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第1ドライドックのバルブ〜横須賀歴史ウォーク

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ここ横須賀人文・自然博物館には、明治時代、製鉄所やドックが出来上がり、
まだ「お雇い外国人」であったヴェルニーや医官のサバチエが滞在していた頃の
横須賀がジオラマ模型になって展示されていました。

説明はわたしがあとから付け加えたものです。

これ、横須賀に詳しい人が見たら「ああ、あそこ!」とわかりますね。
第一号ドックとその隣のドックは今もそのままあるので、
それを起点に考えていただければよくわかるかと思います。



さらに大きな地図で見ていただくと、ヴェルニー公園が画面手前、
海軍機関学校のあったのは今ショッパーズプラザとなっているところですね。
冒頭画像では「兵学校」と現地の説明にあった通りタイプしましたが、
これは海軍機関学校のことで、1893年から震災で倒壊するまでここにありました。
 
ヴェルニーと医官であり植物学者でもあったサバチエの官舎は、
現在の米軍基地内、だいたいCPOクラブのあたりではないでしょうか。

冒頭画像で「大畑町」とあるあたりには、現在
海軍カレーの「ウッドアイランド」があります。

 

こちらはフランス海軍が1873年に独自に測量して製作した地図。
当時の横須賀の地形と造船所の配置が細かく記されています。
原図はフランス防衛資料館にあり、全く同じ地図を
フランスのヴェルニーの子孫が持っているのだそうです。 



横須賀軍港の絵図とその向こうは完成したドライドックですね。



開国前の横須賀。



こちらは1889年(明治22)に日本で作られた横須賀地図。
建物の素材によって地図が色分けされているというもので、
赤で描かれた部分は「煉瓦造りの建物」。
ひとところに集中しており、その部分にドックがあるのがわかります。
全般的に黄色い部分が多いですが、これは木造家屋です。

横須賀製鉄所は、まずここに「船台」を作ることから事業が始まりました。
ドライドックが完成してから、横須賀製鉄所が成した役割は

●船の修理と造船・・・「清輝」建造、外国船の修理

●西洋式灯台の建造

●技術研究と教育・・・造船所内に技術養成校黌舎(こうしゃ)があった

●工業機械や部品の製造・・・富岡製糸場、生野鉱山などで使われた

ちなみに、横須賀製鉄所で最初に進水式を行った船は「横須賀丸」で、
この写真もヴェルニーは所蔵していたようです。



海軍省の辞令、と説明にありますが、辞令というよりは
「よく仕事したので特別手当をあげます」
という感謝状のような気がするのですが・・・。

海軍と皇居造営のどちらもの関わった人物に出されたものです。

明治政府の一大事業の一つに皇居造営がありました。
煉瓦造りの宮廷や赤坂離宮を含む工事です。

横須賀製鉄と横須賀海軍の出身者はここでも大変優遇され
指導的な立場で関わりました。

「金25円下賜」とあるのは関わったのが皇居だからでしょう。



左、ご存知フランソワ・レオンス・ヴェルニー。
横須賀製鉄とドックの建造事業で「首長」であったヴェルニーに対し、
右側の人物は「副首長」で、ジュール・ティボディエ。
ティボディエはのちにヴェルニーの妹と結婚して義理の弟になりました。



技術学校黌舎(こうしゃ)の卒業生。
黌舎(こうしゃ)は、ヴェルニーら技術者をフランスから招聘したため
すべての教育がフランス語で行われ、大変レベルが高かったということです。

この写真の左側、川島忠之助は、のちにジュール・ベルヌの

「八十日間世界一周」

を翻訳して出版したことで有名になりました。
気のせいか立ち居振る舞いや洋服の着こなしもフランス風です。




横須賀製鉄所第1号ドライドック設計図。
100分の一図で、「船渠図」となっています。



第1号ドライドックの揚水ポンプ室設計図。
サインされているのは

「L.Neut et Dumont 」

で、「1869年6月20日 パリにて」という字も見えます。
フランスの会社がポンプ設備を納入したということなんですね。

 

こちらはドライドックのバルブ設計図。

「水防戸之図」「水防戸枠之図」

などという文字が読めます。 



そのバルブの現物がここに残されていました。
このバルブ、いつまで使われていたと思われますか?

なんと2011年、このブログが始まった次の年ですよ。関係ないけど。
1871年から2011年まで、なんと140年のあいだ、ドックで現役だったのです。
ドライドックの仕組みというのが実にシンプルで、完成されていたため、
当時のバルブが問題なく使えていたということなんだろうと思いますが、
それにしても堅牢に作られていたのだなあと感心するばかりです。



こちら説明の写真を撮るのを忘れてなんだかわからないのですが、
(何しろ時間がなかったので)内部が煤けているようにみえますし、
土中に埋まっていたものかもしれません。(適当)





海軍省の設置した標柱。
「横須賀軍港界域標」「明治三十三年二月十三日」とあります。
この標柱は、現存する最も古い「鉄筋コンクリート造りの構造物」です。

最も古い鉄筋コンクリート建造の建物は佐世保の
佐世保鎮守府ポンプ場だったのですが、失われました。
現在の最古級は横須賀の走水にある水道施設だそうです。



観音崎灯台に使われていた「横須賀製銕所」の赤レンガ。



赤レンガを作るための「型」。
この規格はヴェルニーがフランスから伝達したサイズによるものです。
樫の木でできており、これはレプリカです。



煉瓦積みの方法を図解で示した書物。
「フランス積み」の手法が海軍兵学校にも使われたのは、
横須賀がこういった技術の最初の輸入先だったからであろうと思われます。



 「ヨコスカ製銕所」と刻印があります。

「銕」というのは「くろがね」と打つと出てきますが、
「てつ」とも読みます。
つまり「せいてつしょ」ですね。 

横須賀軍港建造にまつわる資料がここほど充実しているところもありますまい。
もし興味を持たれたら、ぜひ一度足を向けてみてはいかがでしょうか。



 


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