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三井造船資料室〜潜水艇救難母艦「ちよだ」とロシア救難艇事故

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三井造船資料館には全てではありませんが、
ここで建造された船の写真、模型、資料などが展示されています。

写真は

潜水艦救難母艦「ちよだ」JS Chiyoda, AS-405

潜水艦救難母艦とは、潜水艦救難のための深海救難艇(DSRV)と
深海潜水装置(DDS)を装備し、かつ潜水館母艦の機能を備えている艦艇で、
このタイプが造られたのは日本では初めてのことでした。

先日、この三井造船でやはり初めて建造された呂型潜水艦「呂44」など、
戦時中の潜水艦とその運命についてお話ししたわけですが、
戦線に投入された呂号潜水艦の寿命は、最長でも1年2ヶ月、
早いものでわずか4ヶ月(初陣で戦没するとこういうことになる)。

敵との交戦で戦没するだけでなく、浮上できないなどの事故で、
行方が分からないまま戦没認定された艦が非常に多いことを見ても、
消耗が激しい、つまり乗組員の立場で言うと、いつ死んでもおかしくない、
危険な兵器であったことは、まず間違いのない事実でしょう。


佐久間大尉の事故に見るまでもなく、訓練中の事故も少なくありませんでした。
引き上げ(艦体ごと提灯釣りという方法で浮き上がらせる方法)
によって九死に一生を得た乗組員たちもいますが、なかには伊33潜のように、
引き揚げられないまま戦後まで放置されていた艦もあります。


いずれにしても、潜水艦乗りは死の覚悟なくしてなるものではありませんでした。
昔は、一旦事故が起こってしまったら、艦体をサルベージするしかなかったので、
たとえ艦内に浸水がなかったとしても、サルベージに時間がかかれば
生存はまず絶望的でしたし、そもそも、戦線に投入される潜水艦は
もし何かあっても、助けにくる見込みはまずないからです。


しかし近年は潜水艦の安全管理に目が向けられるようになり、
科学の発達と共にその方法も進歩しました。

非常時の救難体制が確立していないことには、潜水艦という
兵種に従事する当事者たちの士気というものが上がりませんし、
人員を集められなくなってしまいます。



わが日本国海上自衛隊の潜水艦救難のためのプロジェクトは、
昭和30年と、早い時期に始まりました。

大東亜戦争中、あまりにも多く失われた潜水艦乗員の命。
海軍の末裔である海自は、それを決して忘れていなかったのです。

昭和30年というのは、海自がアメリカから潜水艦
「くろしお」SS-501を貸与された年に当たっており、この時始まった研究は
5年後には初代「ちはや」ASR-401の建造によって実を結びました。

「ちはや」を建造したのもここ三井造船玉野です。

このときに採用された方式は

潜水艦救難用チャンバー(Submarine Rescue Chamber)

というものでした。
開発したのはアメリカで、開発は1925年。
30年前の技術ですがそれでもこのころ最もポピュラーな方法でした。

アメリカでチャンバーの研究が始まったのも、ある日遭難した艦の乗員33名が、
手をこまねいて見ている間に、全員窒息死してしまった、
という潜水艦事故の悲劇を受けてのことだといわれています。


これはどのようなものかというと、母船から遭難した潜水艦の
脱出用ハッチの上に釣り鐘のようなチャンバーをかぶせて、
脱出した乗組員をそこに収容するという仕組みです。

潜水艦は自艦の位置を知らせるために、ちょうど脱出ハッチからワイヤーを
海面に出すので、それをチャンバーと結びつけ、沈降していけば、
ちょうどハッチの真上にチャンバーを降ろすことができます。

このレスキューチャンバーを搭載していたのが初代「ちはや」で、
昭和36年には就役し、呉に配属されていました。


しかしこの方法にはいくつかの難点がありました。

ワイヤーとチャンバーを接続する作業は、救助チェンバーから作業員が
飽和潜水によって海中に出て、人力で行っていましたが、
飽和潜水には深度に限界があり、また人員の加圧・減圧に時間がかかったのです。

さらに、遭難している潜水艦の深度によっては、
救助された乗組員は、いきなり圧力の変化を体に受けることになります。
「ちはや」は変圧装置も装備していましたが、これも限界があったということです。

さらに、チャンバー方式は、潜水艦が出すワイヤーがたよりなのですが、
海流でワイヤーが流されたり、潜水艦が傾いて鎮座していた場合、
チャンバーの固定が困難になるケースもありました。



そこで開発されたのが、冒頭の「ちよだ」から搭載された

Deep Submergence Rescue Vehicle (DSRV)

でした。
ディープサブマージ、と言い切っているのが実に頼もしいですね。
釣り鐘を降ろすのではなく、小型の潜水艇を上に付けて、
そこに乗り移るという仕組みです。



アメリカの「アバロン」という救難艇です。
三つのボール状のものが見えますが、これは「耐圧球」で、互いに
接続されています。
真ん中の耐圧球の下にはスカートを履いていますが、この部分を
潜水艦の脱出ハッチに接合させます。
(潜水艦もちゃんと接合できるような規格になっている)

