わたしがいつぞやネットを探して古本屋で見つけた
元海軍主計中佐、瀬間喬著「日本海軍生活史話」は、旧海軍の「食」に関する
あらゆる資料が掲載されている労作(昭和60年発行)です。
食べることはある意味戦闘以前に軍隊にとって重要な一事であるため、
それらを司る役目である主計は重職であり、その元主計士官によって集められた資料は
海軍に留まらず戦前の日本の「食」のあり方を窺い知る貴重な記録となっています。
んが、ありがちなことですが、実際のところ日本海軍は糧食、補給、廚業に対し
まともな関心を払わぬことが多かったようです。
この著者である元海軍主計中佐に言わせると、糧食に関することは主計科に丸投げで、
肝心の主計科士官たちの中でも、本流は会計経理に進むため、
衣食に携わる主計業務は蔑視に近い軽視という扱いを受けていたというのが実情だったそうです。
それでは陸軍はどうだったかというと、なぜか海軍よりずっとマシだったらしいのです。
2・26事件の首魁であった磯部浅一は一等主計でしたが、もともと安藤輝三大尉と同期の
歩兵であったのにわざわざ主計に転科しています。
その理由というのは、貧農家庭出身の磯部らしく、
「革命のためには、経済学を専攻する必要がある」
という深謀からきたものであったそうですが、いざ転科してみたら磯部大尉の意に反して
”飯炊き勉強ばかりやらされて”、というくらい廚業重視で本人苦笑、というものであった由。
今も昔も「海はグルメ」ということになっているのにこれはいかなることでしょうか。
食に対してこだわりはあってもそれをするのは下の者の仕事、という感覚?
瀬間元主計大佐は、このあたりの意識に甚く不満を感じていたようで、この本の後書きで、
「司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』の中で『上は大将から下は主計兵に至るまで』
とあったが、いかにも主計兵が最下等のものであるようで快い気持ちはしなかった」
とうらみつらつら書いています。
司馬遼太郎が意識せずに、しかし深層心理のうちに
主計は兵科よりも下等なものであると認識していたのが現れたということでしょう。
しかし司馬遼太郎のような所詮権威主義の言うことはこの際置いておいて。
当たり前ですが、食は軍隊の最基本です。
食べねば軍隊は機能せず、それどころか戦わずして負けてしまうのです。
事実、後年南方に日本軍が進出していき、戦闘どころか根拠地で食料不足になったときに、
その壊滅を未然に防いだのは往々にして司令官ではなく優秀な主計士官でした。
現地との折衝や食料の自給、それらを計画指導し、主計士官が部隊を救った例は沢山あります。
そして艦艇生活での食。
それは選択の幅のできる陸よりずっと重要視されており、
従って海軍軍人に一番愛され人気のあったのは、他でもない給糧艦「間宮」でした。
「艦これ」ブーム以来、プラモデル会社の人々が一番驚いているのが
「間宮」の模型が売れることだそうです。
「間宮」は艦これ的にも愛されキャラとして絶大な人気があるそうですが、
それもこれも実際に彼女が海軍さんたちに深く愛されていたという史実からきています。
彼女の特徴のある一本煙突はそのままあだ名になり
「おお、一本煙突が来たぞ」
と、すべての軍人たちが・・・・それこそ上は大将から一水兵に至るまで、
「間宮」の来るのを待ち望み、大喜びでこれを迎え、昭和19年12月に
南シナ海で戦没したという報せには多くの軍人が涙したといいます。
つまり「間宮」は「士気を高める」という意味で戦闘に役立っていたのです。
本筋ではありませんが、もう少し間宮についてお話ししておくと、「間宮」は特務艦で、
軍艦ではないので、軍艦旗は掲揚していますが艦首に菊の御紋章はつけていません。
後部上甲板には一応もしものときのために肉牛の屠殺場があったそうです。
屠殺人もおらず、そもそも肉牛など乗せることもなく、結局一度も使われないままでした。
真水や氷などの配給も行う関係で、洗濯機がなく洗濯夫の乗っていない
