大昔、まだ挿絵をブログ機能の「お絵描きツール」で描いていた頃のものを
作画をする時間がないのをいいことに引っ張り出してきました。
ノートパソコンのスクロールパッドに指を滑らせて描いたため、
線もまっすぐに引けないなどのお見苦しい点はありますが、ロゴだけは見やすくしました。
さて、渡米前のパッキングの合間を縫ってのエントリ製作なので小ネタです。
昔、この絵をつかって「従兵のお仕事」について書いたことがあります。
5年前のエントリなどご存知ない方が大半だろうと思いますので説明しておきますね。
かの井上成美大将が「比叡」の艦長をしていたときの従兵、砲術学校高等科卒の優秀な下士官、
駒形重雄三等兵曹は、ある日井上艦長が「今日は帰艦しない」と言い残して上陸した後、
艦長室のバスタブで洗濯していたのですが、ふと魔が差して艦長のベッドに横たわったところ、
そのまま前後不覚となって寝込んでしまいました。
夜半、ふと目覚めた駒形兵曹、妙に体が窮屈なのに気がつきふと見ると
隣には今夜は帰艦しないはずの井上艦長が寝ていたのです。
バネ仕掛けのように飛び上がった駒形兵曹に、井上艦長は、
「いいよいいよ。もうすぐ夜が明ける。朝までそのまま寝てろ」
と言ったというお話。
もちろんこの後、駒形兵曹は這々の態で艦長室を辞したのですが、
このままお言葉に甘えて一緒のベッドで寝続けたとしたら、
総員起こしのとき下士官の寝室(釣り床の列んだ部屋)にいることもできず、
下手したら脱柵を疑われてしまいます。
フネなのでそれはないか。
これは井上茂美の部下に対する思いやりの深い一面を表す逸話ではありますが、
朝になって従兵が艦長の寝室から出てくるところを誰かに見られたらどう思われるかとか(笑)
思いおよびもつかなかったらしいのが、この大将の「浮世離れぶり」をうかがわせます。
このとき、「その気(け)」もないはずの井上艦長が狭いベッドに引き止めるくらいだったのだから、
きっと駒形兵曹はそれなりの容姿、少なくとも爽やか系だったに違いない、と書いたのですが、
一般的に従兵が容姿も考慮されるのはごく普通のことであったようです。
まるで奥さんのように身の回りの世話を焼くのが仕事なので、それは当然として、
もう一つの理由は、司令部や艦長の従兵ともなると、場合によっては天皇陛下や皇族方、
外国の要人との晩餐に侍立することもあったからでした。
もちろんそれだけではダメで、人一倍気がついて頭の回転が速くないといけません。
「大空のサムライ」の坂井三郎氏も、「霧島」乗り組み時代に従兵(のような仕事)を
していたそうですが、海軍砲術学校を2番の成績で卒業した後の配置ですから、
やはりこの任務がいかに重要視されていたかということがわかります。
一般に従兵は現場からそれにふさわしいものが推薦されてなるのが常でした。
「従兵になると出世が早い」と言われていましたが、これは
「従兵になれるくらい優秀なので出世も早い」
ということでもあったのです。
さて、わたしがその会員となっている海軍兵学校某期の、戦艦「長門」艦長を父に持つS氏は、
「長門」でフランス料理を食べたという思い出を話してくれたことがありますが、
中でも印象的だったのが、後ろにナプキンを手にした従兵が控えていて、
椅子を引いたり、お皿のサーブをしてくれことだったそうです。
軍艦の士官の待遇は文字通りの「特別扱い」でした。
海軍士官になればこういう「特権階級」となれるという世間の認識もまた、
海軍に対する憧れを誘う一つの要因でもであったでしょう。
海軍の士官室は、軍艦において
士官室=分隊長以上(分隊長なら中尉も)
第一士官次室=少尉、中尉
第二士官次室=兵上がりの少尉、中尉
準士官室=兵曹長
と区分けされていました。
兵学校、機関学校、軍医学校、主計学校卒は自動的に第一士官次室、
すなわちガンルームから軍艦生活が始まります。
一般大学卒の予備士官もこの待遇でした。
「次室」といちいちついているのは、もともと「ガンルーム」というのが
「学校を出たばかりの士官は、大砲の隣の部屋でいつでも戦闘配置につけるように起居すべし」
という英国流のネーミングであったことからです。
同じ士官であってもガンルーム士官と第二士官は父親と息子の年の差がありましたが、
軍隊なので同じ少尉であってもガンルームの士官の方が階級は上です。
そして従兵ですが、これらの「士官室」には必ず何人かが就くことになっていました。
階級が上に行くほど、従兵一人が仕える士官の数が少なくなっていくわけで、
ガンルーム士官でだいたい2~3人に一人の従兵がつきました。
例えば食事は各士官室付きの軍属が料理を作り、階級によって手間のかけ方、
材料の良し悪しが全く違ってくるのはいつかお話ししたところですが、
これをお給仕する従兵は、深川製磁などのごはん茶碗をお盆で受け取ったりします。
士官の食事は「一食いくら」で食費を徴収したそうです。
もちろんこの場合のごはんは「銀めし」(『銀しゃり』は戦後の闇屋が言い出したもの)で、
士官が食べなかったお櫃のご飯は、従兵がたらふく食べることができました。
これは従兵の最大の特権でしたが、他にも上官のバス掃除を行うときに
こっそり落とす前の湯船に浸かることもできました。
表向きは禁じられていましたが、艦隊勤務は非番のことを「入湯上陸」と言ったくらいで、
