この日航空教育隊基地を見学して心から驚いたのは、いかに航空教育群司令直々のご招待だったといえ、
到着から退出までの段取りが恐るべき精密さで組まれ、それに伴い各配置の隊員たちがきっちりと動いて、
すべての物事が滞りなくスムースに運んでいったことです。
たとえばP-3Cのコクピットで写真部隊隊員に操縦席に座った写真を撮ってもらいましたが、
その移動の途中、案内の方が
「先ほどの写真ですがもう出来ているみたいなので、後でお見せします」
と報告までしてくれました。
「えっ、さっき撮ったばかりなのに」
「仕事が早いのが自衛隊ですから(笑)」
こういう、すでに隊内の規定で決まっているらしい「見学者迎撃作戦」においては、
警衛を通過する瞬間から始まって、応接室にお茶を運んでくれるWAVEさんの人選まで(笑)、
いかに自衛隊という組織が「広報」を任務の柱の一つにしているかをうかがわせました。
自衛隊は「モニター制度」といって、一般人に自衛隊の見学を通じて内部に触れてもらい、
その体験を自分なりの方法でアピールしてほしい、という取り組みをやっています。
地本ごとに行われることが多いようですが、いずれもその目的は、
ソーシャルメディアネットワーク 、つまりブログやSMSで広めてもらうことです。
(けっして”2ちゃんねる”のことではないと思います)
また、HPによると、近隣の中学生の「職場体験」の支援なども行っていて、
当基地にある様々な職種を子供たちが体験する、ということもあったそうです。
基地広報活動
というわけで、基地訪問記をここに上げることは、ご招待してくださった海将と、
現地でお世話になった皆様へのお礼を兼ねていると信じて、続きとまいりましょう。
消防車で思いっきり放水して水撒き作業に従事した後、
我々を待ち受けていた任務は、管制塔の視察であった。
というわけで、わたしたちは4人乗ったらもう定員のような小さなエレベーターに乗り込み、
管制塔を登って行きました。
そこで、こういうことには滅法気がつくつもりのわたし、広報室長がいうより早く、
「写真は禁止ですね?」
と確信を持って確かめると、やはり管制室は一切撮影禁止とのこと。
そりゃそうだわ、管制室にはすべての通信を司る通信機器があるわけだから。
李下に冠を整さず、というわけで、別に指示されたわけではありませんが、
わたしは自主的にカメラをバッグにしまい、管制室に入りました。
当基地の管制塔は、去年の1月、現在のもの(右側の白いビル)が完成したばかり。
それまでは、赤白チェッカー模様の、昭和37年築の管制塔を使用していました。
旧管制塔はすでに撤去されていてありません。
わたしたちが上がったのは管制室なのでもちろん一番上階になりますが、
その一階下、ガラスの窓が4面に貼られた部分が展望のための回廊です。
サマーフェスタなどの一般公開のときには、ここには入ることができます。
さて、エレベーターから降りると、そこは明るい管制室でした。
冷暖房完備だと思いますが、直射日光がガラスを通じて照りつけるため、
きっとそういうガラスではない旧管制塔の勤務は大変だったと思われます。
管制室には窓際のスイッチの並ぶテーブルを前に、3人の管制官が配置されています。
彼らはわたしたちが入っていても振り返らず、ひたすら基地上空と滑走路の目視を続けており、
その後ろには一人の自衛官が「見張りの見張り」のために座っていました。
つまり、「見張りをしている自衛官を見張っている係」?
多分3人の上官であると思われます。
わたしたちに説明をしてくれたのは、また別の、最初からここにいた自衛官(士官)で、
もしかしたらわざわざそのためにいてくれたのかという気もしますが、
説明で驚いたのは、彼らの任務は航空機が稼働していない時にも、
誰かが必ずこの管制塔から見張りを続けている、ということでした。
うーん、この任務、大変じゃないか?
しかも、後ろからずっと上官が見ているので、
「つれーわー昨日飲み過ぎてつれーわー」
みたいな馬鹿話は絶対にできません。
わたしたちが管制塔にいる時間には航空機の離発着は全くありませんでしたが、
もしかしたら離発着のない時間だったからこそ見学できたのかな。
旧管制塔は塔そのものがチェッカー模様でしたが、新管制塔は、
さすがに海自一の高さを誇るだけあって、チェッカーは控えめにごく一部に塗られているだけです。
高い管制塔からだと、見張りの隊員は少しだけ体力的にラクになったりするんでしょうか。
管制塔を備えたビルは他の機能も満載で、たとえば先ほど写真を撮ってくれた隊員が、
撮った写真をプリントアウトして、ホルダーにいれる、という作業を行う部屋もここにあります。
そして今回検索していて当基地の管制室のこんな記事が見つかりました。
産経新聞の「国民の自衛官」に選ばれた管制官です。
国民の自衛官 横内拓也1等海曹
この記事に、管制室のパネルも写っています。
わたしたちが見学した時に、この自衛官もいた・・・・と思う。
航空基地というのは、近隣の飛行場との連携を密に取ることが必要です。
この基地の周りにはどんな飛行場があるかということは、把握されていて、
いざという時の誘導を互いに行うということになっているという話もありました。
わたしたちが滞在している間、一度だけ管制官がマイクに向かってどこかと通信していましたが、
やはりそれは英語で行われていました。
自衛隊内でも航空管制の全世界共通語で通信は行われるんですね。
ところで、共通といえば、自衛隊の航空隊と一般の飛行場が
同じ場所を使用しているという例があります。
徳島阿波おどり空港。
そんな名前の空港があったのか、と驚きましたか?
