いろんなシリーズの途中ですが(笑)航空教育隊訪問記、最終回です。
管制塔の見学を終え、最初の隊舎に帰ってきたわたしたちを、
もう一度海将がお迎え下さいました。
そう、今回の工程の中でわたしが二番目に楽しみにしていた
昼食タ~~イム!
となったのです。
先ほどの応接室の奥にある司令室に通されたわたしたち。
海将とテーブルを挟んで座り、しばらくすると、校内放送で信号ラッパが鳴り響きます。
♪ドッドドドミ ドソドミ ドーソドミ ソッソソソー
ドッドドドミ ドソドミ ソーソーソ ドー♪
ふむ、これは「午前課業終了」のあとの「昼食」という合図ですか。
「課業終了」のは聞かなかった気がするな。
いいねいいね~。このいかにもいかにもネイビーな雰囲気。
そういえば、ラッパの展示以外で、リアルタイムに信号ラッパを聞くのは、
護衛艦の自衛艦旗掲揚・降下以外では初めてです。
しかしこの時に思ったのだけど、自衛隊は海軍の昔からこうやって
信号ラッパとともに(正確にはラストサウンド発動ね)全員が同じ行動をとるわけで、
巨大な基地の隊員がいちどきにご飯を食べに行くのは、まず作る側が大変なのでは、
と心配になってしまいますね。
他の企業みたいにシフト制で代わる代わる休憩に行く、ということは絶対にないというわけ。
さて、海将からこの日の行程をうかがった時、
「昼食をいただいてそれで解散」
ということだったので、海将とご一緒の食事を大変楽しみにしていましたが、
士官食堂でカレーなどいただけるのかと思っていたら、
隣の部屋からWAVEさんが二人で運んできてくれたのは仕出しのお弁当。
どうも来客のある時にはお弁当を出すことが決まっている模様。
隊員食堂でカレーが良かったのになー、と未練がましいエリス中尉(笑)
ただ、他の隊員がいたら海将もお話しにくい部分があるかもしれないので、
こういう形もある意味配慮の結果なのかもしれません。
お弁当をいただきながらの海将とのお話は大変興味深く面白いものでした。
先日ここで書いた「防衛省設置法案改正」についての解説に始まり、
基地で行われている教育についての説明などはもちろんのこと、
なかでもわたしたちにとって印象深かったのは、掃海艇の任務についてのお話です。
どんな話から掃海艇の話になったのかは忘れましたが、海将は
「わたしが実際に乗ってこれはわたしにはできないと思ったのが掃海艇任務でしたね」
といって、その苛酷な任務の実態の一端をこう語りました。
「掃海艇というのはとても小さな船なんですが、その小さな甲板での作業は
大変危険なものなんですよ。
少しでも気をぬくと、狭い甲板でロープに足を刎ねられてしまいそうになります」
ペルシャ湾の掃海の時には、太平洋の赤道直下の海上で、防弾チョッキを身につけ、
しかも出港前には掃海隊司令が海幕長の問いに答えて
「触雷は2回、被害は10~40人は覚悟しています」
と答えるほど、危険な任務と認識されていたのだそうです。
万が一の場合は被害者の「どんな小片でも現地に残すことなく家族の元に持って帰る」
と心に決め、触雷すれば皆一緒だと覚悟して皆任務に赴いたそうですが、
戦場での恐怖心に加え、小さな掃海艇で1日のほとんどを過ごすという肉体的苦痛は
全く計り知れないものであるというのがその内容でした。
掃海については少し補足しておきたいのですが、自衛隊の参加は
政治的な障害(牛歩戦術の反対とかね)を乗り越えなくてはいけなかったので、
現場への到着が一番最後になってしまい、そのせいで、本来なら環境に慣れるために
十分な作戦環境調査、ソナーコンディションチェックなどを行うこともできず、
ついた次の日の朝から、機雷排除に取り掛かることを余儀なくされました。
派出が遅れた分、日本が掃海を始めたことを一刻でも早く国際社会に宣言するために
このような無茶なことになった、と現場の人間は思ったそうです。
国内のごたごたのしわ寄せが、全て隊員に行ったということですね。
なにしろ、国際的な常識では、国際貢献を行う際のモットーというのは
「First Come! First Out! 」
であるのに、肝心の到着が遅れたため、一番危険な海域しかもう残っていなかったのです。
しかも、最初の海域を成功させた後、「次はあそこ」「それが終わったらあそこ」
と働かされ(最初の海域を済ませてさっさと帰ってしまった国もあったというのに)、
いつまでやればいいの?どこをやれば終わるの?というストレスはたまる一方。
やっと終わったときには、「あと1ヶ月で人間より先に機関が限界に来ていた」
というくらい、人船ともにギリギリの段階だったと言われています。
この掃海任務の全期間を通じて、日本を影で支えてくれたのがアメリカ海軍でした。
掃海艇がドバイに到着したとき、アメリカ海軍は
「よくこんな小船ではるばるやってきたな!」
と驚き、その後も自衛隊の行動をフォローして、無線でしょっちゅう
低気圧が近づいているから速力をあげろ、などと指示を送ってきたり、
あるいはGPSの誤差を修正してくれたり、協力を惜しまなかったそうです。
アメリカ海軍と海自の友情について先日書いたのは、この会話がきっかけでした。
さて、この後海将との話は潜水艦に飛びました。
海将の本職とは関係のないこれらの職種の話で盛り上がることになったのは、
とにかくこの二つの任務が飛び抜けて過酷である、という話になったからです。
それによると、潜水艦には特に適性が厳選されるので優秀な人間が多い、
かつ運命共同体なので、特に協調性のある人間が求められるということですが、
それでは掃海は、というと、上記のような過酷な勤務を常とすることから
