靖国神社の遊就館展示を見たことのある方は、一番最後の本土決戦のコーナーで
ガラスケースに収められた「ルーズベルト」ニ与フル書、というコピーの文字に
必ず目を留められたことでしょう。
これは、昭和20年3月26日(公式)に硫黄島で戦死した、
市丸利之助海軍中将(最終)
が、硫黄島でしたためた、米国大統領ルーズベルトへの書簡です。
市丸少将は日本が玉砕することになった昭和20年3月の硫黄島の戦いで戦死しましたが
その最後の状況ははっきりしておらず、遺体も不明のままです。
ただ、亡くなる前にしたため、日系二世の三上弘文兵曹に英訳させた手紙が
アメリカ軍の手に渡ったことで、少将の名は人に知られることとなりました。
この手紙は日本を追い詰めて戦争を起こさせたことを正面から詰り、それまでの
白人支配の大国主義に立ち向かって有色人種の支配からの解放を目指す日本の立場を説き、
さらにはアメリカの勝利の意味に疑問を投げかけて終わっています。
日本がなぜ戦わなくてはならなかったのか短い言葉でを全て言い尽くしたこの手紙は、
戦後、あの戦争を自分自身の負い目にしてしまってきた多くの日本人に、
負けたゆえに不当に負い続けていた戦犯国の汚名を晴らし、
もう一度日本の誇りを取り戻そうという思いを抱かせずに入られません。
昭和19年11月、第27航空戦隊司令官として硫黄島に着任した市丸少将は、
昭和20年2月19日に上陸してきた米軍との間で行われる熾烈な戦いに
すでに自分の運命を予感していました。
あの擂鉢山の戦いで「擂鉢山の6人」が星条旗を揚げたのは2月23日です。
余談です。
擂鉢山に揚げられた星条旗は翌日、翌々日、朝になると日章旗に変わっていたそうです。
闇夜に紛れて旗を(二日目は血で描いた日の丸だった)揚げに来ていた日本兵がいたのです。
アメリカ軍は躍起になってその周辺の草叢や洞窟を火炎放射器で焼き、
その後は日本の旗が擂鉢山に揚がることはなくなりました。
3月7日には、「海軍と中央の不手際を責めた内容」の総括電報が
栗林中将の名前で打電され、3月14日には日章旗が奉焼され(焼かれ)ました。
そして70年前の今日である昭和20年3月17日、栗林中将のあの決別の電報が打たれます。
その最後には
国の為重き努を果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
という句が添えられていました。
おそらく同日、市丸少将はこの「ルーズベルトに与うる書」を書き、
二世の兵曹に通訳をさせたのに違いありません。
この書は、市丸少将の遺書でもあったのです。
自分の書いた遺書がアメリカ軍の手に渡ることを期(ご)して、市丸少将は
この原文と英語訳を、それぞれ突撃する別の将校の体に身につけさせました。
彼らが死んだ後、敵が将校の遺体を検分することを見越してのことです。
市丸少将の目論見通り、日本文の手紙はは村上治雄海軍通信参謀、英文は
赤田邦雄第二十七航空戦隊参謀の体に巻かれて米軍に発見されました。
市丸少将自身も最後に自分の体に日英両方の手紙を巻いていたと思われますが、
それらしき死体が発見されることはありませんでした。
もしこのことを考えて2部ずつ取られた写しの方が発見されたのです。
手紙は、というより二人の遺体は、硫黄島北部の洞窟内にあったということです。
その内容を口語訳で記しておきます。
出典はwikiですが、一部判断により手直ししています。
ルーズベルトに与うる書
日本海軍市丸海軍少将が、フランクリン・ルーズベルト君に、この手紙を送ります。
私はいま、この硫黄島での戦いを終わらせるにあたり、一言あなたに告げたいのです。
日本がペリー提督の下田への入港を機として、世界と広く国交を結ぶようになって約百年、
この間、日本国の歩みとは難儀を極め、自らが望んでいるわけでもないのに、
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変を経て、
不幸なことに貴国と交戦するに至りました。
これについてあなたがたは、日本人は好戦的であるとか、
これは黄色人種の禍いである、あるいは日本の軍閥の専断等としています。
けれどそれは、思いもかけない的外れなものといわざるをえません。
あなたは、真珠湾の不意打ちを対日戦争開戦の唯一つのプロパガンダとしていますが、
日本が自滅から逃れるため、このような戦争を始めるところまで追い詰めらた事情は、
あなた自身が最もよく知っているところです。
畏れ多くも日本の天皇は、皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、
養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される
国家統治計画に基づき、地球上のあらゆる人々は、その自らの分に従って
それぞれの郷土でむつまじく暮らし、恒久的な世界平和の確立を唯一の念願とされているに他なりません。
*この部分の英訳は
“Yosei” (Justice), “Choki” (Sagacity) and “Sekkei” (Benevolence),
となっています。
このことはかつて、
