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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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女流飛行家列伝~デル・ヒン「親娘パイロット三代」

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母から娘へ、娘から孫へ・・・・・。

と言えば、まるでパールのネックレスか日本なら着物を想像しますが、
西海岸の女流飛行家デル・ヒンが伝えたのは

「空を飛ぶ喜び」

でした。
1946年、戦後飛ぶことを始めたデルは、1996年、飛行家人生の
50周年記念を迎えます。
この間彼女は飛行家として

パウダー・パフ・ダービーに出場

飛行教官として何百人もの生徒を教える

二人の州議会議員のパイロットを務める

など、商業パイロットとして順調なキャリアを積んできました。
レースに出場して上位賞を狙ったり、ましてやアクロバット飛行をして
ショウに出る、というようなタイプの飛行家ではありませんが、
堅実に50年間というもの、事故を起こすこともなく空を飛び続けたわけです。

飛行機を操縦する人口の多いアメリカでは、
特に傑出したエピソードがあるわけでもありません。
ただ、長いパイロット人生、こんなフライトもありました。



一度、彼女はモントレー郡の保安局パイロットの代行で、
サリナスからオハイオまで、つまり西海岸から東海岸まで
女囚を移送する仕事を引き受けました。

大陸横断は、ジェット機によるボストン―サンフランシスコ間所用時間は
現在民間機でだいたい5時間40分。
国際線ほどではありませんが、決して短い距離ではありません。
何しろアメリカは大きいですから、国内で三カ所の時差変更があるのです。

わたしも毎年東海岸から西に向かうと、たとえファーストでも、
(ユナイテッドなどにはビジネスがなくファーストかエコノミー、そしてエコノミープラス)
食べ物のまずさと居住性の悪さについたときには疲労困憊してしまいます。

女囚たちは移送ですから、手錠をしたまま乗り込んできます。
もちろん引率の女性警官はついていたでしょうが、
こんなに長い時間、手錠をしているとはいえ囚人ばかりの乗客を乗せて、
万が一の事態が起これば、
ニコラス・ケイジの映画「コン・エアー」の再現です。

「コン・エアー」は1997年作品ですから、こちらの方が後なのですが。

ちなみに、以前「コンエアー」は、S-2の派生型、カナダのコンエアー社が開発した
「コンエアー」(ファイアーキャット)のことなのか?
と、何も調べずにどこかに書いたことがあるのですが、 違いました。

コンエアー、というのは、実在する
アメリカ連邦保安局の空輸隊の名称なのです。

コン、って、英語では「詐欺」とか「騙す」とか、そういう職業?
の人間のことなんですが、この意味なんですかね。
直訳すれば「空気詐欺」とか「空だまし」とか?

いや、やっぱり「convoy」(護送するの意)の「con」かな。


この「コンエアー」部隊で使用されているのは専用輸送機の

C-123K。

おそらくデルが操縦したのも、この飛行機であったと思われます。
専用機ですから、新幹線で犯人を移送する「新幹線大爆発」のように、
手錠でずっとケイジと、じゃなくて刑事と犯人が手をつないでいる、
ということはなく、ちゃんと「囚人専用機」として、
がっつりコクピットは客室(客じゃないけど)と隔離されているはずです。

まあでも、怖いですよね。堅気の女性なら(笑)

コンエアーのパイロットがすべてそうであるように、
彼女にもこのとき銃を持つことが認められており、それを勧められました。
しかし、彼女は銃の保持を断ったそうです。


もしかしたら単に銃が使えなかっただけなのかもしれませんが、
飾りにしても、とりあえず持っていることで、囚人たちにたいする
「アピール」になるのは確かですから、堅気の女性であれば、
一応は持っておこうとするかもしれません。

彼女が銃を持たなかったのは、逆に「あなたたちを信用している」
ということを彼女らの良心に訴えるつもりがあったと思われます。

しかも6時間弱の長いフライトの間、彼女は1時間半だけとはいえ、
全員の手錠を外させ、彼女らにそのときスナックとお茶の
「機内サービス」を行ったそうです。

このスナックがなんだったかなのですが、
snickerdoodle というシナモン味のシュガークッキーでした。
お茶は、おそらくアメリカ人なので、全員選択の余地なくコーヒーだったと思われます。