たった今わたしも驚きました。
もちろん「鬼太郎空港」や「きときと空港」や「やまねこ空港」や「パンダ空港」、
(まさかと思うでしょうが皆実在します)「ウルトラマン空港」(検討中)
という類の、「愛称」というやつですが(奇を衒えばいいってもんじゃないぜおい)
それはともかく、この徳島飛行場は民間と自衛隊の施設がそれぞれ置かれている、
いわゆる「軍民共用」空港で、この日見学した航空教育群隷下の
「第202教育航空隊」
先日説明したTC-90で計器飛行などを学ぶ「パイロットの第二段階」過程の部隊があります。
去年のことですが、
管制官の指示に従って徳島空港に着陸しようとした羽田発の日本航空機(ボーイング767-346型機)
が着陸寸前で滑走路内にいた車両の存在に気がつき着陸をやり直すトラブルが発生した。
この際一度車輪が滑走路に接しており、車との距離はわずか800メートルほどだった。
乗員乗客に怪我はなく、その25分後に無事着陸した。
管制官は滑走路に車両が入ることを許可したおよそ10分後に旅客機に着陸を許可していたことが判明した。
という事故があったとwikiには書いてあります。
これを読んだだけでは管制官の所属はわかりませんが、どうやら海自の管制官であったらしく、
しかも日曜ということで一人で管制業務に就いていたということがミスに繋がり、
これを朝日新聞などは「重大インシデント」として
通常は4人態勢の管制官が当時、1人しかいなかったこともわかり、
空港の利用者らは離着陸への不安を募らせた。
などと、相変わらずの「不安を募らせる人って本当にいたんですか?」な記事を書いています。
軍民共用で自衛隊に一般の航空を嫌々使わせてやってる、と言いたげですな。
もちろん言い逃れのできないミスには違いありませんが、その昔、
自衛隊の航空機はたとえ緊急時であっても民間航空に着陸できなかったそうですね。
実際に非常時になって、わざわざ遠くの基地を目指した空自のF-4が
燃料切れで墜落した事故なども起こったことがあるそうです。
そんな時代を考えると、徳島空港のような運営が行われるようになったことは、
軍運用に対する理屈抜きの忌避感は全時代的なものとなってきたのかという気もしますが、
しかし自衛隊はやはり何かあると、普通のインシデントよりも重く見られがちというか、
「ホラ見たことか」
といった調子のメディアのおかげで、事故があるたびに基地司令に全面飛行停止を申し入れる
「赤旗を購読している付近市民」がわいて出てくるわけです。
彼らが事故を起こしたどんな航空会社にも「全面飛行停止」を申し入れているなら
それもまた筋の通った主張と言えないこともないのですけどね。
ここでお話を伺った管制官によると、夜中も二人で管制業務を行うそうですが、
全く飛行機が飛ばないこの時間にも二人で行うことになっているのは、
もしかして徳島の事故を受けてのことなのかもしれないと思ったり。
ところで、この管制室には中型のテレビが置いてありました。
テレビの下にデカデカと
「情報収集中」
という紙が貼ってあったので、情報収集って何ですか、と聞くと、
「テレビを見ることです」
ここでテレビを見てるのは朝ドラを見逃したからじゃないんだからね!
情報を収集するためにつけているんだからね!と言う意味ですねわかります。
たとえば事故などが起こって、情報を収集するような時しかこのテレビのスイッチが
入れられることはないと、こういうことだったんでしょうか。
テレビが置いてあると、娯楽のためとしか思わない一般人に向けての説明です。
っていうか、こんなことまで釈明しなきゃいけない自衛隊って、大変。
言い訳といえば(って言ってないか)、この最新設備を備えた管制室の隅にも、
ちゃんとありましたよ。
神棚が。
管制室の中は神棚といえども写真を撮ることができなかったので、
この神棚はそこのではなく司令室のデスクの上に鎮座していたものですが、
護衛艦ももちろん、海自は管制室にも置くんですね。神棚を。
護衛艦の場合は海軍からの慣習ですし、船に艦内神社があるのは一般的なことですが、
管制室や司令室にあるというのは、やはりこれも海軍伝承でしょうか。
空自には「飛行神社」があって安全祈願をしているそうですが、どんな時代になっても
どんなに手を尽くした後でも、人智の及ばない部分に対し人はせめても祈りを捧げるものです。
ここで説明の方が妙に「配慮」を感じさせる説明をしました。
「もちろんキリスト教の人間だっていないわけではありませんし、
拝むことが行われているというものでもないのですが」
みたいな。
わたしは海軍伝統を知っての上で話題にしたつもりですが、向こうにすれば
相手の正体は皆目わからないので、とりあえずこんな腰の引けた説明をするのかなと思いました。
考えたら、普通見学に来る人間は、航空管制室の神棚なんか話題にしないでしょうし、
広報室長が言質を取られまいと警戒したとしても仕方がないことかもしれません。
わたしは己が基地見学を終えた後、「自衛隊に神棚が!政教分離がフンダララ」
とか言い出す基地の外の人ではないことをなんとかその場で証明するべく、
「護衛艦のなかにも艦内神社があって隊員は分祀した神社にお詣りにいったりしますね。
たとえば『いせ』の乗組員は先日伊勢神宮に参拝したそうですし」
などという話題を振って説明これ努めたつもりでしたが、その意図、わかってもらえたかな~。
続く。