さて、前回、金毘羅宮から京都に向かう途上、瀬戸大橋を渡り、
その耐震構造についてふと疑問を呈したところ、さっそく詳しい方から
瀬戸大橋の耐震性についてコメントをいただきました。
瀬戸大橋の耐震性については、まず、過去に起こったM8.0の地震
(昭和21年の南海地震)を想定した耐震設計基準が構造に取り入れられており、
さらには兵庫県南部地震のような直下型地震や東北地方太平洋沖地震クラスの地震についても、
発生後すぐに検討に入り、損傷を想定して補修がなされているということです。
さすがに損傷が全くないということではないようですが、
少なくとも倒壊など重篤な損害によって通行が不可能になることだけはなく、
またわたしが不安を感じた「海に車が投げ出される」という可能性も、
ちゃんと車の重心などを考慮したシミュレーションによるとまず心配ないそうです。
今の日本で地震に対して安全なところなどないわけですが(岡山くらいかな)、
このように日本の企業がいざというときに際しての備えを
持てる技術の粋に留まらずたゆまぬ進化を怠らないということを知ると、
どんな災害に襲われて傷ついても日本は必ず立ち上がる、と頼もしく思いますし、
地震災害国である日本がここまで発展したのも、こういった技術に表される
生存のための知恵を昔から重ねてきた先人の努力の賜物であろうと誇らしくもあります。
さて、無理矢理話をつなげると、日本の誇り、といえば京都ですね。
少なくとも誇り高い京都の人たちはそう思っているに違いありません。
昨今では観光客が増えすぎて風情がなくなったと言われている京都ですが、
まだまだ京都の人はその誇り高さゆえに「京都らしい頑固さ」を守り抜いていて、
それがまた京都が愛される理由となっているように思えます。
前回は町屋の宿という、逆説のようですが「新しい京都」に宿泊したのですが、
今回は直球も直球、ど真ん中の老舗料理旅館に泊まりました。
今なお美しい水の流れを誇る白川沿いの宿です。
白川というのは比叡山に源があり、その流れはちょうど祇園で鴨川に合流します。
前回の京都でお話しした「高瀬川」ほどの水深はなく、せいぜい5〜10センチで、
「白川」の名前の由来は、流域一帯が花崗岩を含む礫質砂層で構成されており、
川が白砂(石英砂)に敷き詰められているように見えるからと言われています。
追悼式の後、5時間の高速運転の末に京都にたどり着いたとき、
わたしは疲労困憊して口を聞くのも億劫なくらいでしたが、
到着してからすぐにお風呂をいただいてさっぱりしたところで、
ここの自慢の京料理が部屋に運ばれてきました。
メニューはまだ若い女将さんが毛筆で手書きしたもので、
一品ずつ一枚の紙に書かれており、運んでくるたびにそれをめくっていきます。
京都といえば鱧、ということで最初に出てきた刺身と鱧の湯通し。
説明を聞いたけどなんだったか忘れました。
「冷たい味噌汁」のようなもので、真ん中の豆板のような寒天のようなのは
麩的なものであったという気がします。
賀茂茄子をくりぬいて入れ物にした茄子と牛ロースの「炊いたん」。
外国人客も多いので肉も普通に使います。
外側の茄子の皮は苦味があり美味しくなかったので残しました。
実は疲労のせいであまり食欲がなかったというのもあります。
こういうのがダメな外国人には専用メニューもあるそうですが、
この辺も京都が変えざるをえなかった部分かもしれません。
竹をくりぬいた入れ物の底1センチにジュンサイ的なものが入っていました。
おちょこ1杯で足りるものをわざわざ竹の筒二本に入れる。遊び心ってやつですか。
蛍が見られるのは夜9時ごろからということだったので、夕食後
浴衣に羽織姿のままで外に出てみました。
白川沿いの店は古い料亭あり、カウンター式に新しくしつらえた小料理屋あり、
カラオケ店まであるようで、外に音が聞こえてきていたのがご愛嬌でした。
