呉海軍墓地にある慰霊碑の数々を巡ってお話ししていますが、
慰霊碑をきっかけに海軍艦について調べることによって、
またもや今まで抜けていた知識のピースがはまっていき、
一つの絵が見えてくるように全貌がはっきりしてきたこともあります。
艦の来歴、エピソードなども、こんなことでもなければ書くことありませんが、
艦それぞれを「擬人化」するとしたらその勇壮さにわくわくし、
自分を犠牲に他の艦を守る姿に涙し、ときには声を上げて笑い・・・。
「艦隊これくしょん」のファンがこのゲームをするようになってから
二次的に歴史に興味を持たざるを得なくなった(ファンの誰かがそう書いていた)
というのも当然のことかもしれない、とわたしは思うようになりましたですよ。
だって、艦暦や時代背景を知らないとゲームはできない(ですよね)し面白くもないから。
ところで、去年の末にこんなことがありました。
北海道新聞が結論ありきで「艦これ」のゲームをする人にインタビューし、
その答えを捻じ曲げて、
「ゲームを通じて戦史を知り旧海軍がかっこいいと思うようになった。
丸腰で平和を訴えても国は守れない。言っても分からない国に対抗するには抑止力が必要」
などと言ったことにし、さらには埼玉大の一ノ瀬俊也准教授(43)=日本近現代史=とやらに
「祖国を誇りたい気持ちがゲーム人気につながっているが、ゲームで戦うのは自分ではなく少女。
他者に守られたい気分が、勇ましい政策への漠然とした支持に流れている」
とか言わせ、一面囲み記事にしたのです。
最初からマスコミの囲み記事など記者の思想宣伝にすぎん、
という認識を持っている者には「ああ・・」と察してしまうありがちな記事にすぎませんが、
これが果たして記者の創造、いや捏造記事であったことは、この後このインタビュイーが
実際にネットに降臨して、
「こんなこと自分は言っていない」と言明したことで裏付けられたという顛末です。
つまりこの准教授とやらの分析には「何の意味もない」ってことになったわけですが、
北海道新聞の御用記事専門らしいこの准教授の背景はさて置おいて(笑)、
問題は北海道新聞が、これをウルトラ三回転半左ひねりで、見事な
「安倍自民と集団自衛権への批判」に持って行ったってことなんですね。
しかも記事が書かれたのは12月5日、つまり参院選前でした。
利用できるものはゲームすら利用して自民を叩く、さすがは赤い大地の新聞社。
そのタイトルもすごいですよ。
「安保 丸腰で国は守れない」「勇ましさ求める」「それ 本当の強さですか?」
ときたもんだ。
タイトルで自己完結してやんの。もしかしたら それ 本当の”度し難い”馬鹿ですか?
(”度し難い馬鹿”は最近尊敬するある方が使っていたので個人的にウケた表現)
「勇ましい政権を支持している」のはイコール「艦これ」のゲーマーなんですか?
記者的には「艦これ」ゲーマー(提督といってあげてね)イコール安倍政権支持なんですか?
だとしたら「艦これ」、侮れん。
一国の政治をムードすら変えて動かせるほどの、ものすごい潜在競技人口なんですね。
と相変わらずマスゴミ批判に流れてしまいましたが、本題と参りましょう。
冒頭写真は
重巡洋艦「三隈」戦没者慰霊碑
ところで、以前この「海軍墓地シリーズ」でお話ししたことがある
「第四艦隊事件」
を覚えておられますでしょうか。
事件などというから不祥事でも起きたのかと思ったら、
台風の中訓練に出た第4艦隊41隻のうち19隻になんらかの損傷が起きた
という、つまり海難事故だったんですね。
海軍はなんでも一応「事件」と称することによって、大事故や山本五十六の戦死を
すぐにそうと分からないようにしていたようですが、(たぶんね)この場合は、
単なる不運な海難事故ではなく、軍艦設計のミスという海軍を震撼させる事実が露わになった、
やっぱり「事件」と言うべきものでした。
第4艦隊事件の場合、まず、異常な規模の台風が来ているのに「これも訓練だ!」
と演習を中止せず艦隊丸ごと嵐の中に突っ込んでいった、という判断が大間違いだったってことになりますが、
そもそも最悪の非常時を想定して訓練するのは、軍として当たり前の行動です。
問題はこの嵐で多くの艦のとんでもない設計ミスが露呈してしまったことなのです。
このときの損害を列記しておくと、
空母「鳳翔」 前部飛行甲板損傷
空母「龍驤」 艦橋損傷
重巡「妙高」 船体中央部の鋲が弛緩
軽巡「最上」 艦首部外板にシワ、亀裂が発生
駆逐艦「夕霧」「初雪」 船体切断、艦首喪失
駆逐艦「睦月」 艦橋圧壊、艦首損傷
駆逐艦「菊月」「三日月」「朝風」 艦橋大破
駆逐艦「白雪」「朧」 艦首屈曲
駆逐艦「潮」「曙」「叢雲」 艦尾歪み亀裂
駆逐艦「天霧」「白雪」「薄雲」 船体小破
潜水母艦「大鯨」 船体中央水線部、艦橋前方上方外板に大型の皺
とくに悲惨だったのは最新型であった「吹雪型」の駆逐艦、
「夕霧」「初雪」の船体切断、艦首喪失でした。
「初雪」は艦首の部分がすっぱりと切れて海に落下したのですが、
この中には暗号解読表などの機密書類を保管している電信室があったため、
無事だった重巡「那智」が曳航を試みたのですが、あまりにも波が高く断念。
