ただいま劇場上映中の「日本のいちばん長い日」を観てきました。
恥ずかしながらこの同名映画が又してもリメイクされていたことを
わたしは全く知らなかったのですが、TOが
「この映画だったらどんな忙しくても観るでしょう」
と、WOWOWの関係者からチケットをもらって持って帰ってきてくれたのです。
ところでこういう映画が申し訳程度にしか上映されないのはもうわかっていますが、
それにしてもいちばんよく行く映画館で朝9時からの1日一度だけの上映って・・。
会場には5分遅れくらいで予告編の時に入ったのですが、
ほとんどが年配かそれ以上の男性ばかり、10人もいたでしょうか。
歴史に全く興味がなければ、朝9時にわざわざ映画館まで足を運ばない題材ですが、
いちばん前で若いカップルが足を伸ばしてのびのびと座って見ていたのが目を引きました。
で、いきなり結論ですが、こういう映画にはやたら点の厳しい(笑)わたしが、
あれ?この映画ちゃんとしてね?と思った(つまり良かった)ということを言わねばなりません。
巷の前評判では「観る前から分かっている、冒涜だ」と言い切るお方もおられるようで、
実際全く期待せずに行ったわたしには、その気持ちもよーくわかります。
でも、どんなに厳しい目で見ても特定の人物を現代の解釈である方向に誘導した
印象操作を行うなどの傾向はほぼ見あたらないやに見受けられました。
あくまでもわたしの観点からこの映画が成功している点を一つ挙げるとしたら、
これは「リメイク」ではなく、全く同じ題材を、アプローチを変えて語ったからでしょう。
「日本のいちばん長い日」は、もともと大宅壮一の作品として知られた
「日本の一番長い日 運命の八月十五日」
という題名で、1967年に映画化されています。
それがどういうわけか半藤一利のクレジットになったものが(この辺の事情わからず)
「日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版」
として、1995年に出版されました。
大宅版の映画が岡本喜八監督で、半藤版が今回の映画ということです。
1967年の岡本喜八監督版を見たことがあるのですが、
まず、阿南惟幾陸軍大将を演ずるのが三船敏郎です。
方や、またもというかなんというか、こちらは役所広司。
「聯合艦隊司令長官山本五十六−太平洋戦争67年目の真実」(長いんだよこのタイトル)
というやはり半藤の原作の映画で、役所さんは五十六を演じているわけですが、
ということは、もしかしたら今の映画界って役所広司が三船敏郎的立ち位置なの?
三船敏郎も大物ゆえ、山本五十六を演じ、阿南を演じているのですが、
役所広司が果たして現代の三船敏郎か?といったら、それはどうかなと・・。
まあ、三船が演じるとすべての軍人が「三船敏郎風」になってしまい、
なんというか本体からはまったく一人歩きしてしまうので、
わたしはそれほど軍人俳優としての三船敏郎を評価しているわけではないですが。
ちなみに、劇中、2年前に戦死した阿南の次男の写真がなんども登場しますが、
これは三船敏郎の長男である三船力也(まだ27歳)の写真だそうです。
役所の阿南惟幾をどう評価するかはのちに譲るとして、わたしは今、
ふと検索で引っかかったやはり岡本喜八監督の、「日本敗北せず」という映画、
いわばプレ「日本の一番長い日」を取り寄せているのですが、
この映画も阿南惟幾に主眼を当てた作品のようです。
で、このバージョンでは誰が阿南を演じているかというと、早川雪洲なんですね。
早川雪洲。それはいいところに気がつきました(笑)
パッケージの写真を見て、おおこれは阿南大将そのままじゃないか、
とわたしは結構感動してしまったわけです。
残された写真から見ると阿南大将はおそらく背も低かったはず。
ハリウッドで「sessyu」という、映画の撮影の時に俳優の背を上げ底するための
足台に名前を残されてしまった早川雪洲演じる阿南惟幾、
その点はリアリズムだったのではないかと期待しつつ、観てみることにします。
ところで冒頭挿絵、主人公でありながら阿南を演じる役所広司の絵すら描きませんでした。
役所起用を評価をしていない、とまでは言いませんが、この映画はこの二人を描けば十分、
とものすごく勝手に判断したためでもあります。
まず左、鈴木貫太郎を演じたのが山崎努。