これが昔なら三味の音であったりしたのでしょうか。
外国人が増えたというのは少し街を歩いただけで実感されます。
たとえばこの神社の裏手には、白人系の若いカップルがバックパックを背負ったまま
この時間だというのに地面に座り込んでいました。
まさかホテルを取らずに来たのでしょうか。
しばらく歩いて行くと橋の上から川面に鷺の姿を発見。
鷺だけでなくよく見ると川面を無数の蛍が飛び回っています。
残念ながら蛍の写真などどうやってとって良いか分からず、
この写真も真っ暗なところに当てずっぽうでカメラを向けてシャッターを押したら
なんとか写っていたといういい加減なものなですが、それでもよくみると
水面に幾つかの「蛍の光」が認められます。
「鷺って蛍食べちゃわないのかな」
「料亭の魚の切れ端もらって食べてるんだから虫なんか食べないだろ」
後から聞くと、鷺は魚の他には貝などを見つけて食べるそうです。
そのあと、すっかり最近京都の夜に詳しくなったTOが、この並びにある
一軒の町屋のようなところに入っていきます。
お座敷に通されて出てきたのは果物のジュースでした。
なんと京都のバーというのはこういう町屋だったりします。
芸者さんの名札が玄関先に並べてある置屋の玄関。
明けて翌日、早速部屋の窓から外を見てみます。
声明のような声が聞こえたのでみてみると、虚無僧のような姿の一団が
一人一人の間を空けながら歩いてゆっくり通り過ぎるところでした。
朝、こんな光景が見られるのは日本でも京都だけでしょう。
虚無僧の写真を撮っていてふと気づくと、部屋のすぐ下に
鷺が一羽、もの待ち顏で待機していました。
鷺には「おーちゃん」という名前があって、名前の由来は一本足で立っていることから
一本足打法の王選手の「おー」なんだそうです。
「鷺って何羽いるの」
「五羽くらいいるらしいよ」
「どれが”おーちゃん”とか、どうやってわかるんだろう」
「とりあえず全員”おーちゃん”って呼ばれてるらしい」
なぜ5羽いるということがわかったかというと、ある日ある時、
5羽の鷺が一堂に会しているところが目撃されたのだそうです。
女将さんによると、くちばしや脚の色が年齢によって違うので、
ある程度は見分けられるということでした。
魚の身の切れ端をやるようになってからおーちゃんたちは口が肥え、
他のものなど見向きもしない贅沢な鳥になってしまったそうです。
というわけで、彼らの仕事は朝に夕に、時間通りに餌をくれる旅館の前で
こうやって時間を潰すこととなって現在に至ります。
厚かましいおーちゃんになると、勝手口にヅカヅカと入ってきて
「魚おくれやすー!」と主張するツワモノもいるそうです。
また、川岸から川床、川床から人家の屋根と、縦横無尽に飛び回るのですが、
そのときなんとも言えない禍々しい鳴き声をあげるのでした。
「鷺いうのは姿は美しいですが声があまりよろしおまへんなあ」
とは女将さんのお言葉。
その女将さんのお給仕で朝ごはんを頂きました。
その時に出た話題ですが、京都の小麦消費量は全国一高く、
特にパン好きな市民なのだそうです。
京都の料亭などで出るこのような食事とはうらはらに、京都人は
どんな年配の人であっても朝ごはんはパンとコーヒーか紅茶。
早起きして近くの行きつけのパン屋にパンを買いに行くところなど
まるで姉妹都市であるパリっ子みたいです。
ここだけの話ですが、京都人とパリ人はプライドが高く「いけず」なところもそっくり。
おーちゃんのいた川がカウンター越しに見える部屋で、晩にはバーにもなります。
朝ごはんは前日に白飯かおかゆかが選べます。
ランチョンマットには女将さんが朝方したためた一筆が。
こういう気遣いが京都に泊まる楽しみでもあります。
部屋に帰って簾越しに外を見ていたら、結婚式のフォトセッションらしく、
着物姿の男女がポーズを取っていました。
「いつも通り気楽にお願いします」