四方の海 皆はらからと 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらむ
という明治天皇の御製(日露戦争中御製)が、あなたの叔父である
セオドア・ルーズベルト閣下の感嘆を招いたことで、あなたもまた良く知っていることです。
*セオドア・ルーズベルトは第25、26代大統領でFDRの叔父にあたります。
東郷元帥が日露戦争終結後読み上げた「聯合艦隊解散之辞」に感銘を受け、
これを英訳させて軍の将兵に配布させていたことが有名ですし、
自身は日本びいきでアメリカ人で初めて柔道の茶帯を取得しています。
忠臣蔵(47RONIN)を愛読していたことも知られているのですが、
その後台頭する日本に脅威を感じてか露骨に牽制を始め、排日移民法なども作らせるようになりました。
ハワイ王朝を乗っ取ろうとした時、巡洋艦「浪速」「金剛」がそれを牽制したため、
ハワイを併合するという野望は崩れ共和国としたことも、嫌日の要因でしょう。
わたしたち日本人にはいろいろな階級の人がいます。
けれどわたしたち日本人は、さまざまな職業につきながら、
この天業を助けるために生きています。
我々帝国軍人もまた、干戈(かんか)をもって、
この天業を広く推し進める助けをさせて頂いています。
*干戈というのはいくさのことです。
この部分の出だしで市丸少将は「Japanese」ではなく「 We, the Nippon-jin,」
と自称していることが目を引きます。
「干戈」の部分の英文はこうなっています。
We, the soldiers of the Imperial Fighting Force take up arms to further the above stated “doctrine”.
(私たち帝国軍の兵士たちは、上記の「教義」を促進するために武器を取っている)
わたしたちはいま、豊富な物量をたのみとした貴下の空軍の爆撃や、艦砲射撃のもと、
外形的には圧倒されていますが、精神的には充実し、心地はますます明朗で歓喜に溢れています。
なぜならそれは、天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理だからです。
けれどその心理は、あなたやチャーチル殿には理解できないかもしれません。
わたしたちは、そんなあなた方の心の弱さを悲しく思い、一言いいたいのです。
あなた方のすることは、白人、特にアングロサクソンによって世界の利益を独り占めにしようとし、
有色人種をもって、その野望の前に奴隷としようとするものに他なりません。
そのためにあなたがたは、奸策もって有色人種を騙し、
いわゆる「悪意ある善政」によって彼らから考える力を奪い、無力にしようとしてきました。
近世になって、日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種、ことに東洋民族をして、
あなた方の束縛から解放しようとすると、あなた方は日本の真意を少しも理解しようとはせず、
ひたすら日本を有害な存在であるとして、かつては友邦であったはずの日本人を野蛮人として、
公然と日本人種の絶滅を口にするようになりました。
それは、あなたがたの神の意向に叶うものなのですか?
大東亜戦争によって、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、それぞれの民族が善政を謳歌します。
あなた方がこれを破棄さえしなければ、全世界が、恒久的平和を招くことができる。
それは決して遠い未来のことではないのです。
あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているではありませんか。
数百年来あなた方の搾取から逃れようとしてきた哀れな人類の希望の芽を、
どうしてあなたがたは若葉のうちに摘み取ってしまおうとするのでしょうか。
ただ東洋のものを東洋に返すということに過ぎないではありませんか。
あなた方はどうして、そうも貪欲で狭量なのでしょうか。
大東亜共栄圏の存在は、いささかもあなた方の存在を否定しません。
むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するものなのです。
日本天皇の神意は、その外にはない。
たったそれだけのことを、あなたに理解する雅量を示してもらいたいと、
わたしたちは希望しているにすぎないのです。
ひるがえってヨーロッパの情勢をみても、相互の無理解による人類の闘争が、
どれだけ悲惨なものか、痛歎せざるを得ません。
今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することは慎みますが、
彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、第一次世界大戦終結に際して、
その開戦の責任一切を敗戦国であるドイツ一国に被せ、極端な圧迫をする
あなた方の戦後処置に対する反動であることは看過るすことのできない事実です。
あなたがたが善戦してヒトラーを倒したとしても、その後、
どうやってスターリンを首領とするソビエトと協調するおつもりなのですか?
