昨年、2014年1月に小野田寛郎さんが91歳で亡くなりました。
戦後30年フィリピンのルバング島で「諜報活動」を続け、
地元の警察などと「戦闘をしながら」戦い続けていた最後の日本兵です。
小野田さんと行動をともにしていたのは3人の陸軍兵(一等兵、伍長、上等兵)で、
昭和25年に一等兵が逃亡し投降し、小野田さんたちの存在が明らかになりますが、
現地に撒かれた勧告ビラを読んでいながらも三人は投降せず、昭和29年、そして昭和47年に
小野田さんを除く二人が現地警察との交戦で射殺されています。
栄光マラソン部隊、北本工作隊が活躍したここ東部ニューギニアでも、
昭和31年、終戦から11年経って日本人残留兵が見つかっています。
この残留兵も小野田さんのグループと同じく敗戦を信じていたなかったためか、
(小野田さんは終戦は知っていたが現在の日本の施政は傀儡政権によるものと信じていた)
オーストラリア官警が投降をすすめても聞き入いれず、逮捕に向かったところ
撃ってきたので射殺したということでしたが、投降したら殺されると信じていれば
旧帝国軍人がこのような行動を取っても致し方ないことであったでしょう。
北本中尉にはこんな出来事がありました。
健脚を武器にサラワケット越えを果たした北本隊長はカナカ族の腹心、
ラボを使って原住民の間にネットワークを張り巡らせていました。
豪州兵を射殺したことを感謝している部落の酋長などは日本軍さまさまで、
全面的な協力を他の部落の酋長にも表明したため、それは非常にスムーズでした。
各酋長に「北本斥候隊長」の肩書きを与え、敵の侵入をいち早く知らせてもらう、
というネットワークを構築し、物資の調達も今や困る事は無くなり、
一時は戦争を忘れた楽園のような生活が続いていたと言います。
日本側からは軍医を派遣して各部落の医療にあたり、部落からは
若者たちを選抜して土民兵として供出してくれるようになりました。
そのとき日本軍にはあの「高砂義勇兵」が含まれていました。
台湾の山岳民族である高砂族だけで編成され、
東部ニューギニアに適合するという判断で加えられた部隊です。
ニューギニア土民の彼ら高砂義勇兵に対する興味と関心は大変なもので、
はだしでジャングルや山道を音もなく歩く彼らに親近感を持ったらしく、
酋長たちはしょっちゅう彼らを小屋に呼んでは話し込んでいたそうです。
そうやって現地民との信頼関係のうちに築かれた情報網から、ある日ニュースが飛び込んできました。
土民斥候がもたらしたのは敵が侵入しているとのこと。
北本隊長はラボと選りすぐった高砂義勇兵5名、そして土民兵10名で現地まで
「マラソン攻撃」
を開始しました。
走り出したら止まることのない「ランニング突撃」です。
全員が驚異的な身体能力を持っているのでピッチは全く落ちません。
彼らは50キロの行程をなんと3時間で走破し、目的地に到着しました。
平均時速17キロ、計算してみると1キロを走るのに3分半のペースです。
現在平地をひた走るフルマラソン(42,195キロ)世界記録が2時間10分であることを考えると、
小銃を持ってこれはまさに世界新記録だったのではないでしょうか。
情報通り、小屋には二十歳そこそこの大男がいびきをかいていました。
「ノー、ノー」
まだ二十歳を出たばかりの、そばかすの多い顔が引きつっていた。
捕虜となった以上、日本軍には保護する義務があると言っているのだろう。
早口でまくしたてる言葉のなかに、「デューティ」「レスポンシビリティ」
が飛び出した。
わたしは忘れかけた英語を搾り出しながら尋問を始めた。
彼、ウィルバート空軍中尉は縛られないとわかると馴れ馴れしく、
私のそばにやってきて何か食い物をよこせといった。
日本の兵隊なら舌を噛み切ってでも話さない軍の秘密をウィルバートは平気でしゃべった。
話によるとサラモアを包囲するために、近く背後の草原に
落下傘部隊を降下させる計画だという。
直ちに今きたコースを走って引き返したのですが、真っ先にウィルバートがアゴを出しました。
大事な情報主を置いてけぼりにするわけにもいかず、土人たちに代わる代わる担がせて
ともかくも最寄りの部落にとびこみ、電話を入れて敵攻撃の一報を入れました。
翌日、ラエの憲兵隊がウィルバートを引き取りに来ました。
「殺さないようあなたからよく頼んでくれ」
手錠をかけられたウィルバートは後ろを向きながら何度も懇願しました。
搬送されていく車の鉄格子にしがみついて泣き叫ぶウィルバートの顔は、
24年たったいまもときどきわたしの夢の中の登場人物となって現れる。
後の転進のさい、彼は憲兵に射殺された。
苦しみもだえながら、ニューギニアの大地にうずくまるウィルバートが、夢の中でわたしに叫ぶ。
「お前は、男の約束を破った」
さて、転進に次ぐ転進の後もマッカーサーの「飛び石作戦」に阻まれ、
進退窮まった日本軍は、ついにここで戦って玉砕することを決心しました。
攻撃のための前進が始まって、北本中尉は大尉に昇進したことを無線で知ります。
前回中尉に昇進してからわずか6ヶ月後、陸士出の現役将校を追い越す特進でしたが、
