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三井造船資料室~捕鯨船の戦時徴庸とはるさめカレー

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三井造船資料室で見た資料シリーズ、(まだ終わってないのよ)
今日はその他の船についてお話しします。

冒頭写真パンフレットのまず左側。

『つばろん丸」進水記念

とあります。
「つばろん」TUBARAO はブラジルの、つまりポルトガル語で「サメ」を意味し、鉱石兼油槽船です。



船体の大部分がタンクになっているだけあって、甲板に艦橋以外の構造物がまったくありません。

この「つばろん丸」の姉妹船は「ぶらじる丸」。
先日お話しした戦時徴用船「ぶら志’’る丸」の二代目です。



豪華客船であった「ぶら志’’る丸」。
徴傭され、トラック島に回航されたときには、かつてはスイートルームであった
「宮島」「鎌倉」という日本の観光地から取られた名前を持つ特別室は
霊安室として使われていました。

「ぶら志’’る丸」の食堂は、染色作家の手による総絹糸織りの
「手織錦」が飾られた豪華なものであったと言われます。

前回もお話ししたように、この初代「ぶら志”る丸」は、空母に改造されることが
決定し、トラックから横須賀に回航途中、米潜水艦に撃沈されました。



二代目の「ぶらじる丸」は戦後ブラジルへの移民船として活躍しました。
この写真は白黒でわかりませんが、船体がバイオレットに塗装され、その華やかさが衆目を集めたそうです。

東京オリンピック頃の移民の減少と共に存在意味を失い、鳥羽で博物館になっていましたが、
現在は中国の上海で、アミューズメント施設やレストランとして営業しているそうです。



そして三代目の「 BRASIL MARU 」。

2007年ということは大変新しい船です。

三代がそれぞれ同じ発音でも表記を変えているのには意味があって、
おそらく用途が全くことなるスタートであるからでしょう。
ごらんのように、この 「 BRASIL MARU 」は冒頭写真の「つばろん丸」と同じ、輸送船です。

 「 つばろん丸」の後継船は「TUBARAO MARU」で、「 BRASIL MARU 」の同型艦です。

つまり

ぶら志る丸(客船)→ぶらじる丸(移民船)→BRASIL MARU (輸送船)
         つばろん丸(輸送船)→TUBARAO MARU(輸送船)

ということになります。
ちなみに「TUBARAO MARU」は世界最大級の鉄鉱石専用線となっています。



「隆和丸」(りゅうわまる)。

木材運搬船として神戸の「隆昌海運」の注文で昭和39年建造されました。
その後パナマ船籍になり、昭和53年香港で解体されています。

この同じ名前を持つ「隆和丸」は、昭和20年8月3日、空爆によって戦没し、
その際乗員7名が死亡しました。



「第12京丸」。

昭和15年8月3日進水、とあります。
「京丸」で調べると、それは代々捕鯨船で、「第1京丸」は太地町の
「くじら博物館」の横に陸揚げされて展示されているということがわかりますが、
「第12京丸」についてはその経歴などは検索にかかってきませんでした。

辛うじて引っかかってきたこの一代目の「第1京丸」は、

昭和13年進水、とありますから、ちょうど「第12」の2年前。
当時は捕鯨も盛んでしたから、コンスタントに建造されていたのでしょう。

昭和14年には日本に大型冷凍工船が導入され、鯨肉が普通に消費されていたこともあり
その後塩蔵工船などによる缶詰加工が盛んになりました。
「第1京丸」と「第12京丸」はそんな時期の捕鯨船だったわけです。


しかし「ぶら志’’る丸」のように、捕鯨船もまた戦時には軍徴傭される運命でした。
大東亜戦争時の日本では、95隻のキャッチャーボートが

特設駆潜艇(潜水艦の駆逐)や特設掃海艇(機雷の掃海)

