先週末横浜のみなとみらいホールで行われた、横須賀音楽隊の
50回目となる定期演奏会の招待券をいただき、行ってまいりました。
横須賀音楽隊は横須賀地方隊の直轄部隊で、2014年の暮、世界の優秀な
軍楽隊に与えられる、「ジョージ S. ハワード大佐顕彰優秀軍楽隊賞」をアメリカの
J.P.スーザ財団から受賞した、今注目の音楽隊です。
空自中央音楽隊はこの賞を平成4年にアジアで初めて、そして陸自中央音楽隊は
平成21年に受賞していますから、海上自衛隊の音楽隊で
初めてこの賞を受けることができたのは、快挙というべきでありましょう。
さて、そんな横須賀音楽隊のコンサートに、前回券をいただいていたのにもかかわらず
拠所ない用事で行けなかったわたし、今回は前回の残念分も
一音たりとも聞き逃すまいとコンディションも満を持して当日を迎えました。
今回いただいていた招待席はこの場所です。
訳あってまたまたお誘いした兵学校76期のSさんと席についていると、
後から入ってきて周りに座る人は皆互いに挨拶をしあっています。
そのうち、横須賀地方総監らしい方までやってきてみなさんにご挨拶を・・。
どうもわたしの頂いた頂いた席は、「自衛隊の偉い人用」だった模様。
わたしにチケットを手配くださるように横須賀音楽隊に話をしてくださった
元海将もすぐ近く(おかげでご挨拶できた)でしたし、周りをよく見渡せば、
基地創設祭や練習艦隊の出港式などでよくお見かけする顔がちらほらと。
当日のプログラムは、前半は「和楽懐音」と称する日本人作曲家の手によるもの、
後半は吹奏楽界では有名なクロード・T・スミスの作品集という構成です。
まず最初は、鈴木英史手によるファンファーレ。
ファンファーレ「S・E・A」
客席の最上段とか、舞台の裏とか、正規の演奏場所ではないところで
演奏をするトランペットなどの「別働隊」を「バンダ」(イタリア語のバンド)
といいますが、この曲もトランペットのバンダを二ヶ所に配したイントロです。
始まったと思ったら客席後方から音が聴こえたのは新鮮でした。
ユーチューブを見ていただければ分かりますが、これは楽譜の指定です。
バンダといえば、客席の近くでトランペットを構えたところ、
「こんなとこで演奏中にラッパ吹いちゃダメだよ!」
と羽交い締めされて吹けなかった奏者がいる、と、オーボエ奏者の茂木大輔さんが
(本当か嘘かわかりませんが)本で書いていましたっけ。
タイトルの「S-E-A」は海のことではなく、作曲を依嘱した精華女子高校の
イニシャルから取られており、S(Es)=ミ♭、E=ミ、A=ラの音が
テーマに使われているからです。
でも、横須賀音楽隊がこの曲を選んだのはきっと「SEA」だったからですよね。
つづいては、
梁塵秘抄~熊野古道の幻想~ 福島弘和
いまでこそ国の史跡となり、ユネスコの世界遺産にまでなっている熊野古道ですが、
1906年(明治39年)末に布告された「神社合祀令」により付近の神社が激減し、
熊野詣の風習も殆どなくなってしまったため、熊野古道自体は、
大正から昭和にかけて国道が整備されるまで、周囲の生活道路に過ぎなかったのです。
これが現在のような注目をされるに至った過程はwikiにもまったく触れられていませんが、
このときにわたしの近くに座っていた方(つまり自衛隊の元偉い人)の祖父、
医師でもあったある俳人が、再発見から再評価への道筋をつけた、ということを
わたしはその方から伺ったことがあり、一人激しく納得しながら聴いていました。
曲は和歌山県立田辺中・高校吹奏楽部による委託作品だそうです。
大河ドラマのテーマソング風でかっこいいです(小並感)