そして漂流して敵の手に渡ることを恐れ、これを艦砲射撃で沈めてしまっています。
まだ中に生存者がいたのにもかかわらず・・・。
ところで、何故「三隈」の項でこの話をしているかというと、
このときに「三隈」が第4艦隊にいてこの強風でも無事だったからですが、
これにはちょっとした「三隈」の幸運があったのです。
実はこの第4艦隊事件にさかのぼること1年半まえの1934年3月12日、
佐世保港外にて水雷戦隊が行っていた荒波の中での演習中、
「千鳥」型水雷艇の「友鶴」が、設計上は耐えられるはずの荒波で転覆してしまうという
「友鶴事件」
が起きました。
千鳥型水雷艇「友鶴」が転覆したという事故で、乗組員113人中死者行方不明者100人、
という痛ましい結果となったのです。
この事故原因、実は1930年の「ロンドン軍縮条約」にありました。
海軍はこの条約によって、戦艦のみならず巡洋艦や駆逐艦など、
補助艦艇の保有にも制限を加えられることになったため、制約外だった小さな艦艇に
駆逐艦以上の重武装を施し、これを「水雷艇」としました。
「艇」といいつつ実質小型駆逐艦の様相を呈していたわけです。
つまり簡単に言うと、これがとんでもないトップヘビー設計で、復元性がなく、
水雷艇「友鶴」は強風で40度傾斜しただけで転覆してしまったのです。
佐世保鎮守府司令長官米内光政の命により、徹底した調査が全艦に対して行われたのですが、
ちょうどこのとき進水式をつつがなくすませ、艤装工事真っ最中だったのが、
そう、「三隈」でした。
「友鶴事件」の影響はあまりに大きく、「友鶴」を設計した艦政本部藤本喜久雄少将の
手がけた最上型(つまり「三隈」の型ですね)は全て設計が見直され、
まず「最上」の船体推進軸付近や内部構造に破損が見つかったため、
急遽「三隈」も同部分の補強を兼ねて工事のやり直しがなされたのでした。
ちなみに藤本少将はこの後全ての責任を負い、心労のためか翌年死去しています。
責任は少将一人にあったわけではなかったと思うのですが・・。
つまり、「第四艦隊事件」で「三隈」が損傷を受けたとはいえ「初雪」のような
重篤な損害に至らなかったのは、この時補強工事が施されていたからともいえます。
ただし、やはり「友鶴事件」の後修理された「最上」は、上の表でもおわかりのように、
艦首部外板にシワ、亀裂が発生
という、これも欠陥設計としか思えない損傷が生じていますから、
もしかしたら「三隈」は幸運だっただけかもしれません。
不幸中の幸いでこのとき沈没した艦はありませんでしたが、一つ言えるのは、
艤装時に補強していなければ、「三隈」は沈没していた可能性もあるということです。
この時の教訓は海軍に生かされ、同型の事故は以後起こらなくなりました。
海自はこのときの「トップヘビー恐怖症」の伝統もしっかりと受け継いでおり、
トップヘビーな近隣諸国の軍隊の軍艦を心から心配しているそうです。
何も起きないといいですね。・・・あ、彼の国の民間船はもうひっくり返った後か・・。
三隈
さて、先ほどの「艦これ」でいうと、「三隈」の「運」は5です。
この5というのがどういうレベルかゲームを知らないわたしにはわからなかったので、
とりあえず「雪風」を見てみたところ、こちらは50。つまり50点満点のようですね。
どうやら「三隈」はかなりの不運艦だと見られているようです。
第4艦隊事件ではある意味幸運だった、と言ったばかりのわたしの立場はいったい・・。
それはともかく「三隈」の運が5点とされている理由は、その最後でしょう。
ミッドウェー海戦で「三隈」は第7戦隊の3番艦として単縦陣を組み航行していました。
旗艦の「熊野」にいたのはあの「謎の反転」で有名な少将(当時)です。
そのとき。
米潜水艦と会敵した(と思った)ため、戦隊は一斉に左回頭を行います。
旗艦の「熊野」が発した「左45度一斉回頭」という2回の命令が
2番目の「鈴谷」、「三隈」、最後尾の「最上」つまり全艦に混乱を引き起こし、
隊列が乱れた後「最上」が前を横切る「三隈」に突っ込む形で衝突してしまいました。
その衝撃は凄まじく、ほぼ全員が被弾したと思ったくらいで、
「三隈」の艦体にまともに突っ込んだ「最上」は艦首が潰され、「三隈」の方も
ぶつかられた方の左燃料タンクが破損するという損害を受けます。
その後栗田少将は、衝突した両者にトラック島に帰還するように命令しました。
いまや「三隈」は「最上」を指揮する形で、手負いの二隻による航行を続けていました。
「三隈」の破損されたタンクからは、まるで目印のように油が海面に筋を引いています。
それを発見した偵察機からの連絡を受けて、彼女らに米軍の急降下爆撃機12機が襲い掛かりましたが、
この時の攻撃で両者には大きな損害はなく、逆に米軍機を対空砲で撃墜しています。
問題はこのあとです。
「三隈」は傷付いた「最上」に駆逐艦「荒潮」「朝潮」を護衛につけ、
3隻を残して単独で退避行動に入ったのです。
これって・・・・・つまり、
「三隈さんは足手まとい(最上さん)を駆逐艦に押し付けて自分だけとっとと退避した」
ってことでいいですか?