*ヒトラーはルーズベルト死去の直後、4月30日に自殺した
およそ世界が強者の独占するものであるならば、その闘争は永遠に繰り返され、
いつまでたっても世界の人類に安寧幸福の日は来ることはありません。
あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとしています。
あなたはきっと、得意になっていることでしょう。
けれど、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に失脚したのです。
願わくば、私の言外の意を汲んでいただき、その轍を踏むことがないようにしていただきたいと願います。
市丸海軍少将
わたしはこの文章を読むうち、あらためてぞくぞくと鳥肌が立つのを感じました。
この手紙は日本を煽って戦争に仕向けたアメリカの欺瞞を糾弾しつつ、
「ファシズムとの戦い」という大義名分を叫びながら、一方では有色人種の人権を踏みにじっている、
というこの大いなる矛盾を突いたものでした。
お前は今勝ったと思って得意になっていようが、その勝利は決して真の勝利ではない、
と市丸少将が看破した通り、戦後、かつての強者の元から日本が望んだように
すべての国が立ち上がり、独立を果たしていきました。
「貪欲で狭量な大国たち」が被支配階級の代表として戦いに立ち上がった日本を叩き潰し、
極東国際軍事裁判において二度と自分達に逆らえないようにしたはずにもかかわらず、
一旦そのように動き出した大きな流れを押しとどめることすらできなかったのです。
そして市丸少将の「どうやってソ連と協調するつもりなのか」という言葉は、
不気味なくらい、戦後アメリカの憂鬱を言い当てています。
この東西対立がなければ、もしかしたら被支配国の独立は
もう少し先送りになっていたという因果関係までうっすらと予想されるではありませんか。
先日、映画「アメリカン・スナイパー」について書いたとき、マイケル・ムーアが
「アメリカはイラクを開放してなんかいない。自分達の過失をおとぎ話のように語るな」
とベトナム、イラク、アフガニスタンの全てにおいてアメリカが解放者などではなく、
むしろそこへいったのは失敗だったと認めるべきだ、と言っていたことを書いたのですが、
今も昔も大国アメリカの大義名分なんてこんなものです。
マイケル・ムーアがこれを読んで、自分の叔父を殺した日本兵のいる日本が
解放者だったと認めるかどうかは甚だ怪しいところですが(笑)
「得意の絶頂の時にウィルソンが失脚した」ように、得意の絶頂のFDRは、
手紙が書かれたわずか一ヶ月後の4月12日に死亡したため、これを読むことはありませんでした。
死もまた「失脚」であると考えれば、手紙は奇しくもFDRの運命を言い当てたことになります。
もし合衆国大統領が生きてこの文章を読むことがあったら、そのとき彼はどう感じたでしょうか。
この血を吐くような「虐げられてきた民族の心の声」を聞いてなお、
一片の良心に照らしても神の前に恥じることすらなかったであろうと考えることは、
むしろこの政治家の人間性を貶めることのような気さえします。
わたしは戦後70年後の日本人の一人として、この世界が
市丸少将の言ったことそのままになったことを鑑みるに、日本は戦争には負けたけど
目指した勝利を(敵から見るとこれもまた大義名分に過ぎないのですが)
勝ち取ることはできたのだという考えずにはいられません。
かつての植民地、被支配国が大国と同じ一票の権利を持ち、国同士対等である
という70年前日本が理想とした社会が曲がりなりにも生まれたのは、
アメリカが勝ったからではなく、日本が戦ったからだと確信するものです。
市丸少将の書いたルーズベルトへの手紙は、アメリカ軍の手に渡ったあと、
7月11日、新聞に掲載されて アメリカ人は皆これを目にすることになりました。
これが当時アメリカに当時論議を巻き起こしたという記述はどこにもありません。
「正義のアメリカ」に楯突く小賢しい言論とほとんどのアメリカ人は思い、
ごく少数の人間が、この言葉に何かを感じるだけに終わったのかもしれません。
ただ、わたしは、このような手紙、アメリカとその大国主義を真っ向から否定する意見を、
戦争が続いているにも拘らず、隠すことなく全米に公開したアメリカという国を、
良くも悪くも文明国であると思い、そこに民主国家としての良心を見ます。
そしてやはり、市丸少将の最後の言葉の持つ普遍の力は、決して少なくないアメリカ人、
移民の国であるアメリカにとって、人間としての良心に訴えかけるものであったと信じたいのです。
アメリカ海軍太平洋艦隊司令長官、チェスター・ニミッツ元帥は、
この手紙をAnnapolisの海軍兵学校に提出させ、そこに納めさせました。
このことを以って決めつけるわけではありませんが、ニミッツ提督もまた手紙の内容に真理を認め、
市丸少将の叫びに共鳴した一人だったからではなかったかとわたしには思えてなりません。
A Note to Roosevelt(Battle of Iwo Jima)