次の曲の作曲者名を見て、「小林秀雄って作曲も残してたの?」
と驚いてしまったわたしです。
「モオツアルト」の「悲しみは疾走する」という文章にはかつてシビれたもんだよ。
と思ったら、音楽評論家ではなく、作曲家の小林秀雄のことでした。
【(落葉松(からまつ)】小林秀雄作曲
落葉松の秋の雨に わたしの手が濡れる
落葉松の夜の雨に わたしの心が濡れる
落葉松の陽のある雨にわたしの思い出が濡れる
落葉松の小島の雨が わたしの乾いた眼が濡れる
という野上彰(詩人)の詩に曲をつけたもので、
ここで横須賀地方隊所属のソプラノ、中川麻梨子海士長登場です。
観艦式の「むらさめ」艦上で「坂の上の雲」の「スタンドアローン」を
聞いたときにも彼女の伸びのいい、ドラマチックな高音には
思わず鳥肌がたったものですが、相変わらずこういう歌曲や、
声楽的発声が映える曲には素晴らしく良く響きます。
(彼女が”Let It Go"を歌っていたのをYouTubeで見たけど、
圧倒的にこういうのよりこの日の歌の方が向いていると思う)
みなとみらいホールの大ホールで吹奏楽をバックに、マイクなしで
一語も不明瞭な言葉もなく歌詞が聴き取れたのですから、さすがです。
海自の歌手といえば、三宅三曹が「第1号歌姫」として先鞭をつけ、
今ではすっかり世間の認知度ももちろん人気も大変なものですが、
横須賀音楽隊の選んだ専属歌手が、三宅三曹とは全くタイプの違う、
愛知県芸大声楽科大学院卒というクラシック畑出身であったことは、
適材適所というか選択の妙だったと、わたしはこの日の彼女のステージを見て
かねてからの持論に確信を持ちました。
人の心の捉え方においてどちらがどう、ということではなく、
三宅三曹にはもちろん彼女らしい良さがあり、中川士長には
彼女にしかできない優れたパフォーマンスの形があります。
前半最後の曲は、宮川彬良の「生業」。
宮川彬良で検索すると「宇宙戦艦ヤマト」の演奏ばかり出てくるのですが、
もちろんあの宮川泰氏のご子息であらせられます。
1、上昇志向 2、発明の母 3、易〜生業
という構成で、タイトルからその意図を汲み取ってください。
「易」では、三人の打楽器奏者が束ねた細い筮竹をつかって演奏しましたが、
その時だけ易者の帽子をかぶっていたのがご愛嬌でした。
さて、前半のプログラムが終わり、休憩時間となりましたが、
わたしはこの日この休憩時間にすることが山ほど?あったのです。
そもそも、なぜこの演奏会に89歳のご老人であるSさんを連れ出したかですが、
その理由は、この本にありました。
偶然、当ブログ読者のお節介船屋さんが「こんな本が出版されました」
と教えてくださったところの、
「海の軍歌と禮式曲ー帝国海軍の音樂遺産と海上自衛隊」
著者の谷村政次郎氏は、1991年から1994年までの間、東京音楽隊の
隊長であった方ですが、退官後は現役時代からの楽曲研究を、音楽隊員として、
また隊長として体験したこと、知ったことと合わせてこの著書に結実させ、
昨年末、出版の運びになりました。
教えていただいて、すぐさま出版社から注文購入し、手許において、
東西奔走()とブログ制作の合間にパラパラと目を通していたのですが、
この日のコンサートで谷川氏をご紹介してくださるというお話を
元海将からいただいたときに、ふと思い出したのは、
江口夜詩作曲「艦隊勤務」について書かれた項で、谷川氏が、江口氏の息子、
やはり戦後作曲家だった江口浩司にインタビューされたという記述でした。
これは、江口浩司氏と兵学校76期の同期で、戦後も仲が良かったという
あの海軍中将の息子、Sさんを連れて行くしかない!
