早いもので、あっという間に1年が過ぎました。
感覚としては6ヶ月も経っていないような気すらしてるんですが。
ちなみにふとブログの掲載日数を見ると、2070日となっていました。
来年でもうブログ開始以来6年目を迎えようとしてるんですね。なんてこった。
今年、ことに最近は自衛隊イベントの参加とそのルポルタージュ編に忙しく、
お絵かきしてる場合じゃねえ!という毎日が続いていて、恒例の
年忘れギャラリーを掲載するほどのネタがないのですが、とりあえずやります。
【ファイナル・カウントダウン】
まずは、年初めに満を持して?発表した「ファイナル・カウントダウン」。
わたしの中で「三大タイムトリップ戦争もの」というと、「戦国自衛隊」「ジパング」、
そしてこの「ファイナル・カウントダウン」ということになります。
わたしの中でなくとも、実際もこの3つくらいですかね。
架空戦記というのは近代以降現れたジャンルだそうです。
大戦前には日米の戦争をシミュレーションした軍人の手による
下心ふんぷんの架空戦記が多く書かれましたが、後でお話しする「海底軍艦」のような
SF的要素を盛り込んだ架空戦記もほどなく現れ始めます。
この傾向はアメリカでも同様で、いくつかの日米戦シミュレーションものが書かれました。
現代の軍が過去にタイムスリップするアイデアを用いた架空戦記は、
RIMPACに向かう海自の護衛艦隊がミッドウェーにタイムスリップする
「大逆転! ミッドウェー海戦」、日ソの潜水艦がレイテ沖海戦に介入する「大逆転!レイテ海戦」、
現代の沖縄ごと米軍上陸前にワープする「大逆転! 戦艦「大和」激闘す」、という
檜山義昭の「大逆転シリーズ」は1988年、ジパングが2000年。
この間、幾つかの「現代の装備で過去に現れてスーパーマン的戦闘をする」
というパターンの創作物が現れましたが、じつをいうと、これらすべて後発で、
歴史的に見ても半村良の「戦国自衛隊」(1971年)が最初の作品となります。
「ファイナルカウントダウン」は1980年作品で、「戦国自衛隊」のヒットがその1年前の
1979年だったということから、やはり盗作ではないかということになったようです。
しかしながら、原作の小説は「それより以前」に書かれていたのでセーフということになりました。
現在、このジャンルで「明らかな盗作」と評判のあるのが、2005年、
韓国で製作された「天軍」で、韓国軍と朝鮮人民軍が李舜臣の時代に現れて、
現代の兵器で憎き日本軍をコテンパンにするというもの(笑)。
ちらっとニコ動で見たところによると、両軍が機関銃を撃ちまくって日本軍兵士を
問答無用で虐殺していましたが、さぞ観客はこのシーンにすっきりしたんでしょうな。
ついでにポスターまでが「パイレーツオブカリビアン」の丸パクリだったというおまけ付き。
相変わらず1日で語り終えることができなかったため、二日目は
イエランド艦長のおかげで過去に置いてけぼりにされ、謎の人物として現代に現れる
オーエンズ中佐を演じたジェームス・ファレンティーノを描きました。
2013年に73歳で死去しています。
わたしはこのオーエンズ中佐が、タイムトラベルしてくる「ニミッツ」に
謎の人物「タイドマン」としてマーティン・シーン演じる調査官のラスキーを
送り込んできた理由を、ずばり「艦長への復讐が目的」だと解説しましたが、
もちろん映画の上では、そういう人間同士の葛藤は全くオミットされています。
架空戦記というものは、何かを無視せずに描くことはできません。
とくにタイムパラドックスものにつきものなのが、矛盾だからであり、
矛盾にいかに目を向けさせないかがこういう創作物のできを左右します。
この映画で気に入らないのがこの零戦搭乗員のキャスティングでした。
マジで、一人くらい日系人の俳優はいなかったのか、と問い詰めたいです。
汚らしい塗装に、アサヒビールのマークをそのまま切り貼りした旭日旗のマーク、
というふざけた日本機で真珠湾攻撃のシーンを撮ったこの映画は、もしかしたら
「パールハーバー」と同じく、アドバイスや考証どころか、日本人の目に触れないように、
スタッフからも日系をシャットアウトして製作したのではないか、と疑われるくらい、
その描写は無礼千万で何の敬意も感じられないものでした。
本作品のプロデューサーは、イエランド艦長を演じたカーク・ダグラスの息子、
ピーター・ダグラスで、彼は予算ではなく、映画のスクリプトを
米海軍にアピールすることでその全面協力を取り付けたそうです。
ニミッツの隊員のほとんどが実際のクルーで、彼らの名前はクレジットされ、
撮影については、とくに飛行隊に関しては現場の意見が最優先されました。
【俺たちの星条旗 AMERICAN PASTIME】
「俺たちの旅」の中村雅俊が出ているからといって、なにも原題で
「アメリカの娯楽」を意味するこのタイトルまで「俺たち」にしなくても、
と思ってしまうわけです。
日系アメリカ人についてはこのブログでは何度かその歴史、
とくに戦争中に彼らがどうあったかに焦点を当ててお話ししていますが、
「アメリカの黒歴史」として、今でもアメリカ人が目を背ける日系人収容と、
彼らの最もポピュラーな「暇つぶし」であり「娯楽」であった野球が
作品のテーマとなっているので、やはりそこは原題に忠実にしてほしかった。
ここは直球で(誰うま)「アメリカン・パスタイム」でよかったのでは・・。
配役としては、中村父、ジュディ・オング母まではいいのだけど、やはり
二人の息子が日系人でないというのが残念でした。
