皆さんは実際に火事に遭遇したことがあるでしょうか。
わたしは4歳くらいの時、「おかあさんといっしょ」を見ていたら、
洗濯をしていた母親が「火事いい〜〜!」と叫んだので駆けていくと、
隣の壁からメラメラと炎が噴き出していて、その日一日は道路に避難して
隣の家が燃えるのを呆然と見ていたのが唯一の経験だったのですが、
今回何の因果かアメリカで、しかも泊まっていたホテルの火災を経験しました。
幹線道路に面しているのに防音設備の何もない古びたインにチェックインし、一晩が明けました。
時差ぼけのせいもありますが、何より耳栓をして寝たにもかかわらず、
その騒音は防げるものではなく、疲れているのに熟睡できた気が全くしません。
「道路に面していない部屋に変えてもらおう。こんなので20日も持たないし」
そう思いながら、その日は息子のキャンプ開始に備えて買い物に出かけました。
夕方6時頃ホテルに帰ってきて、洗濯をすることにしました。
こんな狭いインなのに、どこに洗濯をするところがあるのか全くわかりません。
息子と二人で紙袋を持ったまま二階まで見に行って帰ってきたら、
わたしたちの白いカムリの横に停めてあるグリーンの車からアフリカ系女性が出てきていて、
挨拶をしてきました。
「あなたたちここに泊まってるの?フロントに誰もいないんだけど」
「留守なんじゃないですか?ここに電話しました?」
フロントの上に書かれている電話番号を教えてあげて少し雑談してから
わたしたちは広くもない敷地をまた洗濯機を探して一周しました。
すると息子が、
「窓から煙が出てる!」
と言いました。
写真はこの直後とったもので、すでに廊下の奥が白く煙り出しています。
息子がそういうのとほとんど同時にそのアフリカ系女性が
「あらやだ、(おーまいがー)火事!火事よお!(ファイア!ファイア!)」
と叫んで、車の中にいた彼女の友人が中庭に面した全てのドアをたたき、
(後で知ったところそこは洗濯場とか倉庫だった)
「火事だから逃げて〜〜!(えぶりばでぃずあうと!ファイアー)」
と叫びだしました。
左がその女性、仮にジャッキーさんとしておきましょう。
赤いシャツの女性は管理人室の真上の部屋にいた人で、火事の知らせを受けてから
まだアンパックしていなかったらしくトランク一つ持って降りてきました。
後は若い男性二人連れ、中国系の若い女性二人連れ、東洋系の男性一人です。
ジャッキーが代表として911に電話をし、住所を説明するときには他の宿泊者が教えたり、
男性のうち一人がもう一度全戸のドアを叩いて周って、皆で協力しあって外に避難しました。
わたしたちは荷物があまりにも多すぎたので、仕方なくパスポートの入った機内持ち込み用の
キャリーバッグと財布とクレジットカードだけ持ち出しました。
そして、とりあえずこれからどうなるかわからないので中庭の車を外に避難させました。
私たちの部屋は火元の管理人室とは反対側だったのでそんなに心配していませんでしたが、
さすがに窓から煙だけではなく、窓の桟から炎が出て不気味に広がりだしたので、
こういう状態からいきなり何かに引火して爆発する確率ってどれくらいだろうか?
