渡米前、ある会合でお会いした海自の教育航空集団司令である海将にお誘いを受けました。
「基地に見学に来られませんか。P-3Cの操縦席にもお乗せしますよ」
「本当ですかっ!」
よもやまさか、メールアドレスの一つが「p3coriona」であるというくらい
(aを付けたのは"p3corion"がもうすでに取られていたため女性形)
わたしがこの飛行機に思い入れていることにご存知のわけでもあるまいに、
なんたる猫に鰹節(ちょっと違う?)、そんな餌をぶら下げられたわたしは
脊髄反射で食いついてその場で行く約束をしたのでした。
そしてそれから3日以内に、午前中からお昼にかけての基地見学がセッティングされました。
さすが自衛隊、話が早い。
午前中の1時間半、たっぷり見学させていただいて、その後海将と一緒にお昼を食べて解散、
という、わたしにとってはまるで夢のようなコースです。
そして当日。
P-3Cの教育を行うこの基地は、高速を降りた後、たとたん延々と続く慢性的な渋滞の道を
1時間くらいちんたら走らねばなりませんでした。
家から長時間運転しっぱなしでお尻が痛くなってきた頃、やっとのことで正門前に到着。
間違えて別の入り口から居住区らしいところに入っていくというアクシデントはあったものの、
たどり着いた時には海軍15分前。
海自関係のイベント、特にアポイントメントがあった際、時間には気を遣います。
しかし、わたしは、幹部学校の見学をさせていただいたとき、ナビが別の入り口を指示したため、
目黒川付近をうろうろしているうちに約束の時間に遅れるという痛恨のミスをしたことがあります。
あの時の心臓が縮むような気持ちは、未だに時々思い出すほどです。
関係者の皆様がた、その節は大変申し訳ありませんでした。m(_ _;)m
入り口でもらった車のダッシュボード上の駐車札を見ていただきたい。
フロントガラスに映った時間は「1025~1235」とありますね?
海将とのお約束は「1030」ということになっていました。
しかし、向こうは当然
「10時30分のアポイントメントには1025には到着するのが普通」
ということでこのような予定時間となっているわけです。
つまり、来客にも「海軍五分前」が求められているということなんですね。
(あああああの痛恨の遅刻が・・・)
ちなみに「水交会」と書いてありますが、これは見学者のタイトルにやはり
それらしいことを書かなければいけなかったので、たくさんあるわたしの肩書きから(笑)
海将とお会いした場所でもあるということで、水交会が選ばれたようです。
ここでかつて使われていた飛行機が展示されています。
メンターの次の中間練習機だったテキサン、SNJ型。
黄色い機体が緑のところどころに咲きそろった花の色とマッチしています。
フロントガラスに映っている「22」は、時速22キロで走っているということです。
この広い道路の向こう側に自衛官がすでにでてきているのがお分かりでしょうか。
訪問に際して、色々と手続きを取ってくれた教育航空集団の副官である1尉でした。
今回の訪問にあたっての書類に必要な情報をこのS1尉とやりとりしたのですが、
生年月日はわかるとしても、なぜか血液型を聞かれました。
「なんで血液型なんて必要なんだろう」
朝霞の陸自駐屯地のときも幹部学校も、そんなことは聞かれなかったのですが、
もしかしたらP-3Cのコクピットに上がったりするという予定上、
万が一何かあった時のため、ってことだったんでしょうか。
TOなど、
「血液型・・・・・まさか、P-3C実際に飛んだりとかしないよね?」
と怯えています。
もしそうならどんだけ嬉しいか(T_T)
念のためS1尉に「パスポートのコピーは要りますか」と聞くと、それはいらないとのこと。
いやそこは必要でしょう。パスポート。
操縦席に座らせたり管制塔に上げるのに、わたしたちが中国のスパイだったりしたらどうするんだ。
エントランスを入ったところにある写真。
ウィングマークの下が本日ご招待くださった海将。
両脇が幕僚長と先任伍長である海曹長。
この写真配置はそのまま教育航空集団の組織図でもあります。
司令官の隷下には、「下総」「徳島」「小月」「 第211」の各航空群があります。
中段の4人はその教育航空群司令、その下の4人は教育航空群先任伍長となります。
司令は1佐、先任伍長はこれも海曹長となります。
