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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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MINEX(海上自衛隊掃海隊・機雷戦訓練)再び

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アメリカに行く直前にこれは発病したなと思ったとき、
アメリカに行くことより何より、心配したのがこちらでした。
そう、わたしは帰国して中2日の休み後、前回の日向灘に続き、またしても
掃海隊の訓練「MINEX」に同乗させていただくことになっていたのです。

帰ってきた夜は咳はもちろんのことまだ明らかに熱の残る状態で、
とにかく次の日は何もせず寝ていることに集中しました。
インフルエンザくらいでは医者はもちろん薬も飲まずに治す派なので、
まるで野生動物のようにひたすら寝てなんとか出発日を迎えます。


今回の掃海隊訓練は例年そうであるように、伊勢湾で行われました。
伊勢、と聞いた途端、それは久々に伊勢神宮にお参りせねば!と
わたしとTOの中で意見の一致を見たため、前日に到着して、一日、
伊勢神宮参拝を執り行いました。

また後日お伝えするつもりですが、伊勢神宮に造詣が深く、
お参りについての「作法」に詳しい現地の知り合いに連絡を取って
正しいお参りを伝授していただき参拝を敢行する、という
予定をがっつりと組み込むことになったため、何が何でも当日までに
わたしは元気になっておかなくてはならないのです。


正直前日と伊勢に向かう新幹線+近鉄の車内では心もとなく、
前日掃海隊訓練に行くことをご報告した関係者へのメールには
最後に「逝ってきます」とおもわず書いてしまうほど悲壮な気分でしたが、
やはり神に手を合わせ祈りを捧げるというのは不思議なもので、
お参りのために境内を約2時間強歩きまわっているうちに、
いつの間にか気分はすっかり良くなり、完治したと言える状況になりました。



当日朝、松阪駅の前に三重地本の車が迎えに来てくれるので、
ホテルは駅前のAUというビジネスホテルにしました。
前日夜はおなじみ掃海隊の「専属カメラマン」であるミカさんと、
ホテル最上階のレストラン(というより飲み屋さんみたいな)でご飯。

ホテルはビジネスと言いながら気を遣った作りで、ありがちな殺伐さもなく
ぐっすり眠ることができました。
駅前の集合時間に間に合うようにホテルの部屋を出ます。



朝日が昇ったばかりの松阪港には、すでに681の「ながしま」、
そして向こう側に我々が乗り込む「ししじま」がいます。

地本の車は港湾に巡らされたフェンスの外側に停められ、なぜか
そこから先に入る許可がもらえないので皆外側で全員揃うのを待ちました。

日向灘の時のように車で来ることを許されないのは、自衛隊と地元港湾との
話し合いの中で、許可されなかったということのようです。

日向灘は毎年11月末、伊勢湾は2月初旬、陸奥湾は7月、と
掃海部隊の訓練はだいたい定期的に場所も期間も決まっているのですが、
その時期になると自動的にいつ行ってもオーケー、ということではなく、
やはり毎回毎回、そのために掃海部隊は地元と交渉をし、どちらかというと

「許可をいただいて訓練海域を確保させてもらう」

という立場なのだと聞いたことがあります。
それもなんだかすっきりしない話で、アメリカ海軍は少なくともそんな苦労は
しなくてもすむんだろうなとやりきれない思いを持たざるを得ないわけですが、
とにかくそういう立場なので、訓練にまつわることで地元を怒らせたり、
迷惑をかけたり、ということは自衛隊としては避けたいことなのです。



しかし、この港で車両乗り入れ一切禁止、となってしまった経緯は、
やはりというかなんというか、かつて訓練取材のため乗り付けてきた報道の車が、
こういった朝から(7時です)お仕事している港湾内の作業車の邪魔になるような
駐車をして地元を怒らせた、ということがあったとかなんとか。(噂です)


