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ドキュメンタリー「ポセイドンの涙」~自衛官たちの”311”

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自衛隊の中の人に教えていただいて、「ポセイドンの涙」を観てきました。

大々的な宣伝もしていないようで、東京は渋谷のヒューマントラストシネマ、
大阪は十三のサンポードシティ(そういえばあったな~そういうの)にある
シアターセブンで、ごくわずかの間上映されているだけ(しかも1日1回)。
教えていただかなければ、おそらく観ないまま上映が終わっていたでしょう。


この映画は、東日本大震災で被災した人々というより、救難という立場で
現場にあった自衛官たちに焦点を当て、救う者の目線であの時何があったかを
浮き彫りにしようとしています。

ひとつの大切な命を救えなかったことで自衛隊員が流す痛恨の涙。
ひとつの大切な命を救えたことで自衛隊員が流す喜びの涙。
自分が救った命との別れ、そして再会。
ひとまわりも、ふたまわりも大きくなった命の姿に自衛隊員が流す感動の涙。
海上自衛隊が撮影した貴重な映像と共に、
「救った人と救われた人」から「ひとりの人間と人間」へと移りゆくドラマを捉えた
感動のドキュメンタリー。


これが映画の「アオリ」です。

被災者についてはあらゆるメディアが取り上げて語ってきましたが、救助に当たった自衛隊、
なかでもひとりの自衛官があの場にあってどのようなものを見、何を思ったのか、
それを語ったものは特ににニュース媒体にはなかったと思います。


この映画は海上自衛隊の全面協力のもと、災害当時の自衛隊所有の映像と写真を
(不肖宮嶋氏の写真も提供されていた模様)追いながら、何人かの自衛官に
スポットを当て、彼らと被災者の交流とともに、彼ら自身が被災者への思い、
救えなかった命に対する後悔などを語っていくというものですが、
映画HPで製作者はこのドキュメンタリーを

「自衛隊の賛美映画ではない」

と語っています。

これは自衛官たちが「救助するという体験を通じて自らも被災した」と位置付けてあり、
組織としての自衛隊ではなく、その中にあった彼らもまた、傷つきやすい一人の人間であり、
制服に身を包んでいる間は決して外に表すことのない、葛藤や苦悩を持つものとして描かれます。

その描き方でまず ”あれっ” と思ったのが、出演者の一人、水中処分員である
「つのしま」乗組員の2等海曹が、被災地で遺体捜索に当たった時のことを語るシーン。

本編では現場の声としてどんな遺体がどのような状態で発見されたか、ということが
本来なら「配慮」のため公にならないようなことまで赤裸々に語られます。
「つのしま」の2曹は、現場に入って最初の遺体を見つけたときのことを、

「その御遺体(の状態)は・・・・・言ってもいいんですか」

と口ごもったのちスタッフに断ったのです。

災害をテーマにしたドキュメンタリーで、救助側に話を聞くとき、普通はまず
災害地で彼らがどういう遺体を目撃したかということは聞きません。
ところがこの映画では、そういう生々しい体験をスタッフは聞き出そうとしたかのようです。





東日本大震災発生からわずか4分後に防衛省災害対策本部が設置され、
6分後に岩手県知事が自衛隊への出動要請を出したのと同時に、
自衛隊司令官が、出動可能な全艦艇に出港命令を出しました。

ちなみに阪神淡路大震災の自衛隊出動は発生から4時間後でした。



この映画には、立場的に分類すると3種類の自衛官が登場します。
まず、その命令系統の上にいて災害救助の指揮を執った司令官。

第4海災部隊指揮官 掃海隊群司令 福本出海将

災部隊指揮官 第2護衛隊群司令 淵之上英寿 海将補 

(いずれも階級は当時)です。

そして、その指令を受けて現場で直接任務に当たる自衛官たち。

掃海艇「つのしま」の2曹であり、屋根にしがみついたまま漂流する男性を発見し
救出した「ちょうかい」の乗組員であり、あるいはSH-60で津波のため浸水した
幼稚園の屋根から子供たちを救出したパイロットらです。

