備前長船の刀剣博物館での神事、「打ち初め」の続きです。
9時からの打ち初めも滞りなく終了し、刀職人さんたちの
各職場を見学もして、さて帰ろうとタクシーを呼んで待っていると、
本館に挨拶に行ったTOが、
「刀鍛冶さんたちが本物の鍛錬をするから見ていってくださいって」
と戻ってきました。
前半の観客参加型鍛錬は、神事の後のいわばサービスで、
それに使われた玉鋼は「使い物にならない」ので(たぶん)
お供えするだけなのだそうです。
後半のもいわば「縁起」なのでおそらく実際にこれで
刀を打つことはないと思われますが・・。
11時から始まると言われて5分前から待っていると、
1分違わず浄火・きよめび(先ほどの火はすでに消されていた)
が開始されました。
刀鍛冶の仕事場というのは今回初めて見たわけですが、
昔小学校唱歌だった「村の鍛冶屋」の歌詞、
暫時(しばし)も休まず槌打つ響き
飛び散る火の花走る湯玉
ふゐごの音さえ息をもつかず
仕事に精出す村の鍛冶屋
を思わせます。
金物鍛治と刀鍛冶を一緒にしてはいけないのかな。
燃え盛る火に石炭投入。
「火の花」は思わず吸い込まれそうなほど神秘的です。
ちなみにこの絵になる光景を撮るために、時間前には
ニコンやキャノンの上級機種をがっつり構えた人たちが
周りを陣取っていました。
右側の二人が赤熱したブロックを叩く「鍛錬」を行います。
ちなみに向こうの刀鍛冶が前半の打ち初めで横に立っていたので、
かるーく質問などしてしまったのですが、この状況を見るに
こちらの方がここで一番偉い刀匠だった模様。
鍛錬が始まりました。
二人の刀匠が代わる代わる槌を頭上まで振り上げて
確かな無駄のない動きで玉鋼を打っていきます。
それは真に阿吽の呼吸。
向こうが匠(横座)、こちらが弟子(先手)。
交互に刀身を鎚で叩いていくことを「向こう槌」といいますが、
「相槌を打つ」
という言葉はこの様子から来ているのです。
さすが本職の打ち方にはまったく迷いがありません。
見ていると、打ち込む時に前足のつま先を上げ、
体重を後ろから前に移動するようにして槌を下ろしていました。
火花の飛び散り具合をごらんください。
彼らはだいたい5年くらいで一人前になるとされ、
刀工が弟子入りすると、この大鎚といわれる槌を自前で用意し、
毎日切り株を相手に叩く練習をします。
動きを車のピストンのようにすると、あまり力を要さず
楽に叩けるようになるということです。
刀工になるためには5年間の修行と文化庁の開催する講習を受けなければなりません。
というところで刀匠の「打ち初め」も終了。
またしても一般人に叩かせてくれるようです。
が、先ほどほとんどが叩いてしまったので、なかなか
名乗りをあげる人が出てきませんでした。
ようやく出てきた第1号。
第2号は・・・おおっと、海外からの観光客だ!
この日、外国人観光客は結構いました。
ただし欧米系の人たちばかりで、
中国人や韓国人は全く見かけませんでした。
岡山のホテルの朝食会場では日本人はわたしたちだけか?
と思うくらい中国語が飛び交っていたのですが、
彼らはこういうところには足を向けないようです。
「日本刀」「神事」というだけで彼らの方が避けてるのかもしれないし、
あるいはむしろそういう団体客に来られては困るので、刀剣博物館の方も
あえてそちら方面にはインフォメーションを流さないのかもしれません。
差別?いえ、区別です。
ところでお汁粉を作っていたおばちゃんが、この少し前、
「お汁粉まだの人食べてくださ~い」
と呼びかけにきたのですが、彼ら外人軍団に
「オモチ! オモチ!」
と食べる真似をして連れて行ってしまいました。
オモチで十分意味は通じていたようです。
体はでかいがアクションはおとなしめ。
鍛錬する金属は、さっきまでやっとこで掴んでいたのと違い、
柄とつながっているものです。
やっぱりこちらは本当に刀にするのかもしれません。
こちらも叩かせてもらったらよかったかな。
向こうに見えている灰はもち米の藁の灰。
これをまぶしてから火に入れます。
表面を土と灰で覆うことで、鋼を火の中に入れた時に
表面だけでなく中まで均等に熱を入れることができるのだとか。
鋼は鍛錬するほどに均質化し、硬度も上がってくるのですが、
回数が多すぎると逆に均質がしすぎて「面白味がなくなる」ということです。
そのあたりの塩梅を見定める目も刀工には必要なのです。
続いて先ほどの男性のお連れ様。
彼女は慎重派で、何度も隣の刀鍛冶に
槌の持ち方や振るい方を確かめていました。
なかなか勢いがありますね。
前の男性とこの女性は数人の外国人グループにでしたが、
(でないとこんなところに来ないよなあ)
同行の日本人が写真を撮りたいというので場所を代わってあげました。
日本刀を打たせてもらうなんて、ちょっと普通ではない
貴重な日本文化の体験となったに違いありません。
さて。
なんだなんだ刀鍛冶場からいきなりエーゲ海?
