8、團伊玖磨(福田滋 編曲):「キスカ・マーチ」
2月15日、東京オペラシティで行われた東京音楽隊定演の鑑賞記二日目です。
昨日のエントリをアップしてから教えていただいたことが幾つかあるので
まずそのことをご報告しておくと、わたしが開演前にお会いした呉音楽隊長は、
「元呉音楽隊長」であったことが判明しました。
なんと、移動があって現在は東京音楽隊の教育課におられるとのこと。
ついこの間まで呉にいたのに今は東京在住ですか・・・。
転勤が普通の自衛隊といえ、音楽隊でも移動があるとは知りませんでした。
それから、N響並みに定期公演が多い!と驚いたのですが、わたしが
前回聞かせていただいたのは「定例公演」であったことがわかりました。
東京音楽隊にとって定演は
という位置付けであり(さすがは軍楽隊!)、やはり年一回のものなのだそうです。
それでは誰の観閲(おっと検閲ですね)を受けるのかというと海幕長なのですが、
今回は、先日起こった鹿屋の練習機事故によって殉職した隊員たちの喪に服するという意味で
海幕長が欠席したため、海幕総務副部長による検閲(という名目の鑑賞)を受けたということです。
さて。
前回のあらすじ
わたしがコンサートにお誘いしてこの日隣に座っていた元海軍兵学校生徒のS氏は、
徹底したアンチミリ(タリー)で、この日もミリっぽい曲に拍手しなかったが、
三宅三曹の歌った「ソルヴェイグの歌」には拍手していた。
というわけで、後半に演奏された映画「キスカ 太平洋奇跡の作戦」の主題曲
「キスカ・マーチ」のとき、わたしは身を固くしていたのですが(笑)、
個人的に團伊玖磨のこの曲は好きですし、何と言ってもこの映画については
アメリカ軍の戦った敵
という題で漫画まで描いたくらい入れ込んで解説した映画。
(いまだに人気ページだし)
Sさんの反応を気にしなければもっと楽しめたのにと残念です。
決してSさんのせいではないんですが。
ところでこの日、会場でジャーナリストの笹幸恵さんにお会いしました。
本日のプログラムは彼女的に大変好みだったらしい、とお連れの方がおっしゃっていたのですが、
特にこの「キスカマーチ」がポイントだったんじゃないかな(笑)となんとなく思った次第です。
4、デンマークとロシアの歌による奇想曲 サン=サーンス
全プログラム中わたしが一番意欲的だと思ったのがこの曲でした。
音楽関係者でもなければほとんどの方が聴いたことがないというくらい
マイナーな小品ですが、となりのSさんが一番感銘を受けたらしいのが実はこれでした。
Sさんはピアニストが好きなので()、ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、
という変則的なピアノ4重奏で、ピアノの比率が非常に高いことがポイントだったのでしょう。
サン=サーンスは民族派ではありませんが、曲の題材にデンマークとロシア
(ロシアに嫁いできたデンマークの王女に献呈されたため)の旋律が使われたため、
プログラムに使用したようです。
わたしはもともとサン=サーンスのオーボエソナタやホルンソナタなど、
管楽器の小品が好きで、特にオーボエソナタはiPodにも入れているくらいですが、
この曲は旋律に「サン=サーンス節」が色濃く出ているとあらためて感じました。
一般のオーケストラでも時々団員が協奏曲でソロを取らせてもらえますが、
今回のこの選曲もおそらく優秀な隊員にソロで演奏させるという目的があったと思われます。
4人のソリストの演奏は、サン=サーンスの管楽器曲特有の「フランス的軽さ」
というか、洒脱さとまではいきませんでしたが、典雅にまとめられ好演でした。
終わってからアナウンスで名前を紹介されたのですが、
プログラムには記名がなかったのが、少し気の毒な気がしました。
これは三宅三曹の場合もそうで、どんなに目立っていても個人名を書かないのが
自衛隊音楽隊の基本姿勢のようです。
5、ルスランとリュドミラ 序曲 グリンカ
もともと管弦楽曲なので、吹奏楽のバージョンを貼ろうと思ったのですが、
中学生の演奏しかなかったので、最もこの日の演奏に似たテンポで
演奏されユーフォニアムとチューバの合奏バージョンを持ってきました。
始まった時おもわず「速っ」と心の中でつぶやいたくらい速かったです(笑)
それを全員管楽器の楽団がやるのですから、司会の三宅さんが
「超絶技巧による演奏をお聞きください」
とわざわざ言ったのもよくわかります。
各自のテクニックの確かさが発揮され、この日のプログラムの中でも特に印象的でした。
6、「わが祖国」より「モルダウ」 スメタナ
民族音楽といえばスメタナ、スメタナといえば民族音楽。
ことにこの「わが祖国」はどんぴしゃりのテーマでそのものです。
本日のメインプログラムはこれではなかったか?と思うほどの気合の入りようでした。
勿論ブラスバンドで聴くのは初めてですが、このブラスバージョンは
決して珍しいものではないらしく、幾つものバージョンがYouTubeでも見つかりました。
そして後半。
7、行進曲「興亜」橋本国彦
帝国海軍軍楽隊の演奏による
橋本国彦というのは、わたしが以前「太平洋の翼」という映画の時に取り上げた
「大東亜戦争海軍の歌」の作曲者です。
「見よ檣頭(しょうとう)に思い出の
Z旗高く翻(ひるがえ)る
時こそ来たれ令一下
ああ十二月八日朝
星条旗まず破れたり
巨艦裂けたり沈みたり」
というあれですね。
