2014年度練習艦隊の出航行事についてお送りしています。
「練習艦隊はどのように編隊を組んで航行するのだろう」
とその画像を探していたのですが、なんと艦上レセプションのときに
全員に配られたパンフレットの表紙にその写真があったという・・・。
パーティで受け取るなりTOに持たせたので、ちゃんと見たのは昨日なんですよねorz
旗艦がかしま、手前がせとゆき、向こうがあさぎり。
このパンフには各艦のスペックと艦長の写真もありました。
あさぎり艦長の川内2佐って、こうして見るとイケメンー。
そしてそういえばあさぎりの副長はたしか女性だったかと思うのですが、
今回はご尊顔を拝すことはありませんでした。
出航準備でずっと在艦していたのかもしれません。
お二人の写真をちゃんと撮れなかったのが残念。
かしま艦長の森田1佐は雷蔵さん情報によると艦長が3〜4回目だそうです。
そして、艦隊司令の湯浅海将補は、
これも雷蔵情報によると「早い時期に小さな艦の艦長を務め、
そのまま地上職にGO!な方だそう。
この経歴からもそういうことが読み取れますね。
さて、前々回練習艦隊の寄港地を文字で記しましたが、
戴いたパンフにはこんな情報もありました。
これによると5月24日現在、練習艦隊は一路パールハーバーに向けて
航海しているところ。
ハワイ到着は6月3日予定なんですね。
わたしも6月後半から恒例のアメリカ生活なので、サンディエゴのときに
「追っかけ」ができたらなあとちょっと思ったのですが、
残念ながらスケジュールが全く合いませんでした。
ちなみに実習幹部たる初級士官の数は総員約730名のうち172名です。
ところで出航行事のご報告途中ですが、このパンフのことが出たので
ついでにレセプションが終わって退出するときの写真を。
レセプションが終わったのは8時過ぎでした。
夜の自衛艦は初めてです。
明かりが実に幻想的です。
かしまの船務長とかかな?
練習艦隊司令部と一緒に行進してきたとき、すぐに
「かしまの舷門で挨拶していた1佐だ」とわかったのですが、
後から教えていただいた所によると主席幕僚の久保1佐とのこと。
式典の写真をもう一度。
司令官らと一緒に行進して花束も受け取り、総員の右前に立っています。
このときに金モールをしているのに、かしま艦上ではしていないことに注意。
首席幕僚が飾緒を着用するのはこの出国行事からなのです。
ちなみに海上自衛隊において、金色の飾緒を着用するのは
海外において渉外事務を行う練習艦隊首席幕僚と防衛駐在官のみです。
ところでこのときなぜ舷門で帽子無しでいるのか(だから敬礼でなくお辞儀?)
はわかりませんでした。
レセプション参加者には舷門でこのカップ酒が
一人に一つお土産として渡されました。
わたしたちは二人で行ったので二つの意匠のものが手に入りました。
右側が練習艦隊のトレードマークのようです。
左側は(ひっくり返っててすみません)北斎の波に富士。
おそらく外国の寄港地でもこれが配られるのでしょう。
うちは誰もお酒が飲めないのですが、ありがたく料理に使わせていただきます。
というところで出航行事に戻ります。
舷側に綺麗に実習幹部たちが整列しました。
海曹たちがラッタルを駆け上がります。
・・・・これ、登ったことのある方はご存知だと思いますが、
歩くだけで結構揺れるんですよね(笑)
レセプションのときは
手すりも幕も張られていますが、それでも歩くたびにぐらぐら揺れるので、
特にパンプス着用の女性にはちょっと怖いくらいです。
それを、この海士はこんなむき出しの状態で(しかも1段抜かしで)駆け上がるとは。
こんな小さなことにも日頃の鍛錬ぶりが表れている気がします。
総員乗艦し、いよいよ出航準備はラッタルを外すところに来ました。
前々回、艦隊司令部がラッタルを降りてきたときに、下で海曹が
コードのようなものを握ったまま敬礼していましたが、
これはどうやらラッタルを引き揚げるためのワイヤーだったようですね。
ピーッ、ピーッ、という音と共にラッタルが上げられます。
ああ、わたしは9日前これを降りたんだなあ。
次にこのラッタルが地上に降ろされるのは12日後。
その地はハワイのパールハーバーです。
さきほど前甲板でミーティングをしていた海曹海士が、
舫索(もやいさく)を引き上げにかかっています。
勿論引き上げるのは機械ですが。
ところで、彼らの後ろに砲が見えますね。
いかにも手描きのようなデッサンの狂った(失礼)旭日旗が貼ってあります。
これは・・・もしかしたら
礼砲?