日系人というのは、アメリカの少数人族で唯一数が減っているそうで、
日本人役ができる俳優はほとんどいないと見え、どの映画の日系人、
日本人も、大抵は中国系か韓国系で間に合わされてしまいます。
日系人チームと、看守のビリーを含む町の白人チームが試合を行うのが、
この映画のクライマックス。
この試合で、日系人を蔑んでいたビリーが、日系人チームのエースである
娘のボーイフレンドと投打対決をするわけですが、そこで彼がいざというとき、
「スポーツマンシップ」に則ることができるのか?というのが見どころとなっています。
毎年2月26日に恒例行事として226事件に関する映画を取り上げています。
今回は思いっきり地味なこの映画を扱ってみました。
主演、宇津井健。
この映画は226を単体で書いたものではなく、その以前の、海軍将校が起こした
515事件や相沢事件なんかも網羅しているものなので、歴史に詳しくないと、
せめて興味くらいないと、そもそも見る気も起こらないというくらいです。
つまり映画として全く面白くない、ということができると思います。
なんと張作霖爆破事件から話が始まっているわけですからね。
そのわりに、右翼主義者の起こした浜口首相暗殺も、「陸海軍流血史」として
一緒くたに語っているあたりがむちゃくちゃ乱暴です。
それに、原題の基準で安藤輝三大尉を語ろうとするものだから、軍部の暗躍を
暴こうとして拷問死させられる新聞記者、という架空の人物の死に
安藤大尉が発奮して革命に加わる、という、全く辻褄の合わない展開に。
だからこの新聞記者が止めようとしていたのが、武力による軍事支配だったんだってばさ。
青年将校たちの蹶起は愛国的意図のもとに起こされたが、失敗し、首脳部は
その後実権を握り世論を無視して事変を誘発し、ついに大東亜戦争の火ぶたを切って
日本の運命を敗戦の悲劇へと叩き込んだ
なんてもっともらしい(けど全く説得力のない)結論付けをしている点でアウト。
それじゃー、まるで226事件が成功していたら戦争にならなかったみたいじゃないの。
【KANO 1931 海の向こうの甲子園】
日本が統治していた時代、ダメダメだった嘉義農林高野球部を鍛え、
甲子園準優勝に導いた日本人教師、近藤平太郎を演じた永瀬正敏が
大変いい演技をしております。
伝説の投手、呉明捷を演じた曹祐寧くんは現役の野球選手で、映画公表後、
ファンに追いかけられる毎日だったとか。
ところで、わたしはこの年末、またもや台湾に行く予定をしていました。
夏に直前で中止になった李登輝元総統との会見ですが、もう一度機会をいただき、
今度こそはと思っていたところ、またしても元総統のお加減が直前で悪く・・・。
もう92歳のご高齢なので仕方がないことかもしれませんが、よりによって
わたしがお会いするという予定の直前にいずれもこのようなことになるなんて。
今回の訪台では、白色テロの生存者の体験談を聞くという予定もしていたのに、
それが無くなったのも残念でした。
次の機会に、といいたいところですが、それが今後あるかどうか・・。
【アメリカン・スナイパー】
こういう映画が出ると、アメリカでもたとえば自国の戦争について
右と左で論議が巻き起こるものだということがわかりました。
しかしながら、クリント・イーストウッド監督がこの映画で描きたかったのは、
「悪魔のスナイパー」として255人ものイラク人を射殺したクリス・カイルにとって、
自分を支えている戦士としての義務感と誇りより、彼を蝕んでいた精神的外傷の方が
はるかに重圧であったということなのではないか、と仮定してみました。
カイルを殺害したのが、やはりPTSDに苛まれていた帰還兵であったことも、
監督にとってこの題材を取り上げるための大きな動機になったことでしょう。
【機動部隊 TASK FORCE】
あまり有名ではありませんが、空母艦載機のパイロットを第一歩に、
その人生をアメリカ海軍に捧げた一人の軍人を、ゲイリー・クーパーが演じた映画です。
主人公のスコット少佐は、アメリカで最初の母艦艦載機乗りになり、
その後左遷されたりまた引っ張られたり、兵学校の先生になったり
飛行機は時代遅れだと言われて憤ったり、太平洋戦線ではカミカゼに苦しめられたり、
という海軍人生を送って、ついに引退の日を迎えます。
映画は彼の回想する走馬灯のようなその思い出として語られ、
実際に初の空母となった「ラングレー」とか、特攻機の攻撃で
半死半生になって帰還した空母「フランクリン」など、実在の艦船と
スコット少佐を絡め、戦友の未亡人と結婚したり、親友を先頭で失うなど、
人間的な成長を横糸に紡ぎながら展開していきます。
この映画についてお話ししたおかげで、ずいぶんアメリカ空母史に詳しくなりました。
【海底軍艦】
ある日私は「地球防衛軍」というレジェンド映画を見ました。
そのパッケージに含まれていた広告で知ったこの映画。
概要を読むなり「なんだこれは!」と目が点になり、
次の瞬間にはAmazonをぽちっとしていました。
戦争が終わっても南方のどこかで海軍基地を維持し、そこで
空飛ぶ潜水艦、海底軍艦「豪天号」を発明し建造した天才軍人、神宮寺八郎大佐。
20年もの間、帝国海軍の復活だけを悲願に、存在し続けてきた
生霊のような海軍部隊と、地球征服を(っていうか間借り?)企む
海底人の国、ムウ帝国が、地球の覇権を巡って今激突する。
こんな面白いキワモノ映画なら、何としてでも皆様にご紹介せねば。
そんな気持ちでこれも満を持して取り上げたところ、意外なことに
リアルタイムでご存知の方が多く、知らんかったのはわたしだけ?
