久里浜駐屯地で見学した資料館の残りをサクッと紹介します。
陸軍のゲートルや背嚢、「7号手入れ具」の袋など。
手入れ具に収納されているのは
「三口スパナ」「摘鋏」「円鉄線鋏」「小盤陀鏝」
「ねぢ回」
今でいうツールボックス。
盤陀というのは「はんだ」の漢字です。「はんだごて」ですね。
こちら海軍の報道部専用のバッグ、腕章、水筒に双眼鏡のセット。
上に「見習士官用刀帯」というのがありますが、この「見習士官」とは
海軍にはなく陸軍だけにあった正式な官名です。
陸軍士官学校、陸軍航空士官学校または陸軍経理学校卒業者
甲種幹部候補生として陸軍予備士官学校卒業、または同程度の教育を終了した者
衛生部、技術部、法務部など各部将校要員に採用された高等教育機関卒業者
陸軍特別操縦見習士官
をいい、期間は数ヶ月といったところでした。
海軍だと士官候補生ということになろうかと思います。
左のブラシが何のためなのか気になりますが、写真に写っていません。
やっぱり身だしなみを大事にする海軍だから、洋服ブラシかな?
それとご注目いただきたいのが真ん中の「信号笛」です。
いやー、もののはずみで買ってしまい持っているのでよくわかるのですが、
これ、ほとんど現代のものと同じ形ですね。
強いて言えば、先端の音を反響させる丸い部分の金属が
これは丸ではなくちょっといい加減な5角形をしていることです。
サイドパイプの「艦長乗艦」などは昔から全く変わってないんですね。
ちなみに、激しく笑わせてもらった知恵袋のページがありました。
「海上自衛隊のサイドパイプの吹き方が難しく困っています。
どうしたら吹けますか?教えて下さい。よろしくお願いします‼」
ベストアンサーに選ばれた解答(解答数1)
「 現役海自です。
現職ですか?それならこんな所で聞くな。恥曝しだ。先輩に教えてもらえ。
一般の方なら、これは言葉では説明できません。
海上自衛官になるか、砲雷科か船務科、航海科の海上自衛官
またはそのOBに直接教えてもらって下さい。」
アンサーに対する答え
「 来年より陸自に入隊する者です。直接聞いた方がいいですよね…
自己流でやってみます。ありがとうございました。」
・・・・いやー、わたし好きだわーこういう人(笑)
ていうか、号笛必要ないし。陸自。
白とカーキの海軍略帽、水兵さんの帽子(横須賀鎮守府とリボンにある)は
わかりますが、ボロボロの黄土色の帽子は一体何?
山下奉文大将の芸術的なまでに達筆な手紙。
あまりにも達筆でところどころ読めません。
山下大将が送った陸軍少年通信学校長栄転に対するこの手紙は、
学校長の子息である自衛隊2佐によって当資料館に寄付されました。
これも寄贈された戦時中の軍関係者必携の書など。
ざっと題名を書いていきますと、
「昭和9年陸軍現役将校実役停年名簿」
「陸軍歩兵少佐多田督知著 日本戦争学」
「軍隊精神教育の参考」
「陸軍軍備の充実と其の精神」
「通信教範」「和文電報練習帳」「歩兵通信機材取扱書」
などなど。
同じ所有者のものと思われる(航空士官学校卒だった模様)
反省録と本人の称する日記。
左はわざわざ「日記」として「反省録」と書き直しています。
なんか真面目な方だったんだなあ・・。
どう見ても画用紙とボール紙、それを絵の具で塗って仕上げたと思われるジオラマ。
ある意味ものすごい労作です。
これは、昭和50年に、当久里浜駐屯地の「重構成」「有線過程」の
学生のために作られた教材である、と説明にあるのですが、
ジオラマの中にアドバルーンが上がっており、そののぼりに
「祝 落成 構成中隊の作業概要
作成者 水内3尉 横坂1士」
と製作した人の名前らしきものが掲げてあるので、昭和50年でなく
のぼりに書かれた「昭和38年12月28日」が正しい製作日ではないでしょうか。
ジオラマの空を飛んでいるのはどう見ても旧軍の飛行機のような気がするけど、
きっと何かの間違いに違いありません。
ジオラマの地下はこのようなことになっています。
わたしにはさっぱりわかりません。
いやー、水内3尉と横坂1士、がんばったねー。
基地電話交換をしている陸自隊員(手前は2士)
・・・なんですが、なんだこの髪型は(笑)
向こうの隊員はヘルメット着用で仕事をしているのか?