そういえば艦上レセプションのときに艦内を見学しなかったのですが、
後からご招待下さった方が
「礼砲始めかしま独特の装備をお見せすれば良かった」
とおっしゃってましたっけ。
これはぜひお見せしていただきたかったなあ・・・。
wikiの「礼砲」のページにあった米海軍の礼砲発射の瞬間。
士官はヘッドホン無しで凄いですね。耳栓でもしてるのかな。
礼砲はたとえば
軍艦が外国領海内に入り答砲し得る軍艦、砲台がある場合は
当該国の国旗に対し21発の礼砲を行なう
と旧海軍時代でも「海軍礼砲令」で決められていたように、
自衛隊でも「自衛隊の礼式に関する訓令」でその詳細が決められています。
それによると
練習艦隊は訪問国の国旗に対し入港時21発の礼砲を行う
外国の元首の旗章に対し、21発の礼砲を行う
2カ国以上の元首がいる場合は国名アルファベット順
停泊中の外国の軍艦に掲揚されている主席指揮官の旗章で司令官より
上級の階級の軍人の旗章に対し行う
上は入港時の礼砲ですが、その他停泊時、答砲といって
他国から受けた礼砲に対し、同数の砲を撃つということも
細かく規定されています。
また、礼砲は日没後、日の出前には行わないと決まっています。
日曜日にも行いません。(宗教上の理由に配慮?)
その必要が上記の日時に生じたときには翌日に行います。
専用の礼砲は小型で、一発ずつ手動で撃ちます。
CIWSやオトーメララ製では代理はできません。
21発、あっという間に撃ち終わってしまいますから(真剣)
規定によると、礼砲等の発射感覚は5秒が基準とされています。
撃ち始めてから撃ち終わるのに100秒かかるということですね。
それにしても、礼砲に付けられた自衛艦旗、いいですね。
それから、礼砲は
発砲禁止の場所では行わない
そりゃそうだ。
さて、そのときするする、という感じで旗旒信号が上がりました。
残念ながらこの映像では旗がなびいていないため、
知識のないわたしには上げられた信号の意味はわかりませんでした。
きっと「ああ!」と納得するようなことだと思うんですが。
最初の旗は「航海の無事を祈る」とかかな?
右側のもやい索を外し終わり、今度は左側です。
この頃、音楽隊は「太平洋行進曲」を演奏し終わり、
「君が代行進曲」を演奏し始めました。
・・・・・やっぱりこれは演奏曲が決まっているらしい(確信)
わたしの出身小学校は鼓笛隊でこの曲をやりました(笑)
持って歩く鼓笛隊用のシロフォンを演奏した覚えがあります。
東京大学の卒業式で「中国人と韓国人の学生に配慮して」
君が代も日の丸も廃止するというような現在の日本のヘタレ教育現場では
(わたしはこのニュースを聞いて血が沸騰するかと思いました)
小学校で「君が代行進曲」をやるようなことはもうないのかもしれません。
考えたら昔は社会に今よりずっとまともな部分もありましたよね。
右手に森田艦長が見えます。
見る限り三人の2佐がここにはいますが、副長、船務長そしてもう一人は砲術長?
艦長の森田1佐アップ。
いやー、絵になるなあ。
この人「艦長になるために生まれてきた」って感じですねえ。
見送りの人垣の中に家族か知人がいて、彼にだけわかるサインを送ったのでしょうか。
ポーカーフェイスが破顔一笑。
押さえようとしてもどうしても体の中から笑いがわき上がって来てしまう、
そんな感じの表情です。
こちらもつい笑顔になってしまいました。
後ろの海士のペンネントには
「日本国練習艦隊」
と金文字で書いてあります。
この航海のために特別に作られたものを使用しているようです。
おそらく航海が終わったら正帽から外し、そのペンネントは
また来年の練習艦隊に乗り組む海士に受け継がれるのでしょう。
隊員の家族はできるだけフネの近くに立つために
ほとんど全員が柵の前に出ていましたが、
わたしは柵の後ろからすべてを見ていました。
ブイにかかっていたもやい索の輪の部分がまた一つ引き上げられました。
練習艦隊には彼らの活動を記録する大事な任務を負った写真部隊も随行します。
この写真、映像はじめ医療、音楽、調理、修繕、航空・・。
乗組員730名の役割はさまざまです。
5ヶ月の間その艦隊生活はまったくの「自己完結」で行われるわけですから。
その間ずっと拳をグーにして立ち続ける初級幹部たち。
それぞれの胸に去来する思いは様々でしょうが、ここに見送りにきた
彼らの家族への思いはきっとみな同じものであったはず。
そして中には眼下に自分の母親のこんな姿を認める息子もいたはずです。
カーチャンが大きな赤いマジックインキで書いた
「ファイト!」の文字。
ああ、うちのカーチャン、あんなことして・・・照れくさいなあ。
だいたい、今時「ファイト」って、何だよ。
リポビタンDの時代じゃないんだから、もうそんなの死語。死語の世界。
おまけにカレンダーの裏に書いたりして・・・。
でもあれ、わざわざ家から丸めてここまで持ってきたんだな。
俺のために昨日の夜一生懸命作ってくれたんだな・・・・・。
(僭越ながらこれを見た息子の心境を例によって勝手に妄想してみました)
今、鹿島は太平洋の真ん中を航行中。
毎日の実習幹部としての厳しい訓練作業の合間に水平線をながめながら、
彼は母親の書いた「ファイト!」の文字をきっと思い浮かべることでしょう。
後甲板の実習幹部たちは翻る自衛艦旗の元に立っています。
さあ、いよいよ出航のときがせまってきました。
そのとき、わたしの目の前で・・・・
門出する息子に涙を見せまいとしてのことでしょうか。
続く。