ニューヨークの「イントレピッド航空宇宙博物館」見学記です。
「イントレピッド」は空母なので、艦載機をハンガーと甲板の間を上降させる
エレベーターが、中央に2基、舷側に1基ありました。
これが舷側のエレベーターをしたから見たところ。
我が海上自衛隊は空母を持っていないので、「いずも」型に
舷側外付けエレベーターが搭載されたくらいで「おお〜!」などと
驚いてしまうわけですが、アメリカの空母にはふっつうーにこういうのがあるわけ。
「いずも」の外付けEVを見た後だと、その大きさにびっくりだ。
まあ、これで甲板にブラックバードなんかも運んでしまえたわけだから、
(もちろん運用していたわけではありませんが)当然ですね。
こちら甲板のエレベーター。
見学者を乗せたまま今下降しているところですが、これは
まだベトナム戦争も真っ最中の1971年に行われたイベントです。
アメリカというのは、イラク戦争の時にアメリカにいたわたしに言わせると、
戦争というのは「いつも遠くで思うもの」だと思っているようです。
軍関係者とその家族しか「戦時中」を実感せずにすむ国なんですね。
何の目的で空母の見学をさせているのかわかりませんが、
「イントレピッド」自身がベトナム戦争に参加していることを考えると、
余裕があるというか、呑気に見えて仕方がありません。
おそらく、日本と戦争していた時もこんな感じだったのでしょう。
エレベーターの使用例その1。
少しエレベーターを下降すれば、バレーボールコートとして使えます。
これならボールが海に落ちて試合中止というようなことにもなりません。
この写真が撮られたのは大戦中だそうです。
ちなみに使用中には途中で止めます。
なぜ下まで降ろして使わないのかは謎です。
「The equator ceremony」とは日本海軍的に「赤道祭り」のことです。
この写真が撮られたのは1960年代のことだそうですが、上の写真のように
4分の1だけ下降させたところで止めた「ステージ」で何か赤道祭りの出し物が
行われているのを、兵員たちが甲板レベルから覗き込んで見ています。
エレベーターステージ使用例その2、音楽のステージ。
アンプやマイクの電源も普通に利用できます。
このギターのアフリカ系、たぶん上手い(確信)
エレベーターステージ使用例その3。
ロープを張ってボクシングのリンクの出来上がりー。
そういえば、映画「パールハーバー」で、戦艦ウェストバージニアで行われた
ボクシングマッチのシーンがあったのを覚えていますか?
真珠湾攻撃の時、機銃を掃射しまくって黒人初の海軍十字章が贈られた、
ドリス・ミラーという黒人兵をキューバ・グッディング・Jr.が演じていました。
この試合で優勝し、ウェストバージニアの艦長(つまり雲上人)に「我が艦の誇りだ」
と言葉をかけられたミラーは感激して涙ぐんでいましたっけね。
黒人が人権を持たなかった当時、海軍では本当にこんな・・・?
さて、このように使いでのあるエレベーターステージですが、「イントレピッド」が
博物館として最改装されたとき、ちょうど艦首側のエレベーター部分を
大幅にリノベーションして、そこに視聴覚室(オーディトリウム)を作りました。
立ち入り自由でいつもテーマに沿った映像が繰り返し放映されています。
アメリカらしく、いくばくかの寄付をすれば、例えばこの椅子の背中に
名前とちょっとした言葉を刻んで名前を残すシステムがあります。
カリフォルニアの「ホーネット博物館」もそうでしたが、艦内のファシリティを
バースデーパーリーのために借りることができます。
結婚式のパーティを「イントレピッド」でやる人がいるのか?という気もしますが、
もしかしたら海軍軍人・・・・・とか?
「OPARATION SLUMBER」。
「お泊まり大作戦」って感じですかね(笑)
「イントレピッド」では艦内でスリープオーバー(お泊まり)するという
イベントも行われています。
「ホーネット」では兵員用のキャンバスベッドなどで寝て、朝になったら
ギャレーで作られた朝食を食べてクルー気分を味わうこともできます。
さて、こんな「宣伝」が終わり、本編が始まりました。
映像はいきなり日米開戦から始まりました。
「surprise attack」が「sneaky attack」でないのにほっとしたりして。
こういう表現には非常に神経を尖らしているわたしである(笑)
えーと、これは日本側の映像?
当時の号外には、真珠湾で戦艦が二隻喪失したとあります。
実際は沈没した戦艦だけでも4隻でしたし、これどころじゃなかったのですが。
続いては「カミカゼ」による攻撃を「ニューウェポン」と紹介。
なんか違うなどころか日本人としてはぜんぜん違うやないかい!と突っ込みたいくらいです。
ちなみに、日本では「特別攻撃隊」という名称だったことを説明しております。
米海軍全艦艇中最多の特攻隊の攻撃によって多くの戦死者を出した「イントレピッド」。
特攻隊の存在はあまりに大きなものだったことは、先日お話しした
「カミカゼ体験」でのあれこれに現れていましたが、ここでもやはりそれを強調しております。
ここで、映像では「カミカゼ体験ショー」よりは踏み込んだ表現として、
特攻隊の側からのアプローチを試みています。
「彼らは自分の愛する人々を守るために特攻に行きました」
アメリカ側の制作した媒体でこのような直截な物言いをしたものを見たのは
わたしの狭い知識においては初めてのような気がします。
と思ったらこの字幕は日本語の翻訳で、
陸軍パイロットだった苗村七郎氏が特攻隊について語っているのでした。
苗村氏は 対戦末期の沖縄戦で、万世陸軍特攻基地において特攻隊員だった人物で、
「至純の心を後世にー陸軍最後の特攻基地・万世」
という著書も表しています。
書評のところで知ったのですが、氏は2012年11月逝去されました。
「イントレピッド」の水兵と航空隊は、301機の日本機を撃墜し、
122隻の艦船を撃沈した。ということです。
カミカゼ体験ショーのエントリで、イントレピッドの特攻隊による攻撃で
何百人もの将兵が死亡・重傷を負ったことを書きましたが、それについては
案の定触れずに終わってしまいました。
「イントレピッド」は50年代に再就役し、その際、攻撃空母(CVA-11)に艦種変更され、
朝鮮戦争に参加しています。
その後、対潜水艦作戦支援空母(CVS-11)に艦種変更されました。
1965年にはジェミニ計画の支援につき、大西洋上で着水した宇宙船ジェミニ3号を回収しました。
ここにはマーキュリー計画への参画も書かれていますが、こちらは調べてもわかりませんでした。
ベトナム戦争での支援も行っています。
三次にわたって兵団をベトナム湾岸まで輸送しました。
多分地雷のことをお話しされているのだと思います。
ベトナム帰還兵。
この人も。
イントレピッド艦上で行われた海軍葬。
遺体が一体ずつ色鮮やかな星条旗で包まれています。
エンディングに登場、アリゾナ州代議士ジョン・マケイン。
The Honorableとは衆議院などに用いる敬称です。
イントレピッドの使命とは、
「我々の英雄たちを顕彰する」
「一般に対する周知を深め、若者の啓発を行う」
ってところですか。
戦争に参加したもの=英雄たちを讃える、ということが
普通に言える国が、羨ましい。なんてね。
続く。