毎日入浴などできないのが普通でしたから、士官たちも大目に見ることが多かったようです。
戦艦「大和」は、昭和19年になっても、大尉以上の士官が
テーブルクロスに従兵のサービスでご飯を食べていたそうです。
その食事も当時にしては大したもので、Sさんが言っていた
「後ろにナプキンを腕にかけた従兵が立ってお給仕」というようなことをしていました。
「大和」に乗り組んでいた士官の話によると、従兵は夜も寝る時間がないくらい、
生活全般にわたってあらゆることをそれこそ上げ膳据え膳で世話してくれ、
「明日着る服はどれ、それから履物はどれ、と決めて、履物も全部磨いてくれる」
「欲しいものがあったら申し付けるだけでなんでも酒保で買ってきてくれる」
その親密さは家族以上で、士官たちは皆彼らに感謝からくる親しみの気持ちを持っていたそうです。
昔一度、丹羽文雄の「海戦」という小説について書いたことがありますが、
これは、作家の丹羽文雄が第一次ソロモン海戦のときに旗艦「鳥海」に座乗して、
夜戦を目の当たりにし、負傷した経験を活写したものですが、その中の、
戦闘後の「鳥海」副官(つまり艦長の副官)とその従兵の話をもう一度掲載しておきます。
「従兵、篠崎はどこだ、篠崎?」
負傷者の顔を一つずつ見て歩いた。
「副官、自分はここにいます」声だけがあった。割合元気が良かった。
「どこだ、篠崎?」
「どうだ、具合は?」
返事はなかった。あたりはしいんとした。やがて
「申訳ありません」
と言った。副官は微笑をうかべた。右手を失った篠崎は絶対安静が必要であった。
「しかし、自分には左手が残っています。副官のお給仕は左手で立派にやれると思います」
「うん、やってくれ。自分もそう思っているんだ」
副官は何かを抑えるようにして、朗らかに応えた。顔から微笑が消えそうになった。
副官は黙った。高いところから見下ろしていた。従兵も無言であった。
副官はわざわざ篠崎を見舞いに来たのであったが、そんな気配は示さなかった。
どれだけか副官は見下ろしていたが、
「何も考えずに、くよくよしないで、十分養生しろよ」
「はい」
副官が枕許をはなれた。五六歩歩いた時であった。
「わあっ」
叫びともつかず、よびかけともつかない奇声を従兵があげた。
「何だ。篠崎?」
「魔法瓶がみんなこわれました。申訳ありません」
副官は引き返そうとしてためらった。そのままの姿勢で、
「なに、代りはあるぞ」
副官はそう言うと、大股に部屋を出ていった。
(「海戦」丹羽文雄 中公文庫)
そうかと思えばこんな話もありましたね。
皇族軍人で陸軍騎兵連隊附であった閑院宮春仁王(かんいんのみや はるひとおう)は、
戦後皇籍離脱後事業を起こし、元皇族の中でもかなり経済的に成功し、
余生も穏やかなものであったということなのですが、
戦後になって離婚した元夫人が、彼が軍隊時代男色家であった、とリークして、
マスコミの好餌となりスキャンダルになりました。
夫人によると、陸軍の官舎は狭く、ベッドは二つであったのですが、
王は高級将校に必ず付いていた従兵と一つのベッドに寝ていました。
井上成美艦長と駒形従兵のケースとは違い、両者合意の上での同衾であったようです。
戦後になってもその従兵と夫妻は同居生活を続け、言い争いになると
元従兵が彼女を殴ったりする異常さに耐えかね、離婚に至ったという話。
いかに軍人に直接仕える「従兵」という職種が上官と緊密な関係を生むかということですが、
戦後になって軍が「悪いもの」になってしまったとき、海軍的ヒエラルキーも
海上自衛隊においてはごくごく表面的なところにしか残らず、したがって従兵の制度もなくなりました。
先日わたしは、ある航空基地司令の執務室で昼食をご馳走になる機会がありましたが、
お茶を運んできたり、三人分のお弁当を運んできたり、そういう旧軍の従兵的仕事は
全て女子隊員が行っていました。
でもこれは来客的に当然というか、自然に感じました。
差別と言われようが、やっぱりお茶もお弁当も、女の人に持ってきてもらったほうが
なんか助かるというか、落ち着くというか。ねえ?
つまり従兵は軍隊に女性がいなかった頃の「女性代わり」の面もあるわけですが、
今現代、自衛官は旧軍軍人ほど「特権階級」ではなくなり(というか社会全体から
そういう特権階級が姿を消したので)、自衛隊もどんなに偉くても自分のことは自分でね、
ということになっているわけです。
しかし、なんとなく個人的には「上から下まで同じ扱いの軍隊」なんてもんがあったら、
なんて味気ないというかつまらないもんだろうと思います。
だいたいそんな共産主義みたいな軍隊、絶対強い気がしないよね。
軍隊が階級社会なのは当たり前。
あまりにも民主的な軍隊は上から下への命令もおちおちできませんから(笑)
海上自衛隊で将官の呼称が「閣下」であったり、将官のパーティー出席のときには
黒塗りの車の横にずっと海曹が立って待っていることや、副官が
目的地に着いたらさっと降りて将官のためにドアを開ける、などというのを見て、
こういう「特別扱い」の形が程よく残っていてほしい、とわたしなど思ったりするのですが、
社会の階級がなくなった日本の自衛隊では、たとえ従兵制度が何かのはずみで復活しても、
「気を遣うからむしろそんなものないほうがいい」
という「民主的な」将官が多くて、運用は無理かもしれませんね。