さて、ホーネットの艦内を利用した「ホーネット博物館」のWAVESコーナー、
続きと参ります。
WAVES、直訳すると志願緊急任務のために受け入れた女性は、第二次世界大戦時、
軍の人員を増やす要求に応じて1942年8月に正式に組織されました。
当初から、WAVESは海軍の「公式部分」として扱われ、男性と同等に扱われました。
つまり、階級が高ければ女性でも男性の「上官」として敬礼される立場です。
冒頭ポスターの左のほうでも、男性の水兵さんたちが女性の士官を見て
「俺らも敬礼するの?」
などと侃々諤々話し合っている様子が描かれていますが、これはもしかしたら当初
海軍の男どもにとっても画期的すぎたに違いありません。
しかし、ともあれこの扱いは、女性軍人を集めるのに大いに効果を発揮しました。
軍人になっても地位は男性の下で仕事は補助、というものなら、
とてもではないけどアメリカ女性を集めることはできなかったでしょう。
驚くことに、WAVESの給与体系は全く男性と一緒でした。
給料が一緒なら彼女らを取り締まる軍規も全く同じです。
つまり、「特別扱いはしない」ということを表明して募集したのですね。
とはいえ、性差を考慮して戦闘艦や航空機の勤務からは遠ざけられ、
米国本土内の任務に限定されていました。
しかしご時世というのでしょうか、大戦の後半ごろから、本土内という縛りは外れ、
米国の領土とされている地域なら海外でも勤務できるということになって、
WAVESの一部をハワイに派遣するという動きもありました。
国は海軍勤務の女性軍人を広く募集します。
真っ白な制服を着て軍艦の見えるハドソンリバー沿いを闊歩する素敵なWAVES。
「この絶好の機会をお見逃しなく」「海軍はWAVESに貴女を必要とします」
そんな殺し文句に、海軍を志望した女性は多かったでしょう。
このリクルートポスターは、どうみても「ヴォーグ」の挿絵のノリですが、
これはのWAC、WAVES、そして海兵隊の制服をまとった女性たち。
写っていませんが一番向こうにはWAFの女性がいます。
いずれも(ってか同じ顔ですが)流行りの眉毛に真っ赤な口紅を塗っています。
コーストガード、沿岸警備隊も負けてはいません。
アメリカ軍は軍隊ごとの摩擦をできるだけ避けるために、沿岸警備隊にも
海軍と全く同等の階級制度を採用していました。(います)
SPARDSというのは
Semper Paratus and its English translation Always Ready
つまり、沿岸警備隊のモットーである「即応」のラテン語のあとに、
英語訳をくっつけたという説と、いわゆる「フォーフリーダム」、4つの自由の
Speech, Press, Assembly, and Religion
(言論、報道、集会、宗教の自由)
から取ったものだという説がどちらもアメリカ版のwikiページに別個に存在します。
どちらが正しいのかはわかりませんが、このニックネームを考案したのは、
沿岸警備隊の最初の女性司令官、
ドロシー・C・ストラットン大佐
であることだけは確かです。
ちなみにストラットン大尉はWAVES出身。
亡くなったのは2006年で、なんと107歳の天寿を全うしています。
ドロシー・ストラットン大佐コーナー。
彼女の名前は「USCGC Stratton (WMSL-752)」に残されました。
「マリーンになりませう」(戦中なので)
「戦いに海兵隊を解き放て」
ってとこですか。
ちなみに、toがfromだと全く違う意味になります(笑)
アメリカ人の好きそうな「過去の声ー未来への旅」という絵。
過去から現在に至る有名なミリタリーウーメンが一堂に会してます。
南北戦争の従軍看護婦や聖職者からはじまっているようです。
女性が制服を着出すのが第二次世界大戦時からで、ここには以前お話しした
WASP の初代司令官、ジャクリーヌ・コクランやナンシー・ラブがいるはずです。
29番はアメリカ海軍で初めて士官となり、WAVESの初代司令官になった