ちなみにこのドーザのおじちゃんはミカさんのお馴染みさんで、
このときも手を振ったら向こうから振り返してくれました。
どこにいっても気さくに声をかけ、仲良くなってしまう彼女の才能は
わたしには到底持ち合わせない天性のもので、 心底羨ましい限りです。



とにかくまあ、港湾内の立ち入りすら一般人の恣意的なものを許さない、
なんとかいう規則に則って皆はおとなしく柵の外で待っていたのですが、
やっぱりいるんだな。勝手に中に入り込んで写真撮る報道が。

同じホテルに泊まっていたらしく、ロビーで名簿のチェックをしていた
シュッとしたイケメンの広報幕僚が、彼らに

「まだ中に入るな」

と注意して外に連れ戻すためにわざわざ中に入っていきます。
まったく・・・・・、小学生じゃないんだから小学生じゃ。 



ほーら怒られた(笑)

しかしそれにもかかわらず、堂々と手前から中に入っていく人影あり。
まるで学級崩壊したクラスの小学生みたいです。
幕僚も諦めたのか呆れたのか、もう何も言いません。 

「ダメだって言われてる端からああやって入るとは・・」

「なかなかフリーダムですね」

わたしとミカさんがその人影を確認すると、このブログではすっかりお馴染み、
前回ヘローキャスティングにもっと近づけといってみたり、2時半には港に着けと
帰港時間を指示したり、その他にもいろいろ(怒)あったあのおじさんではないか。

あまり書くと参加者の少なさから特定されそうなんで書きませんが、
今回もねえ・・・いろいろあったんすよ。いろいろと(怒)



しかし、入るなと言われて連れ戻されている人がいるのに自分だけはオッケー、
とばかり堂々とやりたいことをやって憚らない、貴様一体何者?

ミカさんとわたしが朝っぱらから嫌な予感に暗い目を交わしていると、
フリーダム爺はまた別なるフリーダム爺を呼ぶもので、こんどは別爺が
ちょろちょろと埠頭に入っていくではありませんか。

「なんかあのおじさんも”本日の地雷”っぽいなあ」

機雷戦訓練だけに・・・誰がうまいこといえと。



連れ戻されている報道二人の後ろではラッタルの積み込みが始まっていました。
つまりこれからすぐに「ながしま」は出港するということなのです。



わたしとミカさんはフェンスの外から「ながしま」を撮りました。
出港準備の進む「ながしま」の後ろが朝焼けで染まっています。



朝焼けの松阪港、この辺にいる渡り鳥の(名前忘れた)大群が通り過ぎました。
それにしても、なんて穏やかな海なのでしょうか。

今回のMINEX、参加前にわたしは散々この訓練の過酷さについて脅かされていました。

「寒いなんてもんじゃない、船の上は北海道にいるより寒くて辛い」

その言葉に文字通り震え上がったわたしは、年末遭遇したエーグルのバーゲンで
膝丈のがっつりフード付きの防水ダウンコートと同色の防寒用スカートを
裏起毛付きのパンツと重ねて着用し、ロングブーツにニットのレッグウォーマー、
念のために無印良品で買った携帯用のダウンジャケットをコートの下に着込み、
まさに着ぶくれられる限り着ぶくれた、ふくら雀状態で(上記ホテルの鏡の写真)
なおかつ今回クパチーノのアップルに買い物に行った時に見つけた、
手編みのニットのスヌードを大小二枚重ね、手袋も二枚重ね、
風邪の病み上がりなのでマスクを着用という前代未聞の厚着で臨みました。

まあ確かにこの装備が功を奏したと言えなくもないですが、この朝の時点で
わたしはなんだか暖かいな、と感じていたのです。
こんな格好をしているから当然とはいえ、それはそうと風が全くないのはどういうこと?

「きょうはベタ凪らしいですよ」

ああそうですか。でも船が動けば風も吹くよね?