などと縁起でもないことを考え始めた頃、
まず一台、続いて計3台の消防車、赤い消防車の車、パトカーが続々と。
ローリーが電話してから5分以内といったところでしょうか。
ちなみに手前の白いトヨタはわたしの車です。
「来た来た・・・早ええ」
「ふええ・・ファイヤーファイター、かっこいいなあ」
もう大丈夫、という安心から他人事のようにわくわくと盛り上がるわたくしたち。
男は職場で最も輝く、と言いますが、仕事中の消防士ほどかっこいいものはありません。
全員が分厚い消火服とヘルメットに身を固め、酸素ボンベを背負って、
なんのためらいもなく、一つの目的を成し遂げるために時には命の危険も顧みず力を尽くします。
消防士の背中に書かれているのは町の名前。
ここはロスアルトスとマウンテンビュー同様シリコンバレーの一部であるメンローパークです。
メンローパークは富裕層の住宅地で、パロアルト同様に教育水準が高く、
25歳以上の住民の約7割が学士以上の学位を保有していることでも有名です。
スタンフォード大学に隣接していて、facebookやSRIインターナショナル本社もあります。
続いてはしご車も到着しました。
消防士たちは信じられないスピードで消防車からホースを引き出し、
神経質なくらいきっちりと消火位置を決め、地面に整然と置いていきます。
こういう時ののホースの並べ方のセオリーは決まっているようです。
いつの間にか窓ガラスは割れていました。
前の夜、部屋が異常に暑いので調べてみたらヒーターが入っていて、
これじゃいくら冷房しても涼しくならないはずだと室温ケージを最低温度にしたのですが、
一向にヒーターが消えてくれないので管理人室に言いに行ったとき、
ちょうどこの窓にかかったカーテンの前にテレビがあって、
管理人の子供達(おデブの男の子と女の子)がテレビを見ているのが見えました。
彼らが見ているのが飛行機の中で見たばかりの「マダガスカル」の一場面で、
少しだけですがその偶然に驚いたのをこのとき思い出しました。
ここが一番の火元だとすると、もしかしたら配線からの出火でしょうか。
「スプリンクラー付いてなかったんだねこのホテル。ホテルなのに」
息子に言われてそうだったのかと改めてゾッとしました。
アメリカにももちろん宿泊設備における消防法は決められていると思うのですが、
この宿屋の消火器はいったい今から思えばどこに設置されていたのか、
チェックインした時に聞きもしなかったし、確かめることもしませんでした。
そしてわたしたちは部屋の空気の饐えたような臭いを消すため、
アロマキャンドルをほとんど起きている間ずっと焚き続けていましたが、
スプリンクラーのないこの宿では、それが火元となっても消す方法がなく、
火事が広がっていた可能性だってあったということなのです。
今回、本人が留守だったとはいえ、よりによって管理人の部屋から出火したわけですから、
今後このホテルが今まで通り営業を許可されるかどうか・・。
特にカリフォルニアの高額納税者がたくさん住む地域での火事は、
法律もそれに対して厳しい罰則が科されることになるのに違いありません。
二階があることから、はしご車からはしごも降ろされました。
煙が・・・煙がどんどん強くなっていっているう〜〜!
しかし、消防士たちが作業を始めると、すぐに火は消されて彼らはハイ・ファイブを決めました。
(ハイタッチのことをこちらでは”指5本”でハイファイブといいます)
このころ、わたしたち焼け出され組は反対側の歩道に立って写真撮りまくり。
気がついたら散歩に出ていた付近住民などもあつまっています。
「ちょっとちょっとあなた、ここに住んでるの?」
わたしに70歳くらいの美人なおばあちゃまが話しかけてきました。
おばあちゃまはわたしにいろいろとインタビューしていたかと思うと、(笑)
ちょっときなさい、とわたしを警官のところに連れて行き、
「これからどうなるのかしらー、この人ここに泊まっているそうなんだけど」
親切なのか好奇心からなのか、そんなことを聞き出そうとします。
「火を消すことができても、建物が古いから、全戸に渡って
倒壊の危険がないかどうかとかを調べて、完全に大丈夫ということになるまで
何人たりとも部屋に入ることはできません」
「あらそうなの、かわいそうだわー」
「それより、皆さん、もっと後ろに下がってください。
さもないと煙を吸ってしまいますから」
なるほど、こういうときにお巡りさんが出てくるのはこういう指示をするためか。
それにしてもアメリカのお巡りさんは皆ガタイがいいからコワモテで迫力があります。
このスキンヘッドがどうやらこのクルーのチーフである模様。
もっともっと、と言われて皆ここまで下がってきました。
ここで図らずも宿泊者全員がひとところに集まることになり、わたしは
ジャッキーさんとここでまた顔を合わすことになったので、
「災難だったわねー」
「でもすぐにコールしてくれてありがとう」
と言い合い、アメリカ人の慣習に従って、ここでハグしあいました。
なぜかおばあちゃまはこの場を離れず、すっかり場に溶け込んでいます。
