話が横にそれて論議になったり、本人が間違えたりで、
こういうエントリになるとなかなか波瀾万丈の進行になり、
それはそれでまた(本人が)面白いなどと思うエアミュージアム訪問記。
今日ご紹介する飛行機は?
まずは
IL-14 CRATE(イリューシン14;Ил-14イール・チトィーリナツァチ)
イリューシンとは正確には公開株式会社「S・V・イリユーシン記念航空複合体」
といい、ロシア連邦の航空機メーカーです。
クレイトというのはNATO(北大西洋条約機構)が東西対立の頃
東側の装備に対して付けたコードネーム。
零戦を「ジーク」紫電改を「ジョージ」彗星を「ジュディ」という風に、
日本軍の装備を米軍が勝手に名付けて呼んだのがコードネームの始まりです。
このイリューシンの制作したイリューシン Il-2は「襲撃機」という意味の
「シュトルモヴィーク」という名で呼ばれていた決定的な武器の一つでしたが、
第二次世界大戦中ドイツ軍には「空飛ぶコンクリートトーチカ」などと呼ばれ
恐れられたものだそうです。
イリューシンはまだ存在し、現在は「IL-76」を造っているとか。
この航空機は大変貴重なもので、元々はソ連で造られ、その後
ポーランド空軍で使用されていました。
この機体がいつ、いかなる事情でアメリカに来たかはわからないそうです。
ところでこのイリューシン、内部がまだ生きている、つまり飛行可能です。
エアショーなどで飛行させる計画をしているのですが、問題は
英語の操縦マニュアルがない
(ので飛ばせない)
ということだそうです。
IL-14が配備されていたインドとエジプトでは英語のマニュアルが配られていた、
ということなのですが、それが現存しているかどうかも分からない状態。
というわけですので、これをお読みの方の中でもし英語のマニュアルを
持っている方があれば当博物館に連絡してあげて下さい。
F-4C Phantom II
1995年に当スタッフがこの機体をシエラ陸軍デポで
発見したとき、もう少しで砲術訓練の標的にされる運命でした。
カリフォルニアの北部にレノという街があります。
タホ湖という、冬にはスキーも出来る湖の近くにあるカジノの街で、
このあたりは普通のホテルであってもロビーがカジノだったりします。
わたしは一度カリフォルニアとネバダの州境に立っているため
「カルネバ」とまるでレバニラのような名前をつけられたホテルに
泊まったことがありますが、そのことを先日知り合った
トルコ人のエンジニアに話したところ、おじさんは
「そこはJFKとマリリンモンローの密会の場所だったんだよ」
と実にどうでもいいことを教えてくれました。
ちなみにこのおじさんはホールフーズのイートインで近くに座ったときに
声をかけてきたのでお話ししたというだけの人なのですが、
やたら懐いてきて、やれディナーをとか
やれ週末にサンフランシスコに連れて行ってあげるとか(知ってるのに)
盛んに誘いをかけてきたり、スシの話になったときわたしが
「日本に今度仕事で来ることがあったらわたしと夫が
世界で一番おいしいスシをごちそうしますよ」
とお愛想でいったところ、
「いや、わしゃあんたの旦那には別に会いたくないから
あんた一人で案内してくれ」
と言ったり、落馬の話になって手首をちらっと見せたら
いきなり怒濤の勢いで手を握ってきてものすごく気持ち悪かったので
それっきり連絡先を教えていません(笑)
せっかく前半トルコ航空の話とサビハギョクチェンの話で盛り上がったのに・・。
話がそれましたが、なにしろそのレノにある陸軍基地に
この機体はもう一機のファントムIIとともに放置されていました。
軍当局者はそれを処分することにし、その受け入れ先を探していたところで、
そこにこのミュージアムが立候補し、そのうち一機を獲得したということです。
ベトナム戦争の主力戦闘機はF−4ファントムIIでした。
冷戦期の代表的な戦闘機で、ベトナム以降西側諸国で使用され、
我が自衛隊でもライセンス生産による導入がなされました。
「野生のイタチ」とあだ名されたファントムIIも、より高速で
より機敏で、より優れたアビオニクスが搭載されたF−16sやF/A-18sに
その座をゆずって行くことになります。
コクピットの下に書かれたパイロットの名前は、この機体823の
最後のクルーであろうと思われます。
ミュージアムのクルーは、精魂込めてこの機体をレストアしました。
エアインテークのカバーに描かれたこの絵を見よ。
スナフキン?のような爆弾人間は、その旨に「II」と描かれ、
これがファントム (怪人)であることを表わしています。
ちょっとやり過ぎ、と思われるくらい、レストアクルーが
このペイントに力を注いだ様子が見て取れますね。
説明プレートの下に
「ここはファントム専用駐車場」
というお知らせが(笑)
ところでこの823ファントム、つまり標的にされそうになる前には
こんなこともありました。
これ、どこで撮られた写真だと思います?
