SH−60Jのコクピットで写真を撮り、売店に向かいます。
売店の並びには地本のテントが結構大きなスペースで立ち、
こちらはさすがに満員御礼というわけではありませんでしたが、
自衛隊に入隊について資料を受け取っている妙齢の()男子が
親御さんと一緒にテントの下にいたりしました。
噂によると、こうやって資料請求した若者のうちには
その後地本から繁く連絡が来るようになるそうです。
一度興味を示したら最後、精鋭の地本にロックオンされる。
ってことでよろしいでしょうか。
そして、未来の自衛官候補を確保すべく、お子様サービスも。
自衛隊的にはこれが公開の主目的なんですよね。
見学者は「客」じゃないの。
分かる?
日向に並んでいるときに
「客のことをちっとも考えない、やっぱりお役所仕事だよ」
と大きな声で文句を言っていたおじさん。
ここは自衛官の制服に着替え、パネルの前で写真を撮るコーナーです。
セーラー服を着ているペンギンのセリフは
「みんなとーってもにあうYO!」
ペンギンかわいい。
ちゃんと翼の先が制服から出ているのを評価する。
なぜあちこちにペンギンがいるのか。
それは変身コーナーが「南極の石コーナー」と同じところにあるからです。
砕氷艦「しらせ」の運んできた南極の石。
前回は南極の氷も展示されていたのですが今回はどうだったでしょうか。
(急いでいたので立ち寄りませんでした)
ところでこのリアルな等身大ペンギンのぬいぐるみ。
どちらもHITACHIのマーク入りです。
日立製作所と「しらせ」に何の関係があるのか?
調べてみるとこういうことが分かりました。
日立は3年前、国立極地研究所から、
風力発電機利用水素発電システム
を受注しています。
南極昭和基地では、ディーゼル発電機で発電した電力を
各種観測機器の運用および生活用の電力源として使用しており、
南極観測に必要な物資は、南極観測船「しらせ」により輸送されます。
これらの物資のうち、ディーゼル発電や車両用の燃料が
総輸送量の約半分を占めていたのですが、それに限界があるため、
風力発電や太陽光発電など再生可能な自然エネルギーを利用することにし、
その技術を日立が請け負ったということのようです。
だからといって、なぜこんな巨大なペンギンまで日立が製作したのか
それはそれで謎ですが。
さて、じえいかんにへんしん!コーナー。
さすがは気配りの自衛隊、手荷物をバスケットに預かってくれます。
こういうのは広報の仕事らしく、見えている腕章はどちらも
「広報」と書かれています。
で、彼らの被っている所属を表すキャップなのですが、
テント奥の年配の海曹のキャップには
DISTRICT HEADQUARTER
とあります。
直訳すると地区司令部なので、地方総監部という意味でしょう。
子供の前にいる男女2人の自衛官のキャップには
HEADQUARTER YOKOSUKA DISTRICT
とあり、これで「横須賀地方総幹部」となります。
さらに、左手の髭の隊員の向こう側に一人いますが、
その帽子には
C.P.O
とあります。
これはCIEF PETTI OFFICERの意で、米海軍なら一等兵曹、
自衛隊であれば一等海曹となるはずです。
ついでに言うと、そのお髭の隊員は海曹長です。
(やはり髭を生やすのは海曹長にならないとだめ?)
晴海の練習艦隊出航式で目撃したお髭の関先任伍長も横須賀でしたが
ベテラン海曹は髭を生やすことが暗黙の了解になっているのかも。
そのとき突然、「ゆうぎり」の主砲の動的展示が始まりました。
このときにたまたま「ゆうぎり」の甲板にいた人はラッキー?
と思ったのですが、案外近くで見るよりこの辺りから見た方が
ダイナミックな動きが分かりやすかったと思います。
主砲はオトーメララ76mm砲。
初めてオトーメララが動くのを実際に見ることが出来ました。
なぜか全然初めてのような気がしませんでしたけど(笑)
しかしこのような角度を砲身が向いている様子は初めてです。
こんなに屹立しているのはさらに初めてです。
オトーメララ社のビデオでは実弾を撃っていましたが、
砲身は決して上を向きませんでしたから。
動くのを見ていて思いましたが、巨体なのに意外なくらい
回転や俯仰(←覚えたばかりの自衛隊用語)が速いんですね。
ところでわたしは観艦式で「ひゅうが」の動的展示を見たことがあります。
「CIWSくんとミサイルくん」
という寸劇だったのですが、実際にCIWSがダンスしたりお辞儀したり、
空砲を撃ってみたりというものでした。
(ミサイルくんには萌えました)
ついでに「ひゅうが」のCIWSの動的展示のように、
空砲を撃ってほしかったけど ・・。
ところで「ゆうぎり」について書いたとき、何か大事なことを
書き忘れていたような、さらに昔「ゆうぎり」について何か書いたような、
そんな気がしていたのですが、ここに至って思い出しました。
実は「ゆうぎり」は、1966年、環太平洋合同演習(リムパック)参加中、
標的曳航中米海軍のA-6艦上攻撃機、イントルーダーをCIWSの誤射により
撃墜するという事故を起こしていたのでした。
誤射で僚機を撃墜するという事件なら、1995年、F−15イーグルが
アームスイッチが入ったままになっているのに気づかず、
ウィングマンを撃墜してしまったという事故がありますが、
外国機を撃ち落としてしまったのは後にも先にもこの「ゆうぎり」だけ。
そういう意味でthe one and onlyな自衛艦といえます。(意味不明)
しかしものは考えようです。
この件では、実際に訓練で決して撃つことが出来ない実機の撃墜という
得難い経験値を得た上、ミサイルで迎撃するだけでなく航空機には
CIWSも案外有効だったのね、と全世界が知ることになりましたし、
幸いにしてパイロットは無事に脱出し人的被害はなかったので、
・・・・まあいいんじゃないかな。(適当)
特にオトーメララ社なんかは最高のサンプルいただきました!
