空母「ホーネット」艦橋ツァーについてご報告するのも最後となりました。
冒頭画像は、次に見学した気象室に展示されていた当時のままの天気図とイヤフォンマイク。
「神風とマケイン中将」の項で、当「ホーネット」が不運にも遭遇した二度の台風
(なんというか損害の多さについては判断ミスつまり人災という気もしますが)について
お話ししましたが、つまり「ホーネット」と自然現象についてはやはり因縁めいたものがあるので、
この気象コーナーについてお話しするのも、意味のあることではないかと思ったりするわけです。
一度ならず二度までも「ホーネット」幹部(とハルゼー提督)が判断ミスしたのは、
元をたどればこの部分から出されたデータが誤っていたせいではないのかという意味で(T_T)
航空管制室を出たわたしたちは艦橋デッキを通って階段を降りて行きました。
73年前に建造された軍艦はいたるところに経年劣化を感じさせます。
手すりがわずかに外側に出っ張っているのは通路で消火ホースを使うとき
少しでも作業場を確保するためであろうかと思われます。
それにしても手すりの歪みようがすごい。
狭い通路いっぱいになって歩くアメリカ人。
アメリカ人ならここを通ることも困難な体型の人はたくさんいますが、
そんな人はそもそもわざわざこんなところを見学しようとも思わないので無問題。
この時代の軍艦というのは色々と搭載物が多いというか・・。
手前のは航空信号灯、突き出た部分に付けられているのは甲板用の照明?
さて、気象室に到着。
博物館となってから当時のレポートを壁に展示しているようです。
気象室は艦橋の下のレベルにありました。
隣のモスボールされた(とわたしが思っているところの)艦船が
こんな角度で舷窓からは見える階です。
こ、これは明らかに1942年当時の最新型電話!
気圧計。
製作した「海軍気象サービス」の下に、
「ANEROID」
という文字があるのがお分かりでしょうか。
アネロイド型気圧計は、円盤形又は円筒形の金属製密閉容器(内部は真空)
をつぶそうとする大気圧と、内蔵されたばねの反発力との釣り合いによって
気圧を測定する気圧計の種類です。
変わった名前ですが、従来の方法であった液中式水銀を用いないことから、
ギリシャ語の"a"(否定の意味)と"neros"(湿った・液体の)が語源です。
小型軽量で構造及び取扱いが簡単なため、家庭用や携帯用としても広く用いられており、
ここのもそうですが、温度計と一体にした製品もあります。
水銀気圧計と比較すると精度が劣るとされるそうです。
これは英語でバログラフ(BAROGRAPH)といい、アネロイド気圧計の一種ですが、
これはポイントで紙にそれらが記録される仕掛けになっています。
ケースは航空機やこのように船舶上で使用するための特別仕様です。
ここにある道具を実際に使用するふりをして見せてくれています。
後ろのお母さんは
「ほらトミー、ちゃんとおじさんのやってくれてることを見なさい!」
簡易風速計?
雲の形で天候を知るためのチャート。
バログラフの前には記録用紙と気象士官たちの写真が置かれていました。
気象士官のことは「AEROLOGY OFFICER」といいます。
写真に見えるのはバログラフの記録をするニードルであろうと思われます。
針は3時間ごとに取られた記録をグラフに記していきます。
波の立ち方による気象チャートもありました。
レベルは「Force」で表します。
こちらはForce0とForce1。
0は風速1ノット以下で、海は「鏡のよう」。
1は風速1~3ノット、海はさざ波がたち白波は見えない状態。
レベルは11までで、風速56~63ノット、11~16mの波が立ち、
白波がもれなく波頭に立つ状態です。
気象士官たちが使用していたらしい書棚には気象関係の本ばかりが並びます。
「世界の風」「気象学」「地球とその環境」「オーシャンフロアー」「気象ハンドブック」・・。
このようにして気象士官たちは等圧線図を作成するわけです。
ちょうどバージニア州から上、カナダとの国境部分の気象図。
そこで、われわれはどうしても「ホーネット」が日本を攻撃したあと、
九州南方で二度の台風に遭い、一度は中心を突っ切って、二度目は
避けようとして進路を読み誤り直撃コースに突っ込んだため大破したうえ、
僚艦を失うという大チョンボを機関としてやっちまったことを思い出してしまうわけです。
1度目はハルゼー提督が言い張ったためですが、二度目は完全に気象士官たちが
出したデータが間違っていたということになるのです。
いや、一度目だって、台風の規模を気象士官たちが予知していれば、
いかにハルゼー提督が怖くても(´・ω・`)、台風が艦隊に与えるであろう被害について
耳にいれ、進路の変更を検討させることも進言できたはずなのです。
例の件ではハルゼーとマケインが指揮官としての責任を取らされましたが、
実はこの部屋の士官たちのミスでもあったってことなんですね。
彼らがどのくらい損害の責任を感じたのか、もはや知るべくもありませんが。
ここの解説が終わって航空管制室を出るとき、ツァーガイドが指し示した銘板のアップです。
「ここに『キアサージ』と書かれています」
目の色を変えてアップの写真を撮りまくっていたのはわたしだけでした(笑)
「ホーネット」は1942年8月、「キアサージ」という名前で建造が始まった空母でした。
当時「ホーネット」は7代目の空母が就役していたのですが、 同じ年の10月26日、
CV-12の「ホーネット」は南太平洋海戦で戦没してしまいました。
"USS Hornet (CV-8) during battle of the Santa Cruz Islands" by U.S. Navy
Official U.S. Navy photo 80-G-33947 from the U.S. Navy Naval History and Heritage Command.
Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ -
写真説明で「サンタクルーズアイランズ」とありますが、アメリカでの南太平洋海戦は
「サンタクルーズ諸島海戦」という呼称であるからです。
この海戦で「ホーネット」が戦闘力を喪失、「エンタープライズ」中波となったとき
まだ日本側には空母が残っているという報告を受けた司令官キンケイド少将は
早々に撤退を決めますが、山本長官は追跡を命じ、「ホーネット」と彼女を曳航している
「ノーザンプトン」を追撃させ、とどめを与えました。
その後撮られたのがこの写真で、被弾痕も生々しい「ホーネット」から総員退避させたあと、
アメリカ側は「マシティン」「アンダーソン」に雷撃処分させますが、どういうわけか
全く沈めることができず、これに司令部は激しく苛立っています。
その後日本側は「ホーネット」を捕獲しようとしましたが火災が激しかったためこれをあきらめ、
結局「秋雲」「巻雲」の魚雷4発で(アメリカ軍が撃ちこんだ魚雷は14発)沈没させました。
結果的には日本は、この海戦に勝利することはできましたが、早々に撤退を決めたキンケイド少将と、
悪く言えば、味方の多大な犠牲を払って目先の勝利に拘って深追いした山本大将の、
先を見る目という観点でだけ評価すれば、これはアメリカ側に後々有利となる転換点となりました。
なぜなら、この海戦以降、日本軍の航空勢力にはこの時失われた戦力の「穴埋め」として
教育部隊の教官を前線に出したり、飛行学生を卒業したばかりの士官を母艦に配属するなど、
必死のやりくりを行うも、新任搭乗員たちはことごとく習熟を待たず喪失する運命にあり、
結局この時の欠乏を埋めることは、最後までできなかったからです。
しかも、日本側は帝国陸海軍の仲の悪さもあだになりました。
この海戦のあと、陸軍が海軍の呼びかけに答えず、戦力を動員することを拒否したため、
なんのために海軍が勝ったのか(元々海戦とは”陸の取り合いの前哨戦”の意味がある)、
という状態になり、この合戦は全体で言うと全く功を奏しなかったということになります。
このときの海軍では、下士官兵はもちろん、日頃そういうことを表に出さないはずの
将官連中までが、口を極めて陸軍を罵っていたということが報告されています(T_T)
さて、というわけで先代「ホーネット」の生まれ変わりとしての役目を負った「キアサージ」は、
早々にその名を引き継ぎ第8代「ホーネット」として就役しました。
「キアサージ」と記されたままのこの機器は、おそらく名前が変更になる前に
すでに業者(ベンディックス社)から納入されていたため、そのまま取り付けられたものでしょう。
UNDERWATER LOO SPEED INDICATOR
とあるのですが、"LOO"というのがトイレの俗語であるということ以外わからなかったので、
したがってこれがなんの計器かもわかりません。
まさか本当に内容物を「噴出」するためのスピード計・・・?まさかね?
度(めもり)の単位から見るとどうもただの気温計という気もしますが。
ツァーはまだまだ続き、次はおそらくパイロットの控え室かなにかだったと思うのですが、
わたしたちは残念ながらここで時間切れとなってしまいました。
「すみません、時間がなくなったので帰らせてもらいます」
解説員にこのあと告げると、艦橋の降り方を教えてくれました。
今年の夏、また再び「ホーネット」を訪ね、この続きをお伝えできればと思ってはおります。
甲板レベルにあった女性用化粧室は、どうやらこのために作ったらしい「レディ・ホーネット」
の大きなサインがあって和みました。
もちろんここは「火薬倉庫」(パウダールーム)ではありません。
終わり。