彼らはいずれも、あの場にあって ”そのときのことを思い出せないほど” 
全身全霊、死に物狂いの作業にあたりながらも、尚且つ

「もっと救えたのではないか」「もう少し早く来られれば生きていたのではないか」

という無力感を震災後感じてきた、と口々に語ります。



そして三番目は、指揮官でも現場で救助作業を行う実地部隊隊員でもない自衛官。
それが、本日画像の音楽隊隊員、村上渚3等海曹です。

村上3曹は横須賀音楽隊のフルート奏者。
お綺麗でしょ~?
わたしはあまり画像をちゃんと見ていなかったときには、
ドキュメンタリーと言いながら映像を挟んで芝居を行う作りかと思いこんでいました。
つまりこの写真が女優さんに見えていたんですね。


ところでわたしには先日、横浜みなとみらいホールで行われた横須賀音楽隊の
演奏会にご招待をいただいていたのにもかかわらず、当日ちょっとした事故が起こり、
涙を飲んだという悲しい出来事がありました。

横須賀音楽隊といえば、米国スーザ協会から”ハワード空軍大佐賞”を受賞したのだそうです。
ちなみにこの賞が外国の音楽隊に送られたのは賞が創設されて以来5回目ですが、
陸自中央音楽隊、空自中央音楽隊に続き横須賀音楽隊の受賞でそのうち3回が自衛隊の受賞となりました。
このときに行っていれば、、ホール壇上でアメリカ海軍第7艦隊70戦闘任務隊少将から
賞が代理授与される様子と、そしてフルートの村上3曹を見ることができたのに・・・・。


それはともかく彼女は、死力を尽くしてなお無力感を感じていた男性自衛官とは逆、
つまり、災害発生後何もすることができないと悔しく思ったことから、現地への派遣、
主に被災者への心のケアをするという任務に就くことを決心し、派遣の募集があった時
いち早く名乗りを上げたということでした。

この映画の主人公の一人が彼女であり、彼女と彼女に憧れる被災地の高校生との
震災後の交流が、あえていえば映画の”ドラマ”となっているのです。

しかし、「一人の人間、一人の女性としての自衛官」を描くためか、
村上3曹が音楽を演奏するシーンはまったく描かれません。




わたしが映画を見終わった感想は、ただただ「自衛隊ありがとう」の一言でした。

渋谷の映画館はちょっと大きめのホームモニターで観ているようなスクリーンで、
全部で50人くらい入る映画館に平日の朝で数えてみたら13人しかいませんでしたが、
映画が始まるなり、そこここで鼻をすする音が起こりました。

自衛隊ヘリから撮られた津波映像に、なぜかラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」や、
わたしが一度ここでお話ししたこともあるプーランクの即興曲15番「エディットピアフに捧ぐ」
などが被せられているのを聴いているうち、わたしも(主に右目から)涙が溢れました。



「自衛隊賛美ではない」

と言いながら、製作者の自衛隊に対する思い入れや賞賛の気持ははっきりと感じられます。
(監督は自衛隊関係の映像を多く手がけているいわば”専門家”)
スタッフに「国防男子」「国防女子」の仕掛け人?がいるということから見ても、
この映画によって海上自衛隊をもっと知ってもらいたい、
という意図のもとに制作が行われたのはまず間違いないところです。




その上で少し気になったことを書かせていただくと(でたw)。


屋根の上で漂流した男性、そしてその男性を発見し、救助した「ちょうかい」の隊員たち。
製作側は彼らにインタビューを行いながらその中でどちらもに「再会」を提案します。

九死に一生を得、そのあとも

「今もあの時の一列に並んだ自衛隊の人たちの姿が忘れられない」

と語る男性に異論のあるはずがありません。
しかし、「ちょうかい」の隊員は誰もがその提案に対して無言でした。



「会ってみたくありませんか」

と言われた三人の顔には、一瞬茫然としたような、戸惑ったような、もっとはっきり言うと

「それは困る」

という気持ちがありありと現れていたと思ったのはわたしだけでしょうか。
当人の心理を忖度する無礼は百も承知で言うのですが、このような大災害の救助にあたって、
職務として懸命にやったことに対し、お礼を言われるために救った側が
果たして救助者と「逢いたい」と思うものでしょうか。


もちろん自衛官たちが、職務に対して感謝されれば嬉しいのは当たり前です。

たとえば園児たちにお礼を言われたヘリ部隊の隊員たちが涙を流したように、
それを光栄だと思うことはあっても、それではお礼をされるために逢いたいか、
と聞かれたら、おそらくほとんどの自衛官はとまどうのではないでしょうか。