ジャングルの中を疾走している北本隊長には、もはや何の感慨も呼び起こしませんでした。
このとき、小隊を持って大部隊を装う陽動作戦は敵のレーダー網に敗れ、
今度こそ軍司令官安達二十三中将は本当の玉砕を決意しました。
「健兵は三敵と戦い、重患者はその場で戦い、
動き得ざる者は刺し違え、各員絶対に捕虜となるなかれ」
北本大尉は最期の命令を受けます。
「安達閣下の切腹場所となる場所を探して欲しい」
北本大尉が付近を踏査して”ここなら2~3年は踏みとどまれるであろう”
絶好の条件に恵まれた場所を見つけ、喜び勇んだとき、上空からはたくさんビラが降ってきました。
「日本は8月15日、連合軍に無条件降伏しました。無駄な抵抗はやめなさい」
もしろんそんなビラを信じるものは誰一人いませんでしたが、
上空を旋回するグラマンが一向に攻撃してこないので、
次第に皆それは本当のことだと信じずにはいられなくなりました。
自決場所を北本中尉に命じて探させた安達中将ですが、その後、
東部ニューギニア日本軍の全責任を負って、ラバウルで一人自決を遂げています。
終戦を悟った北本大尉が滂沱の涙を流していると、ラボが、
「キャプテン、どうしたの?何かあったか?」
日本の勝利を信じ、その暁にはニューギニアの大酋長になれると楽しみにしているラボに
いまさら「日本は負けた」と告白するわけにはいかない。
わたしはとうとうしどろもどろの”終戦告白”を顔を背けるようにしていった。
「ラボ、よく聞いてくれ。戦争は引き分けに終わった。
神様が殺しあうのはよくないから、お互いに手を引けとおっしゃったんだ」
子供だましの様な話を、わたしはもっともらしく伝えた。
ラボは正直に頷きながら聞いていた。
しらじらしい嘘をつかねばならない自分が情けなかった。
「ラボ、今晩は一緒に寝よう。もう敵の弾も飛んでこない」
崩れかけた小屋の片隅で、二人は肩を並べて横になった。
ラボはピクッとも動かず、目を開いたままで何かを考え込んでいた。
沈黙が続いた。ラボが思い余ったようにポツンといった。
「キャプテン、日本へ帰るのか。なら俺も一緒に連れて行ってくれ」
しかし、それができないどころか、彼が日本軍に協力してきたことが
進駐してきた米軍に知れると彼の命も危なくなります。
北本大尉は断腸の思いでラボに別れを告げました。
「今日でさようならだ。これは取っておいてくれ」
ラボは首を振った。
「こんな品物をくれるよりオレを日本に連れて行ってくれ」
「それはいかん。日本は遠い遠いところだ。
オレはきっとニューギニアに戻ってくるからそれまでお互いに辛抱しよう」
ラボは泣き崩れた。子供が駄々をこねるように、首を横に振ってわめいた。
「いやだ。キャリに帰るのは嫌だ。日本に連れて行ってくれ」
わたしは同じことを何度も言ってなだめた。
ラボもとうとうを諦めた。
いくら頼んでも聞き入れてもらえないと悟ったのだろう。
悲しそうな目をあげて、ぽつりと言った。
「キャプテン、何もいらないから”神様のしるし”の旗をくれ。
毎朝拝むから」
日の丸の旗など持っていたら怪しまれるぞ、とはどうしても言えなかった。
わたしはサラワケット越えに使用した日章旗を手渡した。
ラボはボロボロになったその日の丸の旗を押しいただくと、
右肩から袈裟懸けに巻き、川の方にトボトボと歩き出した。
「キャプテン、さようなら」
ラボはカヌーに飛び乗ると、振り向きもしないで水面を漕いだ。
舟底の浅い、丸木作りのカヌーは、ひとかきで大きく岸を離れた。
「しろじに あかく ひのまる そめて・・・」
「ゆるしてくれ、ラボ・・・」
心の中で手を合わせ、ラボの姿が見えなくなるまで見送った。
涙がこみ上げてきた。しまいには嗚咽に変わった。
信頼しきってきた男を、最後に裏切らなければならない自分が情けなかった。
心の張り裂ける思いだった。
昭和38年、テレビ番組「それはわたしです」に、北本工作隊隊長として
出演した北本正路氏です。
戦後は大阪で鉄鋼業を経営しておられたようですが、
それ以外の軌跡はインターネットで探し当てることはできませんでした。
戦後、北本氏は豪州大使館に連絡を取って日本にラボを招待することを思いつきます。
「なんとかラボとの再会の約束を果たしたいと思う。
彼と一緒に靖国神社の亡き戦友の冥福を祈ることが実現したら、どんなに素晴らしいだろう。
二人で平和を満喫しながら都会のビルのジャングルを思い切り歩いてみたい」
このようにあとがきに記した北本氏でしたが、その後それらしいニュースもなく、
どうやらその望みが叶えられることはなかったようです。
しかし、あのときに東部ニューギニアの日本軍を救った一人の現地人と、
驚くべき健脚と精神力ででそれを可能にした一人のアスリートの存在は、
それによって命存え日本に帰国してきた者たちが、
子へ孫へと繋いでいく血潮の中に、これからも脈々と刻まれていくでしょう。
ところで、北本大尉がラボに与えた日章旗はその後どうなったのでしょうか。
ラボは、毎日この「神様のしるし」に向かって手を合わせ、「日の丸の旗」を歌いながら、
いつか北本隊長が迎えに来てくれる日を、楽しみに待っていたのでしょうか。
終