横田基地なんですよ。
1969〜70年に駐留していた「405TFW」として、ということですが、
この「TFW」って、戦闘機パイロットのトレーニング、
「トレーニング・フォー・ウォリアー」のことですか?
ちなみに超余談ですが。
アメリカの2ちゃんねるに相当する4channelのミームでは、
「tfw」=「that feeling when」。
「tfw no gf」だと「彼女がいないこの気持ち」となります。
何かのご参考になさって下さい。
それはともかく、いまここサンタローザで観ているファントムIIは、
かつて日本にいたことがあったというわけです。
後ろから見ると、きっかり垂直尾翼と水平尾翼が・・・・・、
いや、これは水平尾翼ではないですね。
何しろ、120度で三分されているように見えます。
こういう尾翼を「逆V字尾翼」とでも呼ぶのでしょうか。
八の字に曲げられた尾翼のは旋回する方向にローリングさせるため、
空力特性、ステルス性の両面で有利であるとされますが、
また同時に離着陸時に尾翼を損傷する恐れが高い、と言われます。
そのため尾翼が主翼よりも高い位置にありますね。
もしこの位置の尾翼が水平だった場合、迎え角を大きく取ると主翼の後流が
尾翼の効果を打ち消して急激な機体の頭上げ(ピッチアップ)を生むため、
尾翼には大きな下反角をつけることで対処しています。
エアインテークの前にあるこの部分を
「スプリッターベーン」
といいます。
ファントムIIに使用されたエンジンは当時最新鋭の
「ゼネラル・エレクトリック J79」。
当時としては強力な推進力を生むものでしたが、それがため
エアインテーク周辺にマッハ越えのときに生じる衝撃波が、
エアインテークへの空気の吸引を妨げるという弊害を起こしました。
つまり機体表面に流れている境界層と呼ばれるごく薄い空気の層を
通常の空気と共にエンジンに吸い込んでしまうと、
エンジンの効率が下がり性能低下を引き起こすのです。
そこでスプリッターベーンという細かい穴の開いた板を
エアインテークの直前に置き、ここから境界層気流を
吸い込んで裏に流してしまう、ということが考えられました。
上の写真の一部を拡大してみました。
この無数の穴から境界層のインテークへの侵入を防ぎます。
それで衝撃波を緩和することをも防ぐことができるというわけ。
スプリッターベーンの内側に隙間があるのがお分かりでしょうか。
この隙間は50mmとされており、インテークへの境界層の進入防止とともに
境界層の吸入による振動(バズ)を防ぎます。
ミュージアムのHPを見ると、スタッフは機体の発見、獲得から始まって
渾身のレストアを施したこのファントムIIを「our baby」と呼んでいます。
さて、もう一度最後にスプリッターベーンをご覧下さい。
赤に黄色で縁取られた星が4つ描かれています。
これは元々823機に付けられていたものを、レストアクルーが
ペイントする際に復刻させました。
オリジナル塗装ではおのおのの星に年月日が書かれ
星の下部には
「於べトナム 第8TFW ロビン・オールズ少佐」
と記されています。
これはオールズ少佐が撃墜した北ベトナム空軍機の撃墜マークなのです。
撃墜マークを復活させておきながら、具体的に敵機を「いつ墜としたのか」を
機体に残すことをしなかったのはなぜでしょうか。