半年前の5月、同じ埠頭でわたしは練習艦隊の出国行事に立ち合いました。
海上自衛隊の初級士官の実地訓練として行われるこの練習艦隊は、
太平洋、アメリカなどの11カ国に寄港し、訓練を終えて無事帰国してきました。
出国行事の後、出席をご手配下さった海将から
「ぜひ帰国したら迎えてやって下さい」
と言っていただいたのですが、国民の一人としてお見送りをすることはあっても、
帰国行事は、隊員の家族の為にあるのではないか遠慮する気持ちから、
(そのことを元自衛官に話したところ『それは違う』と言われましたが)
当初この行事には、行かないつもりをしていました。
しかし、その後ブログでも書いたように、練習艦隊はニューギニアに寄港の際、
遺骨収集事業の団体がガダルカナルで収集した旧日本軍将兵たちのご遺骨、
137柱を「かしま」に乗せ、それを持ち帰ることが分かりました。
恒例の帰国行事に先立ち、ご遺骨の引渡式が埠頭で行われるというのです。
その出席をお取り計らいいただけることになったので、
わたしは謹んで行事に参加させていただくことにしたのでした。
今回は車に乗ったまま埠頭へのゲートをくぐりましたが、
セキュリティの自衛官は、ほとんど瞬時にしてナンバーを確認したらしく、
車を停める間もなく中に誘導されました。
見れば艦ナンバー3508が半年前と同じ場所に停泊しています。
車を停めたところはちょうど「かしま」の艦尾の前でした。
後甲板には初級士官たちが待機しています。
わたしが到着したのは前と違い式典の時間ギリギリだったので
わかりませんが、家族たちは早い時間に一度は会っているのかもしれません。
この家族たちの落ち着いた雰囲気を見てそうではないかと思っただけですが。
車を停めて受付に向かう途中に、ご遺骨の献花台と、
白菊の飾り花が名前付きで設えてありました。
安倍首相始め、政治家のものがほとんどです。
前にも書きましたが、安倍政権では戦没者の遺骨収集について、
「戦没者遺骨収集推進法」案をまとめました。
この法律案では、戦没者遺骨の収容を「国の責務」として位置づけ、
厚生労働省、外務省、防衛省の協力を条文に明記しています。
政府はこの秋の臨時国会での法案成立を目指して準備をすすめており、
今回の「かしま」による帰還は、法律制定に先駆けて行われた、
政府の姿勢を示すものであったといえましょう。
ご遺骨への献花のための菊花が置かれているのに気づきました。
来賓席はこのようにナンバーが振られています。
受付で名前をいうと、指定の席まで案内していただけました。
式典が始まって周りを見ると、来賓席には空きがあったのですが、
練習艦隊の隊員の家族証を付けた人々は、後ろに立ったままでした。
立った方がよく見えたということだったのかもしれませんが。
なぜこんな中途半端な写真を撮ったかというと、
来賓が付ける胸の花を皆さんにお見せするためです。
政治家と全く同じリボンで、偉くなったような気がしてちょっと嬉しい(笑)
帰って来ると、ちょうど乗員の下船が始まったところでした。
儀仗隊はこの間不動の姿勢。
士気刀を構えた背筋が伸びて、実に凛々しい構えです。
東京音楽隊が演奏するのは、勿論行進曲「軍艦」。
全員が下船するわけではなく、実習幹部が主となります。
「かしま」の乗員は要所に配備中。
覚えてますか?軍艦旗のマークの付いた祝砲。
今回の航海において、この祝砲は13カ国の各地で活躍しました。
見送りの時には純白の制服に身を包んでいた彼らが、
ネイビーブルーの(黒だと言い張ってたけどもういいや)ダブルに
身を包んでいます。
ラッタルの上で進捗状況を見ている練習艦隊司令官以下、艦長たち。
彼らの向こう側のテントには出迎えの家族がいます。
女子隊員、WACたちも下船完了。
こちら貫禄の海曹たち。
と、サイドパイプの音が鳴り響きました。
艦隊司令と艦長の下船です。
湯浅秀樹海将補を先頭に、森田1佐、東2佐、川内2佐。
来賓席前方には、厚生労働省のお役人が待機中。
遺骨帰還事業をは厚労省の管轄です。
遺骨収集にまつわる「不祥事」についての対応において、
そのお役所体質をちょっと一言言及させていただきましたが、
今回の帰還はこの厚労省にとっても明るい材料だったのではないでしょうか。
不祥事が起こったと言ってもそれは今まで国が「国の責務」
としていなかったため現場での活動に歪みができてしまったわけで、
決してお役人の責任ではありませんからね。
来賓席の右手のテントは、厚労省の職員と遺族の席でした。
父親だったのか、兄弟だったのか、それとも夫だったのか・・。
皆が様々な思いを胸に、この場にあります。
「かしま」に乗せられたご遺骨は、彼らが戦地に赴くため
日本の港を発って行ってから70年後の今日、これから、
初めて故国の土を踏む瞬間(とき)を待っているのです。
朝の空気を緊張で揺るがすような海曹長の掛け声がかかりました。
総員が挙手注目の礼を行います。
総員じゃなかった(笑)
海曹海士は正面を向いたままです。
そして今、ガダルカナルから帰還したご遺骨が、
「かしま」乗員の腕にしっかりと抱かれて、日本の土を踏みます。