映画を見る前なら、なんて無理やりなキャスティングだと思うところですが、
さすがに名優山崎、映画では鈴木首相そのもの。
とくに眉毛が(笑)
鈴木貫太郎の長~い三角眉毛を、増毛でもしたのか、アップになった時も
抜かりなく再現しているのには感心しました。ってどこに感心してるんだ。
どちらかというと成分的に脂っ気の多いように見える山崎ですが、
この映画ではすっかり枯れ果てて、
「もう高齢だから首相指名を断っていたが、昭和天皇たっての指名で、
人がいないと言われ、最後のご奉公をするつもりで内閣を率いた」
あの頃の鈴木貫太郎の、いかにも気力に体力がついていくのも大変そうな様子さえ、
よく表されていると思えました。
これが岡本版だと山村聡ですからね。
山村聡は・・・・・違うだろうと思う。
こちらのバージョンでは鈴木首相についての描写そのものが重要視されておらず、
つまり山口多門を阿部寛が演じるようなノリのキャスティングだと思われます。
さて、今回の「日本のいちばん長い日」と、「日本の一番長い日」大宅原作とが
まったく異質のものに仕上がっているのには、大きな原因があります。
昭和天皇を主人公にしたことです。
そこでこの映画の英語題を改めてご覧ください。
「THE EMPEROR IN AUGUST」
つまり、「八月の天皇陛下」です。
本作品監督の原田眞人は、この作品について
これは昭和天皇と阿南惟幾陸相、そして鈴木貫太郎首相の三人を
中心とする”家族”のドラマです。
と言っています。
終戦の日の宮城事件を描いた日本映画は戦後何本かあるけれど、
どれも天皇陛下については全く描かれていないので、
いつか昭和天皇を中心としたこの映画を撮ってみたかった、というのが
監督の大きなモチベーションであったようです。
天皇陛下を俳優に演じさせることは、もちろんご存命の時には不可能で、
せいぜい後ろ姿や引きの姿しか写すことができなかったのですが、
崩御されて御代も代わり、天皇陛下が「歴史」となったことで、ようやく
そのようなことも可能になった、と監督は判断しました。
映画のテーマも、その1日に起こったこと、主に決起を中心に描いた従来版と違い、
昭和天皇の終戦のための「聖断」が重要なモチーフになっています。
戦後いかなる言論も、海外の反日本勢力ですら、戦前の日本が天皇の独裁国家だったとはしません。
この理由は、天皇が元首であり統帥権なども有する、とした大日本帝国憲法がありながら、
天皇の意思は枢密院を通して初めて布告の形を取るのが慣例でしたし、また別に、
内閣の影響を受けない発言権を持つ内大臣という言論機関が機能していたからです。
そもそも、大東亜戦争開戦時の御前会議でも、昭和天皇の御発言はありませんでした。
このとき、明治天皇御製が読まれ、間接的に日米開戦を回避するように訴えられたものの、
その御意思に背く形で開戦は遂行されたというように、
御前会議で天皇陛下が「鶴の一声」である「御聖断」をされたのは、
歴史的に見ても初めてのことだったのです。
これは映画でも描かれていますが、鈴木貫太郎首相が「超慣例的措置」?を取り、
天皇陛下の御名において、有無を言わさぬ形で終戦に持ち込むということを決定したからでした。
さて、「聖断を仰ぐ」という形で終戦を進める鈴木と、
徹底抗戦・本土決戦を叫ぶ陸軍の間で、不幸にしてそのとき陸相であった阿南は
立場上、陸軍の側に立つ他ありませんでした。
しかしそれは天皇のご意志に背くことにもなるのです。
ポツダム宣言受諾が決したとき、阿南惟幾が切腹による自決をしたのは、
自らが一人死ぬことによって責任を取り陸軍の造反を抑えることと、
天皇陛下に対しての謝罪の意がそこにはあったと考えられています。
ともあれ、映画の最も重要なるシーンは御前会議による御聖断であり、
天皇陛下が阿南に向かって
「心配してくれるのは嬉しいが、もうよい。
わたくしには国体護持の確証がある」
といい、阿南が言葉を失うシーンであり、さらには
「わたくしはどうなっても良いから国民の生命を助けたいと思う」
という言葉に重臣たちが嗚咽するシーンでしょう。
そこで昭和天皇を演じるのが本木雅弘。モッくんです。
まさか「シブがき隊」というアイドルグループで踊り狂っていた少年が、
日本映画史上初めて昭和天皇をガチで演じることになろうとは、
当時誰に想像できたでしょうか(笑)
で、このモッくんの天皇陛下が素晴らしい!