などの特設艦艇(海軍が徴用した民間船)として海軍艦艇の補完用に徴用されています。

また、大戦に突入したときには日本には捕鯨母船が6隻ありましたが、
その全部が徴用され、すべてが戦没することになりました。

母船だけでなく、クジラ漁獲に使うキャッチャーボート67隻も全て失われています。

キャッチャーボートは捕鯨砲を船首に備え,マストは見張りのため高く、
クジラを追うために速くて小回りのきく船です。

いくつかの「京丸」の戦歴を挙げてみます。


第1京丸 昭和16年 掃海艇に徴庸
    昭和20年1月ペナンで戦没 原因・触雷

第2京丸 昭和15年 特設駆潜艇に転用
    昭和19年8月ミンダナオで戦没 原因・敵潜水艦の雷撃

第3京丸 昭和16年 掃海艇に転用
    昭和18年2月ビルマ・ラングーン河で沈没 原因・触雷

第6京丸 昭和16年 特設 駆潜艇に転用
    昭和18年11月マーシャル沖で沈没 原因・座礁

第7強丸  昭和16年 特設 駆潜艇に転用
    昭和19年12月 母島沖で輸送任務中沈没 原因・触雷

第7京丸 昭和16年 特設 駆潜艇に転用
    昭和19年2月 母島沖で沈没 原因・敵磁気機雷に触雷

第10京丸  昭和16年 特設 駆潜艇に転用
    昭和19年2月 テニアンで沈没 原因・潜水艦の雷撃 

第11京丸 昭和15年  特設 駆潜艇に転用 
    昭和17年3月 ルソン島沖で沈没 原因・P−40による攻撃


肝心の第12京丸の戦歴が見つからなかったのですが、おそらく
他の京丸と同じく駆潜艇か掃海艇に改造され、触雷か、敵の潜水艦か・・。

いずれにしても戦没していることは確かです。

捕鯨船が徴庸されて軍用船になるとき、兵装は例えば第三京丸で次のようなものでした。 

八糎砲1門、爆雷、大掃海具2組、小掃海具2組




巡視船「えちご」

三井造船は1951年(昭和26年)巡視船「おき」を建造して以来、
各種の機能を有する巡視船を海上保安庁に納入してきました。

巡視船「えちご」は三井造船が開発した

高密度集約型システム

を装備した最初の船で、光伝送によるLANが船内に採用され、
航海、期間、航空管制情報を船橋において一括で監視することができます。

船首部には機銃2基、あるいは荒海でも警備救難業務が遂行できるように
船側部に2基のフィンスタビライザー(航行時の揺れを抑える減揺装置の一種)
装備しています。



護衛艦「はるさめ」DD−102

1997年(平成9年)防衛庁向け4,400排水トン型
最新鋭護衛艦「はるさめ」。

ステルス性を考慮した船体に加え、対空・対潜ミサイルの垂直発射装置(VLS)
の採用による戦闘システムの強化と省力化、省人化対策など、新型装備の
最新鋭護衛艦です。(でした?)

就役後は、横須賀基地に配備され、2009年にはソマリア海賊の対策部隊として
派遣され、ソマリア沖を航行する商船の護衛任務に就きました。 

旧海軍「春雨」型駆逐艦、「白露」型駆逐艦、「むらさめ」型護衛艦
の各艦に続く4代目で、「むらさめ」型の2番艦です。

ところでこの「はるさめ」ですが、あの護衛艦カレーグランプリに

「チキンスープカレー」

で出場しているんですよね。
(話題が古すぎる?これには色々とエントリアップの事情がありまして)

スープカレー!とこれを見たとたんそのオリジナリティに注目し、
他のはともかく、これだけは食べてみたいと思ったのですが、
このグランプリでカレーを一口も食べず、エリス中尉が徒手を虚しくして帰ってきたことは
ブログ読者の皆様には記憶に新し・・・くないですねすみません。


とにかくこのカレーグランプリに臨む「はるさめ」の作戦チームは、

「せっかく艦名なんですから春雨ってカレーに使えませんかねえ」
「スープ仕立てにでもすれば使えるかもしれんな」
「スープ仕立て!いいですね。・・・・ていうか春雨、別に要らなくね?」
「・・・じゃただのスープカレーってことで」

という経緯でスープカレーに決定したのではないか、に一票。









 


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