通されたビルの二階が当基地所在の教育航空群司令部であり、
それらを統括した教育航空集団の司令部はこの上の階にあります。
偉い人ほど上で生活しなければいけないのですが、自衛隊ですからエレベーターなどありません。
この後見学した管制塔には、さすがエレベーターはありましたが。
階段の途中に教育航空集団と各教育航空群の楯が飾ってありました。
下総はP-3C、小月はT-5、徳島はT-C90と、使用飛行機があしらわれていますが、
回転翼の操縦を行う第211教育隊は少し変わっていて、
鳥さんがローターを背負って飛んでます。
後ろで煙を吐いているのは桜島ですね。
さて、三階に上がると、基地司令である海将が迎えてくださいました。
海将は前任が江田島の術科学校の校長で、そのときに知り合っております。
ここが教育航空集団の応接室である。
ここにもあった、片眼のだるま。
自衛隊の基地には陸海問わずこのだるまさんがあるのですが、もしかしたら
このだるまの最も安定した販売先は選挙事務所以外では自衛隊ではないかと思ったり。
まずはここでWAVEさん二人が運んで来てくださったお茶をいただきながら、
海将からこの基地と、教育航空集団についての説明を受けます。
海自や陸自の基地駐屯地は、旧軍からの施設を米軍の駐留を挟んで
戦後もずっと使用しているというところが多いのですが、ここは昭和7年に
東洋一大きなゴルフコースが作られ、政財界のVIPが使用していました。
昭和20年に陸軍省が買いとって陸軍飛行場が作られましたがすぐに終戦。
戦後はGHQの接収を経て1959年に米軍が撤退してからは、自衛隊の教育航空隊があります。
「他の基地と違って新しいので本当にお見せするようなものは何もないんですが」
となぜか申し訳なさそうにおっしゃる海将。
いやそんなことありませんって。
テーブルに並べられた模型を見ながら説明を聞きました。
海上自衛隊で航空を選んだ自衛官が、最初に操縦する練習機がこのT-5。
パイロットの「最初の一歩」はT-5を擁する山口の小月航空教育群で始まります。
ここでは座学(講義)を中心とした基礎教育を経て、T-5を使用した飛行教育を行っています。
すべての操縦士、戦術航空士は、搭乗員生活の第一歩を小月で踏み出すというわけです。
小月での教育を終えた操縦士の卵たちは、ヒヨコとなって?この飛行機、
TC-90を備える徳島教育航空群で、計器飛行などの中等教育を行います。
そして次の段階で、操縦士志望の隊員は、固定翼と回転翼に分かれます。
そして、固定翼を選んだものはここ下総でP-3Cでの実用訓練を受け、
卒業してウィングマークを授与されたのち、P-3Cの運用部隊に配属されます。
「P-3Cの操縦士は全員ここを卒業しているんですよ」
海将ももちろん、P-3Cパイロットだった★元海幕長もここにおられたということなんですね。
徳島を出た後、回転翼を選択したものは、鹿屋にある第211教育航空隊に行って、
この小さなヘリコプター、OH-6DAを使って訓練を受けます。
「レモン」(形と昔黄色だったから)がコールサインのOH-6DAは、
TH-135に移行して行っているそうです。
今報道ヘリというとほとんどこのタイプのような気がしますが、海将によると
今日本ではOH-6DAが汎用されているということです。
それだけ操縦しやすいということなんでしょうね。
ただ、初めてヘリコプターを操縦する訓練生は、たいていこうなるようです。
かのやダンス
テーブルの一番端にあったこれはP-1。
P-3Cがアナログならこちらは最新鋭機なので、全てが自動です。
だからって簡単になるわけではないのですが、P-3Cで苦労した部分は
ずいぶん緩和されることもあるのだとか。
そらそーでしょう、P-3C、機体ができて57年経ってます。
ただし、P-3Cは何度もアップデートを行っているので、当時のままではありませんけどね。
P-1はPー3Cに比べて幅5m、全長2.4m。全高1.8mも大きくなっている上、
積載重量も約17トン、最大搭載人数も11人から13人に増やすことができます。
なんといっても巡航速度( 607 km/h→833 km/h)も、航続距離(6,600 km→8,000 km)
も格段の飛躍。
今後切り替わっていき、10年くらい後には完全にP-1だけになるということです。
そのときにはわたしはアドレスをP-1のニックネームにしてるかな?
