日本人はソメイヨシノが好きですが、他の種類の桜も今満開で
存分に美しい開花を楽しむことができました。
将軍塚の周りに紅白に並んでいた愛らしい桜。
桜の種類は300以上あるそうで、だとしたらこれがなんという桜なのか
特定するのはとてもではないけど無理でしょう。
この薄紅色の桜も先ほどのとは違う花弁の形をしています。
これはソメイヨシノ。
雨の雫が今落ちんとするところを捉えてみました。
ちょっとこの時だけはニコンの写真教室を思い出しました(笑)
将軍塚を見下ろすために鉄の物見櫓のようなものができていて、
そこから下を眺めたらこんな景色が眼下に広がっています。
菊地さんという方の手植えの松。(の碑)
有名どころとしては、大隈重信の松というのもあります。
ただ、「後継の松」となっているところを見ると元木ではなく、
接木をして増やした子供の松のようです。
明治年間に一度青蓮院は火事に遭っていますので、もしかしたら
そのときに大隈の松は被害に遭ったのかもしれません。
最初の手植え松のためにはこんな巨大な石碑が建てられたようです。
ここにある桜は年季の入ったものが多いようで、幹にはこのような
苔が寄生しているものがありました。
ちょっとこういうの、キモいと思ってしまうわたしがいる・・。
年代物ですでに姿形も風化してしまった石仏たちがまとめられていました。
もしかしたら寺創建の頃から800年間ここにおられる仏かもしれません。
椿もわずかですが赤い花を咲かせていました。
タクシーを駐車場に待たせておいたので、それに再び乗ってお昼ご飯をいただく
和久傳まで移動。
途中でこんな油そばの店を見つけました。(油そばってなんだろう)
そういえば高校の古文の教科書に自分の犬が戯れて飛びついたのを
尻尾の裂けた「猫又」だと思い込んで
「猫又よや、よや」
と叫んだ坊さんの話を思い出さずにいられませんでした。
学校で習ったことってほとんどが記憶の彼方ですが、こういう話は忘れないんですよね。
たくさんのお茶屋や料理屋が軒を連ねる路地の一角にあるお店に到着。
個室の中はカウンターがあり、掘りごたつのように座る座敷となっています。
はあ、これは楽~。(正座は苦手です)
カウンターの中で板前さんがマンツーマンでお料理を作ってくれるのです。
座敷の横は土間のようになったスペースで、そこのタイルはまるで
打ち水をしたばかりのように見える不思議な素材でした。
まず食前酒。竹の徳利?とお猪口がでてきます。
和食ですから、前菜とかではなく次々とメイン的なお皿が出てきます。
これはゼンマイの添えられた鰆の刺身(だったかな)。
イイダコの唐揚げ。
タコ嫌いの息子もとりあえず頭の部分だけ食べました。
ジュンサイに木の芽の入った筍のお汁。
焼き物を焼く前に見せに来ました。
右側の魚はモロコといい、琵琶湖で今の季節だけ獲れるものだそうです。
「ブラックバスに駆逐されずに済んだんですか」
と聞いてみたところ、やはり一度はブラックバスのせいで絶滅しかかったのを
なんとか保護し、ブラックバスを「バス釣り」として奨励することで
また獲れるレベルまで回復したのだとか。
真ん中の魚はまるでガラスのような透明な鱗が立っていて、
すこしぞわっとする感覚がありますが、この鱗が美味しいのだそうです。
うにと海老の和え物が出てきたとき、女将さんがご挨拶に来られました。
「奥様」と書かれた封筒に入れたポチ袋のセットをプレゼントしていただきました。
これが本場京都の「お・も・て・な・し」の心というものでせうか。
囲炉裏のようなところに備長炭を入れ、焼き物の始まり~。
包丁さばきも鮮やかに切っているのはミルガイ。
パラリと塩を振っただけのミルガイと筍は絶品でした。
モロコが焼かれ中。
「モロコってどう書くんですか」
「ごんべんに者と子供の子です」
「諸子、か~」
日本海大戦決戦前の三笠で伊地知大佐が12インチ砲塔の中段から、