駆逐艦などの艦のために、洗濯を代わりにしてあげることもできました。
艦隊のお昼ご飯はだいたい洋食だったので、「間宮」では毎日パンを焼いていました。
つまり、「間宮」が寄港した艦隊の乗組員は毎日焼きたてのパンを食べていたのです。
艦内生産をしていたのは有名な羊羹、最中、洗濯板と称するパン菓子、こんにゃく、豆腐。
そして今日話題のアイスクリームです。
「大和」にもアイスクリーム製造機があったという話を書いたことがありますが、
こちらの真偽は少々怪しいようで、冷凍室があったのだからアイスクリームも作れただろう、
といった程度の話であるようです。
もっともアイスクリームの作り方というのは簡単といえば簡単で、冷凍庫さえあれば
それで冷やし固めたものを手で2時間おきに練ればできあがるので、
(フランスの王宮の料理人は事実そうやって作っていた)「大和」でも
フランス料理を供する時などには大きなしゃもじで練って作っていたのかもしれません。
余談ですが、海軍の食事レシピは、供する相手が士官か兵かで微妙に変わってきます。
一言で言うと材料費と手のかかるものは士官にしか出しません。
昭和7年に海軍主計に使用されていたデザートレシピによると、
ベークドアップル・・・士官
ピーナッツボール(ドーナツボールのこと)・・・兵
マデルケーキ(マデル酒を入れたパウンドケーキ)・・・士官
ダンブリン(牛のケンネン油に粉を混ぜて焼いたケーキ)・・兵
といった具合に差がつけられています。
牛の腎臓周りの脂を「ケンネン油」といったそうですが、こんなものをお菓子にするか・・・。
普通、アイスクリームを作るときには生卵を熱さずに使いますが、
「間宮」のアイスクリームは食中毒の恐れがないように卵を使わず、
缶入りのカーネーションミルク(無糖練乳)を使用して作ってあったそうです。
もしかしたら「アイスミルク」のようなさっぱり系だったかもしれません。
「間宮羊羹、「間宮最中」とともにこのアイスクリームは廉価(皆お金を払って食べていた)
で供給するために大量生産を目標としていましたが、材料、製造法が
正直で真っ当であると艦外からも大変好評であったということです。
さて、というのは前置きで、本題に入りましょう。
アメリカ人というのはアイスクリームが好きです。
ある調査によると、アメリカ人のアイスクリーム消費量は平均年間一人当たり48パイント、
世界で最もアイスクリームをよく食べる国民だそうです。
昔は日本にはアイスクリームだけ売っている店なんてのはなかったのですが、
いつの間にかアメリカの「サーティワン」などが進出してきて、
モールのブース程度とはいえ、専門店が普通に並ぶようになってきました。
しかし、アメリカでは「アイスクリームだけ売っている」店が昔から普通にありました。
これはどういうことかというと、冬でもアイスクリームを食べる人がいたということです。
冬でも食べるのですから夏はもう1日一回はアイスクリームを食べずにはいられないようで、
息子の学校の近くのアイスクリームスタンドに、真昼間なのに老若男女
(車でないと来られませんから)が涼を求めてウィンドウに鈴なりになっています。
こういうのを見るたび、アメリカ人のアイスクリーム好きに感嘆してしまうのですが、
これは軍人であってもいささかも変わりなし。
アメリカ軍では、軍隊の士気向上のためにアイスクリームは不可欠と考えていました。
米国陸軍省が部隊の士気を維持するために不可欠な6項目をリストアップしたのですが、
そのうちの1項目は”アイスクリーム”だったそうです。
まじで。
日本人が白い米にこだわったように、アメリカ軍人はアイスクリームによって鼓舞されたのです。
ちなみにあと5項目がなんなのかは知りません。
陸軍には日系人部隊がありましたが、日系兵士たちもアイスクリームジャンキーであったらしく、
日系人による諜報部隊について書かれたサイトを見ていたら、
「生きた捕虜を連れて行ったら褒賞としてアイスクリームがもらえるように上に説得し」
などという文章が見つかりました。
・・・・この捕虜って日本人のことですよね?
