さて、というわけで午前中の引渡式・自衛艦授与式は終了いたしました。
わたしたちはアナウンスに従って順次マイクロバスで、祝賀会会場に移動しました。
ところで、艦名の「いずも」ですが、公表前に 防衛省の海上幕僚幹部が
艦名を命名式前にネット上にさらしていたことがわかって問題になったそうですね。
わたしは思うのですが、これ、内々の関係者の間ではかなり前から決定された艦名は
「こんどできるヘリ搭載艦の名前、決まったらしいよ」
「なに?長門?赤城?」
「いずもだって。あ、でもこれ誰にも言わないでね~」
という流れでどんどん広まっていったんですよきっと。
というのはですね。
わたくし、あるところで「いずもの2番艦」の名前を去年すでに聞いているんですよ。
ここでそれを書くと大騒ぎになるので、指が裂けてもその名をタイプするつもりはありませんが、
それを聞いたとき、思わず一呼吸おいて
「来ましたね」
と厳かにつぶやいてしまうような名前だった、ということだけは言っておきましょう。
何が言いたいかというと、わたしのところまでその噂が来るくらいだから、
関係者の間でその手の情報があまねく伝わっても仕方がないということなのです。
で、その幕僚幹部もそこまで秘匿せねばならないことをついうっかり忘れて
何の気なしに公開してしまったと・・・・。
まあ考えたら特定秘密保護法案の対象になるほどのことでもなし、
すでに関係者の間で公知の事実となっていることが漏れたからってそれが何、
といえなくもないですが、幕僚監部の中枢がこれではユルすぎないかい?
とつまり、自衛官としての自覚を問われたということなのかもしれません。
ところで「いずも」が「ながと」にならなかった原因というのは、これも噂ですが、
旧国名で安倍総理の地元の山口県が旧国名「長門」だからと言われています。
予想ですが、野党や左側から
「自分の地元の名前を空母に換装できる護衛艦につけるとはやっぱり右傾化がフンダララ」
などと深読みされて痛くもない腹を探られては、ただでさえ胃腸が丈夫ではない安倍さんに
お気の毒だ、というような意見が側近から出されたのではないかとわたしは思っています。
さて、そんな話はさておいて、バスがとまったのは祝賀会場と書かれていなければ
とてもそんな風には見えない建物の前。
三井造船は祝賀会用に戦前に作られた迎賓館をそのまま利用していましたが、
護衛艦を手がけるのはなんと18年ぶり、つまりその建物が防衛省のために使われたのも
本当に久しぶりだったということだったわけで、かつての海軍との蜜月時代を思えば隔世の感があります。
ちなみにここで最後に新鋭護衛艦が就役したのは「いせ」の
2011年3月16日、あの大震災の5日後のことでした。
地味な空間にこれでもかの紅白垂れ幕、赤い絨毯。
わたしはここで三井造船の時のように「VIPとそれ以外」で別れるのかと思っていたのですが、
中は皆一緒でした。
というか、広い。まるで体育館のような・・・・。
とおもったら本当に体育館でした。
球技用の電光掲示板がある~!
そしてまだだれも手をつけていない宴会料理。
どれどれ、どんなものがあるかな?
刺身の舟盛り、デタ~!
