というわけで、今回の訓練参加におけるわたし自身の「お約束」というべき
アクシデントも無事に終わり、(っていうのも変ですが)「えのしま」は
取材を終えた人々を乗せて松阪港に入っていきます。
入港作業を待ち受ける岸壁の自衛官たち。
先に入港していた「ししじま」の隊員たちであると思われます。
まず最初のサンドレッドが投げられたのを確保。
早速そおなじみの「もやい持ってダッシュ」が始まりました。
もやいを持ってそのまま力一杯引っ張るように走り、
ある程度のところでもう一度岸壁まで戻って引っ張る。
もやいの扱いの「基本」ですが、わたしがこのやり方に気付いたのは
去年の観艦式における「むらさめ」の出港のときでした。
連続写真を撮ったのであげておきます。
右端がもやいを持つ「先頭」になります。
今赤帽1がもやいの「根本」にたどり着き、
もやいを拾い上げました。
右端の赤帽2がもやいをはなして「根本」に駆け寄ります。
赤帽1が今一人でもやいを引っ張っているところ。
赤帽2と白帽が全力疾走でもやいを取りに行きます。
あれ?白帽はもやい取らなくていいのかな?
赤帽2がこんどは引っ張ります。
白帽は・・・・?
太いもやいに変わったのでそれを確保しに行くようです。
輪になった部分をもやい杭に掛ける役目みたいですね。
われわれの「えのしま」はあさ「いずしま」が出港したところに停泊します。
向こうにいるのは「ししじま」さん。
おお、サンドレットが先日から話題になっていますが、ついに
それを投げる瞬間がカメラに捉えられました!(大げさ)
やはり勢いをつけるために片足を大きく踏み出していますね。
左にはサンドレットの紐を収納するカゴをもって行います。
今投げたサンドレットを取って、岸壁ではまた「もやいダッシュ」が行われており、
こちらではそれにつなげる太いもやいの用意をしています。
防眩物を設置するのはその後のようですね。
「ししじま」では入港後、ゴミ出しをしているようです。
(ってこともいつのまにかわかるようになってしまったわたしである)
ちゃんとゴミが仕分け分別できているかもチェックして出します。
この間にも「えのしま」の船体はじわりじわりと岸壁に近づいていきます。
前は御前崎開運所属の貨物船「天鶴」。
「てんつる」ではなく「てんかく」だそうです。
後ろはフジシッピング社の「富士福丸」でした。
この松阪港にはかつて東京に行くフェリーが就航していたこともありますが、
採算が取れなくなったためわずか10年で廃止になっています。
出港前、わたしたちは
「もしかしたらここに船が到着することになるかもしれないので、
そうなったら2時半ではなく4時過ぎまで帰ってこられない」
という情報を得ていました。
わたしとミカさんはどちらかというとその方が嬉しかったのですが、
帰ってすぐに夕方のニュースに間に合わせたい報道陣は気が気ではなかったでしょう。
彼らにとってラッキーなことに、帰港の際のバッティングはなく、
無事に時間通り松阪港に帰ってくることができました。
しかし、そうなったときに自衛隊側がどうして否応もなく
入港を待たされないといけないのか、わたしは一人で怒りに(略)
さて、あっという間に入港作業がすみ、接岸が行われました。
本日のメディアツァー参加者の下艇もあっという間に終わりです。
第41掃海隊司令、そして「えのしま」艇長、お世話になりました。
埠頭を歩きながらふと「えのしま」の船体に浮かび上がる
塗装したの素材の模様に思わずシャッターを切りました。
まるでたくさん紙が貼られているような細かい線が見えます。
FRPとは繊維強化プラスチック(Fiber Reinforced Plastics)のことで、
プラスチックの中に別素材を入れて強度を上げています。
プラスチックだけでは弾性が得られないので、ガラス繊維を挟み込むことで
軽くて強い素材が生まれるのです。
複合素材で強化される、この場合プラスチックを「マトリックス」と呼びます。
たとえば木造の掃海艇の寿命は20年でしたが、それが30年になるなど、
耐用年数が大幅に増え、いいことだらけのFRP素材ですが、問題もあって
素材の分離が困難であるため、リサイクルや廃棄処分が難しいのだそうです。
掃海艇が退役になる時、どうやって処理していると思われますか?
なんと、燃やすんですよ。
FRPは燃やすわけにいかず、廃棄コストはむしろ高額につくとおもうのですが、
「えのしま」以降の掃海艇は30年後どうやって廃船にするんでしょうか。
多分防衛省のことだから何か考えてはいるとは思うのですが・・。
船首部分の船体にはより一層縦のラインが目立ちます。
前回の乗艇では全く気づかなかった部分でした。
ミカさんもわたしも、「えのしま」の出港を見送りたかったのですが、
松阪駅まで送ってくれる地本のシャトルバスに乗らればならなかったので、
名残惜しくもここで掃海艇に別れを告げました。
近鉄で名古屋まで1時間半、新幹線でも同じくらいかかって帰ってきましたが、
ミカさんと掃海隊の話に花を咲かせているうちにあっという間についてしまいました。
こんなに時間が経つのが早かったのは近来なかったことです。
「ぶんご」で食事をいただいた時の箸入れとコースターを持って帰りました。
コースターは今現在、大変お役立ちです。
自衛隊の見学に客として招待されるとき、食事と必ず青い袋にお土産、
というのが「ワンセット」となっているそうです。(ミカさん談)
その青い紙袋に入っていたのは、まず、前回と同じ掃海隊マークのついたタオルと・・、
前回お菓子をいただいたので、今回も箱の大きさからそうだと思っていたのですが、
開けてみたらなんとこんな写真入りのフォトスタンドでした。
訓練見学の思い出となるでしょう。
というわけで、二回に亘る掃海隊機雷戦訓練を見せていただくことによって、
日頃あまり公開されることのない掃海隊の活動を垣間知ることができました。
写真でも見たように、艦艇に大きなダメージを与え、ときには沈没すらさせる
破壊力を持った機雷を無力化、あるいは掃討する方法は、
我々が思う以上に人間の力、特にEODら生身の人間の手に頼るものでした。
失敗すれば一瞬にして自分も粉々にしてしまう凶悪な機雷を相手に、
その瞬間は死と隣り合わせに任務を遂行する寡黙な戦士、掃海隊。
そんな超プロフェッショナルたちが今日も立ち向かう「現場」は、
未だにその危険が時代とともに泥深く埋まっている我が国の領海なのです。
自衛隊で唯一、実際の戦線で戦っている部隊、掃海隊に
国民の一人としての感謝をあらたにした、伊勢湾での機雷戦訓練でした。
最後に、ご招待くださった関係者の方々にお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
終わり。