気性が荒い人が多いかもしれない、というのが海将のご意見でもありました。
わたしは知っている掃海出身の自衛官を何人か思い浮かべたのですが、
いずれの方々も、気性が荒いと表現されるより、むしろその反対に思えたので、
皆さん、実は内に激しい部分を持っておられたのかなどと考えました。
さて、冒頭写真は食事の後、遠慮する海将に司令の椅子に座っていただき、
一緒に写真を撮っていただいたときのもの。
まず注目すべきはデスクの真上に神棚が鎮座していることですね。
この基地は海軍基地であったことがなく、戦後から飛行場として稼働しているので、
神棚は旧軍からの伝承というものではなく、戦後祀られたものです。
「わたしがお札を頂いてきました」
聞き違いでなければ海将はこうおっしゃっていたと記憶します。
写真をアップしてみても、神殿の中の三つのお札がどこのものかわかりませんが、
一番右のものは香取神宮(千葉県下にある)のお札であることが確認できました。
デスクの右上の書は、右から三番目の字がよくわかりませんが(笑)
百術不如一誠 (百のテクニックも一つの誠に如かず)
ということだと思います。
海上自衛隊のためにこの書を揮毫したのは、全く読めない漢字の人で(おい)、
三文字名前の衆議院議長というと真ん中の「田」から見て船田中しかいないので、
おそらくこの人だと思われます。
この言葉自体は政治家がよく座右の銘としてあげるもののようですが、
調べていて一番驚いたのが、小沢一郎さんもこの言葉を銘にしているらしいことでした。
座右の銘といえば、左に見えるこの書ですが、
わたしがこの書に話を振ると、海将は、
「これはわたしが書きました」
と、はっきりとした口調でおっしゃいました。
これは海将の座右の銘であり、同時に航空教育集団司令としての指導方針だそうです。
「愚直たれ」
「愚直」を辞書で引くと、正直すぎて気が利かない人(さま)、馬鹿正直となっています。
気が利かない、というのは決して褒め言葉ではありませんが、「気がきく」ということが
「小利口」とつながることもままありうるということでしょうか。
家に帰ってHPを確認したら、海将自身の言葉で次のように説明されていました。
「愚直さ」とは、心の強さを表すバロメーターであり精強性を示す指標に相当します。
危機に直面した時でも粛々と任務を遂行できる真に戦える「愚直たる搭乗員の育成」を教育目標とし、
「最後まであきらめない」、「物事をあなどらない」、「人をあざむかない」の3つの実践に務め、
海上自衛隊搭乗員教育に必要な「愚直さ」を追求していく所存です。
愚直という言葉は日常生活では滅多に言ったり聞いたりしませんが、
わたしがこの言葉を最後に聞いたのは、
ある大東亜戦争戦死者の慰霊・顕彰団体の主催者の口からだったと記憶します。
「我々はいろいろ考えず、愚直に慰霊を行っていけばいいんだよ」
両者の「愚直さ」に通じるのは「至誠」がその根底にあることです。
偶然そこで「百術不如一誠」という右側の揮毫と重なるものを感じるわけですが・・。
さて、話が弾んでいるうちに、課業初めのラッパが鳴りました。
しまった、もしかしたらこれはもしかして時間オーバー?
しかし、こういうときに自衛隊の人というのは「それじゃこの辺で」と自分から言わないのですね。
そこでわたしは、
「実は昨日陸自の方とお会いしたのですが、先日の地震の時、
この方はお休みで、その日行われた子供さんの運動会のビデオをみんなで観ていたんだそうです。
ビール飲みながら・・・。
しかし、地震がけっこう大きかったのですぐに駐屯地に戻り、点検のためにヘリを飛ばして
異常が見られないことを確認して任務を終えたのが夜中の1時だったとか・・。
この基地でもやはり地震に対応した動きをなさったんですか」
「わたしどもも近隣に哨戒機を飛ばして異常がないことをまず点検しました」
「そうですか・・・何か起こったらすぐに出動という体制がすっかりできているんですね。
国民の一人として、本当に心強いです」
そう、この最後の一言を言うために話を振ったんですね。
そこでわたしの意図を汲んだTOが婦唱夫随で、
「いつも国民の安全を守ってくださって、ありがとうございます」
そこで三人がほとんど同時に「それではそういうことで・・・」、
となり、会見を美しく終えることができたわたしは内心ガッツポーズしながら、
「ふっ、決まったぜ・・」
海将とはその階でお別れし、駐車場までは副官の1尉が送ってくれました。
一回のエントランスホールにはなぜか戦艦大和の模型が。
車まで1尉と雑談しながら歩いたのですが、海自の副官業務が「個人ではなく配置に就く」
ということを、ご自分が実際に副官になるまでご存知なかったそうです。
ですから彼は、前任の航空教育集団司令の時から副官業務をしているのだそうです。
「今度の司令にお仕えになって、どうですか」
「ハ、素晴らしい司令でわたし自身大変勉強をさせていただいております」
ここで上司をくさす人など世の中には、ましてや自衛隊にはまずいないわけですが(笑)
海将とみっちり1時間お話させていただいたわたしたちにとって、その言葉は深く頷けるものでありました。
そうして基地を辞し、そのあとは東京まで、まずTOを職場に送りましたが、
いきなり高速に乗り損ねて長い間地道を走るはめになり、疲労困憊しました。
やっと高速に乗れてスカイツリーが見えた時にはほっとしたものです。
しかし、二人の興奮と感激はしばらくの間覚めやらず、またこんな機会があったら
ぜひ自衛隊潜入させていただきたいものだね、と言い合ったのでした。
(この部分伏線)
航空教育集団の関係者の皆様、本当にありがとうございました。
シリーズ終わり。