ほとんどの自衛官たちにとっても未曾有の災害発生は「初めての経験」でした。
皆が皆、そのときは夢中でただ任務をこなすのが精一杯だった、といいます。

彼らがどれだけ夢中だったかは、男性に会うことをようやく承諾した「ちょうかい」の一人の海曹が、
野原の真ん中で待つ男性のところまで歩いて行かされる(!)のですが、そのときのことを、

「(救助者の)顔を全然覚えていなかったので」

といったことにも表れています。

自衛官が救難作業をするのはそれが任務だからで、「好意」「善意」とは別の行動です。
さらに、「どこそこ所属の何々海曹」と救助者から顔を認識されることも考えていないでしょう。

感謝の会が催されるとかならともかく、救った個人にわざわざ会いにいけとなれば、

「任務でやったことなので」

とやんわり断るのがほとんどの自衛官ではないでしょうか。



映画製作者が、このように被災者と彼らを救った自衛官との間に再会を仕組み、
それをストーリーとしてこの映画を、言い方は悪いですが、ことさら映画的に、
感動的にしようとしている意図をここに見る気がしました。

もちろん高校生と憧れの自衛官のお姉さんの再会、というのは仕組まれたことだと知っていても
心の底から再会を喜び合う二人の姿に、いつの間にか泣かされていましたし、
そのものを否定しようという気には到底なれませんが、
もう一人の「主人公」である掃海艇の海曹が、収容した御遺体の遺族(夫)と
再会するということにまでなったとき、わたしは正直言って違和感すら感じたのです。

もっとはっきり言うと、もういい加減にしてあげてください、という気持ちです。




海曹は当初収容した御遺体について語り、自分の成したこと、成せなかったことを
思い、悩み、実に真摯な態度で取材に答えているうち、次第に

「もしできるならそのうちお墓にお参りしたい」

などと言うに至ります。
今となってはどこからが彼の意思だったのか。
あるいは製作側がその言葉を捉え、悪く言えば誘導したのかもしれませんが、
海曹はとにかく遺族と会うことになるのです。


二人の会話についてはここではお伝えしません。
もし、映画を観に行ける方がおられたら、ぜひ、わたしが何を言いたかったのか、
このシーンのときに少し思い出していただければと思います。

一言だけ言わせていただくならば、わたしはこの、誠実そうでひたむきで、
自衛官であることを心から誇りに思っている自衛官と、
妻の遺体を収容した自衛隊員に対して、お礼以外に言うべき適切な言葉を何も持てないらしい、
見るからに憔悴した影を漂わせる(顔は隠されていた)男性の邂逅シーンには、
見てはいけないものを見たように感じました。

事故や災害で愛するものを亡くした人に向かってことさらに、

「今のお気持ちは」「なんて声をかけてあげましたか」

などと聞くマスコミと寸分違うことのない確信犯的鈍感さ。
人間の感情は正直で、製作ものにつきものの創り手のあざとさみたいなものが見えると、
途端に舞台裏を見せられたようで、鼻しらむというのか・・・。

たとえば「おおすみ」に「ジュピター」のメロディがかぶさるシーンや、
司令官が現地の子供たちに混じって一緒に手を振るシーンに感じる不意の感動とは
まったく異質の夾雑物が入り込んでくるような気がするのです。

気のせいか、始まって数分で始まりずっと続いていた”鼻をすする音”は、
この微妙なシーンのところではほとんど聞こえてきませんでした。


しかし、それをおいても、あの震災についてこのような個人的な信条を吐露する自衛官など、
制服の下に全ての感情を納めて淡々と任務にあたる自衛官たちをニュース映像で見る限り
想像もつかないというのがほとんどの国民ですから、こんな形とはいえ彼らもまた一人の人間である、
ということを突きつけた本編は、ある意味大変貴重な作品だと言えます。


もしかしたら製作者は、わたしのような論者に非難されることを百も承知で、
映像に彼らの「涙」を記録したかったのかもしれません。
「ポセイドンの涙」というタイトルの真意は、「鬼神も泣かしむ」に通じるのかと思っていましたが、
見終わった今、あらためてポセイドンが

「怒り狂うと地震を起こす海の支配者」

でありながら、同時に

「海の守護神」

でもあった、ということにも気づくのでした。
海の守護者、それはつまり・・・・・。


 

自衛隊をよく知る方も、知らない方も、もし機会があったら
様々なことを考えさせられるこの映画をぜひ観ていただきたいと思います。



東京 渋谷ヒューマントラストシネマ 20日(日)まで

大阪 シアターセブン 3月27日(金)まで予定



映画「ポセイドンの涙」ホームページ
 


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