で、この「興亜」となんとなく似てるんだ。旋律の癖が。
というか同じ人なので当然なのですがね。
このときご一緒だったSさんは、前にもお話ししましたが、兵学校で同期だった
「憧れのハワイ航路」「艦隊勤務」の作曲者、江口夜詩の息子と親友だったというので、
わたしはここにも書いた
「憧れのハワイ航路の前奏に、朝だ夜明けだと続けても全く違和感がない」
という説をこの日恐る恐る言ってみたところ、笑われました。
ちなみにこの手の曲は最も「軍歌嫌い」のSさんの琴線にネガティブな意味で触れるものらしく
終わった後には拍手どころかピクッとも反応をなさいませんでした(^◇^;)
9、南鳥島の光 坂井格
自衛隊委嘱作品。
この題名から、戦前の「興亜」みたいな曲かと怯えたのですが
(いや、わたしは好きなんですよ。わたし自身はね)そうではなく、本日初演でした。
レアアースで注目されている南鳥島に防衛のために駐留してこの時にも任務に就いている、
自衛隊員への応援の意味を込めて書いた曲だそうです。
会場には作曲者が来ていて、終わった後紹介されていました。
10、吹奏楽のための舟歌 伊藤泰英
こちらは少し昔の委嘱作品で、「金比羅船ふね」のメロディがいきなり冒頭に取り入れられています。
この曲を依頼したのは呉音楽隊。
もう少し先にアップ予定のエントリに、掃海隊の慰霊式の話があるのですが、
呉地方総監が執行者となってその慰霊式を行うのが、慰霊碑のある金刀比羅宮なのです。
この曲は聴きなれたメロディもあって受け入れられやすいらしく、
Sさんも「あれは面白かったですねえ」と感心していました。
以前横須賀地方隊の演奏で聴いて感心した「ぐるりよざ」と同じ作曲家だそうです。
道理で。
11、この道 山田耕筰
北原白秋の詩は、札幌での想い出が述べられています。
これを三宅三曹が独唱しました。
あえて苦言を呈させて貰えば、三宅さんの声は低音に響きがなく”鳴らない”のが難点。
そのせいで歌詞がほとんど客席まで聞こえてこなかったのが、残念といえば残念です。
(厳しくてごめんね(_ _;))
12、火の伝説 櫛田てつ之扶(てつのすけ、てつは月編に失う)
委嘱作品ではなく、「民族音楽的観点」から選ばれた曲のようです。
京都を舞台に行われる、「八坂神社の大晦日の火縄」「大文字の火」「時代祭の篝火」
・・・つまり、火の祭事、神事を描写しながら人々の営みと関わる「火」を
主題に歌った叙事詩のような作品です。
音楽的構成からも決して安易なものではなく、演奏者の意欲が感じられる選曲でした。
アンコール 早春賦
アンコールでは三宅三曹が最後にもう一度歌ってくれました。
昨日の冒頭にも書いた通り、この日は大変厳しい寒さでしたが、
この曲で一足先に春を感じてもらおうという計らいです。
三宅さんは歌い終わった後、客席と、楽団に向かっても挨拶していましたが、
そのときの音楽隊員、特に女性隊員の表情を見ていると
(わたしはこんな瞬間に”何かがあるなら”特に女性の顔に表れるものがあると思っているので)
やっぱり彼女は皆に好かれているんだなと今回も確信した次第です。
そして、一番最後に
行進曲「軍艦」 瀬戸口藤吉
わたしはこの曲で手拍子をする風潮が嫌いです(笑)
この曲が海軍軍楽隊で生まれて以来、どういうときに演奏されてきたかということを考えると、
手拍子で調子を取るような曲ではないし、少なくともわたしはそうするべきではないと思っています。
海上自衛隊の演奏会が必ずこの曲で終わるということを、ロビーに揚げられた自衛艦旗と共に
たいへん重く考えているという、ごくごく個人的なこだわりに過ぎないのですが。
「早春賦」のあと、最後に指揮台に立った手塚2佐は少々不審に感じられるほど
長い時間瞑目してから、初めてタクトを振り下ろして「軍艦」の演奏を始めました。
おそらくですがこの長い時間にも同じような理由があるとわたしは感じました。
ところで同行したSさんは、この日演奏された「キスカ・マーチ」が主題歌の映画、
「キスカ 太平洋奇跡の作戦」を観ていないだけでなく、
「キスカ作戦」そのものをまったく知りませんでした。
そこでわたしは講談師よろしく、アッツ島の玉砕に始まり微に入り細に入り、
キスカ作戦についてもと海軍軍人に説明する羽目になったのです(笑)
一通り喋り終わった後、Sさんは
「本当によく知ってるねえ」
と言いましたが、その後またこう付け加えました。
「僕は本当にそういうのを見るのも聞くのも避けていてね。
兵学校の集まりでも皆が軍歌を歌いだしたら逃げたりしていた」
それに対し、わたしはためらいつつこう言いました。
「わたしもSさんのように戦争を体験していたら、おそらく
同じように戦争を語ることも関わるものを見聞きするのも避けていたかもしれません。
語りたくないという方がいても、それはもっともなことだと思います。
事実、そんな方が戦後たくさんいて、家族にも何も語らないまま死んでいきました。
でもわたしはその時を知らないからこそ、尚更知らねばならないと思うんです」
行進曲「軍艦」が始まると同時に、会場では一斉に手拍子が始まりました。
しかし、少なくとも周りでは唯一わたしと隣の席のSさんだけが、
全く違う理由ではありましたが、手を上げずにただその調べをただ聴いていたのです。
終わり
移動中のTOから送られてきたこの日の富士山。
怖いくらい澄み切った空を切り取るような富士の稜線が美しい。