みたいなカルチャーショックでした。
「ファイナル・カウントダウン」で仮想戦記の歴史に少し言及しましたが、
それでいうと、この「海底軍艦」の原作は、当時早稲田の学生だった押川春浪で、
1900年の発表された「海底軍艦」は日本の仮想戦記の「はしり」であり、
SF的要素を用いた最初の架空戦記として、冒険物のジャンルでもありました。
この映画は、小説「海底軍艦」の豪天号のアイデアを生かしつつ、
幻の大陸「ムー」に「海底人」が生きており、かつ豪天号の運用を
海軍軍人の生き残りの一団が行っていたという破天荒の設定となっております。
戦争映画について数多く語ってきたわたしとしては、この映画の要所要所に
海軍にこだわった、妙に律儀な部分にウケずにはいられませんでした。
たとえば、楠見元海軍少将が託されて育てていた神宮寺大佐の愛娘をつけまわす、
神宮寺大佐の部下である一等海軍兵曹。
こいつが挙動不審で警察に捕まったとき、「8561」しか言わない、てんですよ。
どこの世界に自分のIDをしょっちゅうつぶやいている人間がいるのか。
しかも、その4桁を聞いた途端、楠見元少佐は「海軍の認識番号だろう」って・・。
コインロッカーの番号とか、電話の下4桁か、銀行の暗証番号って思いますよね、普通。
あ、このころはキャッシュディスペンサーもコインロッカーもなかったのか。
とにかく、映画そのもののインパクトより、読者の皆さんが皆ノリノリで
コメントを下さったので、それが大変楽しい連載でした。
ところで、ムウ帝国が殲滅した後、海底軍艦と神宮寺大佐以下、
豪天建武隊の皆さんはどうなったのか、わたしは気になります。
【日本の一番長い日】
我ながら時間がない中やっつけで描いた感が満載だと思う絵ですが、
実際本当に時間がない中、急いで絵と文章をアップしました。
たまたまいただいたチケットで観に行ったこの作品に、いたく感動したからです。
歴史・戦争映画というのは多かれ少なかれ、政治的指向の色付けを逃れることはできません。
「アメリカン・スナイパー」のアメリカですらそうだったことを考えると、
自衛隊や軍隊をどうとらえるかが、右か左のメルクマールとなってしまっている感のある
今日の日本では、それも致し方ないことなのかなという気もします。
たとえば、本日回顧した「重臣と青年将校 陸海軍流血史」 などは、
史実にない架空の人物を入れ込んで、矛盾となるのも御構い無しに
安藤大尉の「意志」を現代基準で捏造し、映画の最後では、
「かかる悲惨事を繰り返さぬよう不断の努力を続けねばならない」
なんて、ごもっともな反戦論をぶってすましていましたし、
架空戦記の「海底軍艦」ですら、女を追いかけ回すしか能のない新聞記者に
「愛国心」を唾棄するものと言わせ、憲法9条をお題目のように唱えさせていました。
しかし、愛国心はダメなのに、地球の危機となれば海底軍艦は出動しなければならないし、
地球人でなければ皆殺しにしてもそれは仕方ない?
こんなダブルスタンダードが堂々と成立しているあたり、映画製作者の、
WGPに洗脳された皮相な「平和論」がしょせん露呈しているだけとしか見えませんでした。
その点、最近観た架空戦記映画「亡国のイージス」では、そんな国の抱えてきた
いびつな国家論が、宮津2佐の反乱によって現代の日本に露呈されるといった具合で、
戦争映画もついにこういうテーマを語る域に達したのか、と感無量でした。
(近々取り上げる予定なのでその予告です)
この「日本のいちばん長い日」は、日本が歩んだ長い戦後レジームのトンネルの先に、
ようやく光明の見えてきた昨今、生まれるべくして生まれてきた作品といえましょう。