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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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「太平洋行進曲」〜2014年度練習艦隊出航

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今日、5月27日は海軍記念日です。
この日にこんな画像を揚げられることを大変好運に思うエリス中尉です。 


さて、2014年度海上自衛隊の練習艦隊出航行事、栄誉礼に続き
来賓の挨拶、海幕長の壮行の辞も滞りなく済み、
乗組員たちが総員各艦に乗艦するため行進を始めます。

この海曹は最後の方に前を通過したのですが、口髭といい、
潮気に揉まれたようなその陽焼けした面構えといい、
まるで帝国海軍のベテラン下士官のようで(実際もベテラン海曹ですが)
わたしは彼が向こうからやってきたとき心の中で「おお」と声を上げ
何枚も写真を撮りまくってしまいました。

こういう顔を見ると、「海上自衛隊」より「海軍」、海曹より「下士官」
という言葉の方がしっくりくる気すらしてきます。
貫禄があるのも当然、彼の階級は海曹長、つまり海曹の最高位にあります。

そして彼の右胸の金色の徽章は、

「護衛艦隊等先任伍長」

この方はすなわちこの練習艦隊の全海曹のトップ!
うーん・・・やっぱり。


この日、お髭の海曹をこの人を含め二人見ました。
海軍の映画でも下士官の長は・・・・陸軍の軍曹もですが、
口髭を立てているのがほとんどです。
荒くれ者もいるかもしれない下士官兵たちの上に立ってがっつりまとめ、
士官とのパイプ役にもなる役職ですから、髭をその一助にして
貫禄を出そうとする曹長が多かったのかもしれません。

口髭は決して無精髭と違って無精な者には立てられるものではなく、
あれで手入れが大変だそうですから、分刻みのスケジュールで動く
艦隊勤務の自衛官にはよほどの思い入れがないと無理かもしれません。

でも、この海曹長のお髭は押し出しの良さは勿論、彼自身のパーソナリティ、
ベテラン海曹としてのヒストリーや海の男の誇りを含め、
初めて見るものにもその「海軍魂」がびんびんと伝わって来るようでした。

海自にももっと「お髭の将官佐官」が増えてもいいのになあ、と
こういうかっこいい人を見ると思います。



さて、ここは駐在武官席並びに政治家席。
ここにいる外国人たちは

パナマ全権大使代理、パプアニューギニア全権大使代理、
オーストラリア武官、インドネシア武官、ニュージーランド武官、
フィリピン武官などなど。

ところでどうして皆空を見上げているの?

特に一番向こう側で思いっきり首をひねっているお方・・・
これは・・・・・



ゲルじゃないか〜!

「大和より武蔵が好き」

というのが決め台詞、政界きってののモデラー兼ミリオタ石破茂氏。
向こうで拍手している民主の元文科相()と違って、取りあえず石破さんの場合は
こういう式典に呼ばれて実はワクワクドキドキしている・・・・はず。
もしかしたら自衛隊には

「出航行事等があれば必ず俺様を呼ぶように」

と直々に通達が出てるかもしれないなこの人の場合。



ちなみにこのとき皆が見ていたヘリコプター。



さて、続いて花束贈呈の時間。
練習艦隊司令長官(ちょっと言ってみたかった)湯浅海将補始め
かしま、あさぎり、せとゆきの艦長に東京都の港湾関係部署の代表などから
花束が渡されます。



湯浅海将補の受け取った花束は、すぐさま副官に手渡されます。
こういうときの副官の花束の持ち方もあるいは決まっているのか、
実にエレガントな所作で花束を抱えて立つ副官でした。

副官ってこういう任務もあるんですね。



その後、練習艦隊司令官の出航に当たっての辞。

「半年後、全員元気でここに帰って参ります!」

と湯浅海将補は元気な声で挨拶しました。



そして・・・・・音楽隊が乗組員たちの乗艦のために演奏したのは、

「行進曲 軍艦」。

ああもうなんて素晴らしいんでしょう。
涙管が閉塞していて少しの刺激ですぐ涙が出てしまうため、
日差しのきつい埠頭でのこの行事にずっとサングラス着用で臨んだわたしですが、
涙防止のサングラスの下でもこの瞬間容赦なく涙があふれて来るのを感じました。

なぜ、と聞かれても困りますが、儀式そのものの様式美、
整然と並ぶ白い第二種軍装の集団、それが歩を進めくろがねの城に乗り込むとき、
他でもない行進曲「軍艦」が演奏される瞬間・・・・。

「ネイビーブルーに恋をしてしまった」わたしのような者に対し、
これらに感涙するなという方が無体というものです。




行進の先頭ががVIP席に来たとき、観閲官の若宮氏が
湯浅海将補の手を取りました。(しかも両手で)

いくら政治家というのが「前に人が来たら脊髄反射で手を握ってしまう」
という習性の生き物でも、こういう場面では普通あまりしないと思うのですが、
若宮氏は政務官として初めて見るこの一連の海の行事に心から感動を覚えたため、
それを表したのではないか、とわたしは非常に好意的に解釈していました。

湯浅海将補も手を握られて嬉しそうです。
海将補かわいいよ海将補。

それよりわたしは後ろのいつも控えめながら実に切れ者らしい怜悧な目をした
海将補の副官が、二人が手を握り合っている間足踏みをして終わるのを
待っていたのかどうかが今更気になりました。

副官、何かと大変な役職です(笑)



家族席の前を敬礼しつつ通り過ぎる湯浅司令官。
もしかしてカメラを見て下さってます?



