伊勢湾で行われる掃海隊機雷戦訓練の参加が決まったとき、
それならぜひ伊勢神宮を参拝しようということになりました。
大人になってから参拝したのは一回だけで、それがこのブログでも
お伝えした遷宮のときだったわけですが、今回、わたしたちには
大変頼もしい案内人がいました。
農作物を扱ったりする全国規模の団体(っていったらわかっちゃうか)の
職員の方で、10年くらい前から必ず毎週、「正しい参拝」を行っており、
ご自身でも祝詞を奏上することができるという、参拝の「達人」です。
達人に連れられて、正しい順番で社をめぐり、ときにはその方が長々と
祝詞をあげるのを瞑目しながら聞くというのはどんなものでしょうか。
新幹線で名古屋まで行ったら、あとは近鉄で伊勢まで一本です。
近鉄に乗り込む前に、ホームのコーヒースタンドでラテを注文しました。
追加料金でラテアートをしてくれるというので、この「名古屋嬢」を頼んだら、
なんと型からポン、と粉をふるい入れるやり方でした。
伊勢駅前の街並み。
近年首都圏ではあまりお目にかからなくなったこの茫漠とした感じが、
廃墟ファンのわたしにはたまりません。(廃墟じゃないけど)
伊勢駅の駅舎そのものは割と最近建て替えられたような感じです。
2010年に大改修が行われたと言いますので、伊勢神宮の遷宮を控え
そのためにエレベーター設備を取り付けたという感じでしょうか。
伊勢参拝はまず外宮から始めるのが正しい参拝だそうです。
外宮の入り口近くには神馬がいました。
前回は一頭も見ることなく終わったので嬉しかったです。
神馬は神様の使いなので、必ず白馬と決まっています。
厩舎の上には「笑智号」(えみともごう)という名前とともに、
この馬が平成18年、宮内庁御料牧場のやんごとない生まれであることが書かれています。
御料というのは「御料池」という言葉にもあるように、
天皇や貴人のためのもの、という意味を持っています。
神の馬である笑智号さんに掛けられている馬カバーにも
このように菊の御紋章が付いているのです。
式年遷宮でうつされた神殿のあとは、このように注連縄を貼って
次の遷宮まで休ませます。
外宮参拝も「正宮」から行うのが決まり。
伊勢神宮のさまざまな祭事も外宮から内宮の順で行われています。
天皇陛下をはじめ、皇族の方々、内閣総理大臣も外宮から内宮へ参拝をされます。
なぜそうなのかというと、天照大神がそうせよとおっしゃったからだそうです。
誰が聞いていたのかは知りませんが。
鳥居をくぐるたびに挨拶しますが、その度に俗世から神様の領域に歩み寄っていきます。
そのため、神宮に参る時には必ず手と口を清めてから上がるのです。
前回、この大きな岩を使った橋に穿たれたくぼみに、
五円玉などがきっちり埋め込まれていたのを目撃しましたが、
今日はありませんでした。
ディズニーランドでもそれらしいところがあるとお金を投げ入れてしまう
習性のある日本人(多分イタリア人も)ですが、伊勢神宮では
どこでもここでもお金を投げていいというものではありません。
なぜって、ここは神様の「お住まい」だからです。
ここも、遷宮前の敷地には注連縄が貼られ、その一隅には
その一角を守るための小さなお社が建てられています。
土の宮、風の宮、多賀宮の三つの社があるところに登っていく階段ですが、
ここでまず達人のご指導が入りました。
「できるだけ真ん中は歩かず、端を歩いてください」
真ん中は神様がお通りになる道でもあるから?
その踊り場に来た時、達人は立ち止まって踊り場に一礼しました。
ここには三つの宮を守る護衛の神様が立っているのだそうです。
伊勢神宮に来て個人的なお願いは止めましょう、といわれていますが、
土の宮、風の宮などであれば、私利私欲の(?)お願いも「一応は」
聞いてくださるということでした。
(ただしお金儲けなどのお願いは聞いてもらえるとは限らない)
この多賀の宮では、自分自身の決意表明、つまり「誓い」を唱えます。
木の根元にある苔むした岩にもお金が備えられています。
これも決して「正式」ではありません。
前回も、皆が触りまくる木の幹がつるつるになっているのを
如何なものか、と書いた覚えがありますが、達人によると、
やはりそれは好ましくない慣習であるようです。
この参拝の時も、見ているとわざわざ道の端を歩きながら
木の幹にかたっぱしから触っている人が少なからずいましたが、
木はそれを決して歓迎していないことを、皆さんも是非覚えておいてください。
神宮のなかはどこも空気が清澄で、この場に身を置くだけで
改まった厳粛な気持ちに全身が満たされます。
「達人」は週1回、2時間かけてお参りをしておられるそうですが、
毎日朝開門とともに参拝を行っている女性(医師らしい)の知り合いがいるとか。
だからなぜ方角盤にお供えをする(笑)
イワシの頭も信心からというものの、神宮にあるものにかたっぱしから
小銭を置いたり触りまくったりするのは決して「正しいお参り」ではないのです。
このように、注連縄が張られているということは、それによって
神の世界と現生を分けるという意味があるのですから、
この岩には「神様が宿っている」と考えて手を合わせていいのです。
さて、外宮の参拝が終わってから、「達人」は猿田彦神社に
車を回して参拝することを提案しました。
このときわたしは飛蚊症の症状に悩んでいたのですが、
当神社が交通安全、方位除けの神様であることから、治癒を
お願いするという名目で、特に長い祝詞を上げてくださったのです。
