今、訳あってまたもや先日来たばかりの呉に来ております。
3年ほど前、江田島見学をするために初めて呉に来たわけですが、
それから何度もの、しかもそのことごとくが旧海軍・海自関係の
目的による訪問を重ねて今回に至ります。
つまりこのブログをやっていなかったら来ることもなかった街。
しかし今やすっかり心の故郷(海軍的な意味で)である街。
今回の目的についてはまた別の日にお話しすることにして、
今日はここ呉で見た年末イルミネーションの写真をご紹介します。
またまたひょんなことから呉に用事ができたわたし、
いつものようにフットワークも軽く、呉阪急ホテルに投宿するや、
空いた時間を利用して「大和のふるさと」の山手側にある
「歴史の見える丘」と観光的には名付けられている、
なんのことはないただの石碑のある一角に同行者を付き合わせ、
さらに先日行ったばかりの呉海軍墓地に、撮り損ねた写真を撮りに
これも無理やり同行者を付き合わせました
「歴史の見える丘」はそれこそいくつかの碑があるだけの一角で、
5分あれば全部写真を撮っておしまい、なところだったので、
そこから海軍墓地に移動するのに、電話でタクシーを呼びました。
やってきたのは中年の気さくなおばちゃん運転手で、
車中ちょっとした呉の案内もしてくれたのが嬉しかったです。
車に乗ったのがちょうど5時だったのですが、
「イルミネーションが今ついたから」
と、この「2014イルミネーションくれ」の横を通ってくれました。
「イルミネーションって、神戸のルミナリエみたいなのですか」
「あんな立派じゃないですけど・・・」
横を通った時車窓から見えたのは・・
「ああ~!大和だ」
「さすがは呉。イルミネーションに大和とは」
運転手さんは
「零戦もあるんですよ。
でもね、昨日乗せたお客さんが『あれは零戦違う』てね。
なんか別の飛行機やいいましたよ。
あれはなんてゆうてたかな・・・し・・・とかせ・・・とか」
そのときちらっと緑色の飛行機型のイルミネーションが見え、
わたしたちは
「零戦でいいんじゃないですかー」
と適当なことを言っていたのですが、そのあと車がどうみても
空母
に見えるイルミネーションの横を通った時、それまでのいい加減さをかなぐり捨て、
「空母だ!」
「あ、飛行機が飛び立ってる!」
「何?あの空母、何?」
「赤城じゃないと思う」←
と盛り上がり、わたしは、
「じゃわたし、ホテルからこの後歩いて確かめにきます!」
と相手に宣言したのでした。
で、そのあと、カメラを片手に寒空を歩いて撮りに行きましたよ、写真。
冒頭写真がその「しとかせとかの飛行機」なのですが、
これ、イルミネーションで何か分かる方いますか?
そう、紫電改なんですね。
「し」というおばちゃんの記憶はそこだけは確かだったということです。
こんなものをイルミネーションにするのは呉を置いて他にあるまい。
ところでなんで紫電改だったんでしょうか。
紫電改というのはご存知のように川西航空機の製造で、
工場は呉とは関係無い兵庫県西宮市にありましたし、
今は以前ほどではないとはいえ零戦ブームみたいなものですから、
零戦を作るのが王道といえば王道だったと思うのですが。
呉と紫電改の関係、と強いて言うのなら、これを使っていた
源田実司令の343航空隊が、呉の空襲の時に邀撃に出て、
隊長の鴛渕孝大尉と、先日NHKでもドラマ「撃墜 三人のパイロット」
で主人公だった武藤金義少尉が戦死している、ってところでしょうか。
なんか無理があるなー。
二人の竟の地は呉ではなく豊後水道付近だったわけだし。
まあ、大和、赤城ときたらあとは戦闘機を作りたかったんだな。
そう思うことにしました。
で、問題の空母。
これはもしかしたらこのイルミネーションでわかってしまうという
信じられない能力を持った人もいるのかもしれませんが、
正解は
航空母艦赤城
でした。
ちゃんと写真まで載せた説明がなされてます。
呉海軍工廠で建造進水しているので、これはわかる。
呉は海軍を語らずして語れませんからね、
この下には海軍工廠の説明があります。
1889年、呉鎮守府創設と同時に造船部が設置される。
当初造船は神戸にあった造船所に頼っていたが、
徐々に呉での設備を拡充。
1903年に日本海軍の組織改編で呉海軍工廠が誕生。
その後は東洋一と言われるまでに設備を充実させた。
工員の総数は他の三工廠、横須賀、佐世保、舞鶴の合計を
超えるほどで、ドイツのクルップと比肩しうる世界の
二大兵器工場であった。
戦艦「大和」を建造するなど多くの艦艇建造を手がけ、
日本海軍艦艇建造の中心となった。
車窓から見た発艦する飛行機の図。
イルミネーションなので本当に飛び立っているようです。
いいなあこういうの。
なぞの部分。
これなんのつもりですかね。
砲座も極限までデフォルメされているものの、ちゃんとそれとわかります。
このイルミネーションのポイントは「青色LED」でしょうやっぱり。
艦載機も丁寧に作られています。
さすがは呉。こういうところに手を抜きません。
この製作は呉の商工会議所が中心になっているようですが、
きっと楽しんで企画したんだろうなと思います。
甲板部分横から。
艦載機は飛び立っているのも含め4機います。
ちなみに「赤城」の説明もあり、
1920年12月巡洋戦艦「赤城」としてくれ海軍工廠において起工
1925年4月進水
1927年航空母艦として竣工
1942年6月ミッドウェー海戦にて大破、駆逐艦の雷撃により処分
同9月25日除籍
と淡々と艦歴が記されています。
さて、他にもクリスマスのとか平清盛とかのイルミネーションもありましたが
興味がないので写真も撮らずにホテルに帰ってくると、
「海軍さんのコーヒー」やら「海軍カレー」やらが売っているロビーの、
エレベーターの横に、
なんと当ホテル調理スタッフ作成による戦艦「大和」が!
まさか、まさかとは思うけど製菓担当がケーキを作るノリで?
素材は・・・マジパン(製菓材料)ではないよね?
しかしこれもよくできてるなあ。
さすがは呉、海軍お膝元のホテル。
そういえば昔「海軍士官コスプレ企画」をやっていたのもココでした。
キャプスタンと錨鎖みたいなものも見えます。
菊の御紋は少し手抜きかな。
主砲が・・・主砲が折れている!
そして主砲上部にあったらしい砲座も紛失した模様。
後方の40サンチ砲は無残にも全滅。
誰だ大和の主砲を折ったやつは。
ところでこの写真は、呉大和ミュージアムにある、
産業遺産にも指定された10分の1大和なわけですが、これをよく見てから
こちらをご覧ください。
頑張ってるよね、呉阪急ホテル製菓部スタッフ。
イルミネーションといい、戦艦をお菓子作りのスタッフが作って
ロビーに飾ってあることといい、今さならがら
「他の町ではあり得ない」
と驚いてしまいますが、そういえばタクシーの運転手さんも
イルミネーションの説明をしながら言ってましたっけ。
「呉はほら、海軍さんあっての街だったからね」