「本官は最後の訓示をする。
諸子もすでに承知の通り、今から一、二時間の後には待ちわびた敵
バルチック艦隊といよいよ雌雄を決戦とするのである・・・」
と訓示したという話をなぜかこのとき思い出してしまいました。
(今”諸子””伊地知”で検索したら自分のブログが出てきた(´・ω・`))
伊地知艦長は癖であった右指一本で小鼻を撫でる動作の合間ににじむ涙を拭きつつ、
このように続けたそうです。
「諸子の命は本日ただいま、本官が貰い受けたから承知ありたい。
本官もまた、諸子と命をともにすることはもちろんである。
いまからはるかに聖寿の無窮を祈り、あわせて帝国の隆盛と
戦いの首途(かどで)を祝福するため、諸子とともに万歳を三唱したい」
というわけで諸子が焼かれ中。
諸子は思ったより淡白で、鱧のような歯触りでした。
鱗焼きされた木の芽あえの白身魚(名前忘れたorz)
脂が乗っていて大変美味でした。
「アメリカ人をこういうところに連れてくると、全部食べ終わってから
大変結構な前菜だったがそろそろステーキか?って聞くらしいよ」
「あの人たちは肉食べないと気が済まないからねえ。
知ってる?ジョージワシントンでは毎日牛3頭食べるんだって」
とか言っていたら、肉が出てきました。
なんと付け合せは土筆と野草です。
「土筆!なんか久しぶりに見た気がする」
「わたし小さい時に学校の帰りに摘んで夜煮付けにしてもらったなあ」
「今土筆の生えた空き地なんてないよねえ」
などと思い出話に花を咲かせながら調理を見ていると、
葉っぱと生の肉の上に熱い出汁を注ぎ入れ、その熱で調理終了。
少し赤みの残った肉は柔らかくジューシーでした。
というところでメインは終わり、いわゆる「お食事」、ご飯です。
土鍋で炊いた美味しそうな白いご飯を、そのままで一口、お茶漬けで一口ずついただきました。
デザートはレモンのゼリーとこのちまき?
と思ったら中は生姜を葛で固めたものでした。
さっぱりして大変美味しかったです。
お薄でお食事はおしまい。
ところで、まるで居酒屋のように騒ぎながら飲食しているかと思ったら、
廊下で携帯を大きな声でかけたりしていた関東から来たらしい一行が、
帰る時になって、預けていたコートを持ってくるのが遅いのが逆鱗に触れたらしく、
「この店最低ね!」
などと大声で叫びまくっているのが車を待っている間聞こえて、わたしたちは顔を見合わせました。
どうしてわざわざ京都のこんなところまで来て、イライラせかせかするのか。
第一、楽しみに来ていて自らそれをぶち壊すなんて損以外の何物でもない気がするのですが。
車を呼んでもらって再び桜のきれいなところを選んで走ってもらいます。
運転手さんの説明によれば、鴨川沿いの桜は上流に行くほど樹齢も高く、
この辺のもので150年は経っているとのことでした。
ソメイヨシノの平均寿命は60年と聞いていたのでこれにはびっくりです。
ここはバス停なのですが、おそらく今日本一風情のあるバス停でしょう。
去年は桜のバックに抜けるような青空の対比が鮮やかでしたが、
薄鼠色の空に溶け込むような桜もまたオツなものです。
樹齢の高い桜は幹が苔むしているのですぐ分かりますが、それらはまた
河原に向かって枝を下ろしていき、まるでしだれ柳のような枝ぶりに花をつけます。
運転手さんによると、この道を走るのをタクシーは今の時期避けるということで、
なんとなればいつも大変な花見渋滞で動かないからだそうです。
しかし、わたしたちはその渋滞の道ををあえて花見するために走ってもらいました。
車の窓からこんな写真が撮れたのも渋滞のおかげです。
このまま宝ヶ池まで走ってもらい、地下鉄でホテルまで帰ることにしました。
雨の日ならではの車窓花見でしたが、京都の広い地域にわたって桜を見ることができ満足です。
京都市動物園はこの週末だけ夜開園していたようです。
夜桜が雨に濡れる動物園・・・・・知っていれば行きたかったなあ・・。
おわり