という声に、すかさず女性がVサインしていました。
今の女の子というのはVサインしないと写真が撮れないのか(笑)
そうかと思ったらだらりの帯の舞妓さんコスプレも通ります。
なぜ本物でなくコスプレといいきるかというと、本物の舞妓さんが街を歩くのは
お座敷の仕事がかかった夜だけで、こんな朝から人前に出没しないものだからです。
また「一見さんお断り」のお店にいることが多いので、京都市内で普通に見かけるのは
観光客の扮した「なんちゃって舞妓」。
そもそも京都市民でも、本物の舞妓を見かけることはほとんどないといわれます。
チェックアウトは11時。
このあと夜の大阪空港発の飛行機に乗るまで、わたしと息子は
わたしの神戸の実家に車で、TOは京都で用事という段取りです。
八坂神社は遠目に見ても中国人とわかる団体で溢れかえっています。
北白川のドンクでお茶にしました。
女将さんいうところの「京都人はパン好き」を表すかのように、
日曜の朝のひと時をベーカリーフェで楽しむ人たちでいっぱい。
ドンクの駐車場の監視カメラにはツバメが巣を作っており、
巣の上からぽわぽわした頭が二つ三つ出たり入ったりしていました。
お客さんの頭に”落し物”をしないように、お店はおしゃれなカゴを設置(笑)
TOを進々堂の近くで降ろし、高速に向かいます。
久しぶりに京大の前を通ってみたら、妙に綺麗な建物が〜!!!
なんでも近年、(というか前に来てからすぐ)食堂の補修と新棟の建設が完成したそうです。
さて、もういちど「おーちゃん」のことについて書いておきます。
チェックアウトのころ、なんとなく玄関先でおーちゃんを眺めていたら、
板さんが中から出てきて黙ったままぽいぽいと魚の切れ端を放り込み始めました。
板さんは客に愛想をしない決まりでもあるのか、「おはようございます」といっても
何の返事もなく、おーちゃんについての説明もなし。
さすがは京都の名門料亭の板前である、と妙なところで感心しつつも見ていたら、
通りがかりの中国人のおばちゃんにえさやりが見つかってしまいました。
またこの人たちの格好がすごいのよ。
赤、黄、青、緑、黒、ピンクが体のそこかしこに配された洋服を全員が
まったく同じような着こなし?で纏っていて目がチカチカするうえ、
実際にも口々に何かを口走り、うるさいのなんの。
わたしたちは鷺を見ると鷺の写真を撮るわけですが、この人たちはなぜか
鷺をバックに必ず自分たちが写っている写真を撮りたがります。
突進してくる電車の線路に足を乗せて自撮りしていて、
その電車にはねられた中国人の女の子がいたそうですが、
彼らの自撮り好きをみると、さもありなんと納得してしまいました。
おーちゃんに投げられた魚の切れ端を狙ってカラスもやってきて
横から魚身をかすめ取るのですが、おーちゃんはおっとりしているのか
魚身の多くが下流に流れて行ってしまいます。
案外白川の流れって早いんだなあ、とふと下流を見ると、なんとそこには
『おーちゃん2号」がいて、流れてきた魚身をおいしくいただいていました。
おーちゃん1号とともに写っているのは鴨の親子。
彼らもおーちゃんに投げられた魚を当てにしているようです。
みていると、誰が合図を出したのか全員で下流に流れていきました。
「おー流れてる流れてる」
「省エネモードで移動してるわけね」
蛍と鷺、ついでに鴨の川流れと京都の初夏を満喫する旅。
いつも京都に来ると、なにかとてもよくできた舞台装置のなかに紛れ込んだような、
唯一無二の「京都」(外国人からみると”日本”)という名の芝居に
エキストラ出演しているような、非日常感を味わうことになります。
「なんちゃって舞妓体験」を試みたり、結婚式でまるでドレスのような色合いの
着物を着て紋付袴の彼氏とVサインで写真を撮る人たちも、
その登場人物となって芝居に積極的に加担しようとしているのに違いありません。