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「或る元海軍大尉の孫」〜2014度練習艦隊出航行事

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出航行事の白眉、ハイライト、そしてクライマックス。
これは誰が何といおうと「帽ふれ」です。

帝国海軍からの美しい海の防人の儀式。
これは自衛隊法下に定められた礼式なのだろうか、とわたしは先日
倉島岸壁の自衛隊内売店で300円で購入した「礼式参考書」を
隅から隅まで探してみたのですが、不思議なことにどこを見ても
『帽ふれ』は礼式として書かれていません。

もしかしたら単にわたしの見落としかもしれませんが、Wikipediaでも
「帽ふれ」は「その他」とされ規則で決められたものではないような書きぶりです。

これはもしかしたら「慣例」として行われているのだろうかと思った次第ですが、
どなたか「帽ふれ」が礼式として記述されている箇所をご存知の方おられましたら
ぜひご教授いただければ幸いです。


さて、相変わらずあっちにこだわりこっちにこだわりして進捗の度も覚束ない
当ブログですが、こだわりついでに今までのエントリでその後解決した
疑問やポイントについて、今一度こだわっておきます。



この写真の陸・空将補。
この日は統合幕僚長は出席しておらず、名代で陸将が出席していたとのことですが、
この両将補も、それぞれ陸・空幕長の名代であろうということです。

ところで、さすがは日本の組織、例の「礼式参考書」にも書いてあるように、
短艇はもちろん車の座席や降りる順番も階級に応じて決まっているわけですが、
(乗用車の降車は下位者が先、ジープ、バスの降車は上位者が先とか)
こんな場合の席次にもちゃんと「上座」「下座」があるのだそうです。

陸将補二人の右側は海将で、彼らの上位に当たるのですが、行事が海自主催の、
ホストであるという立場から、海将は下座に位置しています。

海将の中にも(ここにも階級内階級が・・)先任後任で上下があり、
本来ならばその中の最先任が陸空将補の右側に座るわけですが、
階級通りには位置していないのだそうです。
こういう「席次」は全て海幕総務課が慣例から指定します。

因みにこの日出席していた海上自衛隊の海将は

海上幕僚長
幹部学校校長
教育航空集団司令官
統幕学校長

の4名でした。
ここにいる「白い服集団」の数を数えて7名、と書きましたが、
この4名以外は海将補だったそうです。


それにしてもこの写真、何度見てもなぜかじわじわくる(笑)



後ろに歩いている1佐を「陸将補の副官ではないか」と書きましたが、
1佐で副官任務に就くのは各幕僚長の先任副官だけなのだそうです。
従ってこの1佐は陸幕の課長か班長であろうということでした。

そういえばこの1佐は飾緒してませんね。

 

そしてこの隣のビルのデッキから振られていたブルーの旗ですが、
水交会の旗だそうです。
旧海軍時代の水交社をつぐものですが、現在は東郷神社内に拠点を持ち、

海洋安全保障に関する調査研究や政策提言への取り組み
海上自衛隊が行う諸活動への協力支援や先人の慰霊顕彰
地域社会活動への参加、諸団体との交流

等を目標にしている公益財団法人です。





雑談が続きますがご勘弁下さい。

この写真で「何人かの制服が黄色っぽい」とし、

「あまり綺麗に見えないのでやはり制服は純白がよろしい」

などと鬼の首を取ったように?書いたわけですが、恥ずかしながら
この制服は海自のものではなく、海保の制服だったそうです。


「支給品のでもこんな白もあるのか・・・」

と愕然と(笑)していたわけですが、後ろ向きの士官風はがこちらを向いていれば
スーツにネクタイなので海保であることがわかったはずです。
雷蔵さんも「涙無しには見られない」と書いてきてくださっていましたが、
すみません当方の確認間違いです。


そうか・・・海保の夏服の色ってオフホワイトだったのね。


「海猿」で白い制服で並んでいるシーンを見たことがありますが、
全員同じ色だから海自の制服との色の違いなどに思いが至りませんでした。
海保は夏服のことを旧海軍と同じく「第二種」と言っていますが、
これも調べてみると規定には

「薄クリーム色ダブル背広」

と明記されているんですね。
なるほど、もしかしたらこれって、海保が背広型だから海自は
旧軍と同スタイルを堂々と?制定することができたってことじゃないのかな。


ところで、海自の常装一種と云われる冬服は黒ですよね。

「ネイビーなのにどうして制服がネイビーじゃないんだ!」

とわたしは初めてそれを知ったとき不満やるかたない気分でした。
空自はどちらかというと薄いブルーで遠慮する必要もなさそうなのに
なぜ海自が紺色じゃないのか、問いつめたいと(誰に?)さえ思ったものです。

しかしこの理由は実は海保の制服との兼ね合いもあったのではないか?