自衛隊HPに掲載されていた、ホニアラ島での「かしま」ご遺骨乗艦の様子。
今回、参列のため必要な連絡を取って下さった海幕の1佐に、
御礼のメールをさせていただいとところ、そのお返事には
「練習艦隊関係者から聞いたところでは、
帰国のための航海中も、御遺骨に手を合わせる乗組員が
昼夜を問わず後を絶たなかったと聞きました。
これに勝る精神教育は無かったに違いないと思っております。」
と書かれていました。
「かしま」艦内では、日本にお送りさせていただくという気持ちの元に
総員が ご遺骨を丁重に、最大限の敬意を払って接したということです。
音楽隊がご遺骨をお迎えするために奏楽したのは、
「海行かば」でした。
その調べを聴くうちがいつしか万感胸に迫り、
わたしは恥ずかしながら涙をこらえることができなくなっていました。
「かしま」から日本の地に降り立ったご遺骨は、これから
「引渡し」の儀式によって海上自衛隊から日本に送還を完了します。
先頭に立ち歩いてきていた「あの」海曹長。
隊員を待つのは厚労省の職員です。
まず、自衛隊から「国」たる厚労省の職員に手渡されるご遺骨。
そして、厚労省職員の手で献花台に安置されます。
台の前には二人の職員が立ち、白木の箱を受け取ります。
全員が白い手袋を付け、丁重に受け渡しを行います。
白木の箱は全部で10。
先の大戦で海外戦没者およそ240万人のうち、ご遺骨が収容されたのは
約127万柱、未収容のご遺骨は約113万柱と数えられています。
収容された御柱は、複数人のご遺骨で1柱を成しているとも言われているので、
実際はもっと多くの御柱が収容されていると見込まれており、
今回もそのような状況ではないかと思われます。
ご遺骨の引渡式が済み、全員で黙祷を捧げました。
厚生労働省副大臣、長岡桂子氏が一番に献花を行います。
防衛副大臣、左藤章氏。
参議院議員、宇都隆史氏。
ご存知のように宇都議員は元自衛官です。
遺骨収容事業については、
「党遺骨帰還に関する特命委員会事務局長」
として実現に奔走し、外務大臣政務官として
現地でのご遺骨の「かしま」への乗艦の儀式に立ちあいました。
本日ここにあっておそらく胸中は感無量でありましょう。
遺族会の代表。
献花は測ったように等分に供えられています。
参議院議員、佐藤正久氏。
佐藤氏の献花のやり方だけが他の議員、というか誰とも違い、
花を両手で持ち歩んでいたのが印象的でした。
宇土議員といい佐藤議員といい、元自衛官議員はどちらも男前ですよね。
昔、防大1期で空将から政治家になり、影で「ジェネラル」とあだ名されていた
田村英昭という議員がいましたが、戦後の自衛官出身の政治家では
佐藤議員は唯一の佐官となります。
西村真悟氏。
後ほど参列議員が一人ずつ紹介されたとき、
「ご苦労様でした!」
と大きな声で言い、自衛官たちに頭を下げました。
続いて、遺族の献花です。
遺族のほとんどが年配の方でした。
来年、終戦から70周年を迎えますが、遺骨収容が法案化したあとも、
実際のところ一刻の猶予も残されていません。
熱帯雨林に眠るご遺骨は早くしないと土に還ってしまうからです。
そして、ご遺族がご存命のうちにご帰還させられるものはさせたい、
これは事業に関わるもの全ての悲願でもあるのです。
前回ここで練習艦隊を見送ったときには横浜地方総監であった
武井智久海将が、今回は海幕長になっていました。
就任は10月14日、なんと10日前に海幕長になったばかりです。
そして10日前まで海幕長であった河野克俊海将。
海幕長退任後、第5代統合幕僚長に就任しています。
統合幕僚長(Chief of Staff, Joint Staff)とは、
統合幕僚監部の長であり、陸海空の自衛官の最高位となります。
式典開始前は和やかなご様子で談笑されていましたが、
献花のときはごらんのような悲痛な表情でした。
献花が終わり、厚労省職員がふたたび白木の箱を抱え上げました。
これからご遺骨を厚労省の安置所まで運ぶのです。
10名の職員たちは列を作り、用意されたバスに乗り込んで行きました。
この後、千鳥ヶ淵戦没者霊園にお納めするのでしょう。
千鳥ケ淵戦没者墓苑は、大東亜戦争の折に国外で死亡した
軍人、軍属、民間人の遺骨のうち、身元不明や
引き取り手のない遺骨を安置しています。
バスの中に姿を消すご遺骨に対し、共に一ヶ月を過ごし、
毎日その慰霊を続けてきた練習艦隊のメンバーは、敬礼を続けています。
海幕の1佐から頂いたメールには、さらにこうありました。
誠にありがとうございました。
我々の大先輩であり、また現在の我が国の礎を
命を賭して築いて頂いた将兵の皆様のやっとのご帰国が叶い、
日本国民、海上自衛隊員として胸が熱くなる思いが致しました。
また、式典の途中、参列者の中から大きな声があがりました。
「お帰りなさい!」
お帰りなさい、あなたたちが生を受け育まれた故郷へ。
お帰りなさい、あなたたちが命を賭して守ろうとしたこの国へ。
お帰りなさい、あなたたちの国、日本へ。
わたしは、この場に英霊の御霊は必ず在って、
このときにも奏楽されていた「海行かば」の調べを
共に聴いておられたのだと信じて疑いません。