って感じで内部ではお祭り状態だったのではないかと思います。
因みにF−15の誤射撃墜事件も、ウィングマンは脱出して無事でした。
つまり自衛隊は、その歴史上誤射による殉職者は出していないということです。
おお、「ちびしま」の前にピクルス王子とパセリ嬢が!
畏れを知らぬ子供2人が近づいていっております。
男の子はピクルス王子の両手を握っている模様。
右側のカメラを構えているのはお父さんかな?
ところでこのパセリ嬢ですが、前回登場のときに雷蔵さんが
「先任伍長かな」
とおっしゃっていたので写真を拡大したところ、海曹長で、
先任伍長は間違いありませんでした。
いるんですね・・・女性の海曹長が。
因みにピクルス王子は1等海曹なので、ガールフレンドより階級が下、
ってことになります。
自衛官同士の夫婦では「奥さんの方が上官」というパターンは
結構あるようです。
そういえば、オリンピックでメダリストになったレスリングの選手、
確か夫も自衛官で、奥さんの方が階級が上だったと記憶します。
しかしながら、ピクルス王子の場合、さすがにわざわざ日本に留学に来て
自衛隊で与えられた階級がカールフレンドより下、というのは
プライド的に内心忸怩たる思いではないかと思うがどうか。
それから2人とも、帽子は幹部で首から下が海曹ですが、
この辺は暖かくスルーしましょう。
さて、というわけで、基地内の見学が終わりました。
お土産を購入し、外に向かいます。
先ほど皆の前をノリノリで滑走していたボートが、
任務が終わったのか停泊しています。
海自の水上迷彩ってかっこいいわ。
画像を探してみると、海自では水中処分母船の隊員が
ちょうどこのような水上迷彩を着ていました。
もし水中処分員だとすれば、この隊員たちは
1、25mを潜水したまま泳げる。
2、45mを途中4回までの息継ぎで潜水したまま泳げる。
3、何の泳法でもいいから400mを10分以内で泳げる。
4、水深3mから5kgの錘を水面まで持ち上げられる。
5、足ヒレを使用し背泳ぎの態勢を取り
胸に5kgの錘を乗せて水面を25m運搬できる。
というとんでもない水中応力検定をくぐり抜けてきた
いわば海自のレンジャー部隊みたいな人たちであるということになります。
ちなみにわたしは小学生のとき潜水は20mまでいきましたが、
それ以上はどんなに頑張っても無理でした。
今ならせいぜい10mでしょう。
それにしてもこの5番ですが。
ひれを付けて背泳ぎになり胸にものを乗せて運搬って、
・・・・ラッコを想像したのはわたしだけでしょうか。
なぜこのようなラッコのような能力が検定条件になるのか。
まさか爆薬を胸に乗せて運ぶという仮定・・・?
水中処分員かどうか全く裏が取れないままにお話ししていますが、
空自にも救難隊のスーパー隊員がいますし、空挺レンジャーだけが
人並みはずれた体力を要求される部隊ではないってことですね。
ちなみにこの水中処分員のモットーは
適切な判断力、俊敏な行動力で任務を果たして必ず帰還
最後の「必ず帰還」に目標のすべてがあると見た。
門のところまで戻ってきました。
さすがに今から行こうという人はまばらです。
前回も写真を撮った同じ場所から今日も「てるづき」を撮ってみる。
こうして見るとステルスマストはかなり後ろに傾いでいる感じ。
門の前にスクリューがあります。
護衛艦「あまつかぜ」
のスクリュープロペラであると書いてあります。
「あまつかぜ」はあのアーレイ・バーク海軍大将と当時の海上幕僚長が
ターターミサイルを搭載した新鋭艦を海自が持つことを検討し、
そして生まれた最初のミサイル護衛艦でした。
日本初の艦対空ミサイル装備艦であっただけでなく、
現代武器システムの運用について貴重な経験を提供したほか、
船体・機関設計でも後に多くの影響を残した歴史的な艦だったのです。
ここにそのプロペラが飾ってあるというのも、この艦のそういった
海自にとっての重大な役割を思えば当然のことであるといえましょう。
前にもここの写真を掲載したことがあるのですが、
そのときにはこの前にある松の木のうちの一本が
当時横須賀地方操艦であった三木海将補(当時)であったことを
お話ししておいて、もう一本の松について言い忘れていました。
この松は、アメリカ海軍第7艦隊の司令が植えたものだったのです。
あらためてそれに気づいたのは、昔のこの場所の写真を何かのきっかけで見たとき、
ここには二本の松は勿論のこと、この錨もなかったことからでした。
横須賀軍港でずっと使われてきたこの錨をここに飾ることになったとき、
両軍の司令官が共に植樹を行い、第7艦隊と自衛隊の、ひいては
日本とアメリカの友情の証としたということのようです。
続く。