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記念艦三笠〜「三笠刀」と三笠製品

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記念艦三笠には砲弾で穴だらけになった雪見灯籠が飾られています。
これは被弾した部分を切り出してそのように作られたもの。



穿たれた穴にまるで花弁のように美しく広がって、
確かに意匠としては悪くありませんが、見るからに不穏な感じで
こんなものが庭に飾ってあったら、とても風雅に風景を愛でることなど
できない気もしますがそれはともかく。

それから、こんなものもあります。



三笠の廃材を使って作られた「花器」。

・・・・・・・花器?

え、これに花を活けるんですか?
というか、これ一人で持てそうにありませんね。

これは、三笠が日本海海戦で勝利をおさめ、日本に帰ってきて
まもなく、弾薬庫の暴発で沈没してしまったあと、引き揚げ、修理して
その際廃棄処分となるべき部分で作られたものです。

この爆発ですが、公にはなっていないものの事実上の原因は
「水兵の酒盛り」であった、ということになっています。

勝利の興奮のまま佐世保に意気揚々と凱旋した三笠の乗組員の面々、
一旦上陸して故郷でお祝いの膳を囲んで一晩過ごし、
後発組の上陸のために三笠に帰ってきて、艦内で祝宴となりました。

これは公式のものではなく、艦内いたるところでこっそり行われる、
「闇宴会」だったのですが、人目(というか上官の目)を避けたのが裏目に出ました。
かれらが選んだ場所は、火薬庫の中。

一説では煙草の火が引火した、また違う説ではアルコールに火をつけて、
何とか匂いを飛ばして飲んでいたというものもあります。

とにかく、その火が火薬に引火したのです。
当たり前です。

もしかして馬鹿ではないだろうか、と真剣に思ってしまうのですが、
「火薬には火気厳禁」ということが皆に徹底周知されていなかったのでしょうか。

そこに持ってきて、この火薬です。

聯合艦隊の勝因の一つに「火薬の威力」と言うのがありました。
下瀬 雅允(しもせ まさちか)という軍属の工学博士が発明した
「下瀬火薬」は、ロシア艦隊のみならず列強に怖れられるほどの威力を持ち、
製法が秘匿されていたゆえに日本の技術力に対する畏怖すら生み、
日本海海戦の大きな勝因ともなりました。

火薬は日本人の発明ではありませんが、
これもまた日本人が実用化し世界を席巻したということになります。
その後の世界の製造業界において度々繰り返される「黄金の法則」です。



しかしこの下瀬火薬。
火薬として優秀過ぎて扱いが難しかったのも事実で、この時も
簡単に着火、爆発して、ロシア艦には沈められなかった三笠が
あっさり着底してしまうのです。
このときの三笠の死者、699名。
日本海海戦の日本軍死者総数110人を遥かに上回る大惨事になりました。


で、その廃材を使っていろいろと作ってしまうという(笑)

雪見灯籠も、もしかしたら敵の弾薬ではなく、
このときの暴発によるものなのでしょうか?

どちらにしても、こんなに大量の死者を出した事故であるのに、
こんなものを作っている場合だろうか、
とつい首をかしげてしまうのですが、「事故で沈んだ三笠」よりも
「日本海海戦で勝った三笠」というファクトの方を、
こういうプロダクツを売り買いする人々は重視したのかもしれません。



さてこの「三笠刀」。

三笠刀である証拠として
「皇國興廃在此一戦」
と漢文で彫り込まれています。

これは件の爆発事故の廃材を使ったものではありません。
というか、そんな不吉なものを使って、花器はともかく刀など作るはずはありません。

三笠は、日本海海戦の一年前に行われた黄海海戦の際、
後部二連装主砲の一門を破壊されます。
この破壊された主砲残鉄はその後どこかに保管されていたのですが、
昭和3年に、三笠の殊勲を記念するために刀剣を造ろうという計画が
水行社などででもちあがりました。

そこで、室蘭の著名な刀自、瑞泉に依頼し、この主砲で短剣、長剣、
あわせて三千振りが製作されたのです。

私事ですが、先日うちのTOが急にメールをよこし、
(うちは夫婦忙しくて顔を合わせられないときにはメールでやり取りをします)
「室蘭に行きたい」
というタイトルを付けて、このような記事を添付してきました。

http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2012/11/10/20121110m_04.html

三笠刀のこともTOは興味を持ち、この記事にある
「日鋼室蘭」の工場見学をしたいものだなあ、と知人を通じて図ってみたのですが、
残念ながら「見学は受け付けられない」と言う返事。

「珍しいね。見学不可なんて」というとTO,

「ポスコの件みたいなのもあったからかな・・・・・」


このTOが見に行きたがっていた日本製鋼所室蘭工業所(現室蘭製作所)
瑞泉鍛刀所で昭和3年から7年までの4年にわたり、海軍刀が製作されたのです。

造られたのは三種類。

三笠長剣(229本)
甲種三笠短剣(973本)(皇国の〜の彫刻あり)
乙種三笠短剣(451本)

これらはいずれも水行社を通じて販売されました。

大西瀧治郎長官もこの三笠で作った愛刀を持っていたそうで、銘は
「以軍艦三笠砲鋼 秀明作」でした。

三笠刀は海軍兵学校の士官候補生が設えるものとして人気があり、
その人気にあやかって日鋼と水行社の間で追加製作が決まるのですが、
肝心の製作者が

「数打ちは甚だ迷惑至極御免被りたし」

と言ったので、その後の三笠刀は弟子が製作し、
その際には秀明の銘は入れないことで合意しました。

そして、現在見学不可となっているここなのですが、
こんな話があります。

日本製鋼所室蘭製作所は海軍の強い影響下で設立されたため
(イギリスとの共同出資となったのはそのため)、
長い間陸軍関係者の出入りが制限されていました。

そのため陸軍大臣当時の東條英機が尋ねて来たとき、
日鋼が東条を門前払いしたという事件も起こりました。

うーん。

なぜ、東条英機が門前払いを。
ポスコの事件じゃあるまいし、陸軍が日鋼の技術者を引き抜いたり、
ましてや軍機を盗んだり、ってことはありえないと思うのですが・・・。

その後、東條が首相に就任するとさすがに追い返すわけにはいかず、
それ以後は陸軍関係者の見学も許可するようになったということですが、
それにしても東条英機、なんだってこうたびたび日鋼に用事があったのか・・・。

「三笠刀」みたいな軍刀を自分に作ってほしかった、とか?







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