と思われた方、驚かしてすみません。
これはですね、長船から車で20分ほど行った、
瀬戸内海を望む牛窓というところにあるホテルです。
例の市長さんが「こんなところもありますので是非」
とご案内くださった風光明媚なリゾートホテル。
寒さに震え上がるほど風の冷たかったこの時でさえ、
写真にとってみれば地中海に見えないこともありません。
牛窓というところは地中海気候に似た瀬戸内気候なので、
オリーブの栽培が盛んで、自称「瀬戸内のエーゲ海」。
さらにそのオリーブ畑から見下ろす瀬戸内の眺めは素晴らしく、
そこには「ローマの丘」という広場が・・。
うーん。
こういういかにも欧米崇拝型「地方銀座」的なネーミング、
「日本のハワイ」とか「日本のエーゲ海」とかって、はっきり言ってすでに
「憧れのハワイ航路」の時代のセンスという古臭さが拭えません。
しかも、
このローマの丘も、なぜローマかというと、ここにはまるで
ローマの神殿のような6本の柱があるからなんですが、
この柱、なんと
岡山空襲で被災した旧三井銀行岡山支店の瓦礫
を移設したものなんですって。
つまり「戦跡」なんですが・・・それを「ローマの丘」。
これが本当のローマンチックってやつか?
いや、戦跡をローマンチックはまずくないか?
確かにこれでは瀬戸内のエーゲ海としか言いようがありませんが。
ホテル専用のヨットがあり、乗ることができる模様。
ここにも、こちらはギリシャをイメージしたエンタシスが・・。
こうして写真に撮るとそれなりですが、実際に見ると
経年劣化による部分部分の綻びはどうしても隠せません。
「これは・・・1990年前後、バブル終わり頃のセンスですね」
とわたし。
後でホテルの人がまさに
「当ホテルはバブルの終わり頃にできまして」
とそのままの言葉をおっしゃっていたのでおかしかったです。
オープン当初は、近くのヨットハーバーは豪華なヨットで溢れ、
ホテルにも毎日のように観光バスが列をなして、人々が訪れたそうです。
しかしつはものどもが夢の跡、諸行無常の響きあり。
往時のバブリーな建築だけが栄華の名残を残すのみで、今や
地元の老人会の謡教室発表会が行われる(本当にやっていた)
地元密着型の庶民的な会合の場へと・・。
さらに牛窓観光協会のHPを見たところ、瀬戸内交流フェスタとやらで
「朝鮮通信使行列や、サムルノリとプチェチュム(扇の舞)」
という、瀬戸内とそれ、なんか歴史的に関係ありますか?的な、
ねじ込まれ(たらしい)ヤケクソ(にしかみえない)イベントが・・。
バブルが消えたので次は韓流ですか?
韓流、流行ってませんよ?わかってますか?
と思わず観光局を叱咤してしまいそうな迷走ぶりです。
だいたい地元の子供にわざわざ朝鮮通信使の格好なんぞさせるなよな(−_−#)
昔は全席が毎日3回転ずつしたのかもしれないダイニング。
なんとこの状況で強気にもアラカルトなしのコースのみ。
昼時でとなりのカフェは結構人がいたのに、こちらは私たち三人だけでした。
手前はここ自慢のオリーブソーダ。
しかし、食材が新鮮で美味しいのはもちろんのこと、
シェフも腕利きなのかお料理はなかなかのものでした。
「広島の牡蠣より美味しい」と地元の人が胸を張るカキフライは、
TOが注文したコースのアペリティフ。
薄い仔牛のカツレツはこの日食べた中で一番美味でした。
これも名産であるレモンがあしらわれています。
メインはスズキのクリームソース。
上に乗っているのはマッシュルームを飾り切りしたもの。
粒胡椒が味を引き締めていました。
食事が終わって、フロントマネージャーに部屋を見せていただきました。
日曜日の午後で、宿泊客はチェックアウトしてしまった後とはいえ、
あまり部屋の稼働率は良くなさそうに見えました。
ハイシーズンなどはそれなりに賑わうのかもしれませんが・・。
折しも怪しくなってきた雲がかかり始め、寒々とした海は
なんだか余計に「もののあはれ」を感じさせます。
バブルと前後して起こった「ペンションブーム」の頃は賑わったそうですが、
とりたてて大きな観光地があるわけではない地方が、
観光で栄えるというのは、ここに限らず難しい時代なのも事実です。
それでも、新しいセンスでリノベーションすれば、
都会からそれなりに人を呼べると思うのですが、
何しろそれに先立つものが・・・、という状態なのでしょう。
先ほどの市長さんもこの市を盛り上げていくにはどうしたらいいか、
頭を悩ませている毎日なのではないかと思われました。
「日本のエーゲ海」「日本のローマ」とかではなく、
「刀剣とエヴァンゲリヲン」とのコラボに見られるような
伝統文化と今を融合させる試みの方がはるかに人を呼べると思うのですが、
恒久的な集客には繋がらないのが辛いところです。
食事が終わって、最寄りのJRまでタクシーでまた20分。
ここも無人駅で、駅前には喫茶店どころかコンビニもありません。
駅前のコインランドリーで寒さをしのぎ、
1時間に2本くらいある岡山行きの電車を待ったわたしたちでした。
ー糸冬ー