冒頭写真を見て、思わずタイトルを二度見してしまった方、
あなたが見ているのは確かにお台場の船の科学館脇に繋留されている、
「博物艦」宗谷の見学記で間違いはございません。
前回、前々回と「宗谷」の誕生からその歴史までを(それでも駆け足で)語る必要があった関係で、
今日からはようやく艦内の様子をお伝えするところまできたわけですが、
入ってすぐ右側に、「機関長室」があります。
機関長とは文字通り機関部のチーフです。
まるで応接室のようですが、とりあえずベッドなどもあって、
完璧にプライバシーの保障された個室となっています。
砕氷艦時代、船長、機関長、そして航海長だけは個室がありました。
で、ここに海保の制服を着た機関長のマネキンが置かれているんですが、
男前なんだよこれが。(力いっぱい)
目つきが鋭くて「お前は何を言っているんだ」って風ですが、ポーズも含めて
むちゃくちゃかっこよくキメています。
冒頭写真は機関長があまりにもイケメンなのでつい画像加工してしまいました。
ついつい目を凝らして見てしまうのは、これらの展示品が、おそらくは本物の、
砕氷艦時代にここにあったちょうどであり備品であるからです。
立てかけられている本はタイトルを確認すると造船協会編纂による
「船舶工学基礎」と「船舶工学便覧」の二冊。
壁際の図面入れには「図面目録・機関の部」とあり、緑の書類ケースの中には
「二号救命艇機関」「油水分離装置」「廃油焼却炉」
の図面が納められていた(多分今も)ようです。
油水分離装置とは、船舶から海洋に排出する油の規制に対応して備えられているもので、
ビルジ(船底に溜まる水垢)を排出することは少量で航行中なら、
油水分離装置を備えていれば可
となっています。
平成19年には法律が改正されて、環境保全の観点からこの規制が厳しくなり、
南極ではどんな条件でも排出不可となったようです。
余談ですが、南極海域の環境汚染については、「宗谷」にも油水分離装置があったように
世界が神経を払っているわけですが、現在進行形でこんなことも起きています。
シーシェパードとグリーンピースによるテロと海洋汚染の実態
入って左側にはキッチンがありました。
中華料理屋でチャーハンなどが乗って出て来そうな模様のお皿が
これから盛り付けをするという設定か、並べられています。
ここは「士官用調理室」ということです。
海保も警視監(佐官)、保安正(尉官)クラスを士官と言うのでしょうか。
キッチンの窓と給水器。
そして、そのキッチンに隣接している部屋には、
士官食堂という金色のプレートがあります。
このプレートは、木にねじ止めで取り付けてあることから、かなり古いものでしょう。
前回、少し創立当初の海保と海自の関係についてお話ししたのですが、海保創設時、
つまり昭和23年当時は、海軍兵学校出の元軍人たちはGHQによって公職追放になっていたため、
海上保安庁には商船大学などを出た、いわゆる予備士官が主体となっており、
そのこともあって海保と海自の間には齟齬が生まれたという説もあります。
組織同士のセクショナリズムもあったでしょうし、なんといっても当時は
下手すると海軍(海兵出)への恨みを持っている(かもしれない)組織でもあったわけで。
ところでさっき知ったのですが、海保の上部組織が国土交通省だったって、ご存知でした?