そこで、昨年12月に家で倒れて足元が覚束ないとおっしゃるSさんを
家の前まで車で迎えに行き、会場までお連れしたのでした。
うかがうと、Sさんは水交会の読み物に谷川氏が連載していたのを読んでいて、
その名前も知っており、それどころか江口夜詩のイベント関係で会ったこともある、
とおっしゃるではありませんか。
その偶然に驚きつつロビーで谷川氏とお会いし、ご挨拶させていただいたのですが、
その際、谷川氏がわたしにご著書を進呈してくださいました。
わたしが既に持っていた本は、Sさんに差し上げることになり、
Sさんは早速その夜から楽しんでお読みになっているようです。
ところでわたしがもう一つ驚いたのは、谷川氏がわたしにご本を渡しながら
「こちらはエリス中尉に」
とおっしゃったことでした。
・・・・・なぜその名前を知っている。
「ロナルド・レーガン」の見学の後の懇親会でスピーチしたところ、
その内容から「わたし=エリス中尉」だとわかった方がなんと同じテーブルにいて、
大変ショックを受けた直後だっただけに、それほど驚いたわけではないですが、
拙ブログの「海のさきもり」の作詞者について書いたエントリにも
谷川氏は目を通してくださっていたようなのです。
それだけではありません。
次に紹介を受けたのは、横須賀地方総監の「中の偉い人」でした。
世間話のつもりで「先日ロナルドレーガンを見学しまして」といったところ、
「ある防衛団体の見学で、参加費1万円だった、と・・・」(・∀・)ニヤニヤ
と、どこかで書いた覚えのある返答を返され、赤面しました。
・・・その日の朝6時にアップされたブログ記事の内容をどうして知っている。
ちなみにこの「偉い人」には、この日のエントリで挙げたこの写真が、
日米で「上下がカウンターパートという並べ方になっている」らしいという、
大変貴重な情報を教えていただきました。
例えば一番左から:第7艦隊司令vs.自衛艦隊司令、
在日米軍司令官vs.横須賀地方総監、
第5空母打撃群司令vs.護衛艦隊司令、一番右は潜水艦隊司令。
第7艦隊が横須賀地方総監のカウンターパートじゃないというのに驚きました。
・・という、まったくコンサートとは関係のない話になりましたが、
もう一人、この日紹介していただいたある意味超有名な自衛官がいます。
【海上自衛隊が】宇宙戦艦ヤマト【歌ってた】
別エントリで同じような体型の自衛官と見分けられず「同型艦か?」
などと弄ってしまった、東京音楽隊の歌手・・・じゃなくてホルン奏者、
川上亮司1等海曹その人でした。
実は、東京音楽隊のコンサートでプロコフィエフのピアノ協奏曲をやったとき、
この曲を吹奏楽用に編曲したのがこの「ヤマト歌い」の川上1曹だったのです。
クレジットを見て大いに驚いたわたしは、そのことをここで書いたのですが、
どうも川上1曹はそれを読んでくださっていたようです。
「ああいう編曲はどこで勉強されたのですか」
いい機会だと思って聞いてみました。
自衛隊音楽隊の隊員は、必ずしも音楽大学を卒業していません。
横須賀音楽隊の体調である樋口好雄3佐は、一般大学から入隊して、
護衛艦「あやなみ」勤務の後、翌年打楽器奏者として東京音楽隊に配属されていますし、
前半の指揮をした副隊長の森田信行2尉も、樋口隊長とまったく同じで、
厚木航空基地隊勤務ののち、打楽器奏者として横須賀音楽隊に入隊しました。
入隊して実地で仕事をしながら、「国内留学」をして指揮法や自分の楽器を
学び、それを音楽隊に活かすというのが通例であるのですが、
編曲などは川上1曹によると、先輩に学びながら行うことが多いそうで、
わたしはまたしてもこれに驚いてしまいました。
もちろんブラスバンド奏者ならではの経験値がいくらあったとしても、
誰にでもできることではないと思いますが。
ところで、せっかくYouTubeの人気者を目の前にしているので、
こんなことも聞いてみました。
「ヤマトで有名になって街で声かけられたりしませんか」
「いや、全然(笑)」
「それは制服を着ていないから・・・?」
「いえ、この間も制服を着て立っていましたが誰も声かけてくれませんでした」
「YouTube的には全国で有名人だと思うんですけどねえ」
「まったくそんなことないですよ。明日もどこそこで歌うんですけど」
わたしなど、ホールに入る前にその姿をお見かけして、すぐに気付いたのに。
さて、というところであまりにも充実した休憩時間が終わり(笑)
後半のプログラムが始まりました。
「フライト」
クロード・トーマス・スミスの名前を知っているかどうかは、
あなたが吹奏楽経験者あるいは関係者かどうかでもあります。
吹奏楽コンクールの課題曲にも度々取り上げられるスミスの曲は、
アメリカ軍の委嘱作品が多いということもあって、このような
スマートで勇壮なマーチが多いのが特色です。