「羨望の思いでそれ(三隈の離脱)を見送った」
という最上乗員の証言があるのでそうだったと考えてもいいかもですね。
が、「三隈」の離脱前、この二隻と駆逐艦2隻を「空母と戦艦の艦隊」と米軍索敵機が誤認したため、
米軍は大編隊の艦載機を、この傷だらけの艦隊に差し向けてきていました。(T_T)
次々と襲い来る艦載機の攻撃は、「最上」より動き回って反撃してくる「三隈」に集中し、
・・・・・ついにその命運尽き、彼女は大破することになります。
wiki
「荒潮」がすぐさま生存者の多く(250名)を海から救出しますが、
そこに米軍機が来て、海面の乗員や救助中の短艇に執拗に銃弾を浴びせました。
この銃撃で「荒潮」からも戦死者が35名出ています。
この写真は戦果確認にきた米軍機によって撮られたものですが、
彼らはすでに「最上」と駆逐艦二隻は発見することはできませんでした。
夜になって「朝潮」が生存者の救助のために「三隈」のもとに向かいますが、
もうその時には海面に彼女の姿は影も形もありませんでした。
誰にも見られずに海の底に消えて行った後だったのです。
『三隈は損傷なく専ら最上の援護に当たりしつつありしに、其身反りて斃れ最上の援護の目的を果たす。
右両艦の運命こそ奇しき縁と云うべく、僚艦間の美風を発揮せるものなり』
(宇垣纏 戦藻録)
宇垣長官は「三隈」が「最上」を援護するために自分の身を犠牲にした、
とどうも思っているような言い方です。・・っていうかそう思ってますよね?
確かに結局「最上」は「三隈」に攻撃が集中したことで生還できたわけで、
それをもって「三隈」は結果的に「最上」の援護をなしえたことになるのですが、
一度「三隈」は自分だけ避退しているわけだし・・。
ここで、わたしたちは「熊野」や「三隈」を「オカの倫理」で・・・、
そう、彼女らを「艦娘」たちで擬人化するように、その艦隊行動を人間社会の倫理で裁いてしまいがちです。
「熊野」は無傷の「鈴谷」を連れて自分たちだけ逃げた。
「三隈」は「最上」を置いて自分だけ逃げた。
これだけ見ると決して宇垣長官の言葉にある「美風」とはとても言えません。
戦時下に決断を下すとき、艦を動かす人間はまず合理性で判断します。
「最上」を守るために無事な艦まで残って全滅する、という可能性を考慮して避退するとか、
燃料が漏れている「三隈」に「最上」は守れないと判断して避退するとか。
軍艦を走らせるためには燃料がいることや、戦闘行動は何十時間も続けられない、
という海の上の基本が時としてこのような一見非情な判断ともなるわけです。
例の栗田反転にしても、臆病だったと非難するのが後世のムードとなっており、
このため、このときの栗田少将のとった「熊野」の行動までもを非難する意見があります。
(後ほどこの件について検証したところ、わたしも非難するしかなかったのですがそれはさておき)
「あれは結果論であり、謎の反転でもなんでもない」と、現場にいた谷川澄人氏などが言うように、
「戦時の理論」それに加えて「海の上の理論」という、平時や陸のそれとは違う
「軍艦の行動論理」があることを、我々は評価する前に考慮してみてもいいかもしれません。
旧軍軍艦を美少女に擬人化し、感情移入することでさらなる楽しみを得る「艦これ」ですが、
現代の、そして陸の倫理で読み解こうとすると理解できなくなる「艦娘」の行動もありそうです。