さて、1929年に行われた女性ばかりの長距離飛行レース、
「パウダー・パフ・ダービー」については、
これまでこのシリーズで何度もお話ししてきました。
このレースは、戦後、1947年にかつてのレースをトリビュートして再開されます。
再開に際してもっとも中心になったのは、あのジャクリーヌ・コクランでした。

デルは1955年、このパウダーパフ・ダービーに、
娘のキャロルと共に出場しました。

娘は母の飛ぶ姿を見て同じように飛行家を目指したということです。
もしかしたら、母親自身が教えたのかもしれません。


お子さんをお持ちの方はよく御存じだと思うのですが、
子供というのは必ずしも親のやっていることを
そのまま踏襲しようとはしないものです。
息子を二代目にしようとして腐心している会社の経営者を
わたしは一人ならず知っていますし、
せっかく開業した医院や弁護士事務所も、
子が後を継いでくれなくて困っているという話もしょっちゅう見聞きします。

卑近な例で言うと、わたしの母は華道の師範の資格を持っていますが、
小さい時から彼女が花を活けているのを毎日のように見ていながら、
わたし自身(わたしの姉妹も)、一度たりとも
その世界に興味を持ったことは無く、いまだに何の知識もありません。

「お宅はお嬢さんがおられるから、あなたは教えがいがあっていいわねえ」

などという話が華道仲間から出ると、母はいつも恐縮するように

「いいえ、誰も興味すら持ってくれないの」

と言うのが常だったということです。(ごめんねお母さん)


そして親の因果が子に報い、わたしの息子も、わたしが弾けるのだから
当然のように弾けるだろうと習わせたピアノは嫌がってすぐやめてしまい、
別の楽器(チェロとドラム)に行ってしまいました。

ですから、このように、娘が母親のすることを同じようにするどころか、
その娘、つまり孫娘も、同じ道を選んだというこのHIN家の女たちは、
むしろ世間的に稀少と言ってもいいのではないかと思われます。


冒頭画像は、おばあちゃまと一緒に愛機の手入れをする、孫娘ゲイル。
彼女と祖母は、彼女の母と祖母がともに飛んだパウダーパフ・ダービーの
ちょうど20年後の1975年、二人でまたしてもこのパウダーパフに出場しています。


このパウダーパフですが、1977年に、コスト、保険料の高騰、
そして何よりスポンサー企業が減少したため終了し、
19年の歴史を閉じました。

しかし、女性だけの飛行レースはその後エアレースクラシックにひきつがれています。

ゲイルにその後娘が生まれ、彼女がひいおばあちゃんとこのエアレースを飛んだ、
という話は今のところ伝わっていませんが、可能性は十分にありそうです。




ところで、こんなアメリカという国、旅客機のパイロットに女性は普通にいます。
先日のアメリカ行きから羽田に帰ってきた時、わたしの横をユナイテッドの
(ということはわたしが乗ってきた飛行機がそうだったのか?)機長と、
女性のクルーがカートを引っ張って通り過ぎました。

はて、機長とフライトアテンダントがこんな風に並んで歩くだろうか、
と思ったとき、彼女の制服の袖に金の線が4本入っているのに気付きました。
4本線、つまり彼女も機長職ということになります。

確か我々の飛行機は男性パイロットがアナウンスしていたので、
機長が二人のシフト、いわゆるダブルパイロットというやつだったんでしょうか。

機長が二人で飛ぶというのは、一般的にどちらかが PIC(第一指揮順位機長)で、

①新しい路線を飛ぶための訓練をする場合
②機長が査察操縦士から定期審査を受ける場合
③機長が余って副操縦士が足りない場合
④長距離線で機長2名と副操縦士1名の組み合わせで交代しながら飛ぶ場合

のどれかである、(ヤフー知恵袋の回答による)ということですが、
どちらにしてもこのスカートの制服を着た女性が機長であるというのは
さすがはアメリカだなあとわたしは感嘆の目つきで彼女の後ろ姿を見送りました。 



 


 


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