相変わらず絵になる巨漢のかしま艦長森田1佐。



花束を持っているのは全員1尉で各艦長の副官たち。
あさぎり艦長の川内2佐の副官(だったとおもう)。



ご存知、せとゆき艦長東良子2佐。
前にも書きましたが東2佐は防大の女子1期生で、今年39〜40歳。

日本では勿論この1期生が初めて武器搭載艦の艦長になりましたが、
米海軍では「女性艦長」を誕生させようと2003年、
イージス艦の艦長に女性を任命しました。

ところがアメリカ海軍はどうやら「企画ありき」で、人物を厳密に考察し
人選するということを怠ったらしく、この女性艦長、
部下に対するあまりにも酷いパワハラを常習的に行っていたため、
ついに横須賀の「カウペンス」艦長のときに解任されてしまいました。

男性の軍人なら本来艦長などにはなれないようなレベルの人物を、
女性ゆえ大抜擢してしまい、それがあだになったというところです。

このグラフ大佐という女性艦長は「海軍一家」の出ですが、
防大女子1期生も親はかなり上の幹部ばかりだったという話があります。

グラフ大佐の場合それが悪い形で出てしまった(傲慢で女王体質という意味で)
と思われますが、我が日本国自衛隊の女性艦長には色んな意味で
考えられないというか、ありえないことのような気がします。



東艦長の副官。



さあ、そして実習幹部たちの行進が続きます。
観覧席の人々が軍艦に合わせて手拍子を打っているのがお分かりでしょうか。
近くを通る彼らを思いっきりアップで彼らの表情を撮ってみました。
練習艦隊「国防男子」の凛々しい行進の様子をどうぞ。















ついニコニコと歯を見せてしまう実習幹部もいました。
これからの航海への期待と希望で喜びがあふれだしているようです。
見ているこちらもつい笑顔になってしまいます。













まっすぐ前を見ながら歩きながらも家族席の前ではつい
家族の姿を探してしまうものかもしれません。

ちなみに彼が左胸に付けている徽章は「体力徽章(乙)」
(この乙はおつかれの乙ではありません)といって、
年1度行われる体力測定で1級を取ったという印なのだそうです。

そういえばいにしえの昔のことになりますが、不肖エリス中尉、
体力運動能力が頂点であった中学1年のとき、スポーツテストで、
全校でも4人しか取れなかった1級を一度だけですが取ったことがあります。

わたしがその後のテストで二度と1級にはなれなかったように(笑)
彼らももし来年度のテストで1級が取れなかったらそのときは
このバッジは返還せねばなりません。

このバッジは通称「逆さベンツ」といい(確かに)、
この真ん中のYの字が金色の(甲)は、水泳のテストでも1級を取れば付与されます。

ただでさえ体力がある者は世間よりずっと尊敬される自衛隊ですから、
体力章(甲)をもっていたらちょっとしたヒーローでしょう。



 

 

 





国防女子も行進。






行進は整然と続き、舳先から舷側に並んでいきます。



舷側に整列していく彼らの後ろを通って音楽隊がスタンバイ。



これが行進最後尾です。



前甲板にはもうきっちり並び終えた模様。



こちらは後甲板。
舷側に立って帽ふれをするのは練習艦隊では実習幹部だけのようで、
海曹・海士は乗艦するなり配置に就いたようです。





音楽隊が位置に着きました。
ちょうどフネの真ん中あたり、ボートダビットの真下です。
まだ演奏は始まっておらず、隊員は楽器に息を吹き込んでウォームアップを行っています。



そして、隊長は後ろの様子を見ながら演奏のタイミングを窺います。
全員が乗艦して出航準備が始まったら彼らの出番です。



テントの下から移動してきた家族は柵の前に出て、
自分の家族や恋人である実習幹部の立っている場所の
出来るだけ近くに立とうと移動を始めました。

観閲官や政治家、駐在武官や大使館員、そして海自将官、OBは
ラッタルの前あたり、つまり艦長が立つデッキの下で見送りです。

わたしは柵の後ろから見送ることにしました。
家族に遠慮して、というか、彼らを見送る家族や恋人の様子をも見るためです。



頭をしゃんと上げて起立していますが、目だけ動かして、
自分の家族や知人がどこにいるのか彼らはちゃんと見ているようでした。

彼らはこのままハワイの真珠湾まで海の上を一路進んでゆきます。
つまりこのとき行進で踏みしめた晴海の埠頭が最後に踏む日本。
次に彼らがここ晴海に帰って来るのは五ヶ月後の10月です。

その感慨もひとしおであろうとわたしが彼らの心境に思いを馳せた瞬間、




艦上のかしま付き音楽隊が地上の東京音楽隊に変わり演奏を始めました。
曲は何だったと思います?




海の民なら 男なら 
みんな一度は憧れた 太平洋の荒波を 
ともに勇んでゆける日が きたぞ 歓喜の血が燃える 

そう、「太平洋行進曲」だったのです。
またしてもこの曲に激しく刺激されるエリス中尉の涙腺でした(笑)


続く。









 


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