時々わたしにも話を振ってくるのですが、ジャッキーさんとその友人とは特に気があったらしく、
家に帰る様子は全く見せずに話し込んでいました。
聞いてみたところおばあちゃまはこの近所に住んでいるということでした。
裕福なおうちで悠々自適だけど、至極刺激の少ない生活をしている彼女にとって、
この火事騒ぎは久しぶりにわくわくするちょっとしたイベントであったようです。
みんなが避難させられたパーキングは、ジョンソンアンドジョンソンの敷地でした。
お巡りさんが「部屋に入るまでまだ最低1時間はかかる」といったので、
わたしたちは近くのモールに行って買い物の続きをして時間を潰すことにしたのですが、
その間おばあちゃまはジャッキーさんをお茶に招きかねない勢いでした。
「本当に招待してても驚かないね。”ジンジャークッキーがあるの”とかいって」
管理人室の上に部屋があった赤い服の女性は、1時間後わたしたちがモールで時間を潰し、
ホテルから荷物を全部運び出すために帰ってきた時、まだ部屋には帰れず
外で待たされていたので、わたしは息子に冷蔵庫のオレンジジュースを持っていかせました。
わたしたちはモールでTOに連絡を取って今夜からのホテルを取ってもらうことができたので、
残りの宿泊予定をキャンセルすることにしました。
「しかし、いろいろラッキーだったね」
「あのときおばちゃんとわたしたちが中庭にいなかったらもっと火事が広がっていたかも」
「俺が一番最初に煙に気がついたんだよ」
息子、得意そう。
たとえばあのとき洗濯場がすぐに見つかって洗濯を始めていなくてよかったとか、
部屋を変えてもらって火の元に近い部屋に移ってなくてよかったとか。
どちらにしても騒音の件も含め、期待はずれのホテルであったため、
残りの日数を別のホテルに移ることになってかなりホッとしたのも事実です。
アメリカでのホテル選び、特に値段は「快適さ」だけでなくときとして
安全ですらそれに含まれることもあるなあ、と実感した今回の騒ぎでした。
あまり堂々と写真を撮るのも気の毒なので、遠くからこっそり写した
管理人夫妻が消防署所員から事情聴取されているところ。
ただの家ならともかく、人命を預かる宿泊業として自分ちから出火するってのはどうよ、
と彼らが叱られたかどうかはわかりません。
一泊だけしておそらく今後二度と来ることはないホテルではありますが、
とりあえず荷物を全てパッキングし終わってから最後に記念写真を一枚。
管理人夫婦が消防署員から解放されたらしいのを見計らって、奥さんの方に
鍵を返し、別のホテルに移る旨を告げると彼女は
「今回の宿泊料は全額返金します。
でも、こんなことになっているので、数日くらいしたらペーパーワークのためにもう一回来て」
とさぞかし気落ちしているであろうに、ちゃんとした口調で言いました。
「I am so sorry.」
わたしはそう言ってホテルを後にしました。
・・・が、その後払い戻しでホテルに立ち寄ったら、窓に板をかぶせて火事のあとを隠蔽し、
焼け残ったオフィスはそのまま使用して普通に営業していたので驚きました。
対応した主人(もちろんインド人)は、
「えーと、じゃ結局2泊だけしたってことで」
だから2泊目の夕方に火事がおこったわけですけど?
一泊だよお父さんどさくさに紛れてちゃっかりごまかすんじゃねーよ。
自分たちが火事を起こしたことに反省の色もなくにこにこしながら、
「ホテルすぐ見つかった?そりゃよかったね」
日本ではこういうとき「ご迷惑をおかけしました」ってくらい言うのが社会常識なんだけどな。
一応お約束でこちらからアイムソーリーをいっても”いっつおーけー”、って。
さては保険金でリニューアルウハウハ、内心しめたとか思ってますか?
というわけで、去年泊まったホテルのディザーブル・ルーム(ハンディキャップ用)
に空きがあったので、ここで数日過ごし、後は後半のホテルを前倒しして泊まります。
「いやあ驚いたね」
「なんて1日だ・・・・あー、自分が煙臭い」
今までとは別世界のように静かで清潔で火事の心配もなさそうなホテルの部屋で、
今年はちょっとの節約のためにどうしてあんなホテルを取ったのかあらためて考えてしまいました。
もし火事が起こらずにあそこに20日も住んだら、その間ずっと騒音と不快な室温と、
レンジで温めたパンと小さな冷蔵庫を我慢しなければならなかったわけですが、
つまりこれはどういうことかというと、このホテルに宿泊を予約した時点で、
火事が起こっても起こらなくてもわたしたちは
なんらかのダメージを受ける運命だった
ということなのです。
最低限の安全と精神的幸福にお金を惜しんではならない。
あらためてわたしはそう悟りました。
ところで、消防車が来たとき、わたしが思い出したことがあります。
そう、海上自衛隊の航空教育隊に訪問した時、消防車で放水作業をさせてもらったことです。
もちろんあれが生まれてはじめて消防車の運転席に乗ったという瞬間であり、
放水ごっこも、この生涯で行ったはじめての経験であったわけですが、それから
1ヶ月しか経たないのにその消防車のお世話になるとは、いったいどういう偶然なのか・・。