ミルドレッド・H・マカフィー少佐。
朝鮮戦争のパート。
現代のパート。
黒人女性として初めて沿岸警備隊で回転翼のパイロットとなった
ラシャンダ・ホルムズが前にいますね。
アメリカ陸軍は2008年に史上初めて陸軍大将が誕生しています。
その名もアン・ダンウッティ陸軍大将。
陸軍で「弾撃って」とはなんてぴったりなと思ったら、兵站担当師団の司令官だったそうです。
この絵が描かれたのが2008年以降であれば、おそらく彼女も描かれているはずなのですが。
宇宙服を着ているのは、空軍大佐でNASAの宇宙飛行士となった
アイリーン・コリンズ空軍大佐。
1999年のスペースシャトル、コロンビア号の初の女性船長を務めました。
おお、誰かはわからぬがなんと聡明そうな美人、と思った方、お目が高くていらっしゃる。
彼女の名はグレース・ホッパー。
名門ヴァッサー女子大学とイエール大学で数学と物理学を専攻し、ヴァッサーで教鞭をとり、
女性で初めて数学の博士号を取ったという「アメージング・グレース」(彼女の愛称)でした。
彼女は1943年、つまり37歳にして海軍の予備役になり、翌年には中尉に進級。
同時にハーバード大学でコンピューターの開発に携わりました。
つまり、コンピューター開発者の仕事をすることが「海軍での仕事」だったということです。
だから多分カッターを漕いだり遠洋航海には行ったわけではないと思います(笑)
ところで、現在コンピュータ用語で使われるプログラムの不具合を意味する言葉としての
「バグ」という言葉は、当初彼女が実際に機械に蛾が挟まって作動しなくなったことから
その後不具合を「バグのせいで」と言ったり書いたりして定着した用語です。
もちろん彼女が生んだのはコンピュータスラングどころではなく、
英語に近い言語でプログラミングできるようになるべき、というその考えに基づき、
開発させたプログラミング言語COBOLです。
(これはこれでその後いろんな問題があったようですがそれはさておき)
退任前のアメージング・グレースのお姿。
彼女は1966年、中佐で予備役に退くのですが、翌年の1967年、
作戦部長付きのプログラミング言語担当として現役に復帰します。
このとき61歳。
定年後の再就職をもう一度海軍でしたようなものですね。
そして1973年には大佐、1983年には77歳にして代将(Commodore)、
そして2年後、80歳を前に准将になります。
まあこれは米海軍の階級制度で代将が無くなり准将になったためですが、
彼女の場合はこういった破格の昇進も「功労賞」といった意味合いがありそうです。
彼女が海軍を最終的に退任したのは79歳で、これは男女関係なく
最年長での退役の記録となっているそうです。
うーん、やっぱり「アメージング・グレース」だったんですね。
ここでもう少しWAVESの写真などを。
終戦後、日本への占領軍として駐留していた女性兵士たち。
宮島で記念写真ですか。
そういえば、占領軍のパレードで隊列をなしていた女性将兵たちはかっこよかったなあ。
ああいうのを見た日本人が「こら負けますわ」と打ちひしがれたであろうことは想像に難くありません。
朝鮮戦争における女性将兵たち。
韓国軍の女性兵士(っていたのね)たちと交流している写真がありますね。
「わたしも最初は同じ間違いをしちゃったのよね。
お化粧室ならここ真っ直ぐ行って3つ目のドアよ」
意味わかりますか?
甲板の「パウダールーム」とは、後ろで作業している水兵でわかるように
パウダーはパウダーでも「ガンパウダー」、つまり火薬庫のことなのです。
WAVESが内地に送るためのニューイヤーカード。
シャレが効いてるつもりなんでしょうが。
「もし残りの ”さんざびっちず” が いなくなってれば、
いつもの通りのお正月をお祝いできたのにね」
だそうです。
イタリアが降伏した後の、1944年に書かれたものですね。
それにしても女の人の出すカードじゃないだろこれ(呆)