ところでP-1、なぜニックネームがないのかしら。「ぴーわん」で呼びやすいからいいってか?
海将のお話を伺いながら、きっちり部屋に飾られているものも写真に撮るのだった。
真ん中の絵皿はわたしの全く当てにならない艦選別眼からみて、旧軍艦だな。
一番上のロンドンオリンピックのときの出場選手の名が記載された絵皿をアップ。
なんと自衛隊体育学校からロンドンには12人も行っているんですね。
自衛隊はスポーツ選手養成機関という一面も持っているのです。
さて、ここでしばらく概要を説明していただいてからは、広報室長のご案内で
いよいと基地見学に出ることになりました。
ふおおおおおお~。
ま、またしても赤絨毯の先に自衛隊の車がドアを開けてくれる海士さん付きで待機!
実はこの日、わたしはどんな服装で出向けばいいのか大変悩みました。
基地内を見学、航空機のコクピットに座る、こういうイベントがあるからには、
航空祭や基地祭のように、スニーカーに動きやすい格好をするべきかと思い、
最初にパーカーとスェットパンツ、運動靴を履いてTOに見せたところ、
「いくらなんでもそれは動き易すぎるってかラフすぎるだろ。
向こうは制服なんだしもうちょっとちゃんとした格好すれば?」
とたしなめられてしまいました。
彼はその後仕事に直行なので、当然スーツです。
「パーカーはチャンネル(仮名)でパンツはJCだけどダメ?」
「そんなの余計ダメ。海将と食事するのに」
というわけで、迷った結果、パンツスーツにパンプスで来たわけですが、
このまるで政治家の訪問のような、下にも置かぬ自衛隊の気遣いのおかげで、
移動は全て車、広い航空基地を汗かきながら歩き回ることもなく、
結果としてきちんとした格好で来て良かったと心から思ったのであります。
気遣いといえば、エスコートしてくださった方は、皆さんが前もって
「これから外に出ますが、その前にお手洗いに行っておかれたらいかがですか」
などと、こちらが心配する前にこんなことまでお声がけしてくださって、(それも頻繁に)
まさに海上自衛隊とは気遣いの集団であると再認識させられた次第です。
お言葉に甘えてお手洗いに行くと、そこはそれこそ舐められるくらい(舐めませんが)
美しく磨き上げられた清潔さで、またもや感動。
そして、壁にはこのような張り紙が・・・。
わたしは防衛協会の懇親会の後、朝霞で基地の案内をしてくださった1佐と再会し、
防衛協会の理事長と一席を囲む機会があったのですが、そのとき人事のその方が、
「陸自の場合は20万人いますからね。
一人の人間が”何かしでかす”のが20年に1回だったとしても、それが20万人なら
毎日誰かが何かをしでかしている計算になるんです」
とおっしゃっていました。
中でも自衛隊員の自殺というのはもっとも大変な案件で、一旦何か起こったら
原因究明と問題点の洗い出し、さらには現場への心理的ケアまでが行われます。
「いじめとかではなく、周りがその本人に対してケアして応援している状態であったのに
それでも自殺してしまったという場合は、隊の雰囲気というか士気が低下するので、
そういう自殺が後一番大変です」
とも。
この張り紙にも見られるように、大勢の人間集団であるからには自衛隊には
一般社会で起こることも一定の割合で起こってくるのですが、一般社会においては
誰も行わない「ケア」「対策」といったことを、自衛隊では任務として行っているのです。
さて、話が逸れましたが、お手洗いにも行ったので(笑)、
いよいよ車に乗って外に出ることになりました。
そこにはオライオンがわたしを待っている・・・・・・!
続く。