わたしがわざわざ上映中にこのエントリをあげて映画の宣伝をしているのも
すべて、この天皇陛下の演技に痺れるほどの感銘を受けたからです。
一時の戦争映画ではやたら天皇の御名を連発し、反語的に貶めて
批判をするという腹立たしい演出のものがありましたが(例:大日本帝國)、
この映画においては昭和天皇に対する深い敬愛が隅々まで感じられ、
本木雅弘の端然とした、気品のある、そして本人の言うところの
「日本国民の平和を願う祈りの像としての天皇」
が、表現されています。
侍従との会話であの「あっそう」という返事をされるところも取り入れられており、
声の調子すら「チューニングには神経を払った」という渾身の演技で演じられた
「本木天皇」の出演シーンはそれだけで目に快でした。
役作りには本人はもちろん、全スタッフが異様なほどの神経を払ったそうで、
たとえば眼鏡なども、最終的に絞った二つの中から、多数決で決められたものだとか。
今プロフィールを見て驚いたのですが、本木雅弘、もう50歳だったんですね。
終戦のときの天皇陛下はまだ44歳であられたということですが、
年齢的にも違和感は全くありませんでした。
さて、そこで阿南惟幾を演じる役所広司です。
陸軍の決起を抑えるために、会議の席で重臣が一人一人自分の考えを述べていく。
全員がポツダム宣言を受け入れ戦争を終わらすべき、と答えるのですが、
途中で我慢できなくなって部屋を飛び出した阿南が、「徹底抗戦」を
訴えてくれと頼まれた陸軍将校たちのところに電話をするんですね。
「安心しろ。ほとんどが徹底抗戦だ」
なんでこんなすぐバレる嘘を言ったのか、果たしてこれが史実だったのかさえもわかりませんが、
これが阿南惟幾の「板挟み状態」を最も顕著に表しているシーンに見えました。
欲を言えば、これだけの葛藤を裡に秘めている陸軍軍人にしては、役所さんは
あまりにも表情がビビッドすぎて(笑)、「らしく」見えないということでしょうか。
それとヘアスタイルの思い切りが悪い。
松坂桃李くんですら潔く坊主になったというのに、
陸軍軍人なら潔く五厘刈りにせんかい。と思いました。
阿南惟幾のイメージは写真と陸軍軍人ということから強面な感じがするのですが、
実際はいわゆるエリートではなく、(陸軍大学に二度受験失敗している)
ただ人望と真面目さから出世した軍人で、家に帰れば子沢山のマイホームパパ。
6男2女の父で子煩悩、子供達をデパートや映画館に連れて行くのが何よりの楽しみ、
などということから類推される人物像から、案外、役所広司の演じる表情豊かな、
少し頬が緩みすぎなのかなと感じる阿南惟幾像もありなのかもしれませんが。
あと、岡本版では天本英世が演じた
佐々木武雄(特別出演:松山ケンイチ)
がこちらもワンシーンだけ登場していました。
宮城事件の時に出身校である横浜工業高校の生徒らを募って、首相官邸と
鈴木貫太郎の私邸などを相次いで焼き討ちにする事件を起こした人物です。
この映画で松坂桃李が演じた決起将校の畑中健二陸軍少佐と知り合いで、
陸軍全体の決起に呼応すべく立ち上がった・・・・はずだったのですが、
あちこちで動きが抑えられた結果、決起にはなりえず、結果として畑中少佐の
反乱という形に「スケールダウン」(wiki)してしまったので、この人物の
動きは、こちらも結果として全く意味をなしませんでした。
そのことを表してか、このシーンは何かとぼけた可笑しみのようなものを感じさせます。
というわけで、歴史に興味のある方はもちろん、無い方にとっても、
本木雅弘の昭和天皇を観るだけの価値がある映画だと言っておきます。
お恥ずかしい話ですが、「本木天皇」の御聖断のシーンでは涙がこぼれたわたしでした。