寒さをクリアしても
わたしにはもう一つ懸念材料がありました。
船酔いです。

前回は掃海母艦との間にラッタルをかけられないくらい海がうねって、
ついにわたしはライトに船酔いを体験したわけですが、
また酔って多少なりとも隊員の方々にご迷惑をかけるのではと心配したわたしは、
コメント欄で教えていただいた酔い止め薬を手に入れる暇がなかったので、
アメリカで「ホメオパシー」を謳ったシーシック・レメディを買ってきていました。

字が小さくて読むのがめんどうなので息子に読んでもらったところ、

「気分が悪くなったら飲むんだって」

「なってからじゃなくて、ならないようにしたいんだけど」

「無理。なってから飲んだら治るって書いてある」

いや、だから船酔いっていうのはなった時にはもう遅いのであって(怒)
薬を飲もうとする前に多分中からいろいろ出てきちゃうんですけど。

「急いで飲めば押し戻せるんじゃね?」

それは嫌だ(笑)

それにしても、なんなのか。ホメオパシー。
わたしは「プラシーボ効果」と同義みたいに思っていたフシもあるのですが、
なってから飲む薬のプラシーボ効果って、まったく意味なくない?

とりあえず、ぎりぎりまで不精したためアメリカの自然食品店で
船酔いの薬を買うしかなかった自分を叱ってやりたい。



ところで、掃海艇の船酔いというのは海自隊員の中でも有名みたいですね。
掃海隊経験者のこの某掲示板での告白が、その凄さを物語っています。


あのー掃海艇経験者ですが、ガブッた時はハンパじゃありません。 
護衛艦の大きさで揺れが違うとか言われてますけど 
掃海艇の揺れは次元が違います。 
正面から大波食らうと、掃海艇は宙に浮くんです!! 
「フワッ・・・ドッス~ンメリメリメリ!!!」 
と船体はキシみまくり、身体も何かに捕まってないと床や構造物に打ち付けられて 
非常に危険です。 

私は吐きそうになり居住区からラッタルを上がって便所に駆け込もうとしたのですが 
その時も、ラッタルに手を掛けた瞬間波に乗り上げ、 
身体ごと床に抑え付けられたかと思うと船体が波の谷間に落ち、身体は宙に浮いて 
上層の食堂へ自然に上がった事がありました。 
あまり信じてもらえないでしょうが、本当にジェットコースター気分を 
一晩中味わいました。 

ちくごクラスにも乗った事あるけど、小さくても護衛艦と言うだけあって 
20度以上のロールでもそんなに気になりませんでした。 
ゆきクラスなんか常にフラットで天国でした。 
オレみたいに小さいフネからデカイフネへ順番に転勤して行くと 
身体もラクで良いけど、逆パターンは 体力的、精神的にもかなりシンドイと思われます。 



まあ、こんなコンディションの時に報道関係者のツァーは行わないでしょうが(笑)

とにかく、早朝のこの暖かさ、ベタ凪の噂。
心配するだけしながら臨んだ当日ですが、どうやらどちらも大したことなさそうです。

もしかしたら前日のお伊勢参りのご利益かな?
とチラッと思ったのですが、前日の「伝道師」は、

「神様に参るというのは自己の利益を求めるためにではありません。
自分の道を間違わないように自然の導きを心の声に聴くためです」

とおっしゃっていたっけ。



さて、ようやく中に入って乗艦することになりました。
柵の中に入るのを許された時、ちょうど「ながしま」が出港です。

写真を撮るために一直線に走っていくミカさんの勇姿(右端)



美しい・・・。

「ながしま」は「うわじま」型の9番艦。
「うわじま」型は退役が進んでおり、この「ながしま」も確か
この伊勢湾での訓練に参加するのは今回が最後だと聞いた気がします。

竣工が1996年で20年経っているのですが、やはり木でできた掃海艇は
ライフサイクルが短いので20年はもう寿命が来たということなんですね。

「えのしま」などのFRP素材だと、それはかなり伸びるそうです。


さて、乗艦が始まりました。


続く。 



 


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