この「フライト」は、聴いていると最初にパッヘルベルの「カノン」が登場し、
盛り沢山なうえ、大変軽やかで楽しいマーチ。
アメリカ航空宇宙博物館の公式マーチに指定されています。
スミスは自分自身が朝鮮戦争の時の軍楽隊隊員だったこともあってか、
Air Force、Marine、Navy、Army Field(野戦陸軍)の軍楽隊から
作曲を委嘱されており、これらは技術的に高度な作品が多いといわれます。
この日のプログラムは「フライト」のあと、
「モレスカ:シンフォニックパントマイム」
という1分少しの短い(けれど難しい)曲が演奏されました。
そして、「グリーンスリーブス」。
良い演奏が見つからず、YouTubeを貼ることができませんでしたが、
スミスのアレンジによるこの曲は素晴らしいです。
実はこのクライマックスでわたしはマジ泣きしてしまいました。
次の日には日フィルのマーラーの5番、第2楽章で泣いてしまったので、
(4楽章でなく)わたしがただ変なテンションにあっただけという説もありますが、
それを抜きにしてもこの選曲と、横須賀音楽隊の演奏は良かったです。
Sさんはここで何度かお話ししているように、音楽に詳しい方で、
またそれだけに厳しい耳を持っていますし、東大出のせいか結構権威主義で、
わたしが演奏会開始前に、
「東京音楽隊が防衛省隷下の音楽隊で、横須賀音楽隊は呉や舞鶴のように
各地方隊が直轄する音楽隊なんです」
というと、(隣のご婦人が『佐世保と大湊も』と即座に付け加えたので
やっぱり周りの人は全員関係者であることを確認しました)、
なんとなく、なあんだ、という雰囲気だったので、わたしは内心
今に見ているがいい!(ってあんた何者だよ)と思っていたのですが、
やはり横須賀音楽隊、やってくれました。
Dance Folatre - Claude T.Smith
超絶技巧の難曲として有名な「華麗なる舞曲」に挑戦です。
もともとこの曲はアメリカ吹奏楽界において最高の実力を誇り、
各セクションに名手を揃えていたことで有名なアメリカ空軍軍楽隊に
挑戦するような形で作曲されたため、技術的に難しいとされます。
特に「試されるホルン」というくらい、ホルン奏者にとって大変な曲で、
川上1曹もこれを御目当てにに来たのかな、とふと思ったりしました。
YouTubeでこの曲を検索すると「世界最速!」とかいうのが出てきますが、
それこそ速ければいいってもんじゃなかろう、と、
その旋律が崩壊した速いだけの演奏を聴くと思ったりします。
その点、当夜の演奏のテンポは速すぎず遅すぎず、観客の耳が
ホールの響きを通して音楽の形を認識するのにちょうどいいものでした。
アスレチックな構成も余裕で御して、パーカッシブながら旋律も埋没していません。
打楽器出身である指揮者の動きにもなかなか魅せるものがあり、特に
細かいパッセージに連動する指示のフィジカルなパフォーマンスは
見ている方もついエキサイトしてしまうくらい、かっこ良かったです。
「地方隊だというからセミプロみたいなものかと思ったが・・・
いや、なかなか立派なものですね」
と、いつもは手厳しいSさんにしては最大の賛辞はいりましたー。
そして、アンコールには、中川麻梨子士長が登場。
砂山の砂に腹ばい 初恋のいたみを 遠くおもひ出づる日
初恋のいたみを 遠く遠く ああおもひ出づる日
砂山の砂に 砂に腹ばい 初恋のいたみを 遠くおもひ出づる日
石川啄木の詩に越谷達之助が曲をつけた「初恋」。
彼女の清らかな歌声が消えたあと、その代わりにホールには
満場の観客が発したほうっというため息のような空気が満たされました。
「最後のアンコール曲、良かったですね」
わたしが帰りの車でSさんに言うと、
「うん・・・でも、軍艦行進曲は余計だったな」
と思わずorzになってしまうようなことを・・・・。
自分が元海軍軍人で同期会には必ず訪れ、水交会のメンバーで、
わたしにはこの日も、父上の海軍中将が「球磨」の艦長だったときに
上海にあった伊勢神宮の御廃材で作った社を「球磨」で運ばせて
庭に置いていた(昔の艦長って結構やりたい放題?)などと、
海軍の話ばかりしていたのに・・・・・・・・これですよ。
言っちゃなんですが、戦後リベラルを拗らせた、この点だけは89歳児のSさんです。
わたしは、海上自衛隊の音楽隊は、いかなるときもその演奏の最後に
「軍艦」を演奏するのを絶対的な慣例としているのです、と、
確かこの件に関しては二回目となる説明をせざるを得ませんでした。
というわけで、この日の横須賀音楽隊の演奏会。
吹奏楽の技量の限界に取り組む、決して専守防衛ではない攻めの姿勢と、
専属歌手の歌声にすっかり満たされて帰途に着いたわたしです。
出席を手配くださった方、この日会場でご挨拶させていただいた方、
そしてご招待くださった横須賀音楽隊の皆様に心より御礼を申し上げます。