この部屋は昔軍艦「宗谷」であったころには「士官室」だったのか、それとも
「第一士官次室」(いわゆるガンルーム)であったのか、ってことなんですが。
海軍では食事や休憩をこういうところで行っており、専門の「食堂」があったわけではないので、
ここはどちらかの士官室であった可能性が高いのですが、それではこの
「士官食堂」
のプレートがいつつけられたものなのか。
海軍時代ではなく、復員船時代でもないとすれば、灯台補給船となったとき、
すなわち海保の船となった時ということになるわけです。
「士官」という名称が海自ではリアルに残されて使われているわけですが、
海保はどちらかというと海軍的残渣に反発する立場から、こういう言葉は残さないのでは、
とわたしはイメージから勝手に想像していたので、どうもこの辺がよくわかりません。
どなたか、海保での「士官」という言葉の残存についてご存知の方おられませんか。
さて、写真の士官食堂には、ペンギンの置物などがあって和みます。
奥の賞状は「宗谷」の乗員一同に対して出された感状。
右手には昭和40年代製ではないかと思われる古い型のテレビ。
ホワイトボードが冷蔵庫の前に置かれていますが、この部屋では
砕氷艦になってから、観測員の会議室となっていました。
汚れやすいのにテーブルクロスも椅子カバーも 白であるあたりが、
清潔整頓を旨とする海軍の綺麗好きを継承しているようです。
時計はいつのころからか動きを止めていました。
額の「宗谷」という時は、観測船となってから艦体に記された船名文字です。
この壁の向かい側をかなり無理をして覗き込んだところ、壁には
テレビドラマ「南極大陸」の大きなポスターが貼ってありました。
「南極大陸」は木村拓哉がなんと東大出身の越冬隊副隊長だったり、
残された15匹の犬たちがドラマを演じたり(友達を気遣ってクレバスに落ちて死んだり)
するという、なんというかもうそれだけでお腹いっぱいのしかもTBSドラマです。
本家?の「南極物語」は大ヒットしたということですが、こちらの方は
2011年とタロジロブームから時が経っていたせいか、視聴率も18%どまりだったそうです。
部屋の右手奥には南極大陸だけの大きな地図が。
これでお掃除しているらしいハンディモップが邪魔です(笑)
時計の上には傾斜計。
中から上の階に行く階段もありましたが、立ち入り禁止でした。
木の階段のように見えますが、素材は鉄です。
そしてこの、イケメン機関長の部屋に飾ってあった飛行機の模型。
これは搭載されていた シコルスキーS58型です。
このおにぎりのようなシェイプは、空母「ホーネット」上やアメリカの航空博物館で
見覚えがあり、「チョクトー」という名前がすらりとでてきました。
「宗谷」は南極で実際に氷に閉じ込められるということがありましたが、
そういう事態を予測して第一次からヘリコプターと固定翼機を搭載していました。
第1次、第2次までは固定翼機1機、へり2機でしたが、第3次派遣のときから、
固定翼機1機、ヘリコプター4機(ベル47G型×2 シコルスキーS58型×2)
を搭載するために、甲板を大きくする改装工事を施しています。
これが「宗谷」の艦尾です。
なんだか戦時中に空母に改造された徴用船を見るような”取って付けた感”が拭えないのですが、
それもそのはず、第3次観測隊の出港前に甲板のこの部分を増設しているんですね。
ちなみにこれが甲板ですが、ヘリコプターを駐機するためのラインがみられます。
最終的に固定翼回転翼あわせて5機を搭載していたので、これはもう立派な
ヘリ空母であり、のみならずセスナも離発着したという噂があります。
正規空母の定義とは、
垂直離着陸しないCTOL固定翼機の運用を想定して建造された空母
というものなので、セスナを通常の距離で離発着できるCTOLではなくSTOL
(短距離離発着機)だと考えれば、おおまけに負けて軽空母と呼んでもいいような気がします。
ちなみにどこかのヤフー知恵袋で、空母の定義について
「広意義での空母となると部隊として一定の戦力単位の航空機を海上で運用出来ること」
といっている人がいましたが、戦力を有するかどうかはとりあえず「定義」されないため、
セスナだろうがなんだろうが、固定翼を運用していた「宗谷」は空母と呼んでもいいのでは?
そうか、海保は海自に先駆けて実は空母を持っていたのか!
・・・といいたいところですが、実は種を明かすと、「宗谷」はデリックを搭載しており、
氷上や雪上、水上に飛行機を下ろして、それらはそこから飛び立ったのでした。
世界の海軍でのヘリ搭載艦の運用は1960年から始まったということなので、
「宗谷」は少しだけその先を行っていたといってもいいかもしれません・・よね?
続く。