そしてまずスカートの中を減圧・排水し、それから両方のハッチを開き、
遭難した潜水艦の乗員を移乗させ、収容するのです。

規格といえば、この救難艇の規格は世界共通になっていて、
どこの潜水艦であっても救難できるように統一されています(伏線)



「ちよだ」の搭載しているDSRV。
周りの乗組員との大きさを比較していただくと、規模がわかるでしょう。
基本的にこのような小さなものなので、航続距離は期待できませんが、
場合によっては潜水艦と母艦の間を往復することもあります。


さて。

ここでやはりこういう話題になると、触れないわけにはいかないのが
韓国でこの春に起こったフェリー沈没事故です。

日本政府は、直後から海上自衛隊の出動協力を申し出ていました。
案の定韓国政府はその申し出を断り、しかも当初韓国マスコミは
そのことを報道しなかったため、韓国の世論は

「日本はどうして助けに来ない」

などという声が相次いだのですが、安倍総理は、

「子どもたちを早く助ける意味でも支援を受けてくれたらうれしいのに」

と、オフレコの食事の席で語り、韓国マスコミが隠したがっていた
「日本の協力」があったことを明らかにすることに成功しました。
(策士ですね)


韓国政府が日本の協力を断ったと知ったとき、
遭難者家族からは絶望のあまり悲鳴が上がったといいます。

いかに反日に勤しんでいても、日本の海難救助の実力を
ただでさえ海難事故の多い韓国が知らないわけがありません。

その後案の定インターネットでは

「日本が来ていたとしても、たいした技術もないのに何ができた。
おまけに来るのは自衛隊だ。何しに来るのか分かったものじゃない」

などという負け惜しみのような言論がわき起こっていたようですが、
もし実際にパク大統領が救難を日本に要請していたら、海保の「海猿」か、
この「ちよだ」が現地に向かうことになったでしょう。



彼らが「酸っぱいブドウ」で、たいしたことがないなどという
日本の海上自衛隊の救難技術ですが、これが実際にいかに優れているかは、
国際的な訓練で上げた優秀な成績が証明しています。


救難艇を国境を越えて共同利用するために、
大西洋周辺で潜水艦を運用する国家が、共同で

「西太平洋潜水艦救難訓練(Exercise Pacific Reach、パシフィック・リーチ演習)」

というものが行われています。
日本からは、自衛隊が今まで行われた訓練全てに参加してきているのですが、
その内容を簡単にここで書いておきましょう。


第一回 米国海軍の救難装置が海上自衛隊の潜水艦「あきしお」から乗員を収容。

第二回 「ぶんご」が総指揮艦となる。潜水艦救難艦「ちはや」、潜水艦「あきしお」
    のほか護衛艦、航空機も参加。
    時化に遭い、韓国海軍は全ミッション実地ならず。
    対して海上自衛隊と米海軍のDSRVは全ミッションを成功させた。

第三回 「ちよだ」と潜水艦「ふゆしお」が参加。
    ちよだ」のDSRVが韓国海軍の潜水艦「チョイ・ムーソン」に接合し、
    乗員3名の救出を実演した。
    
    遭難艦へ接合できず救難に失敗する国も出る中、
    海上自衛隊は優秀な成績を示している


「おわかりいただけただろうか」。


つまり海自の潜水艦救難の技術は、世界でトップレベルと評価されており、
当の韓国海軍は、そのことを何よりよく知っていたと思うんですよね。

軍トップは「どうして日本の申し出を断った」と頭を抱えたかもしれません。

もっとも韓国海軍が、その後、無理無理出動したということを強調するために、
なぜか定員20人の救助艇に、120人乗せて頑張ってます!アピールするなど、
努力の方向が斜め上だったことを考えると、買い被りちうやつかもしれませんが。


さて、この「ちよだ」、今回は出動がなりませんでしたが、かつて
外国の潜水艦からの救難に出動したことが一度あるのをご存知でしょうか。


2000年の8月12日、ロシア海軍の原子力潜水艦「クルスク」が、
バレンツ海において演習中、艦首魚雷発射管室の爆発が原因で沈没し、
乗員111人が全員死亡したといういたましい事故がありました。

爆発時に電源が喪失し、外部への通信手段が失われたため、
僚艦が「クルスク」の事故に気づくのが翌日になったのが、救助の初動を
大幅に遅らせる結果になり、ロシア海軍だけでなくイギリスからも救援隊が
出動しましたが、引き揚げられたとき、艦内は海水で満たされていたそうです。



自衛隊が出動することになったのは、この5年後の2005年、やはりロシアの、
深海救難艇A−28が、カムチャッカ沿岸で身動きが取れなくなったときです。

深海救難艇が要救助って、何のジョーク?という気もしますが、
何でも古い漁網が絡み付いてしまったということで、そういうこともありましょう。

事故発生時、ロシア海軍はおそらく「クルスク」事故の教訓から、
いきなり外国に救難を要請しました。
プライドにこだわって300人もの人命を見殺しにした韓国政府には
ぜひ爪の垢でも煎じて飲んでいただきたいですね。 

