というわけで、1345、我々は「えのしま」に乗り移りました。
本日の訓練見学で、「ぶんご」乗艦、ヘリ着艦見学、そして
体験喫食で美味しい昼ごはんをいただいた後、別の掃海艇に乗ることになるとは
全く予想していなかったため、それが他ならぬ前回乗った
「えのしま」であったことはわたしには望外の喜びとなりました。
「えのしま」の役目は見学者を予定の1430に港に連れ帰るだけで、
訓練はすでに終了しましたが、配られた予定表には「適宜取材可能」とあり、
乗艦時間1時間、「えのしま」も出来る限り取材に協力しましょう!という感じです。
「ぶんご」から「出航」した「えのしま」は大きく右回頭し、たちまち
この位置に回り込みました。
ヘリの着艦が着艦した甲板もこんなに小さく見えます。
移乗した「えのしま」では取材協力のため早速ブリーフィングが行われました。
前回と同じく第41掃海隊司令である権田3佐によるレクチャーの始まり始まりー。
そこしか席がなかったので一番前に座ってアオリで写真を撮ってしまいました。
トップの「ようこそ、えのしまへ!」の画面には、昨年末、
クリスマスシーズンに隊員が飾り付けた「えのしま」の姿が。
いかにも手作りといった電飾がアットホームな掃海艇ならではです。
今回のレクチャーは「いずしま」で概要をすでに聞いてきているということで、
主に「えのしま」など新型掃海艇の仕組みについての説明でした。
FRP素材で船体ができている新型掃海艇は、このようにパーツを組み合わせて
パズルを組み立てるように形が作られる、といったようなことです。
短いブリーフィングが終わり、艇内ツァーが行われることになりました。
前回、このツァーで思わぬ船酔いに襲われたわたしですが、今回は
陸(おか)の人である我々にとっても揺れなど微塵も感じないべた凪、
そんな不吉な記憶など、笑い話になるくらい絶好調です。
第41掃海隊司令、どうやらこの2尉に「ツァーの案内をせよ」と
命令を下している模様。
狭い掃海艇では廊下も収納場所の一つ。
甲板につながる通路にはカポックがかけられ、コードで固定されています。
外にはEODの着用する潜水服が干してあります。
左胸には所有者の名前が記されていますが、どうもここに書くのは
パイロットのタックネームのような「あだ名」であってもいいようです。
首のところがゴムになっていて、これで完璧に水の侵入を防ぎます。
ゴムアレルギーの人は絶対にEODになることはできません。
今の主流のデザインはオールインワン型のようですが、
お腹のところにあるファスナーはもしかしたらトイレ用?
司令に命じられて報道関係者に説明を行う2尉。
「これは音響掃海具です」
感応掃海具1型音響掃海具発音体。
従来の磁気掃海具と音響掃海具の機能を統合したお得な2ウェイ掃海具で、
2008年導入され、「えのしま」型以外には「ひらしま」型が、
そして先日進水式を行った「あわじ」型掃海艦にも搭載される予定です。
と、検索したら自分のブログの説明が出てきたので、そのまま載せてしまうのだった。
磁気掃海具は磁気機雷に対応し、また音響機雷に対しては音響掃海具があります。
このうち磁気掃海具は,長さ数100mの浮上式の電線に電流を流し、
その電流を変化させ、船体磁気に類似した磁気信号を発生するようになっており、
音響掃海具は、航走音に類似した擬似信号を機雷に与えて勘違いさせるという仕組みです。
その両方の機能がこの一つのボディに搭載されているんですね。
S-10掃海具のコードリール。
「ぶんご」で掃海隊群司令とお昼ご飯を食べた席で、掃海具の話になった時、
「S-10の”S”ってなんの意味だか知っていますか」
と聞かれたので、
「掃海のSですよね!」
とここぞと得意げに答えたばかりか、同席の自衛官が知らなかったと言ったのに対し、
「やった!自衛隊の中の人に知識で勝った!」
と勝ち誇ってしまったのですが、調子に乗りすぎたと今では反省しています。
このコードリールの写真を撮るのも二度目です。
マンタ式模擬機雷の説明中。
そして掃討具S-10との再会〜!