そう、海保の第一種制服は紺色で帽子は白、袖に金色階級章の、

「絵に描いたようなネイビーっぽい制服」

となっています。
海自の黒制服がわるいとはけっして思いませんが、

「海保の方がネイビーっぽくないですか・・・?」

とおずおずと問うてみたくなります。(誰に?)
どちらが先に決めたのかは分かりませんでしたが、つまりこれは

「海自は海保にネイビーを譲った」(あるいは取られた)

のではなかったかと、わたくし思えてならないのです。
しかし、夏服の白は海保、海自、どちらも決して譲れない(はず)。
そこで海保に「ネイビーを譲った」(あるいは取られた)海自が、

「ネイビーは譲るが夏の純白はこちらがいただく。
ついでに同じスーツスタイルは芸がないから当方は旧軍スタイルで行く」

と強権的に(意味不明)決めたのではなかったか・・・?


はい、あくまで妄想ですが。


「ネイビーブルーに恋をして」の管理人といたしましては将来的に
海自がネイビーの制服を復活させる日が来ることを熱望します。
提案ですがそのときはスーツではなく詰め襟にすれば
海保、空自との兼ね合いなど八方丸く収まるんじゃないでしょうか。



さてお次はこの写真についてです。

小学校のときに行進の後「休め」をするときにはやはりこうやって
後ろで手を組んだ覚えもないわけではありませんが
あのときと違うのは海自式では足をあまり開いていないこと。

観閲式では脚をかなり開く「休め」を前にいた女性自衛官たちがやっていて、

「女性が脚を開いて休むのは見た目もあまりよろしくない」

のでは、とおせっかいながら思ったりしたものですが、
この休めの方法を「整列休め」といいます。

・・・・・整列休め?



これかっ・・・・・・・!

それにしてもお茶の名前になっているくらい特殊な、
つまり自衛隊限定茶、じゃなくて限定の休め、それが
「整列休め」であるようですね。
自衛隊には「整列休め」のほかにも「休め」があります。
両者の違いは後ろに組む手の位置。

上の写真は手を腰のベルト位置で組んでいます。
これは本来「気をつけ」の姿勢でいるべきところを少し緩和する場合に
適応されます。
たとえば来賓の祝辞や訓示を受けたりする場合ですね。


この日挨拶を述べた石原外務政務官は、台につくなり早々に

「休んで下さい」

と号令のかかる前に自分で要求していました(笑)
この各位スピーチについても厳密にいうと、石原政務次官は「来賓挨拶」、
観閲官だった若宮政務官は「訓示」、そして海幕長は「壮行の辞」となります。

海幕長はあくまで防衛大臣を補佐する幕僚なので、
政務官が大臣の名代として行うのが「訓示」。
海幕長がさらに訓示することはありません。

どれも一応「壮行の祝辞」みたいなもんでしょー、と思っていたら、
どれもその名称は違ったのでした。 失礼しました。


ところで、「整列休め」と「休め」の違いは何だと思います?
「休め」のときには後ろで組んだ手を下に降ろします。
つまり、この写真で言うと

湯浅練習艦隊司令官のやっているのは「休め」なのです。


湯浅海将補、総員の一番前にいたため、皆が「整列休め」なのに自分一人だけ
「休め」になっていたのにお気づきでなかったのかもしれません。


・・・・海将補かわいいよ海将補(笑)



かしま艦上の音楽隊は「君が代行進曲」を演奏しています。



もやい索を海曹海士が手動で引っ張っているように見えます。
索は機械で巻き取るのだとどこかで読みましたが、
作業の最後の方にはこういうことをしないといけないのかもしれません。

作業の間整列していた実習幹部は脇に退避しています。

もやい索の作業は「注意するように」と何度も言われるもので、
ほんの時々ですが「切れて人間が吹っ飛ばされることもある」
と聞いたことがあります。

 

舷側で見張りをしている海士は独特のサングラスをしています。
反射で異常を見落とすことのないようにでしょう。
胸にはブルーのメガホンをかけています。

真ん中の海曹が責任者となってこの作業は行われているようです。



ブイに繋留していた部分が上げられました。
この乗組員たちは「帽ふれ」で華やかに見送られることはありませんが、
彼らのこういう整然とした作業無しにフネを出航させることはできないのです。