このときはいつもの二拝二拍手一拝ではなく、四拍手を行いました。
先日の診察では飛蚊症の原因である出血部分が随分小さくなっており、
このままうまくいけば手術はしなくてもよいという診断でしたが、
これも参拝のおかげさまであったと考えるようにしています。
そしていよいよ内宮への参拝です。
鳥居をくぐると五十鈴川に架かる宇治橋を渡っていきます。
いつ見ても澄明な空気が凛と張り詰めたような川面です。
ここが、俗世と神域をつなぐ橋となっています。
古いお札を持って来ればよかった、と思いました。
さすがは大昔から「お参りの一大アミューズメントパーク」であったお伊勢。
五十鈴川のほとり、御手洗場(みたらしば)にやってきました。
内宮に参る前に皆ここで手を清めます。
舞鶴の地方総監で海軍記念館に併設された大講堂を見学したとき、
この御手洗場を描いた「戦争画」があったのを思い出します。
伊勢神宮の遷宮で出された木材が額に使われていたというものです。
神職と、手を洗い終え手ぬぐいで手を拭う水兵と、その母親が
画面の隅に小さく描かれていました。
ここに立ったとき、あの絵を描いた画家は、向こう岸の
石垣のところでキャンバスを広げていたのだろうと想像しました。
川底にはところどころにお金が落ちていました。
だからここにはお金を入れるところではないと何度言ったら(略)
御手洗場に降りる手前には「お金を投げないでください」と
立て札まであるのに・・・。
まあ、この後ろで赤ん坊のオムツを替えていた中国人に比べれば
なんてことはない気がしてきますけどね(鬱)
しかし今やどこにいっても見る中国人観光客ですが、伊勢神宮ほど
神に祈る心を持たぬ彼らにとって意味のない場所はないと思うし、そもそもろくに
マナーも守れないのなら物見遊山で来るな!と内心ムカムカしてしまうのも事実。
案内の人もはっきりとではありませんが、外国人が増えると「気が悪くなる」
というようなことを言っていたような・・。
目にも清々しい青と緑の袴をつけた若い神職が歩いていました。
実は大変「力のある」神であると案内人の方がおっしゃるところの
「瀧祭神」。
祈る人に力があるとき、この社の上空には龍が舞う、のだそうです。
この階段の途中から写真撮影は禁じられています。
ここでも自分の願い事はしてはいけません。
正宮には、天照大御神が祀られています。
多賀の宮だったか、2〜30歳に見える女性が一人、熱心に手を合わせていました。
彼女の様子はどちらかというと地味で慎ましやか、仕立ての良さそうな
ワンピースにちゃんとした靴を履いて、まるで昭和初期の「令嬢」という感じです。
彼女の足元にある、手をあわせるために地面に置かれた本物のケリーバッグと、
ついでそこにいる誰よりも長い時間手を合わせ瞑目している様子に目を奪われました。
どんな人で、どこから来て、何をこんなに熱心に手を合わせているのか。
まるで白黒写真の時代からやってきたような雰囲気の女性に、
わたしは自分のお参りが済んだ後もずっと見とれてしまいました。
遷宮の時に作り変えられた新しい祭具収納倉庫。
しばしの休憩のために休憩所に立ち寄り、遷宮のDVDを見ていましたが、
閉館時間となってしまいました。
モニターに「世界の亀山ブランド」と書かれているのが栄枯盛衰を感じます。
橋の最後の欄干(16番目)には 宇治橋の守り神である
饗土橋姫(あえどはしひめ)神社のお札「萬度麻(まんどぬさ)」
が納められているので、ここでも手を合わせました。
一万回分の宇治橋を渡られる方の安全を祈願しているそうです。
一万回はもう余裕で超えているはずだけどそれはいいのか。
参道の「おかげ横丁」に初めて行ってみました。
なぜかここにある「スヌーピー専門喫茶店」のメニュー。
スヌーピー好きにはたまらない。ってか?
休憩するために入ったカフェで焼きドーナツをいただいてみました。
ちなみに、関係ないですがこのあと夕ご飯に行ったところで食べたアワビのバター焼き。
伊勢志摩はやはりシーフード(特に貝とエビ)ですよね。
去年も猫がいましたが、猫はおかげ横丁中心に住み着いているようです。
看板には「餌をやるな」と書いてありましたが、
タクシーの運転手によると「お店が餌をやっている」ということです。
この辺の猫の模様は圧倒的にトラが多いように見受けられました。
生垣の近くを通ったら中からみーみーと声が聞こえてきたので、
カメラだけ差し入れて撮ったら、こんな写真が撮れました。
子猫が集まって母猫の帰りを待っているようです。
というわけで、最後に猫見学もセットになった2時間の参拝は終了。
神への祈りは自分の道をお示しくださいとむしろ自分の心に問うのが正しく、
商売繁盛やなんかをお祈りする神社は他に行くべきなんだそうです。
そもそも伊勢神宮の最も重要な規定は「私幣禁断」。
つまり、個人的な願いをかなえようと手を合わせることはご法度です。
数千年もの間、多くの人々の尊信を集め、清められ続けてきた場所は、
もはや穢れたものを受けつけないこの世の真空地帯のようになっており、
そのパワーも超絶なので、本人の心根というか調子が悪いと、
かえってよくないことが起きるとも言われているそうです。
参拝しても効果が得られなかった、かえって運気が乱れたという人は
自身のあり方に疑問を投げかけてみるべき、というお話を伺い、伊勢神宮とは
まるで鏡を見るように己の心を写す場所でもあるのだなあと思いました。