このときにおとなしくしていればいいものを、ふと「えのしまくん」の前からも、
写真を撮ろうと思ったのが、後から考えたら、ちょっとした失敗でした。
全面についたソーナーの写真を撮り、移動しようと思ったときです。
前回の「えのしま」見学記のときも写真をあげて説明したのですが、
掃海艇の後甲板の床には、ここにも見えている通り、重量物を運ぶための
レールが張り巡らされています。
このレールが濡れていたらしく、移動しようとして上を歩いたところ靴底が滑り、
次の瞬間、わたしはばったりと床に倒れていました。
写真の左側、つまりわたしの転んだ真横には、権田司令とミカさんが
話をしながら立っており、あとからミカさんに聞いたところによると、
「二人が見ている中、まるで漫画のように華麗に転び、
次の瞬間司令の顔が、これも漫画のようにささーっと青くなった」
という状況だったそうです。
カメラを持っていた左手から転び、床にカメラをまずぶち当てたせいか、
人間本体への衝撃はほとんどなく、わたしには、すぐに起き上がるのもカッコ悪いので、
そのまましばらくじっとしていようかと考える余裕さえあったのですが、
やはりそういうのは特にこの場では不適切である、と思い直した其の瞬間、
司令の声が聞こえました。
「大丈夫ですかっ!」
やはり死んだふりをしなくてよかった、とその声音を聞いて、
一瞬でもこれでウケを狙えると思ったことをわたしは心から反省したのです。
大丈夫ですといいましたが、司令はすぐさま士官室にわたしを連れて行き、
前回の船酔い騒ぎのときにトイレを出たら待っていた、
見覚えのあるメディックがすぐに現れました。
あー、なんだか前回もこの部屋ででぼーっとしてたなあ。(懐古)
メディックはわたしのいうままにすりむいた(と思われる)
手のひらの外側にバンドエイドを貼ってくれ、運用長が
コーヒーを持ってきてくださって話し相手になってくれました。
前に自衛隊で出されるのは選択の余地なくコーヒー、といいましたが、ここでもこの通り。
ブラックでも十分美味しいコーヒーでした。
あとは運用長から掃海艇勤務についてのいろんな話を伺っておりました。
「掃海艇は冬でも水が暖かい」というのもこのとき聞きました。
そのときには「えのしま」は松阪港にすでに入っていくところでした。
滞在時間が1時間しかないというのに、なにをやってんだか。わたし。
あとでついでに、前回船酔いの原因となったトイレを記念に撮影しておきました。
朝「いずしま」に乗って出航した港に「えのしま」で帰ってきました。
報道の人たちも仕事を終え、もの思いに耽りモードです。
「えのしま」では舷側に防眩物を下げる作業が始まりました。
この港は定期船のターミナルともなっています。
このサメのようなイルカのような模様の描かれた船は、
松阪ー津ー空港(セントレア)を結ぶベルラインという高速船です。
ミカさんはセントレア空港からこの船で現地まで来たのだそうです。
人気のない松阪港には入港支援のための人が三人立っています。
入港まで、必ず司令が艦橋の赤い椅子に座らなければならない時間があります。
転んだショックから立ちなおったわたしが、最後に入港作業を撮るために
外から操舵室を除くと、司令が椅子に座っておられました。
司令が様子を見に来られたとき、ご迷惑をかけたことを謝ったついでに
「司令とお会いするたびにこんなことになるって・・なんかあるんでしょうか」
と軽口を叩くと、それってまるで俺が悪いみたいじゃない、と笑って返されました。
打ち所が悪ければ、埠頭からヘリ搬送、なんていうおおごとになっていたのに、
まったく口の減らないやつで本当に失礼いたしました。
この場を借りてあらためて心からお詫びと御礼申し上げる次第です。
実は、おおごとになったらなったで、それも一つの・・・、などと邪(よこしま)なこと
(=総火演で砲弾の破片が飛んできて当たった観客が考えたのとおそらく同じようなこと)
をチラッと考えた、というのはここだけの秘密です。
続く。