さすがは船会社、目につくところにどおおお~んと船があります。
こちら小卓に置かれた寿司桶とサンドイッチ。
フルーツとケーキのタワー。
皆が写真を撮りまくっていた「いずも」就航記念日本酒。
飲めたら飲んでみたかったなあ。
ところで、移動の時クロークで荷物を待っていたら、この酒瓶を持って帰っている人を目撃しました。
どうも記念のお土産代わりに(勝手に)されたようでしたが、うーん・・・。
会場に入って驚いたのは、ものすごい人数の出張コンパニオンがいたこと。
制服はもちろん、髪型と頭につけている飾りまで皆お揃いで、
会場では皆恐ろしいくらい同じ顔に見えましたが、こうしてみると全然違いますね。
当たり前か。
これだけのコンパニオンを投入してくるとはJMUお金かけてる!という感じです。
そこに中谷元・防衛大臣が入来。
人混みの中を歩かせるわけにはいかないので、わざわざ体育館の隅に
ロープで仕切った赤絨毯の通路を作ってお出迎え。
中谷大臣の挨拶は、公式行事の時と違い、お国訛り(高知)のアクセントで
本日は晴れ渡り富士山が大変綺麗にみえ、桜も咲き初めたことなどを
わりとゆるく語るというものでした。
最後に自作の俳句
「桜咲き 富士をながむる ”いずも”かな」
を披露して出席者の温かい拍手を受けて、その後わずか10分ほどで退場。
お昼ご飯は食べることはできたのでしょうか・・。
乾杯の音頭までは後ろの方にいましたが、わたしはカメラを持って一番前に突入。
そこには超VIP用の立食テーブルで、食べ物がすでに用意されていました。
おそらく皆ここで乾杯だけしたのだと思われます。
でも、箸のつけられたらしいお皿は一つもありませんでした。
吉野艦長もここで乾杯されたのだと思いますが、ご覧の通り。
乾杯ももちろんビールではなく烏龍茶です。
飲酒運転になるから・・・・というわけではもちろんありませんが。
会場の前に「いずも」の巨大な模型が飾られていました。
これをここに運搬してくるだけで大変だったと思われます。
ケースの上部にはこんな絵が飾られていました。
初代海防艦「出雲」と「いずも」の比較。
大きさだけから言うとまったく別の種類のものになってしまった感があります。
「出雲」は昭和20年7月24日の、「伊勢」が大被害を受けた呉大空襲で戦没していますが、
それよりわたしが注目したのはこれがあの上村彦之丞が乗っていたということです。
船乗り将軍の汚名返上
上村大将がこの「出雲」でリューリックの乗員を海面から救助し、
浮かんでいた小鳥まで救い上げ、救助されたロシア軍人が
これは自分の飼っていた鳥であると涙を流して感謝したという話は忘れられません。
「いずも」も「出雲」のように、災害の際の人命救助を大きな使命としているのです。
どうもケースのガラスが反射してわかりにくいですが・・。
甲板には同時に5機発艦する気満々のヘリコプターが(笑)
人物もいますかね。
メインマストには自衛艦旗が翻っています。
前甲板上方からの角度。
こうしてみるとやはり「空母」と呼びたくなりますね。
細部にもこだわって。
二台の救急車?を配置して、「いずも」=災害救助がメイン、を強調しているかな?
会場の隅の自衛官正帽置き場にもちゃんと注目するのだった。
ほとんどが「カレー」、将官の帽子ですが、縁に飾りのない帽子は
奥の方もそうですが、こちらのも上に「カレー」が重ねて乗せられてしまっています。
これはもしかしたら一般人には窺い知ることのない慣習のようなものがあるのでは?
と思って他の部分にも目をやると・・・・・ほら、空自の正帽も、
飾り付きが飾り無しの上に重ねられている!
これはもしかしたら
副官が自分のボスの帽子を預かって、分かりやすいように
まとめておくにあたって、自分の帽子の上においている?
と推測してみたのですが、どなたか正解をご存知ですか?
ところで、空自からはWAFも出席していたようですね。
会場の隅には蕎麦と握り寿司の屋台も出ていました。
寿司桶も会場にはありましたが、屋台の握り寿司は大人気。
わたしも一皿いただいてみましたが、ちゃんと回らないカウンターのお寿司屋さんの味がしました。
当たり前か。
そしてこの写真に写っているWAVEさんに注目~~~!
これ、どなただと思います?
はい、この間1佐に就任した東さんの同期の大谷2佐ですね。
美人艦長としてメディアにも騒がれましたが、実際に見てもお綺麗な方でした。
お話ししているのはおそらく元海将だと思われます。
さて、会場で名刺を配りまくることもせず、ざっと見たところ
知り合いはたった一人でしたので、その方に挨拶を済ませ、会場を観察して
食べるものを食べたらわたしにはもうここに用事はありません。
気づけば散会まで結構時間があるのに、どんどん人が退出していっています。
一応出席はしても午後からの見送りはパス、という人が案外多いとみた。
しかし、カメラを持っているとどうも「人より早く場所を確保したい」
という焦りが生まれてくるというのもおそらく経験者ならお分かりですよね?
というわけで、まだ会は続いているのに、わたしはクロークに預けた荷物を取り、
バスに乗り込むと・・・・一番前の席にすでに座っている見覚えのある人影が。
「Mさん!」
「ぼくエリスさんのアドバイス通りまた早く行くことにしましたよ。
いやー、今日はおかげさまでいい場所で写真が撮れました」
はい、よかったです・・。
バスが岸壁に近づくと、「いずも」には大きなタグボートがスタンバイしているのに気がつきました。
いずもと書かれた艦尾のこんなところにも人影が・・・。
出航作業が皆の手で着々と進められているようです。
続く。