルジブで海面を埋め尽くすイルカの大群を見たときには
子供のようにはしゃいだものですが、はしゃいでも当たり前のわたしと違い、
この人の場合は武器搭載艦の「艦長」ですからねー。
それが許されるどころか受け入れられるのは彼女の人徳でもあるでしょうが、
「男性から『かわいらしい』と思われないと、男性社会では生き残れない」
というみね姉さんのご意見もご尤もに思われます。
「この指揮官の下でなら死んでもいいと思える」
というのが旧軍時代、指揮官の将器を表す言葉でしたが、
女性指揮官の将器は
「俺たちが支えてやろう」
などと思わせるかどうか、だったりして。
こんなことを書くとフェミな方達が激怒しそうですが、やっぱり男と女は違うのよ。
ほら、たとえばかしまの森田艦長が航行中、初任士官が半端なく忙しい時に、
イルカが泳いでいるのを見つけ、バタバタしている士官たちに向かって
「ほら〜!見て見て〜!!イルカっ!イルカがいる〜」
と言ったとしたらと考えると(考えるな)・・・・
このときかしまはすっかり遠ざかり、レインボーブリッジをくぐろうとしていました。
岸壁の東京音楽隊はずっと「蛍の光」を演奏し続けています。
目の前の威容と音楽にすっかりわたしの涙腺は刺激され、
初めての出航行事に感動の涙を(サングラスの下で)あふれさせ、
「海軍好き血中濃度」が当社比1,7倍くらいに嵩じたのを自覚しました。
今までいた「かしま」はじめ練習艦隊の三隻がいなくなった岸壁は
あんな大きなフネが泊まっていたとは信じられないくらい小さく感じました。
皆は早々に出口に向かって移動を始めます。
地方から泊まりがけでやってきたのか、旅行用の
キャリーケースを引っぱっている人もいますね。
撮れた映像を二人で見ながらきゃっきゃしていたご夫婦。
さて、VIPが先ほどまで立って帽振れをしていた赤絨毯には
もう誰もいなくなっているわけですが、
自衛隊に関することなら何でもウォッチングしつづける、
それがわたくしエリス中尉の習性というものです。
VIP始め自衛隊海将海将補たちの引き上げまできっちり見守ります。
海将の前にいるのは陸・空幕長の名代で出席した
陸将補、空将補たちで、車が前にやって来るのを待っています。
海将がどこに乗るのか興味深く見ていたのですが、
向こう側のドアを副官が開け、乗り込んでいました。
「車は上官が先に乗る」と礼式参考書にもありましたね。
後部座席へは、進行方向に向かって右から上位者が乗車します。
(参考書にはちゃんと図で解説してある)
ついでにマイクロバスに乗る場合ですが(笑)
進行方向に向かって
前 1 3 5 7
← 2 4 6 8
という階級順だそうです。
軍隊の階級社会っていちいち大変。
まあそういう形式的なのも好きなところではあるんですけどね。
み な さ ん 。
わたし、画像を点検するまではこの車を黒塗りだと思ってたのですが、
このクラウン。(あれ、横浜ナンバーだ)
ネイビーブルーですよね!
さすが海自。ちゃんと細かいところまでこだわっている。
上の海将が乗り込んだ車も気がついたら紺色だし。
どうでもいいことですが、不肖エリス中尉の車も代々ネイビーブルーです。
冬の制服もこういう色にしていただきたいんですこういう濃紺に。(←しつこい)
そしてフロントグラスには「☆☆☆」のマークがありますが、
これを車両徽章標識といい、乗る人物の階級を表します。
「☆☆☆」は肩章に照らすとおそらく海将クラスでしょう。
ちなみに☆四つ、 「☆☆☆☆」は大将すなわち幕僚長となりますが、
政務官はこの式典に参加するときこの車両で送迎されます。
さて。
というディープな観察までして感動と満足の朝が終わりました。
レインボーブリッジの向こうにももはや何の姿も見えません。
彼らは今頃東京湾を航行しながら最後に見る日本を目に刻んでいるでしょう。
練習艦隊の皆さん、5ヶ月後無事で帰ってきて下さいね。
可能かどうかはわかりませんが、そのときはまたこの晴海埠頭でお会いしましょう。
岸壁に立って艦上レセプションのあの夕べから今日までのことを思い出しながら
かしまが停泊していた岸壁に立ち海を覗き込んでみると・・・
「ほら〜!見て見て〜!!クラゲっ!クラゲがいる〜」
(可愛い?)
そして、まだその場で談笑している人々もいたので、
最後にウォッチングして帰ろうとふとあたりを見回したら・・
お髭の海曹長、ここにも見つけた!
(シリーズ終わり)