作業が終わり、舷側に整列が再び並びました。
いよいよ出航の雰囲気を感じて皆はさかんに手を降り出します。


しかし・・・・まだです(笑)


艦首を見て下さい。
艦首旗竿には日の丸が翻っていますね。

これが揚がっている限り、出航のときではありません。



出航に当たっては国旗は降納されます。
自衛艦旗が国旗を揚げるのは停泊時の日中と決まっています。

旗竿の下に海士が待機していますが、出航と同時に降下する係でしょうか。




ところで、わたしはかしまの艦上レセプションでエスコートされ、
乗員の名札の前で立ち止まって説明を受けている間、
ものすごく既視感のあるうえ、海軍海自となじみ深いある文字配列に
目が吸い寄せられていました。

「阿川○之」

この並びだけで当ブログの読者であればピンと来るに違いありません。
わたしはこのときすでにその名前に気づいていたのですが、実のところ
海将補のお名前の「湯浅秀樹」という「ノーベル賞科学者との既視感」が
かえってあだとなり(?)

「阿川姓の親があの作家のファンだったので息子にそういう名をつけた」

そしてそういう親なので影響を受けて子息も海上自衛隊に入隊したのだと考え、
まさかその尉官が本当にあの作家の孫にあたるとは思いませんでした。

今回、招待下さった方からその事実をお聞きしてのけぞったエリス中尉ですが、
さらに驚愕したのは、彼の父親であるやはり作家の阿川尚之氏が、
この出航行事に家族として参加し、式典の最中はテントの下、しかも

わたしの近くに座っていた

ということを後から知ったときでした。
わたくしこのブログにおいてはアーレイ・バークと草鹿仁一中将の逸話を
ご著書から引用させていただき、また色々と参考にさせていただいているんですよね。

・・・別にそれだけといえばそれだけなんですけどね。

それにしても「井上成美」「米内光政」「山本五十六」の著者で、
自身も海軍士官であった人物の孫は今海上自衛隊の幹部であるとは。

阿川氏は今年92歳で、執筆活動からは引退しておられます。
自衛官になる孫に、それを知ったとき氏はどんな言葉をかけたのでしょうか。

作家の孫は旧海軍の階級でいうと大尉。
彼が大将になるのまでは無理かもしれませんが、かつての旧海軍での
ご自分の階級を孫が追い抜くのをぜひ見届けていただきたいものです。




そしてその「阿川大尉」の配置ですが、練習艦隊副官。
副官任務というのは海将や海幕長、海将補に従属するものですが、
たとえば「海将」「海幕長」という個人につくのではなく、
あくまでも「組織」に対して附される職務なのだそうです。

たとえば幹部学校長たる海将の副官は「幹部学校副官」となります。
湯浅海将補の副官、と何度も書いていますが、それは厳密には間違いで

「練習艦隊の副官」

となります。

副官とは指揮官に常に同行し、指揮官が手を離せない行事に参加中など、
一時的に連絡のとれない場合においても、幕僚や隷下部隊からの報告、
あるいは指揮官からの指示命令を双方向い中継する役割を担います。

ちなみに指定職でない将補の群司令が指揮する部隊では、
兼務発令を受けた幕僚が副官を務めます。
例えば護衛隊群司令部では、気象幕僚が副官を兼務する場合が多いとのことです。



ところで、練習艦隊副官・・・・言うことは、



この大尉ですね?




舳先と岸壁をつなぐ舫索だけがいま「かしま」と日本の地をつなぐものになりました。
このときにはかしまは静かに舳先を岸壁から離しつつあります。
さっきまで立派になった息子の晴れ姿に涙を拭っていた母親も、
若い妻も、ガールフレンドも、勿論父親たちも・・。

皆がいつの間にか手を降り始めています。 



今出航せんとする「かしま」の艦橋デッキ。
下のデッキは艦長始めかしまの上級幹部たち。
上に見える黄色いストラップの双眼鏡をかけているのが
練習艦隊司令官である湯浅海将補です。

隣の練習艦隊副官は緑のストラップですが、
緑は「幕僚」の使用する色だそうです。

下でトランシーバーを握っているのは久保1佐で、
前回にもお話ししたように久保1佐は「主席幕僚」ですが、
それより1佐という階級が優先されるため青のストラップをつけています。

何から何まで海上自衛隊というところは慣例に従った決まりがあるのですね。


そのとき、号令がかけられました。



「帽ふれ!」



続く。




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