そして、アメリカ海軍。
第二次世界大戦(アメリカの話なのでこう言いますね)のとき、米海軍は、
太平洋で戦う将兵たちのために、100万ドルを費やして「アイスクリーム・バージ」なる船を作りました。
特務艦の一種ですが、その船の任務はただ一つ。
1,500ガロンのアイスクリームを作り、保存すること。
うーん・・・海軍軍人になってこんな船の艦長に任命されたらどう思うかなあ。
だいたいそんなもん本当にあったのか?とかなり疑問なのですが、
アメリカ人の間でもやはり眉唾扱いされているネタだそうです。
しかし幾つかの文献を当たったところそれはどうやら本当だったらしく1945年に就役し、
「世界初のフローティング・アイスクリームパーラー」と呼ばれていたとか。
その資料らしきものがこれなのですが、どうやら「ナショナル乳業」という企業が
宣伝も兼ねて軍の依頼を受けて作った船みたいですね。
アイスクリームだけでなく他のものも乗せていたみたいで、
1500ガロンではなく500ガロンとなってはいますが、いずれにせよ
この船を見守る兵隊さんの満面の笑顔を見ても、アメリカ人が
「アイスクリームがたくさん!ってことはアイスクリームバージだ!」
とはしゃいで名前を勝手につけたらしいことが薄々予想されます。
はしゃいだと言えば、なんでも戦争中、ある軍艦にアイスクリーム製造機が届き、
嬉しいのではしゃぎすぎて足を骨折、本国に送り返された兵士がいたというくらいでして。
どんだけアイスクリーム好きなんだよ。
間宮さんが人気があったのは特に駆逐艦にない設備が整っていたからでしたが、
アメリカの駆逐艦な野郎たちも
「大型艦にはあるのにうちらにはアイスクリームメーカーがない!不公平だ!」
と随分ご不満だったようで、こんな制度を考え出しました。
When destroyers picked up downed pilots they were rewarded with ice cream from the carrier,
in one particular case, an squadron commander got a destroyer 25 gallons of ice cream :P.
駆逐艦が海に落ちたパイロットを助けたら、空母からご褒美としてアイスクリームがもらえたというのです。
ある駆逐艦の航空隊指揮官は、25ガロン(約100リットル)
のアイスクリームを褒賞として受け取った、とありますが、
なんでもこの単位は、「助けたパイロットの体重分」という噂です。
いずれにせよ、人命救助のご褒美にアイスクリームとしたあたりにユーモアと良識を感じますね。
このサイトでついでに拾ってきたアイスとは関係ない話ですが、大戦中、
USSオバノンという駆逐艦は、ある夜の航行で浮上していた日本海軍の潜水艦と遭遇しました。
オバノンはそれまで超近接した潜水艦相手に戦闘をする訓練をしたことがなかったので、
どうしていいかわからず、とりあえずジャガイモを投げたそうです。
日本軍の潜水艦乗員は手榴弾だと思って急いで駆け寄り、即座に投げ返してきました。
その後、息詰まるようなジャガイモの投げ合い・・・にはならず、
オバノンは急いでその場から離脱し、同時に潜水艦の方も沈んで逃げたそうです。
さて、というわけで縷々お話ししてきましたが、ようやく冒頭マンガについてです。
題材が題材なのでアメコミのタッチで描いてみました。(描線を増やしただけですが)
米海軍では空母や戦艦など、大きな船には必ずアイスクリーム製造機が装備されていましたが、
一台しかないので、アイスクリームだけは階級関係なしに並ぶことになっていました。
日本海軍はメニューの手間ですら階級差がありましたし、米軍も基本的にそうなのですが、
ことこのアイスクリームについては万民平等、水兵はもちろん提督であろうが一列に並んで待つべし、
と決められていたというのです。
全ての者はアイスクリームの前に平等である。てか?
ある日、その掟を知らず列の先頭に割り込んだ新米士官たち。
長蛇の列の中から大喝されてそちらをみると、声の主はハルゼー提督だったというお話。
このほかにも、自艦にアイスクリームメーカーを導入させようと、ドック入りのたびに
大変な熱弁を奮ってその必要性を訴え、ついにはそれを成し遂げた艦長がいたそうですが、
きっとこの艦長は、
「あの爺さんのためなら死ねる!」
というくらい乗組員一同の株と士気を上げたに違いありません。
これが負けず嫌いのハルゼー提督なら
「悪いが俺はまだジジイじゃないぜ」
と言われてしまうわけですが。
・・とにかく、どれだけアイスクリーム好きなんだよアメリカ人(呆)