長髪がブームになって、もみあげを伸ばすのが流行った昭和40年代には
陸自隊員も(まあ通信隊だけど)こんなやわい髪型をしていたのかしら。
さて、というところで資料館見学は終わり。
基地見学には欠かせない、売店での買い物タイムとなりました。
食堂だか休憩室だかわかりませんが、隅っこに視聴覚コーナーあり。
今ならこういうジオラマを作ってしまえるんですねー。
なぜあるのかわかりませんが、久里浜駐屯地俯瞰のジオラマ。
総合高校とかかれたところには、昔伏龍特攻の隊員の隊舎があったそうです。
これこそ、先ほどの手作りジオラマの頃の久里浜。
ビルなどほとんどなく、のんびりした田舎の風景という感じです。
当駐屯地売店に立ち寄りました。
通信科の地味目なTシャツ、「金のエンピに金の汗」という
謎のロゴが書かれたTシャツなどが良いお値段で売られています。
エンピってなにかしら、と調べたところ、スコップのことらしいです。
こういうのを使う部隊というと施設大隊くらいしか思いつかないのですが、
ここには施設大隊いないしなあ・・・。
ところで右下の「空挺の誇り」の「モテすぎて・・」の以下が気になる。
久里浜駐屯地隊員の皆さんのために売られている本。
「1条30秒で理解できる簡単明瞭日本国憲法」
「刃牙」「アルスラーン戦記」「部長島耕作」(会長かな)
「寄生獣」「心」(姜尚中著)などの怪しい書もあり。
わざわざロウ見本まで用意している気合の入り方につい買ってしまった
迷彩柄カステラ「精鋭の休息」。
ヒトマル式戦車チョコクランチと共につい買ってしまいました。
食べてみましたが、精鋭の休息、甘すぎ。
隊舎に津波が来た時の予想がペイントされていました。
参加者が「これは海抜ですか?」という
的を得たような得てないような質問をしていましたが、津波の高さって、
海抜0を起点をするのなら、それもある意味正しいですよね。
ところで、ここにもし大地震が起きたら、この地に津波が襲う可能性はあります。
過去の基地写真を見ると、横を流れている川が氾濫したこともかつてあったらしく、
自衛隊員がゴムボートに子供を乗せて膝まで水に浸かって引っ張っているという
災害派遣が記録されていました。
いざという時に備えて、ここでもまた災害のシミュレーションが
恒常的に行われているのに違いありません。
自衛隊基地の近隣住民は、その点頼みにしているのではないでしょうか。
さて、というところで久里浜駐屯地見学はおしまいです。
入り口で手を振る広報の女性自衛官にバスからこちらも手を振り、
(スモークガラスなので向こうから見えていたかどうかわかりませんが)
基地を後にしました。
この後、バスは多々良浜にやってきました。
この手前に観音崎自然公園などがありました。
たたら浜は海水浴場でもあり、道を隔てて海岸の向かいにちょっとした公園があります。
バスはそこの駐車場に止まりました。
お昼が遅いので次の行程との間に軽食が出されたのです。
ミックスサンドイッチで、まあまあ美味しかったです。
乗務員の方はしょっちゅう冷たいお茶を注ぎに来てくれました。
完全に全員が二人分の席に一人で座ることができました。
まあ、ツァー会社的には盛況とまではいかなかったようですが、
わたしたちにはありがたかったです。
サンドイッチを外で食べてもいい、と言われたのですが、あまりにも外が暑く、
クーラーの効いた快適な車中で全員が食べていました。
わたしはせっかくなので食べ終わってから外を見に行きました。
そこに立っていた「たたら浜」の説明を見ておおお、と盛り上がるわたし。
昔から観音崎一帯は、東京湾要塞地帯の最前線であったため、
終戦まで一般人の立ち入りが禁止されていました。
先日書いた「伏龍特攻隊」の隊員が見た「船を出す漁師たち」が
どこから船を持ってきたのか、とても不思議になります。
それはともかく、このたたら浜では、陸海軍の演習も行われていたとか。
写真は海軍の演習風景を錦絵風に描いたものですが、軍服からみても
明治初期のものであると思われます。
昭和になってからはさすがにここで訓練はしなかったと思いますが、
それについての資料は見つけることはできませんでした。
さて、休憩が終わり、我々のバスは次の見学地に向かいます。
横須賀は小原台にある防衛大学校。
そう、本日のツァーの見学のメインであったのが、実は防衛大学校だったのでした。
続く。