このときに遭難したのが、海軍の潜水艦ではなく救難艇であったので、
機密に配慮する必要がなかったこともその理由でしょうが、何と言っても
遭難したロシア救難艇が、それをまず希望したのだと思われます。

ロシア海軍が救援を求めたのは、アメリカ・イギリス軍、そして自衛隊でした。

事故発生の翌日、8月5日のロシア海軍からの依頼を受けて、海上自衛隊は
国際緊急援助隊派遣法に基づき直ちに自衛艦の派遣を決定、

命令から一時間後の12:00には

命令から一時間後の12:00には

命令から一時間後の12:00には

横須賀基地からこの「ちよだ」が現地に向けて出動しました。

と   こ   ろ   が  。


そもそも自衛隊の潜水艦というものは、現行の憲法の縛りのため、
日本近海だけを航行するという建前があります。
したがってその潜水艦を救難する方も、近海を行動するという前提で
設計・建造されています。

そのため「ちよた」の航行速度は決して速いものではありませんでした。

せっかく素早く初動を立ち上げたのに、「ちよた」がえっちらおっちら
カムチャッカまで向かっている間に、現場に一番に到着した英海軍の
無人探査機「スコーピオ」が絡まった鋼線を切断し、A−28は自力で
浮上することができたのでした。
つまり、自衛隊が現場に付く前に、全てが終わっていたのです。

取りあえずよかったですけどね。∩( ・ω・)∩ばんじゃーい



我らが自衛隊にとっては、これが初めての国際救援任務となったわけですが、
実際のところ、課題も残しました。
せっかく救難訓練で優秀な成績を残すだけの技術を持ち、
命令から1時間後には出動が可能な法体制も整ったというのに、
肝心の行き脚が遅いというのは、時間の制約があり、少しでも
迅速な展開が求められる潜水艦事故の対応への遅れにつながります。

wiki

やはり同じ三井造船玉野工場で建造された「ちはや」。

1985年就役で、もう20年経っている「ちよだ」より15年若く、
速力も「ちよだ」の最大速度17ノットに比べ20ノットと、
かなり改善されてはいます。

「ちはや」はハワイ沖で米原潜「グリーンヴィル」に衝突され沈没した
漁業実習船「えひめ丸」事故の際、引き上げ支援を
「災害派遣」(海外だから)という形で行っています。

実際に引き上げを行った米国海軍への支援、海中での遺品捜索のために、
「ちはや」が搭載した救難艇は、百数十回もの潜航を行うことになりました。

先ほどお話しした「国際潜水艦救難訓練パシフィックリーチ002」にも、
この「ちはや」は参加し、

荒天にもかかわらず全てのオペレーションを成功させた

他、救難艇は当初予定のソフトメイト(沈没潜水艦への達着)だけでなく、
ハードメイト(ハッチを開ける、より実際的な救難訓練)も成功させています。


つまり自衛隊の救難技術は世界一ィ!なのです。


後はアメリカやイギリスの「スコーピオ」のような無人探査機を持てば、
これはもう鬼に金棒というものではないかと思うのですが。

「ちよた」はすでに就役後、20年近くが経過していることから、
平成26年度概算予算要求において、後継艦としてDSRVを搭載する
26年度潜水艦救難艦ASR(5,600トン型)の取得が表明されています。


この予算要求の32ページを見ていただくと、救難艇の調達に対しては、

費用対効果の観点から、災害派遣等多目的に対応する救難艦の建造にあたって
民生品の使用や装備品の仕様の見直しにより48億円の節減を見込んでいる

などと言うことが書かれています。
国民の皆さんの税金を無駄遣いしないように工夫しているというわけですね。
でも、節約ばかりではなく、いざというときの備えに対する支出であれば
国民は納得すると思いますよ。

(一部の政党と思想の方々を除く)


さて、この「ちよた」「ちはや」は共に日本の古城から名前を取っています。
「ちはや」は「ふしみ」の後継型ということで、これもお城ですね。
それでは26年度予算で新しく建造される救難母艦の名前は何になるのでしょうか?

んー・・・そうだなあ。
「ひめじ」?
は嫌かな。関西出身としては()
「あずち」?・・・なかなかいいかも。
そうだ、

「あおば」

なんてどうかしら。
旧軍艦にもあったし、「青葉城」は有名だし。

今までの例をみると、自衛艦の名称はあらかじめ防衛省が候補を用意し、
それを政務次官が選んで「命名者」となることが多いようですね。

それは昔から同じ構図で、戦艦「大和」は、命名時、天皇陛下には
「信濃」「大和」という二つの名からお選びいただいたといわれます。

歴史にイフはないといいますが、もし「大和」が「信濃」だったら、
どうなっていたでしょうか。

「信濃特攻」
「戦艦信濃」(映画)
「戦艦信濃の最後」
「男たちの信濃」
「信濃ミュージアム」
「宇宙戦艦信濃」

つくづく天皇陛下に大和を選んで頂いてよかったと思わざるを得ません。

って何の話だ(笑)


 

 


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